第21話 狂信の果てに

――ある日――


「イングリットさん。お待たせしました。これ、頼まれ事」


 そう言ってナジャさんが渡してきたのは、父とイサミが死んだ海戦の詳細な報告書の束だった。


「ありがとうございます!」


 私はそう答えて、勢いよく執務机の上の物を片付ける。

 バサバサ、バタバタと音を立てて、机の上にあった物が全て床に収まった。

 よし!これでスッキリした。


「……自分の部屋だと品が無くなる所、ほんと誰に似たんですかね」


 そんなの決まってる。イサミだ。

 7つの頃から憧れて、ずっと背中にくっついて生きていたんだから。

 ナジャさんの皮肉だと分かっていても、イサミに似ていると言われると胸が高鳴る。

 私にとってイサミは、そのくらい大きい存在なんだ。

 ナジャさんに頂いた報告書を、まっさらになった執務机の上に広げて、立ちっぱなしで読み込んでいく。今の私には座る時間さえ惜しかった。

 そんな私の様子を見て「ちゃんと後で片付けとくんですよ」と声を掛けて、ナジャさんは音を立てずに執務室から出て行った。

 相変わらず、他人を思い遣る事のできる良い人だと思う。ありがとうと言ってから、ナジャさんに返事もしない失礼な私にも、怒らず優しくしてくれるし。

 なぜ魔人が嫌われるのか、ルクスで生まれた私にはサッパリ分からない。

 


 この戦争はおかしい。

 命からがら逃げ帰ってきた兵士たちから聞いた話には、おかしな所がイッパイだった。

 特に、私がどうしても認めたくないおかしな所がひとつだけ。

 父とイサミが乗る旗艦カロリングがどの艦よりも前に出て、敵艦隊に突撃し、いの一番に沈んだこと。

 この報告を受けた時は失笑してしまった。

 ――あなたは目がおかしくなったのではないですか?治療を受けますか?イサミを馬鹿にしているのですか?

 口をついて出そうな悪辣極まりない言葉を必死に呑み込んだ。

 笑顔は作っていたはずなのに、この報告をした兵士の顔は私を見て引きつっていたから、きっとウッカリ顔に出てしまっていたと思う。

 絶対に、絶対にこんな自殺行為、イサミがするもんか。

 みんなみんな、死んだイサミを馬鹿にしてるんだ。許さない。みんなあんなに助けてもらっていたのに。

 この戦争はおかしい。

 何か、裏があるんだ。絶対に。

 私がそれを見つけて、みんなに認めさせるんだ。

 イサミは最期まで、私が尊敬してやまないルクスの守護神なんだ。



 そして私はナジャさんに頼んで、この戦争について詳しく調べてもらう事にした。

 ナジャさんは工房を任されているだけあって、魔人の中でも多種多様な魔法を行使できる凄腕だ。

『私もイサミっぽくないと思っていました。魔法が使える状況ではなかったとはいえ、彼らしくない。……星読みをしてみましょう』

 ――星読み?

『ある事柄について、常に私達を見ている星々に伺い立て、その知見を得る魔法。これが星読みです』

 そして今日ついに、星読みの結果が私の元へやって来た。

 目の前に束ねられた報告書は、ナジャさんが一週間に渡って星読みをした結果の集大成だ。

 星はその全てを見ているから、いる情報もいらない情報も、その全てをごちゃまぜにして伝えてくるそうで、その精査に時間がかかる、とナジャさんは言った。

 それでも2、3日くらいで結果が出ると言われて、だから、一週間も待たされるとは思わなかった。

 


 私は報告書をパラパラとめくっていく。

 とにかくまずは、父とイサミが乗った旗艦がどんな動きをしたか。それが知りたかった。


「ウソ……、そんなわけ」


 そして私の期待はアッサリと裏切られた。

 旗艦カロリングの沈没までの航路図とその時間から、どの艦よりもいち早く沈んだことが分かり、そして総突撃を示す手旗信号が確かに振られていたと報告書には書かれていた。

 兵士からの報告通り、父とイサミは無謀に突撃し、誰よりも早く死んだ。と言うことになる。

 あのイサミが、ルクスの守護神が、耄碌して国王と心中したと、そういう事になる。

 イサミを馬鹿にしたみんなが、正しいと、

 ――そんなわけない!

 衝撃にガタガタになった頭で否定し続ける。

 ――そんなわけ、ない!こんなの、ナジャさんが嘘をついたんだ!

 ナジャさんを疑う気持ちが芽生えて、しかしあり得ないと頭を振る。

 魔人は嘘をつかない。つけない。話の中で分からないことがあれば教えてくれるし、相手が理解するまで根気良く教えてくれる。

 魔人が人間に嘘を付けるわけないんだ。イサミがそう私に教えてくれた。

 私は突き付けられた現実にショックを受け、報告書を床にぶちまけた。それは床の上に雑多に片付けられた、どうでもいい書類たちの上に沈むように落ちていく。


「……?」


 そして差し込まれていた厚紙のメッセージカードをたまたま見つけた。


『私は初めて星読みの結果を疑いました。そして何度もやり直しましたが、残念ながらやはり、すべて同じ結果でした。

 ――イサミの事となると視野が狭くなるあなたに、このメッセージカードの裏に私なりの結論を書いておきました。どうしてもあなたに伝えたくて、目立つように厚紙にしました。

 直接、口に出すことを躊躇う私を許してください。

 あなたがどうするかは分かりませんが、きっとあなたのためになると信じています』


 そして私は裏を見た。

 

******


「な、何の話だイングリット。君の父上と元帥殿は戦争で死んでしまったのだよ。あれは、たしかにアーリアに責任があるが、しかしね、クラーケンが出ては出航ができないのは仕方ないだろう?」


 ――ヴィルヘルムが動揺している。まだ私が知らないと思ってるんだろうな。


「あの日、海上にクラーケンは出ていなかったそうです。……私が言いたいのは、なぜそんな嘘の報告をしてまで、あなたが自国の海軍を動かさなかったのか、そういうことです」

「だ、だれからそんなことを聞いたか知らんがそれは妄想だ!」

「魔人からですよ。彼らがウソをつかないことは、あなたもよく知ってるでしょう?」


 魔人は人間にウソをつけない。こちらから聞くまで黙っていることはできても、聞けばウソをつくことができない。

 ――そういう契約で、そういう生き物なのだ。魔人は。


「……そうか“星読み”かぁ。金で黙らせた士官のうちの誰かが吐いたのかと思ったが、そういう事か。……イサミが死んだのが、そこまで納得いかなかったかイングリット」


 ――そして彼も、それをよく知る人間だ。

 イングリットが思った通り、ヴィルヘルムはあっさりと口を割った。


「はい。つきましてはどうやって父とイサミを殺したのか。それを聞きたくて」

「やれやれ。困ったな。星読みでもそれは分からなかった。そうだろう?」


 暗闇の中で開き直るような声がして、イングリットは握る手に力を入れた。


「……そうです。アーリアの海軍が来なかったなら、全軍退却すればよいのに、イサミはそうしなかった。――なぜでしょう?どんな方法を使ったんです?」

「……僕がウソをついて出撃しなかったのは、ルクスの戦力を大幅に減らして、アーリアとの同盟関係を強化せざるをえない状況に追い込むためだ。それはわかるよねぇ?君との結婚を引き換えに保護してやると言えればそれでよかった」


 イングリットはそれに返事をしなかった。

 ――そんなことは分かり切っている。


「――つまりさ、君の父上とイサミがなぜ心中したのか、それは僕にもわからない。魔人の星読みで分からないなら、……つまりは彼も人間だったということさ。人間誰しもミスをする」

「イサミはしません」


 ――イサミはしません。


「……僕もまさか、あのお二人が耄碌するとは思わなかった。まさか死ぬなんて思わなかった」

「――耄碌なんてしてません」


 ――そんなことはありえない。


「……どうしてそう断言できる?」

「どうして?」


 ――どうしても何も。


「――イサミはルクスの守護神です。今も変わらず私の英雄です。私の、憧れです。私は、誰よりも、彼を知っている」


 ――そして誰よりもあの人を愛している。


 イングリットがメッセージカードにはこう書かれてあった。

『人は誰しもミスをする。人は誰しも年を取る。いつまでも彼はあなたの英雄であることはない。

 そして済んだことは、取り返せません』


 そして雲間を割いて現れたひとすじの星明りが、二人を包みその姿を映し出す。


「イングリット諦めろ、お前はもう僕のものになるしか――っ!?なっ!?」

には答えてくれませんでしたね……」


 イングリットの手の中、握られた抜身の日本刀が、その真剣が、星光を受けてギラギラと輝いていた。

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