第19話 想いの頂点
孝太郎が疲れた体でゆっくりと城塞を出ると、晴れた空の下で見知らぬ男が騒いでいた。
「ハァー、さすがルクスだ!連日の邪神襲来にも慌てず対処している。そして何よりあの魔人の魔法を見たかい!?すごいよねぇ」
そう言って近くの兵士に絡んでいる。
金糸の刺繍が施された豪華な衣装。一目で育ちが良いとわかる所作。そしてハッキリとした端正な顔立ち。
「ほっほ。……アーリアの王子が来よったわ」
「うぉ!?」
城塞の入り口の影から、渋い顔をしたアンスガーが孝太郎に声を掛けた。
アンスガーの話によると、明日到着するはずの王子が今朝入国し、邪神襲来に人のいなくなった街中を突っ切り、王城へ続く城門を開けさせ、山を登り、そして丁度ナジャが邪神を倒すために城塞を後にした頃から、中庭でその見学をしていたらしい。
「おおー、中庭に植えた花がほとんど変わってるね。珍しい花だなぁ。よし!イングリットにここでお茶をしようと伝えてくれ。……ところで、イングリットにはまだ会えないのかい?早くするようにも伝えてくれ」
今は甲冑を脱いだアンナが王子の相手をしている。困った顔で「もう少しお待ちください」と言って王子を宥めていた。
「まるでもう自分の国かのような狼藉をしよって……気に食わんのう」
「邪神にルクスが襲われる中、のんきに見学とはな……トンデモナイ奴じゃないか」
孝太郎とアンスガーは城塞の壁にもたれるようにして、遠巻きに王子を観察していた。
他人事のように邪神の襲来を見学していたと聞き、孝太郎は彼に良い印象を持たなかった。
孝太郎がそうして彼を観察していると、城館からイングリットが見たこともないような豪華なドレスを着て現れた。
「おぉ……!」
孝太郎はその美しさに驚嘆の声を上げた。
頭飾りに花のついたティアラを着けて、ドレスは襟が鎖骨が見える程ゆったりと開き、ウエストの切り替えしからふわりとスカートが広がるプリンセスライン。
バロック調の豪奢な意匠には、全体的に花柄の刺繍を施されており、その上からラインに沿うようにレースが敷かれ、左右対称になるように一輪の花が8つほどが括りつけられていた。
――こりゃ立派に女王様だな。
「お待たせしました!お久しぶりですね、ヴィルヘルム」
イングリットがアーリアの王子の元まで優雅に歩き、スカートの裾を掴んで華麗に一礼した。
ヴィルヘルムは口元に手をあててウンウンと頷きながら、イングリットのつま先から頭の先まで値踏みする。
「おおおお!ちょっと見ないうちに随分綺麗になったねぇ。もうヴィルヘルムなんて堅苦しく呼ばないで、ヴィルでいいよ!明後日には夫婦になるんだからさ」
「……はい。ヴィル。ふふっ、あだ名で呼ぶなんて、まるで子どもの頃のようですね」
柔らかい風が吹いて、イングリットとヴィルヘルムを祝福するかのように、中庭に咲く花弁を舞い上げた。
はらはらと揺らめきながら、花弁はイングリットのティアラに優しく舞い降りた。
「ははっ!風も花も僕らを祝福している」
ヴィルヘルムはイングリットのティアラに付いた花弁をさっと払うと、すかさず彼女の顎に手を当ててその唇を奪った。
周囲が息をのんで見守る中、二人の唇はその端からゆっくりと離れていく。
そして完全に離れてしまうその瞬間に、イングリットはヴィルヘルムの胸の中に飛び込んだ。
ヴィルヘルムはそんなイングリットを強く抱きしめ返す。
「あぁ、ずっと君のことが好きだったんだ。ずっと君のことを考えていた」
「……はい。私も……」
抱擁はしばらく続き、その間、誰もが謎の緊張を抱いて二人を見つめていた。
******
アンナが中庭にお茶会の準備を終え、イングリットとヴィルヘルムは椅子に座り、テーブルを挟んで優雅に談笑している。
テーブルの上には、白地に花柄のカップ、ソーサー、ポット、ジャグ、そしてスコーンなどのお菓子が置かれたケーキスタンドが整然と並べられていた。
そしてケーキスタンドの隣に飾られた淡い花が、テーブルの上に華やかさを演出していた。
「ヴィルこれを見てください!……ここしばらくの鍛錬で、こんなに筋肉がつきました」
「おぉ!随分力こぶができるようになったねぇ。どれ……」
ヴィルヘルムがイングリットの腕に手を伸ばす。
しかしその手は、イングリットの手によって握手する様に握られた。
「!?」
「なので久々に腕相撲しましょう!」
「!?」
******
「……仲は良さそうだな。ただ、キスした後の雰囲気じゃない」
「ほっほ。……仲は良いんじゃ。兄妹のように」
今は城館の、中庭に続くエントランスから、孝太郎たちはその様子を窺っている。
腕相撲は拮抗し、いまだ勝負がつかないようだ。
「イングリット様は……元帥のことが」
リーナが切ない声で呟いた。
中庭に突き出すように置かれたエントランス、リーナは一人、その柱の裏に隠れて顔だけを出して覗き見している。
そうしてコソコソしている彼女に、孝太郎は声をかける。
「……隠れなくていいだろ」
「ダメダメ!緊張しちゃって、隠れないと見てらんないよ!」
「そんな緊張することか?これから結婚する二人が、仲良く話してるだけじゃないか」
リーナは孝太郎に、ムッとした顔を向けた。
「そうだけど……その結婚に愛はないでしょ。イングリット様は17歳の女の子なのに、心を殺してルクスの為に身を売るんだよ?」
「……向こうさんは愛してそうだがな。まぁ……けどそりゃ、仕方の無い事で、イングリットもあのキスを受け入れた時点で覚悟はしてるだろ。それに――」
孝太郎は改めてヴィルヘルムを見る。
20代の前半くらいだろうか。背が高くイケメン。所々プライド高い態度が目に映るが、それも王族だと聞けば大したことはない。キザな面もあるがそれが様になっていて、悪くない。
「――なかなか良い男だし、結婚相手としては悪くないんじゃないか?」
「……孝太郎って、意外と冷たい人間なんだね」
リーナは大きく嘆息すると、その視線を二人のお茶会に戻す。
そこでは腕相撲に負けたヴィルヘルムが、悔しそうにテーブルに突っ伏していた。
「……もし孝太郎が王様だとして、みんなのために好きでもない人と結婚することになったらどう思う?」
「嫌だけど我慢する。諦めるさ。そういう立場ならな」
「ふーん。……じゃあもし、ちよちゃんがそういう立場だったらどう?好きでもない人と結婚させられそうになったら?」
「全力で阻止する。ちよに嫌な思いはさせん!」
孝太郎は腕を組み強く宣言した。
「シスコンだね孝太郎。……いま私がイングリット様に抱いてる思いはそれに似てるの。イングリット様は、嫌だと思ってもそれを口にしないからますます心配だよ」
「――姫様がまだ、12歳の時の話じゃ――」
そして二人の会話を聞いていたアンスガーが唐突に話し始める。
「――ヴィルヘルムが姫様に求婚したことがあった」
「12歳の女の子に求婚かよ。てかそんな前から結婚話が合ったのかよ」
「王族なんかじゃ割とふつーだよ。……私もその頃のイングリット様は知らないなぁ」
アンスガーの話にツッコミを入れた孝太郎に、リーナがフォローを入れた。
「リーナはルクスに来てまだ四年じゃからな。……その時、わしも王も、そしてイサミも、話を聞いて喜んだのじゃ。アーリアとルクス、両国の距離は格段に近くなると言っての。二人は5つしか離れておらぬし、昔から仲の良いのを皆知っておったから。――しかしな、姫様は笑顔のまま固まって何も言わなんだ。それでその時の話はお流れになったのじゃ」
「……そんなに嫌だったのか」
「うむ。それ以降、ヴィルヘルムも結婚の話は持ち出さんかった。……ひと月前の戦争でルクスがスキャンダに負けるまではな」
――なかなか、したたかな男じゃないか。
孝太郎はヴィルヘルムの行動に好感を抱いた。
好きな女を手に入れるためなら、どのような形であれ、周りにどう思われようとも、何でもする。
目的のために手段を選ばない。
孝太郎はそういう男が嫌いではなかった。
「えー?それってつまり、今ならイングリット様が結婚を断れないから、狙って求婚してきたってことですよね?私そういうの嫌いだな」
リーナは嫌悪感を露わにし、ヴィルヘルムを睨みつけた。
******
イングリットがヴィルヘルムに腕相撲に勝った喜びを満開の笑顔で示す。
ヴィルヘルムはその笑顔を見て、わざと負けた自分を心の中で褒めちぎった。
「イヤー負けた負けた!ほんとに強くなったねぇイングリット!」
そして勝ったイングリットを大げさに褒めちぎる。こうして彼女が喜んでいるときは、褒めるとさらに機嫌が良くなると彼は知っていた。
「えへへ。イサミの言う事をよく聞いて頑張っていた甲斐がありました!」
「……そうかぁ。そういえばこの花はなんだい?以前はこんな花はここに咲いていなかったと思うんだが」
その花は、細長く伸びた茎の頂点に、半ボール状に小輪花が纏まるように咲いている。
「イサミが好きだった花なのです。イサミが私にくれた思い出の花を側に置いておきたくて、ひと月前から植えました」
「……そうかぁ」
それを聞いてヴィルヘルムは、イングリットの手前、唇を噛むわけにいかないので、舌を噛んだ。
イングリットは笑顔を貼り付け、薄く開いた瞼から、そんなヴィルヘルムを見ている。
そしてヴィルヘルムは立ち上がり、その花を手折ると、イングリットに差し向けた。
「……元帥殿が亡くなったのは本当に残念だよ。彼は英雄だった。……これからは僕と二人で頑張っていこう」
「……」
イングリットは差し向けられた花をじっと見つめ、そしてヴィルヘルムを見る。
依然、彼はイングリットに花を差し向け動かない。
イングリットもまた、動かない。
二人を照らす日の光が、雲に隠れて影を作った。
******
中庭を照らす日の光が、雲間に隠れる。
晴れ渡っていた空に、少し雲が増えていた。
「……やっとのことで城に戻ってくれば、なぜアーリアの王子がこんな所に」
魔力の消費を抑えるため、ナジャは港から徒歩で王城まで戻ってきた。
途中、日夜増え続ける城門を取り囲む人間たちをとりなしたことで、多少時間がかかってしまった。
気のいい給仕のいるレストランに寄って、昼ご飯を済ませておこうか、とも考えていたのだが、白の代表の心配もあって諦めた。そしてまっすぐ王城まで帰って来れば、あの王子とイングリットがお互い笑いあったまま動かない、奇妙な空間に鉢合わせてしまった。
「今朝に入国したんだと。アンスガーさんの話じゃ、邪神襲来中は大外の城壁も閉め切って入国はできないらしいが、……無理やり開けさせたらしい」
近くエントランスから孝太郎がナジャに声を掛けた。
――ほとんどが新兵ですし、権威に怯み押し負けてしまったのでしょうね。
アンスガーを見ればその瞳はギラギラと輝いており、職務へのやる気に満ち満ちている。城門の兵士たちはこの老獪からきついお叱りを受けるだろう。
「ナジャお帰り。おつかれさま。……いまイングリット様がバチバチにやりあってるから邪魔しないであげてね」
リーナが柱の影から二人の様子を眺めていた。そして自分の腹を抑えながら話を続ける。
「受け取るか受け取らないかで、せめぎあってるよ……。緊張で胃が痛くなってきた」
「花くらいさっさと受け取ればいいだろうに」
「孝太郎には私がさっき話したでしょ。あれはイングリット様が初めてイサミからもらった物なんだよ?それをわざわざあんな風に、イングリット様に差し向けるってことは……」
「――思い出の上書き。……王子はイングリットにイサミを忘れろと、俺を見ろと言っている」
リーナの言葉の続きをナジャが代わって話した。
――あの男、本当に……。……あっ。
見るとイングリットの笑みが深くなり、えくぼが激しくくぼんでいた。
彼女は何か決心したとき、その笑顔を深くする。それをナジャは知っていた。
******
イングリットはヴィルヘルムの、花を持つその手首を掴んだ。
「っ!?」
一瞬の出来事にヴィルヘルムが動揺する。
イングリットは手首を掴んだまま立ち上がり、ニッコリと可憐な笑顔を彼に向けた。
「はい、大丈夫です。あこがれを思い出しました。……そうですね。日々を豊かにしていきましょう。私、頑張ります。――アンナ」
「はっ。ここに」
いつの間にかすぐ側に控えていたアンナがイングリットに応える。
「花をいただきました。……元々中庭の花ですが。花瓶に丁重に差しこんで、城塞に飾ってください」
「はっ!……失礼!」
「!?」
アンナはヴィルヘルムの手から強引に花を奪い取った。
そしてイングリットはヴィルヘルムの手首から手を離した。
「私、まだ仕事があるのでそろそろ戻りますね。――アンナ」
「……お部屋を用意してあります。ルクスまでの旅路での疲れもあるでしょう。そちらでお休みなられてください。ご案内いたします」
「なっ……。イングリット!?」
言ってか言わずか、イングリットはヴィルヘルムに背を向け足早に中庭から去っていく。
そうしてイングリットが城館に入り見えなくなるまで、ヴィルヘルムは立ち尽くしたまま彼女の姿を目で追い続けた。
「……そういうところ、たまらないんだよねぇ」
******
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