第16話 失策

「……すご」


 呆気にとられ、そう短く呟いたちよの眼下にあったのは魔人の島、ブリタンの古都ブリタリスだった。


 ――その都は近代的な軍事都市だった。

 遠く山並みが霞に映るが、そこから海まで遥かに平地が続いている。

 港には鋼鉄の船がその半分を埋め、そのもう半分には人間の帆船が小さくひしめいている。

 港から少し離れたところに空港が設置されており、そこにはレシプロ機が並んでいた。

 さらに何らかの工場が乱立しており、濛々たる黒煙がその息吹を主張している。

 そして街の端、小高い丘に巨大な天体望遠鏡が設置されており、その巨大な建造物から離れた街の中心部にはさらに巨大な高層ビルが存在した。

 その外観は根元からねじれたように、上から見ればらせん状になっていて、それでいてその頂上にはヘリポートが存在した。――


 二人を乗せたプロペラ機は、その高層ビルの頂上に叩きつけるように着陸した。その直前に網にかかるように機体はふわりと宙に浮き、ちよとウーに衝撃は来なかった。


「着いたー!……ようこそブリタンへ」

「……世界観がこわれるよぅ」


 ちよがルクスで思い描いた想像の異世界とは違い、ブリタンは大きく未来へ進んでいた。


「にひひ!すごいだろ!?」

「……代表、その子が件の異世界人ですね」

「げっ!プリム!あっあっあのあの、すみませんでした!」


 ちよを抱えてプロペラ機から降りたウーに、穏やかそうな顔に今は激情を灯した細目の女性が声を掛けた。

 小さな三つの角を頭部に生やし、白衣を身にまとった痩身の魔人だった。


「あの、はじめまして。ちよです。……わたしのワガママで契約しちゃったんだから、マオちゃんをそんなに怒らないでください!」

「ご丁寧にどうも。プリムです。……この子のやさしさに免じて、怒るのは後にしましょう」


 穏やかそうな顔が穏やかさを取り戻すのと同時に、プリムはちよと握手した。

「よろしく。さっそくその足を診てみましょう」


 それを聞くとウーは、ちよをプリムに抱かせると、そそくさとプロペラ機に括りつけていた車いすを外してそこにちよを乗せた。


「……診察中に代表はガーデン閣下の元へ行ってください。戦闘報告があります。その後にも報告待ちが多いのでお早めに処理なさってください」

「よしきた!」と短く答えると、ウーはちよに手を振って、いち早くビルの中に入っていった。

「なんかマオちゃん、ここじゃ忙しいね」

「いつもよりは暇ですよ」




 診察は白く清潔なベッドの上のみで行われた。

 診察室に入ると、ちよは全身の衣服を脱がされ一糸まとわぬ姿となり、プリムに体中を触診された。


「……ふむ、なるほど」

「えと、どうですか?」


 診察ということを分かっていても、体中を見られ、触られるのは恥ずかしい。ちよは少し顔を赤らめていた。


「はい。何も分からないということが分かりました」

「えぇ……」


 真剣な顔で冗談みたいな返しをされて、ちよは戸惑う。


「ご安心を。分からないということが分かる、というのは確かな進展です。方法を変えます。……今から治癒魔法を掛けます。少しずつ強化していきますので、何か体の変化を感じれば教えてください」


 そしてプリムは呪文を唱え始める。

 ――クーア――


「あっ、なんか足があったかい」

「いいですね。その調子でほんの少しの事でも教えてください」


 ――天高く、星辰よ、その御許に集う子どもらに祝福を――


「……」

「はい、では次です」


 ――天高く、星辰よ、遍く星々よ、至福の星光を、闇を抜け、雲を抜け、和らぎの祝福を――


「……」

「ほう……次で最後です」


 プリムは赤いキャンディーを白衣から取り出すと口の中で噛み砕いた。

 ――天高く、星辰よ、遍く星々よ、我が祈りに応えよ。我が想いを叶えよ。契約の血はここに。かの者に尽きることのない安らぎを――


「あっ!!」

「!?」


 ちよの両足が突っ張ったように痙攣し、エビのように反りあがった。

 慌ててプリムは魔法を止める。

 ちよの足はゆっくりと元に戻り、プリムはそれを触診する。


「……治ってはいない、ですか。しかしなるほど、分かりました」

「び、びっくりしたぁ」


 ちよは胸を抑えて乱れた呼吸を整えた。


「すーはー……えと、何が分かったの?」

「はい、あなたの足は治せます。しかし、現状治せないことが分かりました」




「おー?つまり、ちよの足を治すのには魔力が足りないってこと?」


 ここはビルの最上階に位置する代表のための仕事部屋。入り口には『魔人代表室』と書かれた表札が掛かっている。

 今その部屋の中で、ウーとちよとプリムが話し合いをしていた。


「はい。ちよさんの両足は魔法に反応を示していましたが、私の血を使った最大出力の治癒魔法でも、神経を刺激することで精一杯でした」

「……まじか」


 プリムの血の治癒魔法は魔人一だ。彼女は死の淵の人を一瞬で走り回れる程にまで回復できる。

 その彼女が、治せないというなら、それを疑う余地はなかった。

 ウーはちよを見る。無理して笑顔を作ったちよがそこにいた。


「そっか……。うん仕方ないよね。大丈夫、今まで通りなだけだもん。大丈夫」

「……なんか方法ないのか!?……そうだ!治癒魔法の装置を新しく作ろう!そしたら――」

「その場合、そこに溜め込まなければならない魔力はおよそでしょう。現実的に不可能です」


 即座に意見を否定され、ウーは俯き黙り込んでしまった。

 ちよは話を聞きながら、部屋の窓からブリタリスの街並みを眺めていた。

 街のあちこちから伸びる電気の明かりが美しい。その光景に今はもう懐かしく感じる、日本の都会の夜の街並みを重ねた。


「……方法はあるんです」


 そのプリムの言葉に、二人は勢いよく顔を彼女に向けた。


「千万、いや、下手をすると何億人分もの魔力が溜め込まれたものが、この世界に一つだけ存在します」

「いや……おいそれってまさか」

「……どこにあるの?」


 プリムは勿体つけずに端的に答えた。


「邪神のコアです」


******


「あら?ナジャさん、孝太郎さんの部屋に何か御用ですか?」


 襲来した邪神への対処が終わり、ナジャは孝太郎の眠る部屋へとやってきた。

 そしてそこにはイングリットがすでにおり、孝太郎の眠るベッドに腰かけて書類を読んでいた。


「……私が出した報告書、まだ読んでるんですね」

「はい!頭に叩き込んでおきたいんです!一字一句!」


 元気よく、明るく笑顔で返事をしたイングリットに、ナジャは怯えた。


「……一言だけ言っておきますが、ここで読むのは……私はあなたが心配ですよ」

「まぁ私のことはいいじゃないですか。ナジャさんはどうしてこの部屋に?」


 軽く忠告を流されてしまい、ナジャは肩をすくめた。


「私はここに結界を張っておこうと思いまして」

「結界?ビックリですね。どうしてです?」

「……ちょっと怪しい人物がルクスに現れた、と代表から聞きまして、その対策です。眠っている異世界人に危険が及ぶといけませんから」


 ナジャはウーとちよから聞いた話を思い出す。

 ――街に現れたそれを白の代表だと仮定し、今は敵だとすると、事情をよく知らない異世界人を取り込もうとする可能性は高いでしょう。

 ナジャは部屋のあちらこちらを物色し、窓と、それに掛かっているレースカーテンに注目した。

 ――これに結界を掛けよう。昼間は人が多いし、やって来ることはないでしょう。夜間は……ドア側は夜間警備がいるし大丈夫ですよね。できれば城館全体に結界を掛けたいですけど、それだと魔力消費が激しくて保てない。

 そして呪文を唱え始めたナジャに、イングリットが声を掛けた。


「……夜間警備の数は増やしておきます。結界をつけるに当たって、何か気を付けなければならないことはありますか?」

「窓から声を掛けないようにお願いします。内側にいる者が許可を出すと、簡単に破れますので……ふぁあ」


 ――常時行使している魔法の数が多すぎる……。これはしばらく引きこもりですね。

 そしてナジャは眠たげに目をこすりながら自分の工房へと戻って行くのだった。



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