――決意

第17話 工房

――孝太郎 起きて二日目 スマホでの電話の後――


 重く硬い石が数多く組み上げられて、無機質な空間を形作っていた。

 ここはルクス城塞。

 孝太郎が寝起きしたり、リーナやアンナと木刀で闘った訓練場のある城館は、木々で組まれた木造で温かみを感じるものだった。

 しかしこの石造りの城塞は、四方八方を巨石にガチガチに固められ、ある種の凜として孤独な雰囲気に満ちていた。

 冷たい巨石に囲まれた道を、孝太郎はナジャに手を引かれながら歩いている。

 コッコッと石畳を踏む二人の足音が、遥か遠くまで響き渡る。遮る物が無いのだ。


「誰もいない……」

「そうです。私たち以外、誰もいません。今この城塞は魔人が譲り受け、私の工房としてのみ、機能しています。……着きました」


 分厚そうな鉄扉の前で、ナジャは歩みを止めた。それは石造りの城塞に異彩を放っている。

 鉄扉には何重にも錠を掛けてあり、ナジャはそれらを一つずつ丁寧に外し始める。


「あんたの工房には、そんなに鍵をかけるほど物騒なものが入ってるのか」

「……まぁ、そうですね。今は特に警戒しているのです。……昨日、物騒なものも入ってきましたし」


 それはもしかして、俺が使おうとして壊れたあの銃の事だろうか。と孝太郎は思いあたって頭を掻く。

 ――やっぱり俺にも魔法の才能が与えられてるのか?

 自分の中に全くそれを感じることができず、孝太郎は泥に杭を刺すような手応えを感じた。




 ナジャは最後の錠を外し終わると、鉄扉の取っ手を掴んで軽々と引いた。

 鉄扉はその重さを感じさせない速さで動き、そして工房内で圧迫されていた空気が逃げ場を求めて孝太郎に吹き付けた。


「――鉄くさ!!……おぇ」


 そのあまりの鉄の臭いに孝太郎は吐き気を催す。

 粘りつく様な鉄臭さは、彼の鼻の中に残って消えてくれそうにない。

 それほど嫌に充満した鉄の臭いに、彼は顔をしかめ鼻をつまんだ。

 じっとりした嫌な空気が、彼の全身にまとわりついて離れない。


「……すみません。どうぞ中に、本当は初日に、ここに案内しなければならないんです。ここを見て、最終的な判断をして頂きます。私たちに協力するか否か。それを聞いてから、あなたがここでやれることをお話ししましょう」


 工房内は薄暗く、外から中をうかがい知ることができない。


「判断ね。……正直、ここまで来たことを後悔してる。なんでこんな鉄臭いんだ?」


 ナジャに促されるものの、孝太郎は工房内に入ることに逡巡し後ずさった。


「……よく使うんですよ。特にルクスの結界には魔力を大量に消費しますので。まあとにかく、どうぞ中に」

「使う……?なんにしたって、これは――」


 ――鉄というよりは血の臭い。

 と思いついた所でナジャに腕を引かれ、孝太郎は工房内に連れ込まれる。


「緊急事態なので!!さっさと入ってください!グズグズしないで!」




 ナジャに引きずり込まれるようにして、入ってしまった工房内。

 孝太郎が入ると同時にパッと明かりがついて、その空間を薄暗く映し出した。

 工房のど真ん中、まず彼の目に飛び込んできたものは、巨大なプール。

 赤黒く粘り、泡立つ原始の液体が、匂いたつが、深さ浅く、そのプールの中に溜めこまれていた。

 むせ返る血の臭いを、つまんだ鼻が敏感に捉え、孝太郎は生理的嫌悪から湧き上がる酸い液体を何とか嚥下する。

 冒涜的な光景を前に、孝太郎は自身の狂気を理解した。


「あ、あ、あ……う、おぇ」


 あまりの光景に血のプールから目を反らし天井を見上げる。


「ひっ……」


 そこには骨が、人間の形をした白い骨が、髪の毛を残した骸骨が、何十何百、整然と吊り下げられており、孝太郎はその虚ろな目が自分を捉えるのを見た。

 脳髄を駆け巡る混乱の電撃を何とか抑え、ナジャの胸倉を掴み上げると怒りを込めて叫ぶ。


「なんだ!?なんなんだこれ!?」



 何ともない風にナジャが答えた。


「私たちは、魔人は、を使って、只の人では扱えない強力な特殊魔法を行使することができます。さらに大規模な魔法式を伴わずに大魔法を行使できます。……星から与えられる魔力だけではなく、血を触媒にして特殊魔法の行使、そして魔法の強化ができる、と言えば分かりやすいでしょうか――」

「――ゆえに、邪神討伐のため、ルクスの人々からは定期的にを受けております」


「……は?」


 孝太郎は理解できないその発言に戸惑い、ナジャの胸倉を掴む力を緩めた。


「ルクスに住む者は税として、定期的に献血を受けます。その他、事故死、戦死などでも姿形が残っている死体は、葬儀を挙げその魂の安寧を祈った後、その血をが抜き取り、体をします。……この先にあるルクスの防壁魔法装置は彼らの骨で作られたものです」

「……みんな納得して、自分の血液を、死体を、魔人に渡してるのか」

「……そうです。少なくとも、私たちは人間に強制することはありません。ルクスに住む者はを払うことに同意しなければなりません。この国で生まれたものは、成人したときにそれを決断しなければなりません。……自分が死んだときに魔法装置の素になるかどうかも。これは任意ですけど、今まで同意しなかった人間はいません」


 孝太郎はナジャから手を放し、こんがらがった脳内で必死に考える。

 ――くそ!気持ち悪い……。この国に墓場がなかったのはそういう事か!!

 未だ吐き気は冷めやらず、血液を溜め込まれたプールを見れば生理的嫌悪感が内から湧き上がった。

 ――どこまで魔人を信用したらいいんだ。邪神を討伐するという目的を考えれば、魔人も、ルクスの人々の行動も理屈に合っている。けどこの光景を素直に受け止められない。

 ――そもそもなぜ、ルクスに限らず人間は、魔人に頼りっぱなしなんだ。ウーによれば、邪神をまともに相手してるのは魔人だけだ。共闘しないのか?もともと防衛は人間がやるとはどういう事だ?


 ――孝太郎はこの世界の状況を、より深く知る必要があった。彼は未だ、持ち得る情報があまりに少なすぎていた。

 まず魔人と人間の技術力の差を知らない。電気、ガスがあることを知らない。

 その魔法の力の差を知らない。死にかけの人間を一瞬で元に戻すことができることを知らない。

 その種族的な力の差を知らない。強固な錠前を一蹴りで壊し、大男を一撃で倒せることを知らない。

 ルクスの人々が血を魔人に渡すことで、得ている特権、恩恵を知らない。この国では誰もが、死ぬその時まで魔人の魔法によって健康に暮らせることを知らない。

 そして何よりも、ルクスの人々とそれ以外の国の人々の差を知らない。――


「――気持ち悪いですか?私たちの事、嫌いになります?」


 気付けば、ナジャは悲しげな笑みを浮かべて、孝太郎を見上げていた。


「私はここで異世界人に、この事実を説明する役割を負っています。実際に説明するのも何度目かです。そのうちの殆どが今のあなたと同じように、得体の知れない気持ちの悪い物を見る嫌な目で私を見ました――」

「――そして彼らは、その得体の知れない気持ちの悪い物に、一緒に化け物と戦ってくれとお願いされるのです。まぁ、嫌ですよね。……うん。私もそんなことを突然頼まれれば、当然断っているでしょうね」


 はぁ、と小さくため息をついて、ナジャは続ける。


「……ここで断っていいんです。実際ここで断る異世界人は多いです。むしろ殆どがそうです。……さぁ、決めてください」


 ナジャはすっかり諦めた顔で孝太郎に問いかけた。吐き気を催し怒った孝太郎の様子を見て、協力は得られないだろうと踏んでいた。


「やるよ。断るわけないだろ」

「――え?」


 そしてそれは大きな誤りである。彼女はまだ、孝太郎という男についてよく分かっていない。

 

 

「?……やるよ?ちよの足を治すためなら、何でもする。……血をすする化け物と一緒に戦うことに、嫌悪感がないわけじゃないけどな」

「……」


 そして孝太郎も、その言葉がどれほどの救いと、浮き立つような歓喜を持っているか、まだ知る由もない。

 

「とにかく、ここで俺がやれる事があるんだろ?さっさとそれを教えて……」

「――ひっぐ、ひぃん」

「おっ!?」


 突如、声を上げて泣き始めたナジャに困惑し、孝太郎はあたふたと挙動不審な動きをしてしまう。


「お、おい泣くなって」

「ひぃん……あ、うぐっ、ズビッ。……すみません。そんなにアッサリ、やるよ、なんて言ってくれる人いなくて。ズッ……いつも酷い言葉浴びせられて、時には殴られたりなんかして……でも私たち文句言える立場じゃないから。ただやられるだけで……うわああああん」

「お願いだから泣き止んでくれ。……どうして殴られても文句ひとつ言ってやらないんだ」

「だって……こんな世界に連れてこられて、人の血液を死体からも奪って使うような存在に、一緒に化け物と戦ってなんて言われて、それってヒドくないですか?無理ですよ。そりゃ嫌悪されますよ。私もヒドいと思いますから。この世界の人だって大半は私たちを気味悪がって……。私たちだってこんなこと、誰かを巻き込むようなこと、したくないんです」


 そう言ってナジャは泣き続ける。それほど孝太郎の決断の早さに感動したのか。それとも、それほど今まで散々な言われようで、異世界人に拒否されてきたのか。

 ――けど、このをちよが受け入れてくれるだろうか。

 邪神の見た目を、と言われて、ちよはそれを想像した。

 そしてそれは、この魔人の工房そのものなのだ。




 やっと泣き止んだナジャにホッとしながら、孝太郎は再び血のプールを見つめる。

 気持ち悪いとは思うが、それでもさっきよりかは平気になっていた。

 改めてよく見ると、こちらに這い寄って来るかのように血が四隅に糸を引いて、底が見えるほど浅かった。


「溜め込んでいるっていう割には、もう無くなりそうじゃないか」

「ここ数日の連続の襲撃で、もうダメそうでした。……しかしギリギリで孝太郎さんが起き上がってくれました。協力してくれないようだったら……私の血を全て使って、死ぬ覚悟で防御結界を張るつもりでした」


 ナジャはまた、何ともなしにそう言い放った。


「死ぬ覚悟って……防御は捨てて、ナジャが邪神を倒しに行けばいいんじゃないか?」


 それを聞いたナジャは毅然とした態度で孝太郎に答える。


「それはあり得ません。邪神との戦いでルクスの人々に被害が出ることは許されません。彼らは死ぬまでの身の安全、健康を保証される代わりに血税を支払うのです。その契約にヒビを作ることは許されません」

「……なるほど、少しこの国の人間が知れた。……で、俺にやれることってなんだ?何をすればいい?」

「はい。あなたの才能でルクスに結界を張ってもらいます。……私もあの銃からあなたの才能が少し知れました」


 そう言って工房の奥へと進んでいくナジャの背中に、孝太郎は黙々とついていくのだった。

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