第9話 ちよとウー

 泣いたのはウーだった。

 ――ちよがホントにつらいのは。ちよは、自分の足が動かないのがつらいんじゃない、そのせいで、孝太郎に重荷を背負わせるのがつらいんだ。

 ちよの思いを理解して、その強さと愛に感動し、元々悲しみにはち切れそうだった彼女の涙腺はあっけなく崩壊した。

 泣き嗚咽しながらも、ウーはちよの身体をどうにか洗い切り、抱きかかえて浴槽に入った。

 スリスリナデナデと、ウーはちよに異常にくっついて離れない。

 互いのほっぺをくっつかせてウーが話す。


「ちよぉぉぉ。うちが絶対に治してやるからなぁぁぁぁ!」

「ウーちゃん、ありがと。やっぱり優しいね。……けっこう泣き虫だよね。会った時から感じてたけど、他の人を不安にさせないようにガンバってるの、バレバレだよ――」

「――いっしょに飛行機に乗り込んだ時も震えてたもんね」


 ピクッとウーの肩が跳ね、それがちよに伝わる。


「……まぁ、その、うちも緊張してたんだ。たった一体に負ける気はしてなかったけど、人を乗せて戦うなんて初めてでさ」


 ウーは素直にそれを認めた。

 今ここには二人しかおらず、そしてウーはちよの前では余裕を演じる事を止めようと考えた。

 ――ちよには、うちの弱いとこ、もう気付かれまくっちゃったし。


「ねぇ、ウーちゃんは飛べるのに、なんでわたしは飛べないんだろ?」

「……試したの?」


 ちよは孝太郎を起こそうとする前に、自分の才能、コピーを使ってウーのように飛べないかと考えた。ウーのようにふわふわ浮いてトイレを探そうとしたのだった。

 しかし、どうやっても空を飛ぶことは出来なかった。


「うん。けど、できなかったよ」

「そっか……。あれは魔人の特殊魔法なんだ。うちらは血液を使うことで、魔法を強化したり、特別な魔法を扱えたりするんだ」

「わたしには、それ使えないの?」

「一応、魔人の特権だからな。血液、いわば生命力を使う魔法だから、普通の人間が行使しようとすれば無意識にセーフティーが効いて発動しないって言われてる」

「じゃあセーフティーが無かったら?」

「血液から得る魔力の加減ができずに死んじゃうんじゃないかな?」



 風呂上がり。

 ウーが蹴飛ばした大浴場の扉の錠の隣に、イングリットが座り込んでいた。側にはちよの車いすが置かれてある。


「あら、お二人ともいい湯加減でしたか?」


 そう二人に問いかけながら、イングリットは壊れた錠を見つめている。


「あ、えーと。スマン、イングリット」

「何がです?あっ、これを見てください二人とも!見事にギザギザです!」


 ハート型の錠前は無残にも、縦に波打つようにして半分に別れていた。

 イングリットは二つになった錠を持ち上げて、それを閉じては開き、開いては閉じた。


「……この割れ方は、わざとやったとしか思えません!!」

「許して!わざとじゃない!ホント許して!」

「私とイサミの思い出がァァ!!」


 イングリットは叫び、カパカパカパカパ、と割れたハートをくっつけては離す。


「ウワアアアアアア!!戻らないですぅぅ!!?ギザギザハートが直らないぃぃ!!」

 発狂するイングリットを見て、ウーの腕の中のちよが謝罪する。


「……ごめんなさいお姫様。わたしのためにウーちゃんが壊しちゃったんだから、怒るならわたしに怒って」

「……ふふっ、こちらこそごめんなさい。これは冗談です。気になさらないで。ホンモノはこちらですから!」


 イングリットは人が変わったようにコロッと笑って、ポケットから"イサミから、13歳の私へ"と書かれたハート型の錠前を取り出した。もちろんちよには読めない。


「イサミからの頂き物は全て保管庫にしまい、同じ品を購入して普段はそちらを使っているのです」

「え……。……やっぱりお金持ちってすごいんだね」


 いや、誰だか知らないけど思い重くない?とちよは思ったが口には出さなかった。


「愛ゆえです。私の憧れの人なんですよ!」

「おい、……うちに謝れ」

「はい。ごめんなさい。少しふざけすぎました」


 そう言ってイングリットは出した錠前をポケットに戻し、少し照れたように笑った。


「……心配いりませんでしたね、さすが魔王様です」

「んっ、まー、こんなもんよー」



 その日、様々な人と面会を済ませたちよは、孝太郎の眠るベッドの上へと戻った。

 外はすでに夜の帳が降りて、中庭からは虫の鳴き声がしていた。

 眠り続けている孝太郎のほっぺを伸ばして笑顔を作る。そしてそれでも反応しないので頬を挟んでグリグリと回した。


「……起きないなぁ」

「起きねーな……。まぁ大分魔力を使ってたみたいだしな」


 ちよの顎の下、兄妹の間に潜り込んでいるウーが声を掛ける。巻き角を収めるために穴の開いた特殊な枕を使っている。

 ちよ、ウー、孝太郎の並びでベッドに川の字だった。



 今日のお昼ごはんの後、ちよとウーは、魔人から大辞典の魔法使いと呼ばれているナジャに、一向に起きる気配の無い孝太郎の様子を観てもらった。


『いや、そんな大それた者じゃないですけどね。治癒魔法はからっきしですし。……まぁとにかく観てみましょうか』


 結果分かった事として、どうやら孝太郎は大量に魔力を消費してしまっており、その回復のために眠り続けているらしい。


『うーん。これはしばらく起きませんね。限界を超えて魔力を使ってしまったようです』

『限界て、孝太郎は何もしてなかったけどなー』


 けだるげにウーが答える。昨日の戦いで孝太郎は一切役に立っていなかった。

 ウーの印象としては、彼はただ吐いていただけであった。


『わたしが寝ちゃったあとに吐いちゃったんだよね?……おにいちゃん大丈夫かな』

『ちよさん、ご安心を。命に関わるような状態ではありません。しかし覚醒までにあと数日は掛かるでしょう』


 兄の体調を心配するちよに向けて、ナジャは優しく慈しむ様な声色でそう告げた。



「あと数日かぁ……」


 孝太郎の顔を見つめながらちよがそう呟く。

 起きない孝太郎に不安が募っていると思い、ウーが答える。


「やっぱり心配だよな」

「うん。……それもあるけど、早く足を治しに行きたいなぁって思って」


 寝ている兄を置いて行くのが気掛かりで、そういう訳にはいかない。ちよはどうにかルクスで治療できないか聞いてみることにした。


「ねぇウーちゃん。その、魔人の本部のブリタン島に行かないと詳しく調べられないって言ってたよね」

「うん。言った。あっちには機材も、専門家も揃いまくってるからな」


 ウーは寝返りを打ってちよの顔を見上げながら答えた。


「あの、……ワガママゆうね。それってルクスに来てもらうのって無理なのかな」

「……ごめん。そりゃ無理だ。そうしてあげたいけど、治療役ヒーラーが抜けたら継戦に……戦いに支障が出る。いま本部は最前線だからな……」

「そっかぁ……。サイゼンセンって一番前の事だよね?そんなとこに本部おいていいの?」


 その言葉はウーの心に深く刺さった。置いたのではない、置かされたのだ。

 ちよに洗いざらい、心中を吐いてしまいたい。全て伝えて、泣いて懇願したい。

 けれど今のちよにそれをする訳にはいかない。

 ――今はうちが頼られる番だ。これ以上ちよを不安にさせられねーよ。


 ウーは俯き、ちよの胸に顔をうずめた。そしてちよの背中に腕を回し抱きしめる。


「……ダメだ。けど、もう動かせない。ブリタンで終わりだ」

「……ねよっか」


 ちよはウーを抱きしめ返した。ふわふわとしたウーの髪が顔に当たって気持ちいいと感じた。


「うん、寝よう。……本当にこの並びでいい?」

 この並びでベッドに入ろうと言ったのはちよだが、ウーはやはりちよは孝太郎の隣が良いんではないかと思い提案した。


「うん。真ん中だとうまく動けなくて床ずれしちゃうかもだから。……だから眠たくなったら腕を離してね」

「……よし」


 ウーがそう呟くと、ちよの下半身に浮き上がるような感覚。ウーが血の魔法を使ってちよを浮かせたのだ。


「これで床ずれを気にすることないだろ。二時間おきにマッサージもする。……だからこのまま、くっついて寝よう」

「……ふふっ、やったー。ウーちゃん、はい、ぎゅー」

「ぎゅー」


 二人は強く抱きしめあった。お互いのぬくもりと匂いを通して、心が近づいていくのを感じた。

 そうしてウーの震えが収まるまで、ちよはその眩しさに耐え忍んだ。


「……ウーちゃん明かり」

「そうだった……消すよー」


 ウーの巻き角がその白く光る輝きを失い、ただの白い角に戻る。

 そうして暗闇が訪れた部屋の中で、二人は互いに笑顔のまま安らかに眠りについた。




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