ルクスにて

第5話 疑問、ルクスの人達

『ちよ、ほら!雪降ってるぞ!雪!』


 病室の窓から見えたのは一面の銀世界だった。

 ちよは雪が好きだ。

 ちよの笑顔が見たくて、ちよの喜ぶ顔が見たくてカーテンを開いた。


『カーテン、閉めてよ……雪、嫌いだから』

『え?』

『……ホントにわからないの?ばか。……もう出てって』


 消え入りそうな声だった。

 さっきまで和らいでいたちよの表情が、一息にしぼんでいくのを感じて、焦る。


『なんで、突然……雪、好きだったろ?ほら、踏むと……っ』


 ――踏むとギシギシ音がするから。

 ちよは雪が好きだ。踏むとギシギシ音がするから。


 やっと思い出して背筋が凍る。

 どうしてそんな大事なことを、忘れてしまえるのだろう。

 我ながらその無神経さと横暴さに、どうしようもなく嫌悪を抱く。


『はやく……でてってよ。……なんでそんな事言うの……どうしてそんな事するの……。なんでそんなことっ……言えるの……?』


 ちよはその両目から、しぼるように涙を溢れさせた。


『す、すまん、そんなつもりじゃ……』

『こっちくんな!……うぅ、ぅぇ……早く、……でてって』


 泣きじゃくるちよに何もできず、何も言えず、ただ言われるまま病室を出た。

 ――ーっ!

 そして喚くような泣き声が、情け容赦なく、針になって背中に突き刺さる。なのに、俺はただ頭を抱えて、どうしようもできず。


 ――あぁそうだ。きっと。

 あの頃と変わらず、今も俺は馬鹿で、ワガママで。きっとちよの為を思って空回りする。

 そしてそんな自分が、どうしようもなく嫌いだ。




「……はっ!」

「きゃっ」


 孝太郎が飛び起きる。側にいたイングリットが悲鳴をあげた。

 人ひとりが寝るには大きすぎるベッドの上で、孝太郎は眠っていた。


 辺りを確認すると、クローゼットや机などの家具の他に飾り棚があり、そこには一目で高いと分かる調度品が並べられていた。


「……ここは一体?」

「やっと起きてくれましたね。……ここは館の客室です。これからはあなたの部屋になります。……三人とも帰ってきたらグッスリでビックリだったんですよ」

「そうか……俺も寝ちまったのか。ちよは?」


 孝太郎が問うと、イングリットはバツの悪い顔をした。


「魔王様とちよちゃんは翌日には起き上がりまして、その……」

「そうか、良かった。……よくじつ?」

「その……怒らないでくださいね?ちよちゃんの足を調べるために魔人の本部ブリタン島へと、昨日、出発しました」

「はぁ!?俺を置いて!?」

「だ、だから怒らないでください……!あなたは4日も起きなかったんです!魔王様もずっとここに居ることはできませんし、ちよちゃんも足を早く治したいからと……。何かあればすぐに連絡が来ますから!」

「4日も!?」


 孝太郎は過敏にその日数に反応した。

 ――そんなに長い事、ちよをほったらかしにするなんて……。

 孝太郎はその顔に苛立ちを滲ませる。


「俺がいない間誰がちよの世話を?」

「安心してください。みんなで、ちよちゃんを支えました。……誰よりも魔王さまが率先して、おやりになっていました。」


 イングリットは孝太郎の目を真っ直ぐに見つめ微笑んでみせた。

 その笑顔を見て孝太郎は、ちよとウーのやり取りを思い出す。会って間もない間柄ながら、仲睦まじく気の合いそうな二人だった。

 ――ちよがあそこまで気を許して、ウーがちよを思いやってくれてるなら……


「……そうか。アイツとなら大丈夫か」

「…………あなたも魔王様と仲良くなれそうですね」


 ふふっと口元を隠すように手を当ててイングリットが笑う。

 会った時とは違って今は女王らしく、刺繍の入った豪華なドレスを着ていた。


 改めてイングリットを見るとまさにお姫様という感じで、気品のある佇まいの中に歳相応のあどけなさがある。

 長いまつ毛とまだ幼さの残る顔立ちには、可憐な少女という言葉がふさわしい。

 女王様と呼ばれるような年齢だと、孝太郎は思えなかった。


「でも女王なんだよな」

「どういう意味ですか?……あぁ、なるほど。気になります?いいですよ」


 察しが良い女王の許可を得て、孝太郎はずっと脳裏に引っかかっていた疑問を口に出す。


「……あんたは若すぎる。その豪華な服も、まだ着せられてる感がある。……なぁ、あんたはいつからこの国の主なんだ?」

「はい。ちょうどひと月前になります」

「ひと月!?」


 あまりに直近の出来事であったことに、孝太郎は驚きを隠せなかった。


「はい。先代の国王、私の父フレデリクが戦争で亡くなってすぐ、他に後継者がいない事もあって、私が父の跡を継ぐことになりました」

「戦争で……あーその、こんな事聞いてすまなかった」


 孝太郎は申し訳なさそうに頭を掻いた。


「いいえ。お互い気になった所は話し合っておきませんと、後々に響きますから。……だから大丈夫です。他にはないですか?」

「そうだな……たしかに。じゃあ、ひと月前に即位したにしては、邪神が来たときの指示に戸惑いがなかった。何でだ?」

「それは……父の参謀役であった元帥殿が、対処していた時のことをよく覚えていたので」

「参謀……その元帥は今どこに?」

「父と共に、亡くなりました」

「……すまん」

「はい、大丈夫です。他には?」

「あー……」


 これ以上しくじることの無いように、孝太郎は慎重に言葉を選んでいく。

 しかしポロリと出てきた言葉は物騒な物だった。


「戦争……やっぱりあれみたいに楽な相手ばかりじゃないよな」


 一国の王とその参謀まで亡くなるほど、邪神と激しい攻防を繰り広げているのだ。そう孝太郎は考える。

 ――やはり、そんな危険な相手と戦うなんて。けど、それでちよの足が治るなら……。


「……あぁ、違います。北方の内海を挟んで向こうにはスキャンダという国がありまして、ルクスとは敵対しています。ひと月前の戦争はスキャンダと――」

「ま、まて。まてよ、おい、なんだ?……てきこく?」


 短時間にショートしそうな衝撃を脳に食らって、言語がマヒをする。

 敵国と戦争をしている。人間が人間と戦争をしている。

 ――そんなことがあるか。

 人間は一つ大陸を奪われ、その後1000年この大陸で戦い続けているのではないのか。今もその生活圏を脅かされ続けているのではないのか。

 ――そんな状況にありながら、敵国だと?


「人間は邪神と、徹底抗戦中じゃないのか?」

「はい、もちろん。人類は1000年の間、滅亡の危機にあります。しかしそれは逆に言えば、1000年もの間、人類はその生活圏を守り続けているということになります。――」

「――そうなると……そう、安全圏が出来上がるとそこでの主導権を、覇権を握りたくなるのが人間というものだ、と元帥も仰っておりました」

 

 イングリットは話し終えると、笑みを浮かべた。


「そんな馬鹿な話があるか!あんな化け物に襲われながら、人間同士は殺し合いをしてるってのか!?」

「お、落ち着いてください!……はい。残念ながら、そういうことです。海を越えた向こう側の事など気にも止めず暮らす者も多いです」


 ――……対岸の火事だと思っているのだろうか。

 孝太郎は自分の考えをまとめ始める。

 ――1000年という年月の長さが、邪神という脅威への危機感と恐怖心を失わせた。

 ――先日のように討ち漏らしがあっても、瀬戸際でしっかりと対処され自分たちの生活圏を脅かすことがないとすれば、それは想像に難くない。


「イサミ……、元帥殿はずっとその事を嘆いておりました。人々が一丸になればこの脅威を打ち滅ぼすことが出来るのに、と」

「……」


 孝太郎はあっさりと倒してしまったあの邪神を思い出す。

 この調子ならすぐに倒せるのではないか。

 そう思えてしまうほどあっさりと倒してしまって、1000年間戦い続けているということに、彼もまだ実感が持てずにいる。

 1000年、ただ安全圏を守り続けている。

 そして人は邪神の脅威を忘れ、殺し合いを始めた。


 ――――


 あれは、どういう意味なのだろうか。

 孝太郎は深く思考に潜っていく。

 しかしコンコンと、彼の思考と二人の会話を遮るノック音が室内に響いた。

 扉が開かれ、室内に背の高い女が入ってきた。

 あの中庭でただ一人、甲冑を身にまとっていた女だった。


「イングリット様、そろそろランチの時間です」

「ありがとうアンナ。孝太郎さんも、良かったら」

「……そうさせてもらおうかな」


 孝太郎はお腹が背中に貼り付きそうで辛かった。

 4日も寝ていたのだから、それも当然だった。


「ではいきましょう」


******


 イングリットの執務室で、二人きりでのランチだった。アンナは道中随行し、部屋の前で別れを告げて一人、食堂へと向かった。


 そして今、孝太郎は館の中を散策している。

 これから自分が住む場所を諸々確認したい、とイングリットに聞いてみると、彼は自由に動き回る事をアッサリ許可された。


「入っちゃいけない場所とかあると思うんだがなぁ。字が読めないから警戒されてないのか?」


 イングリットはどこか抜けたところがある。と孝太郎は思う。

 ランチの間も、来たばかりの新人に聞かせてはいけない様な話を平然と聞かされた。

 そしてその話の中で、彼女の父と参謀のイサミ元帥が、共に亡くなったひと月前の戦争の報告書を、一枚一枚こちらに見えるように置いて説明された時、孝太郎は驚きの連続に出会った。


 まず孝太郎は、報告書に書かれている文字が読めない事に気づいた。

 会話に不自由はないのに、文字はさっぱり読めないものだった。


『あっ!手が滑って紙が汚れてしまいました。……ウッカリです。汚れた紙はポーイです』


 という気の抜けたイングリットの言動には、やはりまだ姫様なのだと思い知らされた。

 そして何よりも驚かされたのが――


「政略結婚ね……」

「姫様の話かね、青年」

「おわっ!?」


 考え込んでいるところを話しかけられ、孝太郎は飛び上がった。

 禿頭に、端をピンと立てた形の良い白いカイゼル髭を持った老人がそこにいた。背は低いが、その背中の盛り上がりから筋肉隆々であると分かる。この国の軍服を着て、その胸には数多くの勲章が誇り高く揺れていた。


「ほっほ。そんなに驚くことはなかろう」

「えーと、あなたは?」

「おおこりゃ失礼!儂はアンスガー・ロンメルという。しがない退役軍人じゃよ。今はお情けで近衛兵の教練教官をさせてもらっとる」


 アンスガーは自慢のひげの先をピンと弾くと、孝太郎に握手を求めた。

 その手に応えて孝太郎が名乗る。


「……中山孝太郎です」

「ほっほ。よろしくの孝太郎。……堅苦しい敬語を使うことはないぞ。さてさて姫様の話じゃが」

「それじゃ遠慮なく。……4日後には結婚式をすると聞いた。ひと月前の戦争の敗因となった同盟国、その王子さんと」


 ――ひと月前の戦争で、ルクスは国王とその参謀、元帥イサミを同時に亡くす大敗を喫した。

 本来、負けるはずのない戦争だったと言う。

 しかし負けるはずのない戦争はあっさりと覆された。なんと同盟国であるアーリアの無謀と怠慢によって。

 ルクス王都へと迫るスキャンダ海軍を洋上で迎え撃とう、と言い出したのはアーリアだった。

 ルクスは弱小国家であるらしく、これまで通り堅固な王都で凌ぐつもりだったので、その提案には否定的だった。

 しかしアーリア側の強固な申し出に押される形で出撃した。

 それまでもアーリアに援軍を出してもらっていたルクスとしては、再三の要求を受け入れるしかなかった。

 しかし主戦力となるアーリア海軍が、海上にクラーケンが出たという報告を受けると大幅に出港が遅れ、やっと戦場についた頃には勝敗は付いていた。――


「そう、あのアーリアの第一王子とじゃ。しかしそうでもせんと……、国民は守れぬじゃろう。ルクスに味方する唯一の大国じゃからな……」

「唯一……」

「姫様も、あの王子となら悪い気はせんじゃろうしな」

「そうなのか?」

「そうじゃ、幼い時より二人は親交を深めておる。兄妹のように仲が良い。……姫様はあの美貌の持ち主じゃ、アーリア以外の王家からの求愛求婚も多い。誰かに嫁がねばならぬなら、やつが1番姫様にとって良い相手じゃろう」


 そうしてアンスガーは髭をいじり、渋面を浮かべた。


「ルクスにとっても、身売りするなら気心知れたアーリアじゃろう。たとえアーリアが原因で滅びかけておるとしてもじゃ。……亡くなられた陛下とイサミには申し訳がたたんがな」


 そう、身売りだ。結婚が成れば、この国はアーリアのものとなりこの館にもアーリアの人間が跋扈するようになるだろう。

 こうして孝太郎が館の中を自由に歩き回れるのは、取って代わられる予定のルクスの内部を秘匿しようと、意味がないからかもしれない。


「……港の軍船はほとんどが使い物にならなくなっていた」


 孝太郎はルクスを上空から見た時の光景を思い出す。

 軍船は数多くあれど、マストが折れ甲板には穴が空いたものが多かった。


「ほっほ。そうじゃ、この国には次の戦争に耐える力がない。スキャンダの蛮族どもに国を荒らされるくらいなら、アーリアのものとなる方が良い」

「……ウーに頼めば――」

「それはできん。魔人が人間同士の揉め事に首を突っ込むことはない」


 ピシャリと強く言い切られて孝太郎は口籠る。

 自分的にはいい案だと思ったのだが。


「……どれ、暗い話になった。気分を変えよう。ついてきなされ」




「うりゃー!」

「よっ、と、まだまだ甘いなリーナ」


 ビシビシと木刀の打ち合う剣戟の音が響く。白く引かれたサークルの中で、リーナとアンナが試合していた。

 大の大人の半分ほどの身長しかないリーナと、背の高いアンナとの試合は、大人が子供をあやしている様にも見える。

 ここは訓練場だ。

 孝太郎はアンスガーに連れられ、彼の職場である近衛兵の訓練場までやって来た。


「二人しかいないじゃないか。他に人はいないのか?」

「他のものは皆、出払っておる。人手が足らんのじゃ。……先の戦争で我が軍の主たる幹部は皆死んだ。残っておるのは後方待機の予備兵と新兵、そして儂のような退役軍人だけじゃ」

「……限界国家だな」

「はっきり言うのぉ……。じゃがその通りじゃ、もうすぐこの国は。……さて、そろそろこんな話は終わりにするかの。リーナ、アンナ」


 アンスガーが二人を呼びつける。

 二人はすぐにやり合う手を止め、アンスガーの元まで来ると彼に敬礼した。


「どれ、二人で孝太郎に稽古をつけてやってはくれんかの」

「はい閣下、かしこまです」

「はっ!閣下!かしこまりました!」


 アンスガーの言葉に、リーナは軽口に、アンナは畏まって元気よく答えた。


「えっ?俺に?」

「なに4日も眠り続けておったんじゃ、体が鈍ってくるじゃろう?ここで解消するとええ」

「……そうだな。確かに。やるか」




「イタイ!身体中が痛い!絶対あざだらけだよこれ!」


 わずか15分後、ボロ雑巾のようにクタクタになった孝太郎の姿がそこにあった。

 稽古をつけると言われて木刀を持たされると、彼はいきなり模擬試合をやらされた。

 しかもリーナもアンナも容赦なく、孝太郎に殴りかかっていった。

 孝太郎はアンスガーに助けを求めようとしたが、すでに訓練場を出てどこかへ消えていた。


「ごめんごめん、異世界人はみんな剣術が得意だと思ってた」


 リーナが頭を掻きながら孝太郎に謝罪を述べる。


「こんな程度でへばるようではダメだな」


 アンナは騎士然として孝太郎に上からの物言いをする。イングリットと話す時とは天と地ほども差があった。


「俺は木刀なんて持ったこともないんだよ!」

「それならあっち、やってみる?」


 と言ってリーナが指差したのは訓練場の一角を占めている射撃訓練場だった。


「銃も持ったことねーよ……」

「大丈夫大丈夫。銃は誰でもすぐに使えるようになるから初心者向けだよ」

「貴様のような軟弱者でも、すぐに扱えるようになる便利な代物だ」

「……やるけど」


 あまりにもキツいアンナの言い様に、嫌われているのかと孝太郎は思う。しかし、


「アンナは相変わらずキッツいね。もっと優しくしなよ」

「そうか?そんなつもりはないんだが」


 そう聞く限り、これが彼女の素なのだろう。

 射撃訓練場は50メートル先の人形を撃ち抜くように作られており、一人一人を分け隔てる板などはなく、あけっぴろげだった。

 台の上にはマスケット銃が整然と並べられており、しかし弾が見当たらない。代わりに小さな球形コルクが皿の上に積み上げられていた。

 リーナが銃を取り身を乗り出すようにして台上へ、両足が地面から離れてぷらぷらと揺れている。


「んしょ、よし、手本みせるね――"ヴェルメ"」


 ジワリと、リーナの手元から、銃身を蝕む様に光る紋様が走っていく。


「ここでコルクを詰めて、狙いをつけて引き金を引く」


 パンッと乾いた音を立ててコルクが弾け飛び、人形のその上半身を打ち砕いた。


「威力が……想像してたよりとんでもないな」

「ふん。戦場ではこのコルクは使わんからな。こんなものでは済まされん――"ヴェルメ"」


 アンナが銃を取り魔法を唱えた。銃身に文様が浮かび上がる。

 そして胸元から赤いコルクを取り出し、孝太郎に見せた。


「このコルクは触媒になる、戦場では主にこれを使う」

「実戦でコルクを使うのか?普通の……鉛とかの銃弾は使わないのか?」

「それはルクスにはない」


 アンナはそう言って赤いコルクを詰めると、


 ――"フリーレン"――


 そう短く唱えて仁王立ちのまま人形に狙いをつけて引き金を引いた。

 乾いた音がしてコルクが飛び、人形に当たる。するとパキパキと音を立てて人形は凍り付いていった。

 人形はその姿を傷つけず保ったまま、氷漬けにされた。


「このように主に銃兵は、戦場では魔力が込められたコルクを使って魔法を放つ」

「おおー!すっごいな」

「じゃあはい、どうぞ」


 リーナが孝太郎に、自分が手に持っていたマスケット銃を手渡す。浮かび上がっていた紋様は消えていた。


「お、えっと確か……ヴェルメ」

「……あれ?」

「……むぅ?」


 孝太郎が呪文を唱えた。しかし銃は反応を見せず、紋様は浮かび上がってこない。


「あれ?違ったか」

「ううん、合ってたよ。……ヴェルメ。熱、始動の言葉、呪文に込める魔力が強ければ熱球も作り出せる基礎魔法」

「基礎中の基礎だ。もう一度、唱えてみろ」

「ヴェ、ヴェルメ!ヴェルメ、ヴェルメ、ヴェルメ!」


 孝太郎は何度も呪文を唱えるが、一向に銃は反応を見せなかった。


「……孝太郎ってホントに異世界人?」

「才能の欠片もないな。この世界では生まれて3つの頃には、皆できるようになるぞ」

「くそっ!この銃壊れてないか!?」

「そんなわけないよ。ほら貸してみて」


 そうしてリーナが孝太郎から銃を取り上げようとしたその時、



「まって!!リーナそれに触らないで!!」



 訓練場の入り口から大声を張り上げてやって来たのは、あのナジャという魔人だった。

 大急ぎで走ってきたのだろう、肩で息をして手を膝についている。あのときと違って帽子を被っておらず、頭部に一本鋭いツノが見えた。

 明らかな異常事態を感じ取り、リーナは動きを止めたが時すでに遅かった。


「えっと……ゴメンもう触っちゃった」

「ハァ、ハァ、な、何も起きない?」

「……何も起きていませんナジャ殿。そんなに慌ててどうされたのですか」


 アンナが畏まって答える。

 ナジャは呼吸を落ち着かせたあと、三人の元までやって来た。

 そして危険物に触れるかのように孝太郎から慎重に銃を取り上げた。


「……孝太郎さん、何をしました?」

「え?いや何も……。ただこの銃を使おうとヴェルメって唱えただけで……」

「本当にそれだけですか?」

「本当にそれだけだよ、ナジャ。どうしたの?」


 リーナは親しげにナジャに話しかける。

 邪神が襲ってきた時の口調からは一転してラフであり、普段は仲の良い友達なのだろう。


「……気分転換にこの近くを歩いてたら、ものすごい魔力の奔流を感じてここに来たの。孝太郎さんの持ってたこの銃からとんでもない圧の魔力を感じる。今もそう、この銃に魔力が込められたまま」

「でも、それならなんで魔術式が浮かび上がらないの?」

「分からない。……はぁ。とりあえずこれは私が預かります。何か分かるまで私の工房に、いいですね?」


 ナジャはそう言うとズカズカと大股に訓練場を出ていった。


「ありゃりゃ……、けっこう不機嫌みたいだね」

「そうなのか?」

「うん。最近は工房に閉じこもってばかりで、カリカリしてるのかも。いつもはもっと優しいよ」


「……よし、孝太郎。木刀を持て」

「……それ以外でお願いします!」

「あ、でももう日が暮れそう……ごはんの時間だね」


 そうして結局、その日は禄に運動できずに終わったのだった。


******


 日が落ちきる前にイングリットと執務室でご飯を食べ、風呂に入り、そして用意された寝間着に着換えて孝太郎はベッドに横たわった。

 燭台の火に照らされた壁掛け時計を見れば、まだ19時。


「くぁ……ねむ」


 普段ならまだ起きている時間にも関わらず、強烈な睡魔が彼を襲った。

 元いた世界より夜が深いからだろうか。

 ――色々あったな。

 孝太郎はまどろみの中、ぼやけた記憶を反芻し始める。


 雪とちよ、雪の巻き角、漆黒の瞳、艷やかな髪、青空、金と蒼に黒のドレス、プロペラ機、赤子の泣いた顔。


 グッスリでビックリです。魔人のブリタン島。戦争。人間同士で。ランチでウッカリ。アーリアの王子と結婚。

 ――なんでルクスに?俺たちはなぜ亡ぶ国に預けられた。そんな状況で、どうして俺がいても誰も文句を言わない。魔人とルクスはどんな関係なんだ。


 尖った髭。アンスガー。人間同士の揉め事には首を突っ込まない。

 ――飛行機は魔人のもの。魔人は、なぜルクスを助けないと言い切れるんだ。


 小人のリーナ。背の高いアンナ。壊れたマスケット。一本角のナジャ。ナジャの工房。

 ――ナジャの工房?明日は、工房に……。

 スッと意識が混濁し、孝太郎は一瞬に落ちていった。




 真夜中。に違いない。

 燭台は火を失い、そして何も見えない。

 壁に時を刻む音が、チッチと息を潜めて鳴り続ける暗闇の中。

 しかし孝太郎は目覚めた。


「……?」


 まだ眠い。重りをつけられたような倦怠感。

 何かに眠りが妨げられたに違いない。

 何かに、起こされたような――



「おーいそこのひとー」



 聞き覚えのある、甘く、ハスキーな声がした。窓から。

 ここは3階である。普通の人ではありえない。


「……ウー?」


 孝太郎はのそりと起き上がり、窓辺へと向かった。

 カーテンがあり外は見えない。しかし揺らめく2枚のその隙間から、突き刺すような視線を感じる。

 カーテンを開く。眩い星光が、ガラスとレースを割いて部屋に広がる。

 夜の帳がジワリと溶けて、当てられた光に孝太郎は目を細めた。


 そしてガラスとレースを隔てた向こうに、紅く揺らめく灯が二つ。

 霞のように揺らめいて、朧にこちらに向いている。

 二本の巻き角、ふわふわとした髪、小さな顔、そのぼやけた輪郭がレースに映る。


 コンコン。


 彼女は孝太郎の目の前にいながら窓をノックした。


「誰もいませんか?」

「……いるよ」


 ふざける彼女に答えてレースを開き、孝太郎は窓を開けた。


「こんばんわ」

「え……?誰?」


 白い髪がそよぎ、紅い瞳が薄く笑う。クマのない顔をしたウーがそこにいた。


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