第4話 魔法と才能
三人を乗せたプロペラ機は、雲一つない空を駆けてゆく。
今は遠く背後にルクスの城が、豆粒ほどに見えた。
「もう敵が近いなー、結構近くまで寄られたみたいだ。……こいつかー」
ウーはけだるげな口調に戻っていた。
ウーのつぶやきに反応し、孝太郎は備え付いていた双眼鏡を取って周辺を探る。しかし、何も見つからなかった。
「何も見えないが……」
「探知魔法張ってるからねー、うちは感覚でわかる。もうすぐ見えてくるよー」
「見た目はどんな感じなの?」
ちよが問い掛ける。そういえば邪神とはどんな容姿をしているのか、想像もつかない。
「んー"羽を持つ肉"の分身には色んなタイプがあって、大きさや役割によって造形が違うんだよねー。まーあえて言うなら、一目で凶悪そうでエグいと分かる感じかなー」
「よくわかんないけど、ちょっとドキドキしてきた……」
ちよが胸を抑え緊張した素振りを示した。
「頼むぞ魔王様……ちよを守ってくれよ」
「まっかせなー。……ちよも孝太郎もキズ一つ付けさせやしない。まぁ二人の才能を試せるくらいにゃ余裕の相手だ、心配すんな」
ふんふんと口笛を吹きながら、先程からウーは余裕を持って楽しんでいるように見える。
探知した邪神が、よほど大したことのない敵だったのだろうか。
孝太郎は切羽詰まり弱った表情をしたウーを思い出す。あの時の完全に追い詰められた顔は、のんびりとどこか余裕のあったそれまでの印象から、かけ離れていた。
あれが彼女の素の表情なのだろうか。だとしたら……。
今の楽しそうなウーの顔を見て、孝太郎はふと思う。
「……お前にも色々あるんだよな」
「なんだ突然キモいなー。……さっきの事なら忘れてくれ、気にすんな」
あまり突っ込まれたくない話題だったのだろう。
顔色が変わったウーに、空気を読んでちよが別の話題を振った。
「……そういえばさっきのナジャって人は、ウーちゃんより大きかったけど、ウーちゃんが魔王様なんだよね?そういうのって大人がやるんじゃないの?」
「うちは大人だ。魔人にとっては、上に立つ者の年齢なんてなんの価値もない」
あまり良い話題の変え方ではなかったようだ。
しかし本人はそう言うものの、中学に上がる前の妹よりも小さい身体では説得力がない。
孝太郎は恐る恐る聞いてみる。
「……お前いくつ?」
「30」
「……まじ?」
「まじのまじだ。……孝太郎より年上だって言ったろー?人間は見た目で歳がわかりやすいからなー。……見えたぞー、11時の方向!」
叫ばれ、孝太郎は慌てて双眼鏡を構える。
そしてはるか先、海と空の交わる水平線にそれを確認した。
牛のような胴体に蛇のような尻尾、脚部は蜘蛛のように毛の生えた多数の足が蠢いている。そして顔に当たる部分には、泣き叫ぶ赤子のような歪な人面が付いていた。
「うっわ……おぇ」
生理的な嫌悪感を催し、孝太郎は口から物を吐くような仕草をする。
「……思ってたより大したことないね!」
「おいおい本気か?」
「えー?だってフツーに生き物っぽいじゃん。もっとぐちょぐちょのどろどろな感じかと思ってた」
「うちもその反応にはビックリだなー。もっと気味悪がるもんかと……さてと」
ウーはちよの背中からお腹に回していた両腕を離すと、指を開いてその腕を左右に広げた。
「二人ともー、見てな――」
――ヴェルメ――
ウーの手の先、プロペラ機の左右にいつの間にか真円の熱球が現れ併走している。
「おお!?」
「ナニコレ!?」
「"汝の敵は何処か?汝の敵は汝が主の眼の先に"――」
――ロス!
ウーが叫ぶと熱球は遥か遠く、邪神の元へ飛び去っていった。
「……これが魔法の基本。わかった?」
「いや、わからんけど……」
「わかった!!」
「おー……ちよはすごいなぁ。で、孝太郎は何がわからないのかなー?」
ウーがちよの頭を撫でて褒めている。そのまま、けだるげに孝太郎に問い掛けた。
「……そもそもだ、俺達の才能ってのは魔法の才能の事なのか?」
「おー、簡単に言うとそうなる。魔法がらみの才能だなー」
「魔法がらみ?っとぉ!?」
「きゃぁ!?」
プロペラ機が右に一回転し、孝太郎の体は重力に揺さぶられる。
翼のあった場所に高速の物体が通り抜けた。邪神の反撃だ。
こちらを殺すつもりで放たれたそれに、孝太郎はなぜか脅威をさほど感じなかった。
「っぶな!お前の魔法効いてないじゃないか!」
「目、目がまわる……」
ちよは高速の回転に目を回している。
「さっきのは見本だしなー。一撃で潰れてもらっても困るんだよねー」
「だからって全然効いてないのはどうなんどぅあ!?」
右に左に、更に上下に。邪神はその口から物体を吐き出し続けており、それを避けようと機体も合わせてヒョイヒョイと動き回る。
その動きに孝太郎は、脳ミソと内蔵をそれぞれ混ぜられているような感覚を覚えた。
「この世界じゃ、魔法ってのは方程式、つまり行使するのに理論立った決まりがあるんだよねー」
ウーがけだるげに話を続ける。ちよは平気だろうか、と孝太郎は吐きそうになりながら妹を心配する。
「そして魔法を行使するための魔力は、星の光が運んでくるんだ。だから人は、夜の間に自分自身や触媒に溜め込まれる魔力を使って魔法を行使する。夜は星の光が1番届くからな。分かったー?」
「ちょっとまて……いまそんな難しい話は止めてくれ……ちよ大丈夫か?」
「よゆー」
「吐くときゃできるだけ外になー。……そんでな、星の道を通った異世界人はその時に何か恩恵を授かるんだよねー。例えばとんでもなく魔力を体に溜め込めたり、魔法の決まりを無視して魔法を行使できたりする」
「へー。それってひとつだけなの?」
吐き気に言葉から出てこない兄の代わりに、ちよがウーに答えた。
「"才能がある者ほど、恩恵は大きく多くなるもの"。……さぁ今からどんな恩恵を授かったか試してみようなー」
グンッとプロペラ機が加速し、一息に邪神との距離を詰める。
「ぐぉっ?!でっけぇ!!」
「うわ!近くで見るとキモい!!」
邪神は遠くから見たそれとは比較できないほど大きく見えた。ちょうど大型旅客機を二つ重ねたほどの大きさだ。
「……ふんふん。よいしょー!」
ウーは邪神の真下を通り抜けると、機体を起こし180度縦回転させて背後に回り込んだ。
邪神は攻撃手段が一つしかないのだろう。背後に回った三人に向き直るために動く。
しかし、とんでもなく鈍かった。
「あっ、ダメ……吐きそ……」
「おにいちゃん吐くときは外にね」
なんでそんな平気なんだ。
という声は声にならず、吐き気と共に孝太郎の中に飲み込まれた。
「うっ……ん、お……ぇ」
孝太郎の呻きを聞いて、ウーは彼を後にすることを決めた。
「よし!孝太郎はあとだなー。ちよ、とりあえずうちに続いて唱えてみて」
「さっきの?」
「そうそうー、まずは……」
「こうでしょ?」
ちよが片手を操縦桿から離し、機体の外に向けた。
そこにはすでにウーが先に見せた熱球が出来ていた。
「……すげーな。放てる?」
「っほい!」
ちよがボールを投げるような仕草で腕を振る。熱球はそれに合わせて動き、まっすぐに邪神に飛んでいった。
オオオオオオォォォォ
邪神の叫び声が響く。低く唸るような音が空気を震わせた。
「すげーなちよ!」
「えへへ」
「ちよの才能はコピーと詠唱破棄だ。一度見た魔法を途中式なしで使えるようになるなんて。ホントにとんでもないぞ!」
ウーは驚き、けだるげな口調を忘れた。
ウーとちよはお互いの頬をくっつけて仲良く笑い合っている。
さらにウーはちよを強く抱きしめ撫で回している。よほど嬉しかったのだろう。
「うっ……おぇ」
しかし孝太郎は一人、吐き気に苦しんでいた。
「……孝太郎がしんどそうだし終わらそう」
「わかった!」
ちよがウーに答え、巨大な熱球を作り出していた。
それは目の前を埋め尽くすほどの大きさを保っていながら、しかしその極熱をこちらに伝えることはなかった。
「えぇ……強化もできんの?」
「っほい」
オオォ……
邪神の声が熱球に取り込まれる様に消え去っていく。
熱球は邪神よりも大きく、そして邪神は跡形もなく消えた。
「邪神のコアまでキレイに消し去っちゃうか……。ってやばい!!」
熱球は未だ高速で前方へ進み続けている。
そして三人はプロペラ機で邪神の背後に回っていた。
そう、邪神を一瞬で消し去った熱球が、ルクスへと向かって高速で三人から飛び去っていくのだ。
慌て、余裕のない声でウーが叫ぶ。
「ちよ、おねがい止めて!」
「え!?えとえとー……わ、わかんないよ!?」
「……ルクスの、防壁とやらは?うっ……」
孝太郎は喉まで這い上がってきた異物を必死で飲み込んだ。
「こんな大魔法相手じゃ一瞬で溶けちまうよ!!」
「えええ!?……あ、あれ?ふぁぁ……」
ちよがコクリコクリと船をこぎ始めた。
「あ……なんか、すごく……ねむい」
「ヤ、ヤバい!!ち、ちよ!起きて!頑張って!」
ウーがちよを揺らし目を覚まさせようとするが、すぐにスゥスゥ音がして、ちよは完全に眠りについた。
「くっそ、やっばい、魔力切れだ。加減を知らずに使いすぎたんだ……」
「おい、おぃ…………オロロロロロロ」
「あーもうあーもー!!ちゃんと外に吐いてくれよ!……飛ばすぞ!!」
ウーはちよの手を取って操縦桿に触れさせると、一気にプロペラ機の速度をマックスに上げる。
孝太郎のとしゃ物が空にたなびくほどのスピードながら、しかし前を行く熱球には到底追いつきそうになかった。
「……くっそ!使うか!!」
たちまち、ウーの白い肌に真っ赤な血の管が浮かび上がる。
薄皮一枚を隔てて脈々と疼いているそれは、ウーの素肌の見える部分全て、爪の先まで己の存在を隆起させる。
「とっておきだ!"ブラッドマジック!"……オラァ!!!」
ウーは片手を前方の熱球に向けて広げ、そして掴むように握った。そのままガッツポーズをするように自分の胸まで拳を引いてくる。
不可視の力が働き、熱球はそのスピードを大幅に落とされた。
しかし、
「グギギギ……メッチャ、強すぎ。マジヤバい……止まんないよこれ」
「……ふぅ。スッキリしたぜ。……おいちよ起きろ!」
「ムリムリ……そうなったら、しばらく起きないっ……!それより今は、孝太郎っ!なんかして!」
「なんかしてって何もできねーよ!」
「うぅぅ……わかった!じゃあうちの口に指入れて!!」
「こんな時に何言ってやがる!変態か!」
「ちがうの!意味、あんの!……早く!!もうルクスにあたんだよ!」
いつの間にかルクスが近くに見える所まで来ている。そして熱球とプロペラ機の距離は200メートルといったところか。
「……ほらよ!」
孝太郎はウーの口内に指を入れた。口内は人肌に温く、ねっとりとしたものを感じる。
「あむっ……カプッ」
「いてっ!お前噛むなよ!」
「かまなひほ、ひがでないなほ!」
「何言ってるか分からん!……なんかすごい吸い付いてねーか?」
指に圧迫感を覚え、ちゅーちゅーとウーに吸い付かれていると孝太郎は理解する。
「よひ!いへるぞー!」
一際強くウーが握る手に力を入れると、熱球はその動きを完全に止めた。
「と、とまったぞ!」
「……ふんっ!!ふっ、ふっ、ふっ、…………」
ぐっぐっ、とウーは拳に何度も力を入れて、そのたびに熱球はその巨体を徐々に潰されていく。
完全にその姿がなくなったとき、暗闇が空から覆い被さってきた。いつの間にか夜を迎えていたのだ。
熱球から発せられた光で、二人とも日が暮れていた事にまったく気付いていなかった。
静寂の中を切り裂くように、プロペラ機は音を立てて飛んでいく。
空にはもう、一機と三人しか存在しない。
「ふぅ……」
「おお、すげー!さすが魔王だな!」
言って孝太郎が見ると、こくりこくりと、ウーはちよを抱いたまま舟を漕いでいた。
「……ごめん、あとは、まかせた」
「えっ?……まさかお前も!?」
「うん……魔力切れだ……あともう3日寝てなくてムリ、グゥ……」
かくっと電池が切れたようにウーは動かなくなる。
「お、おいおい!!マジかよ!」
「……ンゴォォォ、ゴォ、ゴォ」
「おっさんかよ!!いびきがうるせえ!起きろ!!」
孝太郎はウーを揺するが、やはり起きる気配はなく、よだれを垂らして眠り続けている。
しかしプロペラ機はその操縦者を失ってもまだ動き続けていた。一路ルクスへと向かい続けている。
「……さすがに、いきなり止まったりしないようにしたのか?」
そのまま、なす術ないままでいると、あの中庭が見えてきた。
並べて火が灯されており、そこに着陸しろということだろう。
「……」
機首が下がる。そしてゆっくりと高度が落ちていき、危なげなくプロペラ機は中庭に着陸した。
「俺何もしてねーな……ツッ!?」
途端にガンッと頭に鈍い痛みが走り、抗いようの無い強烈な眠気が孝太郎を襲った。
何だ?……起きていられない……何が……?
何かを考えつく間もなく、彼は深い眠りへと落ちていった。
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