第3話 邪神とプロペラ

 周囲が慌ただしくなる中、孝太郎はウーの発言に耳を疑った。


「は?邪神?」

「そー。邪神。……ナジャ、うちが客人を連れて出るからアレ、出してもらって。そんでナジャはルクスに溜め込んだ魔力使ってここを防衛するようになー」


「はい!……私は防壁魔法の準備をします。リーナはアレの準備をお願いします」

「かしこまです」


 ナジャが小人に指示を出す。

 リーナと呼ばれた小人はすぐに、中庭の奥にある倉庫のような建造物に走っていった。


「それでは!ご武運を!」


 ナジャはウーに敬礼すると、キャップを被り直して城塞に走っていった。


「……うちらはずっと1000年近く、うちらが"羽を持つ肉"って呼んでる邪神と戦ってんだよねー」


 ウーは口の中でコロコロと飴玉を弄んでいる。


「約1000年前、海の向こうの大陸にそいつは現れて、自分の分身を生み出して人間を襲った。そしてその大陸はヤツに奪われ、人類はこの大陸で徹底抗戦中ってわけなんだよねー。――」

「――……そこで孝太郎とちよには、邪神"羽を持つ肉"を倒す手助けをしてもらいたくてー――」

「断る」


 孝太郎はウーの言葉を遮って、明確に拒否をした。

 ウーの口からガリガリと物を噛む音が聞こえる。

 彼女はその目元にクマの付いた顔に、明らかな焦燥をにじませていた。


「…………まぁ、まだ信用されてないよなー」

「それもある。けどな、そんな事よりもだ、聞く限りその邪神ってやつは、1000年かけても殺せないヤバい奴なんだろ?」

「うん」

「俺はな、命を助けてやったから、見ず知らずの人間を助けるために命を張れ、と言われて命を張れるほどお人好しじゃない。命を助けてもらったから、その恩人に命を差し出せるほど、勇者でもない。――」

「――俺は、生きるためにこっちに来たんだ、ちよと……唯一の妹と、生きて暮らすためにこっちに来たんだ」


 孝太郎ははっきりと、ウーの目を見て宣言した。 


「おにいちゃん……」

「……」


 ウーは、ただ黙って聞いていた。


「助けてもらった事には感謝してる。感謝してもしきれないくらいだ。……お前は確かに俺とちよの命の恩人だ。でもな、それとこれとは話が別だ。この先ずっと手を貸したいと思ってはいるが、とてもじゃないが命を懸けるような事はできない」

「……はぁ〜」


 ウーは深くため息をつくと、その黒髪をかき乱す。

 未だ周囲は慌ただしく、それに気づいて掻き乱す手を止め、彼女は両頬を軽く叩き自分に叱咤を入れた。

 合わせて尻尾がピンと張ったが、すぐにしなしなと力なく萎れていく。


「……うん……うん、はぁ……そうか、そうか……」


 憔悴し落胆した声がウーの口から漏れた。

 その様子を肌で感じ、孝太郎は少し語気を抑えて続ける。


「……世界を救ってくれと言われてここに来た以上、こんなことを言うのは勝手すぎるって分かってる。でも……ダメだ。危険な事には参加できない」

「もういいよー」


 ウーは、あくまでけだるげに、努めてけだるげに、いつもの調子でそう言った。


「ちょっと、うん、うちも、ここまで上手く行き過ぎててさぁ。ここで躓くのはしっぺ返しかな。……そーだよねー、普通さぁ、こんな知らない世界の戦いに、なんの愛着もないのに、参加できないわなー」



「……わたし、いくよ」



「……へっ?」

「お、おい!まてちよ!」


 ちよは孝太郎の裾から手を離し、車いすを漕ぎ出していた。

 孝太郎は慌ててその取っ手を掴んで引き留める。


「はーなーしーてー!!」

「バカ!何考えてんだ!お前が一番危ないんだぞ!」


 孝太郎は尚もウーの元へ行こうとするちよを抑える。


「その足で何するつもりなんだよ!」


 パッとちよが手を離し、車いすが前に行く力を失い、そして強く後ろへ引いている孝太郎へと向かう。

 勢いのまま車いすが転倒することを恐れて、孝太郎はブレーキをかける。


「ふんっ!」

「痛っ!!痛って!!」


 ゴンッと鈍い音がして。

 結果つんのめるようになった孝太郎の顔に、ちよの後頭部がぶつかる。


「ばかばかばかばか!!おにいちゃんのばかぁ!!」

「おまっ、何しやがる!」

「……ちよ、来てくれるの?」


 ウーの口から気弱な声が漏れた。


「いくよ!!わたしでもやれるんでしょ!」

「おまっ、だから危ないんだって」

「バカなおにいちゃんは黙ってて!わたしは、いく!いくったらいく!」


 ちよの語気はいつになく強く、孝太郎にあたっていた。

 そしてその目はまっすぐに、今は弱々しい顔をしているウーを、まっすぐに見つめていた。


「うん、ちよと、孝太郎、君たち、にしかやれない、……君たちにしか、頼めない。あっ……くそ……」


 ウーはパジャマの裾で目をこする。何度も何度もそれを繰り返した。


「ありがとう。ありがとう。うち、必死で、もう……ダメそうで、ギリギリで……ありがとう。……………うっしゃぁ!!」


 ウーが両頬を力強く叩いて、自分に激を入れた。

 叩いた頬が赤く染まるほどの音が響き、そして尻尾は力強く屹立して萎れることはない。


 そしてサッとちよの元へ飛ぶと、両腕で彼女を抱きかかえて孝太郎から離れた。

 ウーはお姫様抱っこのように、ちよの背中と足に腕をまわして抱えている。


「お、ま、まて!」

「べーっだ!!」


 ちよは孝太郎に舌を出して威嚇した。

 何がそこまでちよを怒らせたのか、孝太郎はまだ分かっておらず混乱する。


「おおー……これは……なぁ孝太郎」

「ちよを返せ!魔王め!」

「返せ!?はんっ!わたしはウーちゃんについてく!」

 

 ケンカ中の兄妹にウーの声は届かない。


「おにいちゃんはちよの為を思ってだなぁ!」

「お二人さーん、ちょっと聞いて……」


 ウーは、そーっと口を挟んでみるが、


「なーにがちよの為を思って、よ!わたしの気持ちもわからないくせに!」

「気持ちって……今はそれより安全をだな――」


「――ちょっと!!ほんと!聞け!うちを置いてエスカレートすんな!!」


 魔王の大声に皆が話す声を止め、その動きを止めた。

 中庭にいる人々全員が三人に注目していた。

 一つ咳払いをしてウーが話し出す。


「ちよの足、治せると思う」

「聞こう」

「えっ!ほんとに!?」


 孝太郎はその言葉に、魔王に従うことを決断した。

 ちよは驚愕に目を丸くしている。


「うん、これなら多分。もっとちゃんと調べれば色々わかる」

「頼む。それが叶うなら命を懸ける」

「やったぁ!!」

「……待って下さい。それはホントですか?」


 口を挟んだのは、部下たちに指示を飛ばしていたイングリットだった。


「その足、こちらに来る前に動かなくなったものでは?異世界人が星の加護を受けるのは、星の道を通る際のはずです。加護を受けた後に出来たキズなら魔法で治せると思いますが……」

「その通りだイングリット。……んんっ。加護を受ける前のキズ、ケガは治せないなー」


 ウーは咳き込み、その口調をけだるげに戻す。


「けどなー、なんでだろ?ちよの足からは微かだけど……うん、動いていた時の波動を、加護の力を感じるんだよねー」

「つまり治せるのか?」


 孝太郎がウーに念を押す。

 ちよの足は治るのか治らないのか。

 今の彼にとって、妹の安全の次に重要な事柄だった。


「そのはずだねー。まーうちはそっち方面は詳しくないから専門家に調べてもらおう。……ちよの才能がとんでもないからかもしれないなー」

「わたし、すごいのかな!」


 ちよは両手を胸の前で重ねて、輝く瞳でウーを見つめた。


「すごいねー。今からどれだけ凄いか確認しようなー」

「俺も全力で協力しよう。何をすればいい?何でもするぞ」

「……お前は変り身早すぎて怖いなぁ、おっ!」


 ウーが倉庫の方に顔を向ける。

 三人の騒ぎが収まり、中庭が騒々しさを取り戻すのと同時に、それはゴロゴロと音を立ててやってきた。


「魔王様。もってきたよ」

「「えっ!?」」


 孝太郎とちよは同時に声を上げた。

 小人のリーナが一人で引いてきた物。

 それは一言で言えばプロペラ機だった。




 それは双翼を持つ鉄の塊だった。

 頭にプロペラを持ち、二枚の翼の間とそのすぐ後ろに縦に並べて二つ座席を設けられていた。

 脚部には離着陸のための車輪が前後についており、今はその前輪に紐を通されていた。

 リーナは三人の近くまで双翼機を引いてくると、その前輪についた紐を外して肩に掛けた。


「ふぅ!おっもかった!滑走路の準備すぐ終わらせるんで離陸準備お願いしまーす」

「ありがとなー」


「いやいや、えぇ?」


 孝太郎は驚愕の言葉しか出ない。


「どしたー?」

「……おかしいだろ、特に時代が。てかお前はこれが無くても飛べるだろ」

「うちはそうだけど二人は飛べないっしょー。二人抱えて飛び回るのは魔力の消費が激しいし、その点こいつに乗って動き回る方が消費魔力を抑えられるんだよねー。――」

「――……うちらは1000年戦争してんだ。そのままで勝てない相手とやりあってんのに、なんの発展もしないわけないだろー」


 確かに。と納得しかけた心を孝太郎は押しとどめる。


「――いや、けど、港には帆船が……」

「あーそりゃ人間の技術だからなー……まぁとにかく乗って乗ってー」


 ウーは孝太郎を急かす。

 孝太郎はこのプロペラ機に乗って戦いに向かうことには、躊躇はなかった。

 しかし、すごすごと乗り込もうとした所をウーに止められる。


「前じゃねーよ、後ろにな。前はうちとちよで乗るから」

「……やっぱりちよも行くのか?」


 ちよも戦場に向かうことには、未だに不安があった。

 孝太郎はちよが行きたがらなければ、ちよの足が治ると言われようと、その命を守ることを優先し、戦場へ行くことを拒否しただろう。


「おにいちゃんしつこい……」

「安心してくれー。……うちは今の魔人の王ってだけじゃなく、今1番に力を持つ魔人でもあるんだわ。敵の一匹に手こずるほど弱くない」

「……信じるよ」


 孝太郎は後部座席に乗り込んだ。後部座席は翼で挟まれていない分、視界が広く見晴らしがいい。

 スッキリとした青空がよく見えた。

 未だウーに疑念は残るが、彼女が悪人だと孝太郎には思えなくなっていた。


「!……ありがとう」


 孝太郎の言葉にウーは目を見開く。そして微笑みと共に感謝を告げた。



 ウーとちよが操縦席に乗り込んだ。

 ウーがちよの背中から、ちよを抱きかかえるように座る。二人とも体が小さいため座席には難なく収まっていた。


「お前それ手は届くのか?」


 ウーはちよよりも背が低かった。

 そのため、ちよの肩に顎を乗せるようにして前方を見ようとしている。

 これでは機首と翼の間しか見えないだろう。

 そうしてさらに操縦桿に手を伸ばすが、あと少しで届いていない。


「こいつの翼と頭の先の間しか見えねーわ。……届かねーし」


 操縦桿を掴もうと、プラプラと腕を振りながらウーが孝太郎に答えた。


「わたしが持つよ」

「ちよ、こいつの動かし方とか分かんないだろ」

「あっ、お願いできる?ちよの体ごしに魔力で動かすから大丈夫」


 孝太郎は首を傾げた。

 ――そんなのでいけるのか?

 この世界では魔法は万能なのだろうか。


「見えないのはどうすんだよ……」

「……ちょっと見えてる、イケる」

「わたしが見てるから大丈夫!」


 ちよが片手を上げて、孝太郎に見えるように親指を突き上げた。


「いやいや……」

「魔王様ー!準備できたんでよろしくお願いしまーす」


 リーナが遠くから叫ぶ。

 いつの間にか中庭を横切るように滑走路が出来上がっていた。


「よっしゃ!ゴーグル付けてー!飛ぶぞー!」


 ウーが叫んだ。

 エンジンの音が響き、プロペラが回る。何を動力にしているか不明だが、車輪は滑走路を進み、プロペラ機は空へと向かう。


「あっ、お花が!」


 ちよが叫んで、孝太郎はそちらに顔を向けた。

 滑走路の側にある花が、風に煽られてその花弁を散らされていく。

 その様子をイングリットが切なげに眺めていた。


「……魔王様、よろしくお願いします」

「おー!軽くひねってくる!」

「お姫さまーいってきまーす!」

「お姫様じゃない女王だぞちよ」

「ふふっ。お気をつけて……」


 そうしてプロペラ機は速度を上げて、唸りを上げて、空へ。

 背後に舞い散る花弁を置き去りにして飛び立っていった。

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