第72話 悲恋の最終章⑨暁子との出会い

衝撃的なキス事件から1週間経過しています。


暁子さんは時間を見つけては、煉瓦亭に顔を出す


ようになりました。同僚の評判も上々、着こなしとセンス・・・


そして季節感を感じさせるファションの先取りで周囲の注目を


集めていました。バイトの後輩から「里中さん・・・凄い素敵な方


ですね。どこで知りあったの?どこまでいってるの?」根掘り葉掘り


質問攻めです。確かにいい女です。一緒に歩いていれば、振り返りが


発生するほど、綺麗な方でした。その意味では由紀子にはない都会的な


センスと仕草、確かな優越感もあります。ただ・・・結婚願望が強く、束縛


したがる性格が全面に出てきて,うっとおしい気持ちに傾斜する自分に気が付いて


いました。由紀子は別にしても俺の自由奔放な性格からすれば、ホテルの美由紀さん


のほうがほったらかしにされる、無視はないまでも、いつも冷静で見守り的な


母親タイプのほうがあってるじゃん・・・あまり深入りすると抜き差しならない


状況になってしまう・・・そんな警戒心が芽生えていました。


 秋本番を迎え、ホテルは婚礼シーズンで超繁忙期を迎えています。


週末の大安吉日には1日5件もの婚礼ラッシュ・・・ホテルの5階に神殿があり、和式スタイルの「吹上の間」そして俺が所属する洋式スタイルのレストラン源氏、和式は最大100名、源氏は120名までの婚礼が可能です。


 とりわけ、洋式のナイトウエディングが人気があり、夕方5時から3時間、そんな婚礼が2か月先まで予約で埋まっていました。そんな訳でこの1週間、休みもなく疲れがピークに達し身体が悲鳴を上げていました。新丸子、朝9時半出発、10時から5時まで煉瓦亭、移動で泉岳寺、ホテルで10時過ぎまで移動時間を含めれば13時間以上の労働環境でした。そして土日も婚礼で連続勤務10日目で突然、いつもと違う・・・異変に気が付きました。朝の目覚めから息苦しさがあり胸が痛い・・・呼吸がしずらい・・・おかしい・・・


 何か違う・・・どうしんたんだろう・・・でも煉瓦亭にゆかねば・・・気にしながら出勤しました。


 「おはようございます。」きょうも岩さんと同じシフトです。「おーい 里中・・・なんか顔色が悪いぞ、真っ青じゃん!大丈夫か?」


 「はーい・・・朝からどうも調子が悪くて左胸が痛いんです。そして呼吸がしずらくて、たまに咳き込むんです。」


 すると岩さんが昼のピークが過ぎたら病院に行けと・・・駅前の田園調布総合病院に電話までしてくれました。午後2時を過ぎ・・・岩さんが紹介してくれた病院に向かいます。30代後半のいい感じの女医さんでした。問診で今の症状をつぶさに報告します。それじゃー胸のレントゲンを撮りましょう・・・


 しばらく待合で待たされて再び先生のところへ・・・「里中さん・・・自然気胸ですね・・・・肺に穴が開いてますね・・・20~30代の若い男性に多く、疲れとストレスから発生します。」


「えー!・・・穴が開いてる?・・・大丈夫なんですか?入院ですか?治りますか?」意味不明な質問を連発しています。


 女医さんは冷静です。「そーね・・・しばらく安静が必要ですよ!3日ほど仕事を休んで身体を休めてください。お昼ご飯は食べてないと言ってましたね・・・

それじゃ・・・栄養補給の点滴をしましょう・・・あなた、まだ、学生さんでしょ・・・あまり無理しちゃ駄目ね・・・」


点滴につながれ、いつの間にか深い眠りの中へ・・・1時間ほどでしょうか・・・重い瞼を開けると、目の前に・・・


 暁子さんがいます。「あれ?・・・暁子さん・・・仕事でしょ・・・なんでここにいるの?」


「今日は午後から本社で会議があったの・・・ただ、その会議が早く終わり、直帰でいいと言う指示・・・ラッキー・・・それで煉瓦亭に行ったら・・・

 岩さんが里中、病院に行ってる・・・まだ・・・帰らないからたぶん・・・病院にいる・・・もう私、びっくりしちゃって・・・


 ほんとに急いで病院に来たのよ・・・窓口の方がいい人で、すぐ対応してくれたの・・・ただ、看護婦さんからは・・・

色々聞かれたからお付き合いしてる大切な方だと告げたら、処置室に案内してくれたの?」


「ね・・・今・・・何時?もうすぐ5時よ・・・」そうか5時・・・やばい・・・点滴はあと少しで終わりそうです。


「看護婦さんが点滴が終わったらその青ブザーを押してくださいと・・・」しばらくして点滴が終わり看護婦さんが・・・「今日はこれで帰宅になります。3日後の

金曜日、朝10時に予約を入れましたから忘れないで受診をお願いします・・・」


とにかく冷静になろう・・・今・・・自分に・・・

起きてる身体の異変を受け入れなければ・・・今夜はホテルには行けない・・・電話しなければ・・・・


駅に向かう道すがら公衆電話を探して、途中で「俺・・・電話してくる・・・ホテルに・・・」


「里中君・・・看護婦さんから聞いたけど3日間は安静なのよ・・・今日は私が新丸子まで付いていくから・・・いいわね!・・・・」


 「いつもありがとうございます。ホテル東京でございます・・・」みきちゃんでした。「俺・・・俺・・・」「俺ってだあーれ?・・・俺だよ・・・

いいからさ・・・山口課長席につないでよ・・・・」


 「あれ・・・今夜も飲み会?・・・バイト休み連絡なの?・・・」


 なんか今日は絡んでくるので事の顛末を説明しました。

「そうなの?・・・さと君・・・大丈夫なの.?・・・いつも人一倍

元気で賑やかな人だから今日も飲み会なんだ・・・ごめんなさい・・・今、おつなぎします。」

   ・・・課長が電話に出ました・・・


「そうなのか!・・・それで・・・先生はなんと?」・・・「とにかく安静で3日後に再受診です。すみません・・・課長・・・シフトに穴開けてしまい・・・」


 「すこし忙し過ぎたんだ・・・わかった・・・何とかするからゆっくり休め」・・・そして必ず状況説明するように念を押されました。


 電話BOXの前に暁子さんがいない・・・どうしたのかな?すると、後方から・・・


「電話終わったの?・・・私も煉瓦亭に電話して岩さんに今の状況を説明してたの・・・岩さんもちゃんと直せ!だって・・・


 オーナーには岩さんから説明しておくから、大丈夫よ・・・岩さんて気配り上手・・・暁子さん・・・今夜は里中を頼むだって!・・・」


 日が落ちて辺りは夕闇に包まれています。まさに、晩秋の気配・・・駅前のイチョウの木もすっかり落葉して一層寂しさを醸し出します。肺に穴か?・・・なんで?・・・そんな病気になってしまったのか?確かに無理しすぎでした・・・


 若いから大丈夫・・・変な過信がありました。暁子さんが右腕絡めてきました。「さあ・・・今夜は何が食べたいの?どうせ朝抜き、昼抜きでしょ・・・お腹すいてるでしょ・・・ね・・・今夜はすき焼きにしましょう・・・すき焼き・・

すき焼き・・・」


 とても上機嫌な暁子さんです。俺の病気そっちのけで意気揚々してます。何か言いしれぬ違和感を感じていましたが、今夜は一人でいるのはあまりに辛い気分です。こんな時こそ由紀子が傍にいてくれれば、元気百倍ですが、


 仕方ありません。新丸子駅前の文化スーパーで食材を求め・・・アパートへ向かいます。「そうなんだ・・・ここなんだ・・・古いアパートね・・・でも大学生だもん・・・ここで十分・・・十分・・・」


 「俺・・・トイレ・・・玄関ドアーの鴨井の上にスペアキーあるからそれで先に入ってて・・・」


 なんか自分の世界が欲しくて・・・トイレに入りました。


 逡巡なのです。由紀子以外の女性をこのアパートに入れるのは初めての出来事でした。後ろめたい気持ちもあります。


 守らなければならぬ一線を越えてしまうような気分に包まれていました。


   ・・・いいのかなあ・・・

    最後の牙城がもろくも落ちてゆく時間を迎えようとしています。   

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