第18話 引っ越しへの階段 下神明に決まり

 昭和53年、2月のある日曜日でした。彼女の

アパート探しに1日振り回された日曜日が暮れて行きます。


大井町から大井町線に乗りこみます。始発駅なので、

運良く座れました。「ねー貴方・・・疲れたでしょ・・・バイトの疲れ

を癒す日曜日だったのに、1日振り回してしまい、ごめんね・・・

でも貴方にはどうしても、新しいアパートをみてもらいたかったら・・・」


「うーん・・由紀子・の気持は解っているから・・・平気・・・大丈夫・・・

そんな気配りはいらないよ・・・俺にとっても大事なことだから・・・」

「そーよね・・だって4月からは、一緒に下神明で暮らせるんだもん・・」


 まだ・・・大学1年がようやく終わり、2年生から「同棲」・・・どうなるの

かな・・・いや・・・合鍵同棲みたいになるかも?そんな思いがグルグル回ります。


 電車が中延に到着・・・

都営地下鉄の接続駅なので、家族連れで車内がいっきに混雑

してきました。俺達の前にマタニテイードレスを着たお腹の大きな30歳前後の奥さんが、旦那さんと2人立っています。


 お腹の具合から臨月が近いような感じです。旦那さんは両手にあふれる程のデパートの買い物袋を下げています。

隣に座る彼女と視線が合った瞬間、2人で立ちあがっていました。「どーぞ・・・」と席を譲ります。すると、その奥さんが

「ありがとうございます・・・ほんとに、助かります。」と優しい声で答えてくれました。続いて旦那さんも「すみません・・・すみません・・・ありがとうございます」嬉しいそうな笑顔を見せてくれます。


 当たり前の事をしただけなのに、こうしてお礼の言葉をかけてもらうと

何故か、気持が良くなってしまいます。

2人で開閉ドアーの近くに移動して、小さな声で「ねー貴方・・私

とってもいい気持ちなの・・」「うーん俺も右に同じ・・・」何でもない

日常の小さな出来事で心が和むんだ・・・人に優しくする気持って

自分も気持が良くなるんだ・・・


 電車が自由が丘に到着しました。ホームの大型時計がPM

5;40を指しています。彼女がゆきたいという「かとりや」は

渋谷センター街に本店がある焼き鳥屋の支店です。

PM5;00の開店ですが、店が開くと30分もしないうちに、満席

になる繁盛店です。カウンターが20席、6人掛のテーブルが6台、

2Fが座敷・・・


 大型の焼き鳥屋でした。備長炭で焼く絶品の焼き鳥が人気で

サラリーマン、OL、学生の溜まり場になっています。

この店には入学間もない頃、渋谷・松涛から自宅通学する

友達に連れていってもらってから、お気に入りの店になりました。


 カウンターで飲むことが多かったので、自然と店の方とも

仲良くなり、たまにはサービスをしてくれる関係になっていました。

この自由が丘の店には12月から、本店の焼き場のサブだった

矢崎さんが移動になって、店長として切り盛りしていました。


 12月は3回くらい・・・1月も2回・・・お世話になっていました。

彼女はここの「ねぎ間、カシラ、タン・・・そして豆腐たっぷりの煮込み」

が好きで、2人が息投合すれば「かとりや」で一杯になります。

 駅前から歩いて3分のところにその店がありました。

暖簾をくぐると「いらっしゃーい」と大きな声です。その声は店長

の矢崎さんでした。「なーんだ・・里中・君か?久しぶりじゃない・・・

いつ来たっけ?」「はーい1月は試験前だったから、12日くらいだった

と思います。」「そーか・・・どこに座る?矢崎さんの前のカウンターで

いいですか?」「カウンター1番さん・・・おしぼり2丁・・・アサヒビール1本」

と店長の声が響き渡ります。


 「今夜もいつもの彼女と一緒だね・・・仲がいいんじゃない・・・」

テーブルにお通しとグラス、そしてビールが運ばれます。頼まなくても

こうしてアサヒビールがでてくるところが憎いなと思います。


 学生のくせに!・・・そうした態度が全然ない店だから、自然と好きに

なってしまいます。「ねー貴方・・・早く・・・早く・・・乾杯しようよ・・・」

グラスにビールを注いで、いっきに飲み干しました。「ねー貴方・・見て・見て・・・貴方に釣られて私もいっきができた・・・はじめての経験・・・」

 確かに彼女のグラスからビールが消えていました。

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