第17話 引っ越しへの階段、旗の台、下神明

 昭和53年、2月のある日曜日の昼下がりです。


 東横線、自由が丘の駅前・・・東急プラザ・・・食堂街の

和食処の暖簾をくぐります。昼時で、どのお店も家族連れや

カップルでかなり混雑しています。・・・あいにくテーブル席は満席、

丁度2つ空いていたカウンター席に腰かけます。


 「何でも、好きなものを召し上がれ・・・お姫様・・・」すると彼女が

「ねー貴方・・・なんか嫌味な言い方にとれるんだけど・・・」

「そんな事ありません・・・朝寝坊した償いですから、ほんとに、遠慮しないで、

何でも、好きなものを頼んで・・・」「そうなの・・・じゃあ・・・私、茶碗蒸と

お刺身もある天麩羅定食にする・・・貴方は?」「俺は、刺身定食で

いいや・・・」運ばれた定食を思い思いに食べながら・・・2日間の不動屋

めぐりの話しをレクチャーしてもらいます。不動産屋の話しを検証すると

学生の引越しは4年生が卒業でアパートを引き払う、2月が大きな

チャンス・・・物件も豊富で家賃との駆け引きもあるようですが、以外

な掘り出し物も見つかるとの事でした。「次ぎはどこにゆくの・・・」

「大井町線の旗の台にいいのがあったの・・あそこは、池上線も

あるでしょ・・アクセスがいいから・・学生やサラーマンに人気の街なんだ

・・・ねー貴方・・・旗の台だったらいいでしょ・・・中延から2駅よ・・・

泉岳寺から乗り換え入れても、20分くらいだもん・・・バイト先から近く

なれば、ホテル泊まりはもうなくなるのよ・・・最終に乗り遅れて、泊まりは今度は言い訳いなるだけからね・・・私のところへ

帰ればいいだけなの・・解ってるでしょ・・」「ふーん旗の台か?・・・」


 大学の友達が旗の台でした。1度だけ泊まりに行ったことがあります。

古いアパートでしたが、大きな商店街

も近くにあり、銭湯の数も多く学生街の趣があります。大岡山には

東工大があり、この大井町線は男子学生にとっつては人気の沿線でした。


「旗の台は解ったけど・・・最後のひとつはどこなの?」

「下神明・・・ここも東邦音大の付属高校、中学、そして日本音楽学校がある

学生街なの・・・戸越公園にも近くて、中延から大井町方面に2駅なんだ」

 「うーん解った・・・由紀子は俺のバイト先からのアクセスを優先して

部屋探していたんだ・・・」

 「当たり前でしょ・・・そんな話しを今更、蒸し返さないでね・・・さあ・・・時間がもったいないから・旗の台に向けて出発・・・」


 旗の台で降りて、池上線が走る線路を荏原中延方面へ・・・徒歩10

分前後にそのアパートがありました。池上線と平行して走る5メートル

道路沿いなのです。丁度、あのイモムシタイプのグリーン電車が

激しい騒音と共に行き去ります。アパートは新築並、外観は白を

基調で女子大生の心をくすぐるお洒落な感じです。「電車がね・・

ウルサイのよ!とても気にいってるんだけど、不動産屋さんに部屋の中を見せて

もらってるときも、あのイモムシ電車が3回も往来したのよ・・・確かに

ウルサイの!・・・この騒音が無ければ、100点満点なのよ・・・部屋も

綺麗だし、日当り抜群、6畳に3畳の台所、トイレ付き、風呂無しで家賃が¥23,000だもん!・・・大家さんの意向で騒音割引で家賃が相場

より低いと不動産屋さんが言ってたの・・・」


  「でもさあ・・・日当たりが悪いのは、我慢できるけど・・・やっぱりウルサイのは毎日の事だから、ここは確かに条件がいいけれど、止めたほうが無難だと思うよ・・・」

 「やっぱりね・・・捨てがたい魅力だけど、ウルサイのは私も我慢できない・・・解ったわ・・貴方・・・」


 旗の台まで戻り、下神明に移動します。冬の陽射しが傾き出しました。

もうPM3;30を回りました。下神明の駅を降りて、緩やかな坂道

を降りてゆくとそのアパートがありました。駅から3分前後です。


 大家さんが下で畳屋さんをしているようです。下が作業場と駐車スペース、その上が2軒アパートになっています。外階段で玄関は独立

階下も気にすることは無いようです。間取りは6畳、3畳の台所、トイレ

付き、風呂無し¥23,000・・日当りもまあまあです。部屋の中

は解りませんが、彼女の説明では、畳みを変えて、クロスも張り替えて

くれるから、かなり綺麗になるとの話しでした。築20年前後の物件

ですが、いい感じです。「部屋の中は解らないけど、由紀子の話しを総合

してもいいんじゃないかな?とにかく駅から近いのも魅力だよね・・・・」

「京浜東北線の大井町まで徒歩12分だと不動産屋さんが教えてくれたの・

ねー貴方・・・帰りは、大井町まで行ってみたいの・・・」「解ったよ・・・」


 初めての道を二人で歩きます。ここで暮らしてゆくかもしれない・・・

この街でまた、たくさんの思い出作りがはじまるかも知れない・・・

そんなことをボンヤリと考えていました。


 彼女は歩きながら「私・・・下神明に決めようと思うの・・・ねーいいでしょう

貴方・・・」

「うーん・・・俺は異存なしだけど・・・勝手に決めないで、岩手

の実家に、きちんと報告・・・了解もらってからにしたほうがいいよ・・・」


「そんなこと解っています。今晩、きちんと電話して説明するから・・・

大丈夫よ・・」

 冬の陽射しが雲に隠れて、急に寒くなりました。PM4;30過ぎです。


「ねー貴方・・・自由が丘で降りて、「かとりや」で一杯飲んで

行こうよ・・・今日はご苦労様・・・1日引っ張りまわしたから、今晩

の焼き鳥とビールは私が払うから・・・ねーいでしょう・・」

 そんなやりとりをしながら、大井町の駅に着きました。

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