第3話 渋谷、ハチ公事件

 12月に入り、師走の喧騒です。下宿屋の大家さんの視線を

気にする彼女の態度は、来春に「引越し」の決断をしてからは

小康状態・・・平日、夜間の行き来は、極力控え、その代りに

週末の2日間はできるだけ、同じ時間を過ごすことにしています。


 土曜日はお互いの大学の講義を交代で出席したりします。こんな

ことをしていると必ず友達に見られちゃいます。

キャンパスで学食に2人でいれば、知り合いに遭遇します。

「おーい、里中!」

「隣にいる彼女だーれ?」にやにやして接近してくる物好きがいます。

その場から逃げる訳にも行かず、事情説明・・・「なーんだ、そうか!

・・・そう言えば、入学、間もない頃、同じ下宿に女子大生がいるって

言ってたもんな・・・ふーんその人か?」早く行けよ!と邪険にも

できずしばし、談笑になります。

そんなことが、何度もあり、共通の友達の輪が広がります。

俺の友達も彼女の友達になり・・・もちろん彼女の友達も同じです。


 気の合う仲間同士で渋谷で飲み会・・・

 この頃は毎週、渋谷で遊んでいました。

センター街の万葉会館は彼女のお気に入りでした。マリンコンパや

ぽぽろ広場で週末の楽しい時間を過ごします。

 この日は、俺の高校時代の同級生グループで飲み会でした。

ほろ酔い加減で5〜6人のグループでワイワイ騒ぎながら

渋谷駅へ・・お馬鹿な同級生はハチ公の銅像の前で、

高校時代の校歌を歌い出します。

「天地の生気、甲南に」・・・

駅前交番の「おまわりさん」がこの校歌を聞きつけて

接近してきました。なーんだろう・・・「私達何も、悪いことしてないよ

ね?・・・不安がる彼女が俺の背後に隠れます。」

するとおまわりさんが・・・「君達は山梨の日川高校出身なの?」

「はい・・・そうです。」「そうか、おまわりさんも実は日川の卒業生・・・

校歌が流れてきたので、懐かしくてね・・・」

「先輩は何回の卒業ですか?僕達は高校29回卒業です。」「そうか29回か?俺は25回卒だから、学校ではすれ違いだね・・・」


 何とも奇妙な出会いがあります。酔った勢いでハチ公の前で校歌を歌い・・・遭遇したおまわりさんが高校の先輩なのですから・・・

 帰りがけに、おまわりさんが「名門、日川の卒業生として、節度ある行動を頼むな!」一同、おまわりさんに丁寧なお辞儀をして別れました。


 JR線、井の頭線で帰宅する仲間と次ぎの再会を約束して・・東横線

の改札へ・・彼女は校歌事件がひどく気に入った様子で、

おまわりさんが接近してきた時の仲間の表情の再現しています。


「貴方の友達は、みんな個性的で、面白いよね!・・・特に雨宮君が最高!」

 週末、最終前の電車はサラリーマンが少ないので、混雑が

ありません。2人掛けのシートに腰かけると、いつしか彼女の

頭が右肩に・・・「ねー少し疲れた・・・このままでいい?・・・」

「解ったよ・・今日は、はしゃぎ過ぎでお疲れ・・・お疲れ・・・」

彼女の無邪気な顔が・・・向かい側の窓にぼんやりと映ります。

その時、彼女が「ねー私の引越し先だけど、貴方のバイトと大学

の中間地帯に探すからね・・・ね、いいでしょう・・・年末に帰省したら

親にきちんと承諾をもらうからね!・・・」俺は、「そんなので、いいのかな?通学に不便だからと言う理由で、引っ越すのに、俺の利便性を

優先していいの?」「いいのよ!・・ウチの両親は田舎者だから、上手く

説明すれば、大丈夫よ!」無邪気なノー天気発言です。


 でもそれは俺が決めることではなく、彼女の問題なのです。

引越し問題がここのところの大きな話題になっています。

なるべくこの話題にならないように、できるだけ避けていても

つかまってしまいます。

 今のままでも、十分楽しいのに・・・・

でも彼女にしてみれば、監視されている大家さんの視線が

耐えがたい障害になっているのも事実です。


「なるようにしかならない!」窓を飛び去る夕闇の風景に目を

やりながら、そんな思いに包まれていました。

「なるように・・・なりますように・・・」・・・

「19歳の冬」 昭和52年、12月の出来事でした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る