第19話消せない記憶(マイバッドメモリー)

 

「ああ…ああ…ああ…」


 呼吸は浅く激しくなり、心拍数は上昇する。ドクンッ、ドクンッと激しい心臓の鼓動が、自分にまで聞こえてくる。


「はははははは、こりゃ傑作だな。さっきまでの落ち着きはどこいった?震えてんじゃねぇか。そんなんじゃ、狙いが外れるぜ?」


 敵の声が聞こえる。でも、その声は今の自分には雑音にしか捉えられなかった。

 いつもなら冷静に働く頭は、今はまったく別のことに意識を削がれ、上手く働かない。


 《レイン…逃げて…》


 本当なら聞こえないはずの声が、今の自分には聞こえていたのだ。


 レイン


 それは、お母さんが自分に向けて言った言葉。


「ダメ…出来ないよ…」


 《早く、お願い…レイン…》


 分かってる。これは幻聴だ。今の状況があの時に重なってしまって、混乱しているだけ。

 敵に人質にされている親子を見る。

 母親は小銃を背中に、その息子は隣の敵に魔力銃をこめかみに向けられている。

 母親と息子は、自分の方へすがるような目を向けてくる。

 その目が、仕草が、流れ出る汗がさらに自分にあの時のことを連想させる。

 声はまた聞こえる。


 《この、悪魔!どうして…どうして…リアーナを…》


 リアーナと呼ばれお父さんに抱かれたまま動かない女性は、お母さんだった。

 悪魔。

 そうだ…自分は実の父親に、あの時悪魔だと言われたのだ。

 でも、そうかもしれない。


 なぜなら、お母さんを殺したのは自分なのだから。



 ――――――――――――――――――――


 その日は、雨が降っていた。


「レイン。ほら雨が降ってるわよ。濡れるからお母さんの傘に入って。」

「ふふん~、別にいいもん!ぼく、雨が好きだから。」


 アメリカのとある町で、母親の買い物に付き合っていた自分は、その帰り道で雨の中はしゃいでいた。

 今思えば、その時母親の言った通り傘の中に入っておけば幸せだったのかもしれない。

 しかし、当時は自分の名前の由来だった雨が大好きで、母親の言うことなんて聞きもせず、ひたすら降ってくる雨に心を踊らせはしゃいでいた。


「レインは本当に雨が好きね。そういえば最近は水属性の魔法の練習しているわね。雨でも降らしたいのかな?」

「さすがにそれは無理だよ。あ、でも水属性の魔法なら中級魔法まで使えるようになったんだ。」

「あら、偉いわね。10歳で中級魔法が使えるなんて。将来は、大魔法使いね。」

「大魔法使いか~。なれるかな?」

「なりたいと思えば、レインならなれるわよ。」

「え、本当?」

「ええ、本当よ。大魔法使いになって、レインは何がしたい?」

「うーん。漫画みたいにヒーローになりたい!だって、ヒーローは負けないんだよ?それで、皆を守っちゃうんだ。クリスタルモンスターなんか一撃だよ?」

「へぇ、でも危ないわよ?」

「大丈夫だよ、ヒーローなんだから。」


 めちゃくちゃな話だ。ヒーローだから大丈夫。

 それは、漫画やアニメだけのものだというのに、10歳の自分はヒーローとはそういうものだと思いこんでいた。

 特殊攻撃魔導部隊実際のヒーローは傷つくし、死ぬ。クリスタルモンスターなんて化け物を間近で見たことのない当時の自分には想像もつかなかったことだろう。


 水溜まりを見つけて、そこにジャンプする。


「こらっ、汚れるわよ、レイン。」

「はーい。」


 母親の注意に返事はするものの、それを聞かずにまた新しい水溜まりにジャンプする。


「まったく、もう。」


 そんな、何気ない日常。

 きっと、ここは安全なんだ。

 でも、それはまやかしで、絶望や恐怖は身近にあるのだと。その日、自分は知ってしまった。


 黒い影が自分を覆う。


「レイン!ダメーッ!」


 母はに気付き、水溜まりで遊んでいた自分を突き飛ばした。


「うわっ!」


 びしゃっと地面に体を叩きつけられる。


 突然突き飛ばされて、打ってしまった肩をさすりながら、母の方を見る。


「え…、お…母…さん?」


 目の前の現実に一瞬自分の頭は真っ白になるが、すぐに我を取り戻し顔を青ざめさせる。

 目の前には、クマ型のクリスタルモンスターが

 母を片手で持ち上げていた。

 その時のことはよく覚えている。体長は、4メートルを越えていたそれは、母を握りしめ、道に叩きつけようとしていた。


「レイン…」

「お母さん!」


 母の頭からは血が出ていた。おそらく、自分を助けるときに怪我をしたのだろう。

 早く助けないと。そう思うが、恐怖で体が動かない。

 そんな自分に、母は言った。


「…レイン…逃げて。」

「え…?」

「逃げて…はや…く…。」

「嫌だよ、お母さん!」

「我が儘言わないで…、お願い…早く…。」


 どうしていいか分からなかった。

 逃げれば自分だけは助かる。でも、母を置いて逃げるなどできなかった。かといって、母を殺さんとするあの化け物をどうにかできるとは到底思えなかった。


 魔法を使えるといっても、中級魔法で、しかも攻撃用の魔法は使えなかったのだ。


 クリスタルモンスターは、腕をさらに高く上げる。

 自分は焦る気持ちとともに、どうすればいいのか考えるが何も思いつかない。

 と、自分の足元に銃があることに気付く。

 護身用として母が持ってきた銃だった。

 自分はそれを拾い上げる。


 周りは、クリスタルモンスターの出現で、混乱と恐怖、絶望に満ちた様子だった。人々は逃げ惑い、我先に我先にと誰も彼もが己の命の安全を確保するのに必死。

 自分が逃げてしまったら、お母さんはどうなるのだろう。残念だが、漫画みたいに都合良くヒーローが現れてくれるとはこの状況から想像出来なかった。


 誰か…誰か助けてよ。

 心の中で何度もそう思った。

 しかし今、母を助けてあげられるのは自分しかいない。銃の撃ち方は知っていた。けど、実際に撃ったこともない自分にとってその事実は絶望でしかなかった。


「うっ…ぐっ!」


 クリスタルモンスターはよりいっそう母を強く握る。

 もう時間がない。


 大丈夫、少しあいつの気を引くだけ。

 大丈夫、足元を狙えばお母さんには当たらない。


 大丈夫、大丈夫、大丈夫。


 自分に何度もそう言い聞かせる。

 本当は撃ちたくない。でも、周りは誰も助けてくれない。やるしかない。


 クリスタルモンスターの足元に向けて、銃を構える。


 お願い、上手く当たって!


 そして、引き金を引いた。


 ドパンッ


「うわっ!」


 銃弾は放たれる。しかし、自分の思いとは裏腹に狙いを外してしまう。


 ボトッ、ボトッ


「あ…あ…あ…あ…」


 銃弾は母の心臓を貫いていた。

 言葉が出なかった。母を助けるために放ったはずの銃弾は母を助けはせず、その命を刈り取る死神になってしまった。

 違う。自分がそうさせてしまったのだ。


「レ…イ…ン…―――――――――――――」


 力を振り絞り、母は自分に言ったが、最後まで聞き取れなかった。

 そして、それを最後に母は動かなくなってしまった。


「ああ…あ…あ…あーーーーーーーーっ!」


 殺した、殺した、殺した。

 守ろうとしたものを自分はこの手で、殺したのだ。


 死なないで…


 そう思うのに、母は動かない。きっともう永遠に母は動かない。

 止めどなく流れるその血を見て、母は死んだのだと実感する。


「オェッ!」


 耐えきれなくなり、吐いてしまう。

 目の前のクリスタルモンスターは生きている。

 母は、やつに握られ道に叩きつけられる。


 自分はそこからの記憶がなかった。意識を失ったのではない。だが、思い出せないのだ。


 そして、気がついた時には、すべてが終わっていた。


 道端に散らばった紫色の結晶。

 おそらく、さっきのクリスタルモンスターだろう。

 そして、


「―――リアーナ…リアーナ……」


 ぐったりと倒れたまま動かない母。それを抱きしめながら泣いている父。

 父は何度もその名前を呼ぶが、母は目覚めない。

 当たり前だ。一緒にいた自分が殺したのだから。

 そして、父は自分の方を見てこう言った。


「この…悪魔め!よくも…よくもリアーナを!」


 その時、自分は己の耳を疑った。

 実の父親に、いつも優しかったあの父親に、自分は悪魔だと言われてしまったのだ。

 それは、ある意味一番聞きたくなかった言葉。

 たとえどんなことがあろうと、父だけは自分の味方になってくれると信じていた。今思えば、それは母を殺したという事実からの逃げだった。しかし、当時はそれを受け入れられず、父の言葉は自分にとって最悪の言葉になり、まるで崖から奈落へ突き落とされたような喪失感だった。


「…違うんだよ…お父さん…ぼくは、ぼくは―――」

「黙れ!お前が殺したんだ!違うはずがないだろ!」


 殺した。分かってる。でも、自分は母を助けようとしたのだと伝えたかった。

 しかし、その思いは届くことなく、父は激しい怒りを露にした。


「お前は、私の息子なんかじゃない!消えろ、この悪魔!」

「悪魔…」


 視界はだんだんと歪んでいく。周りの風景も、父も、母もすべてが歪んで見えた。それはおそらく涙だけのせいではなかった。

 もう、誰も信じてはいけない。誰とも絆を作ってはいけない。

 信頼はまやかしだ。絆は自分という悪魔が壊してしまう。

 そんな沈んだ感情が自分を支配する。


 目は虚ろになっていく。


 もう、父は自分を許してくれない。

 いや、父だけではない、きっと母も自分を恨みながら死んでいったのだろう。


 雨はよりいっそう激しく降る。


「うる…さい……」


 うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい。

 雨なんて、大嫌いだ!

 母を殺したのが自分なんだと。その音を聞く度にどこかから聞こえてくる。

 悪魔、自分は悪魔だ。雨のようにふれ合ったら、その人をしてしまう。


 それは、その時感じたこと。そして、同時に自分は決して許されないことをしたのだと実感する。何を言おうが、その事実は変わらない。

 その手で大切な人の命を奪ったのだから。



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