第10話 日常が壊れた日

《日常。人生がひとつのとても分厚い本なのだとしたら、それはきっと本を形作っている一ページ、一ページなのだと俺は思う。どれだけ読み進めたってまでページが欠けているなんてことはないのだから。俺の日常だってそのはずだ。》



―――――――――――――――――――――――

 ヂリヂリヂリ、ヂリヂリヂリ。


「うっ…。」


 ヂリヂリヂリ、ヂリヂリヂリ。


「ああ…もう、うるさいな…、ったく。」


 午前5時にセットしておいた目覚まし時計のアラームが俺の耳に響く。自分でセットしておいたとはいえ、やはりこの音は、目覚めてすぐの人間には鬱陶しいものである。

 ポチッ

 しかし、起きなければならないのもまた事実。

 放っておいたら当分鳴り続けるこの機械を黙らせるため、アラーム停止のボタンを押す。


「急ごう。じゃないと、爺ちゃんに叱られる。」


 そう、急がないと。俺、桐島刃は剣士の家系で、桐島家は代々、桐島流剣術というものを子に受け継がせる。当然、俺も桐島家の子供である訳で、その剣術を受け継がないといけない。

 だから、こうして毎朝早くに起きて、桐島家9代目当主、桐島剣真こと俺の爺ちゃんに稽古をつけてもらうわけだ。

  このご時世、剣術なんか習ってもほぼ無意味だとは言われるが…まぁ、確かにそうなのかも知れない。俺だって最近、剣術なんてこんな世の中じゃ使うことなんてないのかも知れないと思うようになってきた。でも、やらなければならないのである。


  準備を終え、部屋を出る。そして、道場へ入り、防具を取り付けたちょうどその頃、爺ちゃんが入ってきた。もう防具は着け終わっているようだ。


「おお、来とったのか、刃。」

「うん。おはよう、爺ちゃん。」

「ああ、おはよう。準備はできとるな。始めるぞ。」


 そう言って、爺ちゃんは竹刀を構える。

 稽古の始まりだ。


 ――――――――――――――――――――――――


「はぁ、疲れた。」


 朝稽古を終えた俺は、シャワーを浴びていた。


「相変わらず、朝からきつい。」


 短い時間の稽古といっても、ぶっ通しで動きつつ竹刀を振るのだ、しんどくない訳がない。


「何で60過ぎてんのにあんなに動き回れるんだろ。うちの爺ちゃんは。」


 前に聞いてみた時、「鍛え方が違うんじゃ、鍛え方が。」とか言ってたけど、俺は絶対鍛え方の問題じゃないと思う。まぁ、考えても仕方ないことだよな。あの人は、昔からぶっ飛んでたし。


「刃。ご飯出来たわよ。」


 そんなことを考えてると、母さんの声が聞こえてきた。


「わかった。今行く。」


 シャワーから上がって着替えた俺は、朝ごはんを食べにリビングへ向かう。食卓にはもう俺と爺ちゃん以外は全員そろっていた。


「刃、おはよう。…稽古、大変そうだな。少しくらい休んだって良いんだぞ?」

「ダメだって、サボったら後が怖いし。」

 

  食卓につくと、父さんがそんなことを言ってくれるが、俺は断った。別に毎日の稽古が好きというのではなく、単純に怖いためである。

  俺がまだ9歳のとき、一度だけ稽古をサボったことがあって、そのときの爺ちゃんのキレっぷりは半端なものではなかった。以来、俺は毎日欠かさず稽古に行っている。それだけ怖かったのだ。


「そうか、でもしんどくなったらちゃんと言うんだぞ?」

  「はいはい。」


  父さんの注意を適当に流し、俺は朝食を食べ始める。今日は少し早めに朝食を食べなければならない。爺ちゃんが来たら対応が面倒なのもあるが、今日はなんといっても俺の高校の入学式なのだ。遅刻して、新しい学校で浮くのは勘弁だ。

 

 朝食を食べ終えてから、制服に着替えて、荷物を持って家を出る。

  ふぅ、幸いにも、爺ちゃんには出くわさずに家を出られ―――――

 

  「ん?なんじゃ、早いのぉ。もう少し待ってくれんか。」

 

  …どうやら、世の中そんなに甘くはなかったようだ。てか


  「あ、あの…待つって…誰を?」

  「儂に決まっとるじゃろ?」

  「えっと…、ちなみに何で?」

  「孫の入学式に行くからに決まっとるじゃろ?」


  さも当然、といった感じで言ってくる爺ちゃん。

  ああ、もう幸先が悪いどころの話じゃない。最悪だ。この人を入学式に行かせたら、もう確実に学校で浮く。しかし、もはや俺には選択の余地など残ってはいない。それはなぜか?爺ちゃんは式に行く気満々なのだ。

 

  「まぁ、安心せい、遅刻なんぞにならんように早めに支度を済ますからの。」

「いや…、そういう心配してくれるなら出来れば今日はついて来ないでほしいです。」

  「ん?何か言ったか?」

  「い、いえ…何でもないです…」

 

 

 はぁ…、これからの事を考えると頭が痛くなる。


 ―――――――――――――――――――――


「―――――――――――であるからして、君たちには文武両道のもと、我が校でより多くのことを学び、修めてもらうよう努力してもらいます。」


 結局、爺ちゃんの強い意志に逆らうことができずに式に出席した俺は、校長の長々としたそれはもうありがたい御言葉を右から左に流していた。

 悪いがそんなことをしている暇などなかったのだ。これから起こるであろう最悪の展開をいかにして回避するかを考えるのに必死でその余裕などない。

  もちろん、その最悪の展開の元凶となる人物には、式の間は静かにしておくように言っておいたのだが…おそらく、いや、確実にそんなことを忘れて何かしでかすに決まっている。

  もう、いっそあの人が何かしでかしたとしても、他人のふりを貫くしかないのだろうか。


  ガヤガヤ


  ん?なんか後ろが騒がしいな。

 そう思って後ろをふりかえってみる。しかし、ふりかえった瞬間、俺の顔はひきつった。


  「このクソガキがーー!」


  そこでは、俺の予期していた最悪の展開が繰り広げられられていた。そして、その元凶は言わずもがな爺ちゃんだった。

 

「…え、何をやってんの?あの人。」


 思わず声が漏れる。

 本当に何をしているのだろう。いや、やっていることが何かは分かる。しかし、なぜそんなことをしているのかが分からない。

 確かに、あの人なら何かやらかすのは分かっていた。それでも、このタイミングであの人が俺と同じ新入生の胸ぐらをつかんで怒鳴り散らすなんて誰が想像できようか。

 最悪だ。どうしてこうなる、俺はまだ心の準備もできていなかったというのに。もし、ここで俺があの人の孫だなんて知られたら、もう俺の高校生活は終わりだ。ああ、どうかバレませんように、バレませんように――――――――




 《このとき、確かに俺はこの状況に心底うんざりしていた。でも、それはある意味、俺の中での日常であり幸せでもあったのだ。

 終わるはずがない、ずっと俺のページ日常は続くはずだ。》


そんなのは、ありえないとわかっているのに俺はどうしてだか心のどこかでそう信じきってしまっていたんだ。

 


そして、俺の淡い幻想は突然にして打ち砕かれる。


  ドォーーーン


 大きな破壊音とともに、俺たちのいた体育館に風穴があく。直径約3メートルほどの風穴だ。


 そう。これが俺の日常が壊れた瞬間だった。

 

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