第一章:破滅の少女

第1話日常の崩壊(1)

【時刻・西暦2127年4月1日午前5時28分。場所・東京都江戸川第4区、桐島家にて】


 薄暗い手狭な部屋。

「ん…んんッ……」

カーテンの隙間から差し込む日の光が、閉じたままのまぶたの裏まで届き、僅かに覚醒しかけた意識。

微睡まどろみの中へと再び引きずりこまれていく、その寸前。

――――ピピ…――。

「…んぁ?」

――――ピピピピピ…―――。

「るっせぇ……」

ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピッ!!

「な……―――――ッ!」


……未だアラームの鳴り続けるデジタル時計が示す時刻を、寝惚ねぼまなこで確認した俺―――――桐島刃きりしまやいばは、一瞬にして目を見開き顔を青ざめさせた。


◆◇◆◇◆


「不味い、不味い不味い不味い不味い不味いッ!!」


時刻は午前5時29分。

一階に続く階段を慌ただしく下りる俺は途轍もない焦燥感に刈られていた。

桐島流剣術。

我が家系に代々伝わるモノだ。

もっとも、俺はそのお陰で、日々みがきたくもない剣の腕を無理矢理みがかされている。


そして、だ。


我が国日本には、『朝稽古』なんて言葉がある。

当然それは桐島家うちにも適用されるような単語な訳で――――。


「えぇいッ糞、遅刻する!」


うちの朝稽古の時間は午前5時30分。

非常に不味い、最悪だ。

リビングで時計を一瞥、残り30秒だった。そこから玄関に直行、そして靴を履き、俺は引き戸を勢いよく開いて飛び出した。


「あっとッ」


戸を閉めるのを忘れていた。

閉め終え、踵を返し離れの道場へ一直線に走り抜ける。


「ギ、ギリギリセーフ…」


戸を開けて道場に入った瞬間、俺は安堵し――――。


阿呆あほう、ギリギリじゃ」

「あ痛ッ!」


パンッと乾いた音と共に、頭部に痛みが走った。

患部を両手で頭を抱えるように押さえながら、俺はこの痛みを生み出した犯人を睨み付けた。

霜の降りた短髪に、白い口髭と顎髭。加えてしわやシミが多少目立ってきている。しかし胴着の袖から伸びた腕には力強さが感じられる。

そう、その人物とは、俺の祖父―――桐島剣真きりしまけんしんである。


「何…しやがるこんの糞爺クソじじいッ!」

「糞とは何じゃ、この糞孫がぁッ!遅刻して来た癖に師匠に暴言とはいい度胸じゃねぇか、ぁあん!?」

「してねぇ!」

「ド阿呆ッ、5秒遅刻しとったわい!」

「ふざけろ、たった5秒だろうが…!というか、それくらいで人を竹刀で殴ってんじゃねぇよ、何時の時代の体育教師だアンタはッ」


…いや、違う。そうではない、俺が怒るべき所はそこではない。

今思い出した。


「そもそも、そもそもだ…。昨日晩食った後、夜中まで、いや厳密には俺が気絶するまで無理矢理打ち合いさせておいて、よくも謝罪の一つもなしに人を殴れたなぁッ!」


祖父・桐島剣真を指差し、俺は怒鳴った。

うちでは、祖父の気紛れで『模擬試合』というものがたまに行われる。

ルールは簡単、どちらか一方が戦闘不能になるまで竹刀で打ち合う、それだけ。模擬実戦と言ってもいい。

ついでに言えば、毎度気絶するのが俺で、その次の日の朝起きる時は朝稽古に遅刻しかける。そして幸いにも、前日打ち合った時の胴着のままなので、着替える必要がなくて何時も間に合う。


もっとも、今日はそれでも間に合わなかったが…。


「なーに言っとるぅ、手前てめぇもノリノリじゃったろうに」

「アンタが本気で向かって来たからだろうがッ…」

「?はて、奥の手は使わんかったがのぅ」

「こんのッ…そういう意味も含んでっけどそうじゃねぇ!」

「じゃあどういう意味じゃ糞孫ッ」

「糞孫言うなこの糞爺!」


売り言葉に買い言葉。なんとなく次の展開が見える。


「ほほう?言うようになったのう糞孫」

「お褒めに預かり光栄だ糞爺」


持っていた竹刀を俺に投げ渡しながら言う祖父に対し、俺は皮肉で返した。

靴を脱ぎ、段を上がって道場の奥へとおもむろに進む。そんな俺に祖父もついて来る。


「いい頃合いじゃ」

「あぁそうだな」

「「泣かしてやる!」」


踵を返し、俺は竹刀を構えた。祖父の方も持っていたもう一本の竹刀を構える。

そして俺達二人は、胸元に取り付けられたバッジ――――


「「防御魔法術式・展開」」


瞬間、両者の全身を、緑色の光が一瞬にして下から上に駆け抜けた。

今時、防具は使わない。何せ、


◆◇◆◇◆


15分後。


「どわぁぁぁぁぁぁぁぁあああッ!!!」


けたたましい声と共に、俺の体が道場の引き戸ごと外へと吹き飛んだ。

俺を吹き飛ばしたのは当然祖父である。


「んぐッ……ろ、60過ぎた爺に、ま、負けた…」


が、不服だった。

技が負けている。それは認めるとしてだ…。

筋力や体力、そして反応速度に至るまで全てが、色々と衰えてきているあの老体に劣っているのはどういうことだろうか。

おまけに、昨日あれだけ動いたというのに翌日には全快になっているのだ。

俺はともかく老人にそんな回復力があるのもおかしいだろう。


「いや、爺ちゃんについて考えんのは止めとこう。どうせ分からん…」


曰く『鍛え方が違うんじゃよ、もやし小僧が』らしいが…。嘘つけ。あと、誰がもやしだ。


「ん?」


引き戸を布団に仰向けになっていると、庭を清掃していた掃除ロボット達が俺の周りに集まってきた。


「ったく、俺はゴミじゃねぇっての…」


言いながら、おもむろに上体を起こす。


「にしても…相っ変わらず古い家だよなぁ」


辺りを見渡せば、目の前には道場(さっき戸を破壊したので入り口の外から中が丸見えだ)、左には和風建築な母屋。

そして自分が今いる、この多少広い芝生のない庭も。

鉄筋の家が建ち並ぶこの道沿いで、こんな古風な家なのはうちだけだ。


「よいしょっ…と」


立ち上がって体の具合を確認したが、胸元の例の魔導具が効力を発揮し、衝撃をある程度吸収してくれたお陰でなんともないみたいだった。

さて、この壊れた引き戸…どうするか。

一つ言っておきたいのが、壊したのは俺ではなく俺を加減を考えずに吹き飛ばした爺ちゃんである訳で後始末の責任は当然俺にはないということ。


そう、俺は悪くない。悪くないったらないのだ。


よって放置しておく。

ついでに朝稽古はこれにて終了。

もちろん自主的になので、爺ちゃんがこちらに来る前に逃げ去る必要はある。


「急げぇい!」


俺は即座に駆け出した。

そして、母屋の屋根に飛び乗り、そこから数歩いた場所に。


「見つけた」


言いながら、俺の足元の瓦をどけると、そこには小窓がついていた。

窓を開けてそこに入り込み、見事着地する。

ここはそう、屋根裏部屋というやつだ。

しかも、普段は使われておらず、物もほとんど置かれていない。

両親は俺の味方だとは思うが、爺ちゃんに聞かれたら嫌々でも口を割ってしまうかもしれない。そうなると面倒である。

よって、普通に来ても良かったのだが、念のため誰にもみられないよう屋根からここまで来たという訳だ。

幸い、俺が朝稽古をサボるなんて今までなかった。いや、9歳の時一度あったか。あの時は今日は休みたいと駄々を捏ねたものだ、懐かしい。

…まぁ、その後、頭に爺ちゃんの拳骨もらって泣きながら朝稽古したのだが。

兎に角、前例はないと言って良いのだから、俺がどこに隠れたかなんて検討がつかないのは変わらない。


「しばらくは大丈夫だろ」


そう言って、俺は胡座を掻いて座った。

自分で作ったのではあるものの、暇が出来てしまった。

胸元に付けていたバッジ型の魔導具を外し、親指で弾いた後またその手でキャッチする。それを繰り返す。

そう言えば、俺は生まれてこの方魔法を使ったことがない。

もちろん魔導具なら毎日使っている。このバッジもそのうちの1つだ。

まぁ、俺のような人間はざらにいる。というか、寧ろ多いくらいだ。


「って言っても、俺も魔法は使いたいんだけどッと…」


言いながら、バッジを右手でキャッチしそれを眺める。


人類史では、西暦2027年10月14日から――――世界が変質した日から、今年で100年が経とうとしていた。

あの日より、この世に生きる全ての生命が、未知の力をその身の内に宿すようになった。

その未知の力というのが今で言う魔力であり、世界の変質後に確認されたものの1つである。

これが良いものなのかどうかは今でも度々議論になっている。

と言うのも、『魔力因果説』、平たく言えば魔力によって世界に異変が起こったのではないか、なんて説が関係しているのだ。

それの何が問題かっていうと、“捉え方”だ。

世界に起きた変質、それによって人類の科学が50年以上遅れてしまったり、国際情勢や各国の勢力図に影響が出たり、多くの国で株価が歴史上類を見ない程の大暴落を見せたり…と至る所で大損害が出たらしい。

これが魔力によるものだというのならば、確かに魔力は悪だと言えるだろう。


が、そんな中で魔法なんてものが生まれた。


資質が必要で、まだまだ人から習うのには金が掛かったりで、使える人間がそう多くない。

そんな奴の為に開発されたのがこの魔導具と呼ばれるものである。

そう、人類は科学の進歩と引き換えに、魔法と科学を組み合わせた魔法科学を得て進歩させたのだ。

魔法科学は汎用性も高く、果ては宇宙船にも使われている。

そうそう、最近では魔力を動力にした普通の電化製品やら自動車やらも出てきて、魔力は電気に並ぶ新エネルギーだなんて言われている。

魔力によって得たものもかなりあるっていう、まぁつまりは、善という訳だ。


「魔法魔法…ん魔法ッ!なんつって…まぁ無理だよな」


右腕をスッと真っ直ぐ伸ばし、掌から何か出ろ~と頭の中で念じてみるが当然何も起こらなかった。

剣なんてものより魔法の方が格好良い、なんてイメージを持っている俺としては何時か使ってみたいものである。


「ん?何だこれ――――って刀。模造品か?」


伸ばした右手の先に棒状のものが木箱から顔を除かせていて、最初は部屋が薄暗くてよく見ずそれが何かは分からなかった。

が、目を凝らせばそれが刀の柄の部分であることが分かった。

立ち上がって木箱へと近付く。

鞘を持ち、そこから柄を少し持ち上げると。


「あ…ほ、本物…」


俺はサッと刀身を鞘に納め木箱に戻した。

銃刀法というものがある。

で、その中に刀剣類は手で持ってはいけないってのがある。

けど、許可を取れば所持は…つまり家に飾っておくくらいは問題ない。うちの客間にもある。

が、触ってしまった。

全身から汗がダラダラと流れ出る。

不味い、本当に不味い。

慌てて周りに誰もいないことを確認した。したが冷静じゃない。


「そ、そうだ。バ、バババレなきゃ犯罪じゃない…!」


思考が完全に犯罪者のソレだ。そして完全犯罪である。

あ、指紋を消さねば。憂いを完全に排除した俺だった。


「危ない危ない…。でも、何でこんな所に本物が…飾っとけよ」


多少冷静になり、爺ちゃんに対し愚痴を言ってやる。そもそもどこかに飾っておけば俺だって無闇に触ったりしなかったのだ。

思わず、溜め息が漏れる。


「あ~やだやだっ、俺ん家はホント時代錯誤の極みだよぉ…ったく……」


天井から降り注ぐ太陽の光を見つめながら呟くも、当然返事は返って来はしない。もっとも、求めてもいないわけだが。


「さて、寝るかっ」


そう言って、壁にもたれて眠った。


 ◆◇◆◇◆


「ふぅ…さっぱりさっぱりっと」


あれから、眠りから覚めた俺は時間が程よく過ぎていたため屋根裏部屋を出た。

今はシャワーを浴びて朝稽古でかいた汗を流し終え、着替えを済ませたところだ。

着替えたって、普段着に?いやいや、に、だ。


「高校生…かっ!」


そう、今日は俺の高校の入学式である。

浮かれてるのは自覚してる。でも、少しくらいはいいじゃないか。

何故だろうか、高校生という響きだけで不思議と自分が大人の仲間入りをしたような気分になるのだ。


「お兄さん、とか言われちゃうのかぁ…。そうか~そうなのかぁ…」


顔がにやけるのを我慢しながら、鏡の前で格好つけたポーズを色々取ってみる。


「こう、こうか…いや、こんな感じか?それともこん―――」

「な~にやっとるんかのぉ…糞・孫・よぉッ!」

「――――ッ…!」


鏡に映ったのは、言うまでもなくこめかみに青筋を浮かべた我が祖父。

ついでに俺の顔面は蒼白。


「あ、あぁ――…よぉ…じ、爺ちゃん……」

「儂が何を言いたいか分かっとるな?」

「あ、はい…サボってすんませんした…」

「んじゃ、引き戸の修理代は任せたぞい」

「ちょーっと待てぃ!代償が割に合わねぇだろうがオァァァア!」

「上等じゃこんのたわけぃッ」


振り返って取っ組み合う!

このじじい喧嘩売ってんのかそうなのかっ。よしこい、ぶちのめしてやらぁッ。


「どぅらァア―――って、ん?あっ、時間!」


時刻はとっくに8時を過ぎていた。

入学式は9時から。不味い、まだ朝飯済ませてない。

取っ組み合いを止め、すぐにリビングへ走とる。

テーブルには既に食事が並べられていた。


「いただきますッ――――――――からの、ごちほうはまでひた(ごちそうさまでした)ッ!」


飯をかっ込み瞬時に平らげる。


「んじゃあ、行ってくる」


そう言って、俺は家を出ようとして。


「待て、儂の準備がまだなんじゃが?」

「は?」

「いや、じゃからと言ったんじゃ」

「は?――――はァァァァァァァァァァあああッ!!!?」


思わず叫んだ。

いきなり何を言っているのだろうかこの人は。俺は知っている。この人を高校の入学式なんかに連れて行こうものなら、何かしら問題が起きる。


「い、いや今日は1人で―――」

?」

「……あっはい、何でもないっす」


嗚呼神よ、軽く睨まれただけで折れる俺の心の弱さをお許しください。

だってこの人キレたら何するか分からないのですものこん畜生ッ!


 こうして入学式への同行を、俺は強制的に爺ちゃんに承諾させられたのだった。










『速報です!今朝未明、東京都千代田第2区にて出現した3体ですが、内1体は討伐されることなく未だ逃走を続けている模様です。現在公表されている危険区域にお住まいの住人の皆様は十分な警戒を――――――』

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