第5話
案内された部屋には、いかにも陰気そうな男が待っていた。
「どうも――ルーデンの領主様」
黒い髪をのばした壮年の男は、私に向かって一礼した。
「突然の来訪、すまない」
「いえ、このような辺境にいらっしゃっていたとは。一声言っていただければ、歓待致しましたのに」
サルヴィス領主は、心のこもっていない笑顔を浮かべた。
「我が友人、ウェン・ジットがこの町を愛していたようでな」
私の発言に、領主はさっと青ざめた。やはり、ウェンの名前を知っているようだ。
「彼は失踪した。私は手掛かりを求めてやって来たのだが――何か、知っているか?」
「あ、ああ……ウェン・ジット様ですか……。聞き覚えがあるような、ないような」
領主は必死に嘘を仕立てあげようとしていたが、ウェンの死を知っているこちらの方が有利だった。
「リディス山を封鎖しているそうだな」
「ええ、あそこは危険なのでね」
「ウェンがそこで見付かったと言えば、どうする?」
サルヴィス領主は、引きつった笑みを浮かべた。
「ま、まさか」
「本当だ」
「あそこは立ち入り禁止です」
「悪いが、勝手に入った。変わり果てた親友の姿が、何よりの証拠だ」
言い逃れ出来ないと悟ったのか、領主はうつむいた。
「それは気の毒なことでした。ですが、私にはどうにも出来ない。彼がどうして死んだのか、知りませんからな」
「よく言う。ウェンの噂を聞いたお前は疑い、騎士にでも尾行させたな? そして異種の存在を知ったお前は異種を捕まえるため、神殿に多数の騎士をやったのだろう。そこで止めに入ったウェンを殺したのではないか?」
私は一気にまくしたてたが、領主の顔から薄笑いは消えなかった。
「――証言者が居るんだぞ」
その時、領主の目がいやらしく細まった。
「それは、異種……ですか」
「違う。人間だ」
そんな嘘が通じるとは思えなかったが、私は否定した。
その時、扉が凄まじい勢いで開かれた。
「領主様! 異種を捕まえました!」
私は唇を噛んだ。エーリが、捕まったのだ。
「よくやった」
領主は満面の笑みを浮かべたものの、私が次に告げた言葉で凍りついた。
「異種保護法に触れるぞ」
一応は、施行されている国際法である。売買はもちろん、理由なき拘束も禁じられている。
「私はアーシェル王とも面識がある。申し上げても良いんだぞ?」
高慢に胸を逸らすと、領主は唇を噛んだ。
「わかりましたよ……。異種は返します。おい、異種を解放しろ!」
私は待てずに、「邪魔したな」とだけ言い残して騎士の後を付いて行った。
地下牢に閉じ込められたエーリが、私の姿を見た途端に花開くように笑った。
「さっさと出せ」
命令すると、騎士は不承不承といった体で牢屋の鍵を開けた。出て来たエーリが、きょろきょろとあたりを見渡す。
「母と妹は?」
「ここには、居ないみたいです。屋敷中を走ったけど、感じられなかった」
そう聞いて、嫌な予感がした。屋敷内に居ない……?
「エーリ、行くぞ。領主を締め上げに行く」
だがしかし、私は遅かった。領主の部屋に戻って来た時にはもう、領主は出掛けた後だった。――しかも、誰も行き先を知らなかったのだ。
私は「しくじった」と何度も呟きながら、温かい葡萄酒をぐっとあおった。
正面のエーリは、不安そうに大きな目を瞬かせている。
酒場に来るのが初めてだから落ち着かない、というよりは周りの騒がしさにびくついているように思える。それとも、人が多すぎて怯えているのだろうか。
「エーリ、大丈夫か?」
「は、はい」
ハッとしたように、温かな葡萄酒をそっと口に運んでいる。湯気でむせたのか、軽く咳き込んでいた。
「――お前の母と妹は今、どこに居るのだろうな。捕まえていた証拠がないのでは、訴えることも出来ないし……」
そこで私はハッとした。
サルヴィス領主は、自分で所有するのではなく――売るために母子を捕らえたのではないか?
ならば向かったのはきっと……
「オークションか!」
「おーくしょん?」
「競り市のことだ。そういえば、アーシェルでは最大級の闇オークションが開かれるとか……」
保護法がある今、異種が売られるとすればそこしかない。
「エーリ、都に向かうぞ。おそらくお前の母と妹は、これから売られるんだ」
衝撃を受けたように、エーリは動きを止めた。
「うら、れる……?」
「ああ。サルヴィス領主が慌てて行ったのだから、まだ開かれてはいないはずだ。しかし足止めを懸念してあの機会を狙って行ってしまった――ということは、もうすぐ開かれるんだろう。一刻の猶予もない。夜行列車で行こう」
私はまくしたてるようにして説明し、残りの葡萄酒を飲み干して立ち上がった。
私は閉まり掛けた駅の窓口で首都行きの夜行列車切符を買い、エーリと共にがらんとした列車に乗り込んだ。
暗がりに、エーリの目が煌々と光っている。それも異種の特徴なのだろうか。
「エーリ、目を伏せるんだ。ばれるぞ」
「……はい」
私の指示に従ってエーリはうつむき、私に付いて車内を移動した。
ようやく切符の指し示す指定席にやって来て、私はホッとした。個室席にして正解だった。
個室内には大きな窓があり、その右側に席が、左側に二段ベッドが設えられていた。
個室の扉を閉めた後、ホッとしたようにエーリは目深にかぶっていた帽子を脱いだ。
「上に、寝て良い?」
「――好きにしろ」
許可を出すと、エーリははしゃいだ様子で靴を脱いでから梯子に足を掛け器用に登って行った。
子供は高いところが好き、というのは本当らしい。
私もすっかり疲れていたので、さっさと下のベッドに潜り込んで寝ることにした。
線路を走る車輪の音を夢見心地に聞きながら――私は何故こんな音がするのだろうと真剣に考えていた。
目を開いて、私は寝ぼけた頭で考える。ここはどこなのかと。
起き上がって頭を振ると、ようやく意識が覚醒して今自分が夜行列車に乗っているのだと把握出来た。
とん、と軽やかな音がしてエーリが床に降り立つ。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。眠れたか?」
「はい。でも、早くに起きて景色を見てたのです」
エーリはふふっと笑った。
もう窓の外は、すっかり明るい。夜明けを見逃したのは残念だった。
「そうか。お前は、リディスの外に出るのは初めてなんだな」
「はい。アーシェルの色んな景色を見れて、嬉しかったけど……」
エーリは哀しそうに、眉を下げた。
「自然が、どんどんなくなってる……」
私は答えあぐねて、エーリと共に窓の外に視線をやった。
美しい田園風景が広がっている。だが、森は見えなかった。
人は森を切り拓き、町や田畑を作った。資源を得るために、山や大地を掘った。
食物をほぼ口にせず自然の気を摂取して生きる異種にとって、人が変えてしまった世界はとても残酷だ。
「……異種は、僕ら以外にも残っているのかな」
エーリの呟きは、あまりにも哀しく切なかった。
「異種は、人が自然を壊したから居なくなったのか? 虐殺されたとも聞いたが」
「どっちも正解です。これはお父さんから聞いた話ですけど――人と僕らはかつては共存関係にあったようです」
エーリはため息をつき、窓の外に広がる景色を見つめながら口を開いた。
「昔は、人は狩りや採集で生活をしていました。でもそれは、獲りすぎるともうそこでは獲れなくなったり……不安定な生活だったのです。そこで僕らの祖先は、人に植物を育てる方法を教えたといいます」
「農耕の発祥か」
「はい。でも僕らと違って、人が食べるのに必要な植物は決まっていました。だから森の木々を切り、畑に変えてしまったんだそうです。いつしかどんどん社会を発展させていった人間は、あらゆる土地を人の都合の良いように変えていきました」
異種の視点から見ると、歴史とはこうなるのか。
「それまで僕らの祖先は止めることはありませんでしたが……あまりにも人は、増えすぎて自然を壊しすぎたのです。だから僕らの祖先は、人にお願いしたそうです。どうか、これ以上の破壊は止めてほしいと。ありのままの自然を残してほしいと。そしたら――」
言葉に詰まったように間を開けて、エーリは再び続けた。
「人は、僕らの祖先を人の発展を邪魔をする悪しきものだと決めつけ……殺したのです」
言葉が出て来なかった。
これが、異種の語る歴史。そして人が伏せ続けている歴史。
歴史を学ぶ時、誰もがぶち当たる問題があった。それは、異種が神々の使いと呼ばれていたほどの尊厳を失くし、侮蔑と差別の対象になっていくまでの過程。
信仰の変化と発展だけでは説明がつかないと、常々思っていた。
ウェンが伝えたかったものはきっと、これだ。
「お前達はきっと、人のことを憎んでいるのだろうな」
私のようやく絞り出した一言に、エーリは首を傾げた。
「わからない……。僕らには、怒りや憎しみという感情があまりないのです」
「そうなのか」
こんなところにも、違いがあるらしい。やはり、似て非なる種族だ。
「ならば、異種は人の行動に何を覚えたんだ?」
エーリは澄んだ目で、答えた。
「――哀しみ、です」
目を閉じれば、浮かんでくる気がした。
人の非道な行いに哀しみ嘆き、それでも人を憎まずそっと隠れ住むことを選んだ異種達の――哀しい横顔が。
アーシェルの首都は国名と同じ、アーシェルという。
都だけあって、朝から人が多かった。
不安げなエーリの手を引き、私は真っ直ぐ酒場へと向かう。
アーシェルの町には、何度か来たことがあった。おそらく闇オークションの情報が手に入るならあそこだ、と判断して私はひたすら歩を進める。
都の名物でもある巨大噴水の広場を通り抜け、狭い小路に入り込む。
私の目指す酒場は、地下にあった。
階段を下り、扉を開けると薄暗い店内中に蔓延した煙草の煙が鼻にまとわりついた。
こほこほ、とエーリが小さな咳をしている。
「その目は暗がりで目立つから、また下を向いておけ」
私の指示にエーリは素直に従い、うつむいた。彼の手を取り、店の奥へと前進する。
カウンター越しに若いバーテンダーへ「情報が欲しい」と銀貨を渡しつつ呼び掛けると、彼は頷きこちらに身を乗り出した。
「どんな情報が欲しいんだい?」
「闇オークションだ。近々開かれる予定は?」
「あるよ。というか、今日だ」
「今日だって!?」
私はさっと青ざめた。
「場所はどこだ」
「行きたいなら、案内させよう。別料金になるが」
「構わない。もう開かれているか?」
「――おそらくな。夜はかえって取り締まりが厳しいから、日中にやってるんだよ」
バーテンダーは壁時計を見てから、私の言葉を肯定した。
「オークションの詳細は?」
「本日の目玉は、“異種の母娘”だそうだ。異種は最近、滅多に出ないからな。世界中から、好事家の貴族達が押し寄せているはずだぜ」
バーテンダーの発言に、握っていたエーリの手が震え出した。安心させるように力強く握ってやり、私は会話を続けた。
「一刻も早く案内してもらいたい。料金はどのくらいだ?」
「金貨三枚ありゃ良いよ」
「わかった」
私は値切ることもせず、懐から取り出した金貨をバーテンダーに握らせた。
「じゃあ、馬車と案内人を用意するからしばらくそのへんに座って待っててくれ」
バーテンダーが店の奥に姿を消したことを確認し、私はエーリに呼び掛けた。
「大丈夫だ、エーリ。間に合う」
だが、返事はなかった。
「エーリ?」
顔を覗き込むと、異常なぐらい青ざめていた。
「どうした!?」
「気分が……悪い……」
崩れ落ちそうなエーリの体を支え、私は彼をソファ席に座らせた。私も隣に座り、彼の背中をさする。
「どうしたんだ、急に」
「わからない……」
ぐったりとして背もたれにもたれかかるエーリを見て、ふと私は閃いた。
先ほどの話に、反応してしまったせいかもしれない。異種は怒りや憎しみを感じないという。その代わりに、こうして衝撃を受けてしまうのだろうか。
自分の母親や妹がこれから売られると知って、どんなに辛いだろうか。
「準備出来たよ」
バーテンダーに告げられ、私は立ち上がった。
「エーリ、立てるか」
「はい。もう大丈夫。行けます」
まだ顔色は悪かったが、エーリはしっかりとした足取りで立ち上がった。
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