第4話
×月×日
初めてリディスを訪れる。調べた通り……古い伝承の残る山があり、人は滅多に立ち入らない。異種が生存している確率が、極めて高いだろう。
そこで私は
そうか、ウェンは偶然ここに来たわけではないのだ。
元々、異種が生きている可能性が高いと信じ、この地に来たのだ。
×月×日
酒場で異種にまつわる噂の聞きこみを開始。異種については誰も知らなかった。居るとするなら、慎重に隠れているようだ。滞在期間中に出会えるかどうかは、賭けだ。山に入りたいが、今の時期は封鎖されていて領主の許可を取らないといけないらしい。領主に訪問目的を聞かれるとまずいことになる。もぐりのガイドを雇い、明日リディス山に登ろう。
×月×日
ガイドと共に山を登る。登りたがる人はあまり居ないらしいが、この時期にだけ生息している薬草を取るために町人がたまに登ることもあるらしい。皆、領主の許可は取らないことがほとんどだそうだ。
神殿が気になり、窓から覗き込んだが真っ暗で何も見えなかった。ガイドの目もあり、中に入ることは避けた。
登る要領はわかった。明日また来よう。
×月×日
急展開だ。なんと、異種の少年と町で接触した! 彼の名前はエーリ。彼に頼んで、異種について詳しく話を聞かせてもらうことになった。人気のない夜になって、彼と共に山に登った。異種の身体能力は素晴らしい。夜目も効き、脚力も私とは比べ物にはならない。どうしてこのような、強き種族が追いこまれることになったのか……不思議でならない。
私は神殿に案内され、エーリの用意してくれた炎で暖を取った。異種の家族が住んでいるのではと思ったが、ここには住んでいないようだ。
しばらく待つと、エーリの母と妹がやって来た。もう、この山にはエーリの家族三人しか住んでいないのだという。
エーリを助けた礼を言われたが、礼を言いたいのはこちらの方だった。まさかこんなにも早く、異種に出会えるとは……
それ以降は、異種の暮らしや歴史などについて緻密なメモが書いてあった。
四年に渡る来訪と、異種に関する膨大なメモ。おそらく、異種については他のところにも書き記しているはずだ。
どうやらウェンは、異種について何か本を書きたかったようだ。
――そうか、突っぱねられるはずだな。
おそらく教授に批判された論文とは、異種と歴史を絡めた論文だったのだろう。論文は断念したもののウェンは研究自体は諦めず、異種に接触を取り詳しく話を聞こうとしたのではないか。
それなら、私に言いたがらなかった理由もわかるのだ。私は誓ってウェンの考えを馬鹿にしなかったとは思うが、ウェンは不安だったのだろう。それほどに異種は低く見られている。
無論、異種は歴史と深く関わっているはずだ。かつては神々の使いと呼ばれていた存在なのだから。
だが、それはもう人間の中では“なかったこと”になっている。歴史上の異種に言及すること自体が、禁忌なのだ。
そして私は手記をめくり続けて、気付いたことがあった。
ウェンはどうも、エーリの母を憎からず思っていたらしい。
私は昏々と眠るエーリに、視線をやった。
彼の母なのだから、さぞ美しいのだろう。ウェンが参るはずだ。
私は思わず笑ってしまった。
声を殺して笑っていると、涙が滲んで来てしまった。
ウェンは、何故死ななければならなかったのだ。
哀しみを堪えてしばらくうつむいていると、ふと手元の手記に影が差した。顔を上げると、エーリが立っていた。
「――起きたのか」
「あなたの哀しみを、感じて……」
くしゃりと、エーリの顔が哀しみに歪んだ。
「お前も、ウェンのことが好きだったか?」
「はい。とっても親切で……色々なこと、教えてくれました。いつか異種にも暮らしやすい世界になれば良いね、って……」
私は耐え切れず、エーリを抱き締めた。
「……あの男の喪失は、世界の損失だ」
私達は泣いた。今は亡き、彼を想って。
翌日の朝食後、私は素早く支度をした。
まずは服屋で子供服一式と靴を買い、エーリにそれを着るよう言った。
更にエーリにマフラーを着けさせて帽子をかぶせ、私は彼と共に宿を発った。
宿の従業員に誰何されるのも面倒なので、こっそりと誰にも見られないように出て行くのには苦労した。
眼前の領主館を見上げ、私はため息をついた。
リディスの町を含むこの地方をサルヴィス地方と言う。したがって、私が今から相対するのはサルヴィス領主だ。
昨日町人からこっそり伺った限り、あまり評判の良い領主ではないようだ。
滅多に町人の前に出ることもなく、屋敷の中で遊興にふけっているのだと。
「失礼!」
私は扉の外に立つ男に声を掛けた。
「何か、御用ですか」
長い外套は、騎士の制服だろう。胸にサルヴィス領主の家紋と思しき紋章が縫われていた。
「領主に目通りをお願いしたい」
「――約束は?」
「ない。だが、私はルーデン王国フィス地方の領主だ」
その証拠に、と私は家紋が刻まれた指輪を見せた。
異国とはいえ、ルーデンとアーシェルは隣国。王族同士が姻戚関係にもある、同盟国だ。ルーデン貴族の権力は、通用するはずだった。
「……指輪を、貸していただいても?」
この騎士は家紋の区別がつかないのだろう。家宝を預けることにはためらいはあったが、仕方なく私は指輪を渡した。
「しばし、お待ちを」
騎士が屋敷の中に入り、しばらく待たされることになった。
不安そうに見上げるエーリに、微笑んでみせる。
「大丈夫だ、きっと」
「……はい」
エーリはこくりと頷き、私の横でじっとして待つ。
数十分は待ったことだろう。ようやく出て来た先ほどの騎士は、若干青ざめていた。
「失礼致しました! どうぞ、中へお入り下さい。――お返し致します」
返却された指輪をはめ直して、ホッとしている自分に気付く。
随分私も、領主らしくなったものだ。
怯えるエーリの手を取り、私達はサルヴィス領主の館へと足を踏み入れた。
廊下を進む騎士に気付かれないよう、私はエーリの手を放して「行け」と囁いた。彼は頷き、すぐに駆けて行く。
しばらく行ったところで騎士は振り向き、私の傍に連れが居ないことに気付いた。
「お連れ様は?」
「先ほど帰した」
うそぶいてみせると、騎士は疑った様子もなく「そうでしたか」と頷いていた。
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