第3話

 私は力が抜けたように、ウェンの傍に座りこんでしまった。


 穏やかな顔。まるで、眠っているようだ。寒さのおかげか、ウェンの遺体は綺麗な状態だった。


 私はウェンの顔を撫でた。しゃり、と嫌な音がする。


「かわいそうに。こんな寒いところに……」


 一人で、ずっと、居たのか。


 喉に言葉が詰まる。胸が痛かった。


「――二人で運べるだろうか?」


 私はルイを振り返り、問い掛けた。


「ううん、難しいんじゃないかね。せめて担架が要る。事情を話せば強力してくれそうな男衆知ってるから、一度下山した方が良い」


 なだめるように諭され、私は親友を雪の中に置き去りにすることに抵抗を覚えながらもルイと共に一度山を下ったのだった。




 ――覚悟はしていたとはいえ、並々ならぬ衝撃だった。


 町の男達の手によって下山した親友の体は一旦、町の遺体保管所で預かってもらうことにした。ウェンの家族と話してどうするか決めなくてはいけないので、電報を打っておいた。


 警察を通そうかとも思ったが、領主に邪魔されては適わない。協力してくれた町人には内密にしてくれるように頼んで、チップも弾んでおいた。


 手配を全て終え、私は疲れた体をようやくベッドに横たえた。


 ウェンの腹部には、傷が在った。どう見ても、剣の跡だ。


 ――彼は、殺されたのだ。


 何が起こったのか、突き止めなければいけない。


 疲れているはずなのに、眠りが訪れて来なかった。


「……酒でも飲むか」


 もう夜も遅いが、確か夜中まで開いている酒場が町の中央に在ったはずだ。


 私はそう決めるとすぐに、着替え始めた。




 寝静まった町は、静かだった。雪が音を吸い込んでしまう、というのは本当なのだろう。


 人気もなく、雪を踏みしめる自分の足音だけが響く。


 もうすぐ酒場に辿り着く、というところで気配を感じて私は首を巡らせる。


 すぐ右手の裏小路……暗くて、誰かが居るかどうかは視覚ではわからない。


 しかし、息を殺している様子が空気を通して伝わって来た。


 私はためらいなく、裏小路に向かって疾走する。息を呑む音がして、“誰か”の立てる足音が響く。


 だが、私は足には自信が在った。


 手を伸ばし、腕を掴む。随分と、華奢な腕だ。


「お前、私に何の用だ!?」


 裏小路から引きずり出すと、頼りない街灯の下でその顔が暴かれた。


 私は思わず、目を見開いた。


「お前は……」


 人間、ではない。有り得ない。


 絶対的な均衡の、顔立ち。透き通るように白い肌。青味を帯びた銀の髪は、水色のように見えた。


 どんな人種にも、こんな者は居ないはずだ。


 ――人間ではない、人間によく似た姿の種族を私は知っていた。もっとも、実際に見たことはなくて書物から得た知識しかなかったが。


異種イシュ……?」


 震えた肩が、肯定の代わりだった。




 随分と華奢だが、おそらく少年だろう。年の頃は、人間で言えば十二ぐらいだろうか。


 少年はがたがたと震えていた。


 私は掴んだ手はそのままに、膝を付いた。これ以上怯えさせてしまわないように、少年と視線の高さを同じにする。するとそれが効いたのか、少年の震えが止まった。


「私の、言葉がわかるか?」


 彼は小さく頷き、硝子細工のような薄青い目で私を不安げに見返す。


「何か私に話があるのか?」


 私の中から、警戒心は消えていた。怯えぶりから見ても、この儚げな少年が敵意を持って近付いて来たとは考えにくかったからだ。


「――はい」


 声もまた、随分と儚げだった。空気に溶けてしまいそうな、呼気を含んだ声だ。


「あなたの、友人についてです」


「……ウェンのことを、知っているのか?」


「はい」


「わかった。話を聞こう。ここでは、誰かに見付かるかもしれない。私の宿に行こう」


 私はマフラーを外して、彼にそれを頭にかぶって顔を隠すように言った。


 彼が異種だとわかると、厄介なことになるからだ。




 異種は、かつては神々の使いと崇められた種族である。


 元々は、この大陸では素朴な自然崇拝が主な宗教だった。時代が下ってその古来の信仰が薄れ、東大陸から取り入れた一神教がこの大陸をあまねく広がった。異種はそんな信仰の変化と人間の発展によって、差別の対象となって行った哀しき種族である。


 乱獲・虐殺と環境の変化で段々とその数を減らし、今では幻の種族扱いだ。現在、差別は表面上はなくなり保護対象になっている。あくまでも、建前だが。


 私は少年を宿の部屋に招き入れた。夜中だったからか、幸い町人にも宿の従業員にも顔を合わせることなくここまで来ることが出来た。


 おずおずとマフラーを取り、もう一度露わになった少年の顔に私は思わず見入った。


 首を傾げる少年の頬に手を添え、囁く。


「昔、肖像画を描きながら画家が言っていた。人間の顔は普通は左右非対称で完全な対称は、ないと」


 左右対称になるほど“美しい”ということも。


「その時は、“黙って描け”と怒鳴ったが……あの画家は、異種を知っていたのかもしれないな」


 この少年の顔は、ほとんど左右対称だろう。なるほど、貴族がこぞって欲しがるわけである。


 戸惑いを察し、私は少年から離れてベッドに腰掛け彼に椅子を促した。


「座ってくれ」


「はい……」


 少年は腰を下ろした。そこで改めて、彼が裸足であることに気付く。だがその足には凍傷などなく、赤くもなっていなかった。


 異種は、人間ではない。そのことを噛み締め、向き直る。


「話の前に……私は、ジュール・フィスだ。お前は?」


「僕は、エーリと言います」


 片言というほどでもないが、少し不自然な発音だ。アーシェル語が母語ではないのだろう。……当たり前か。だが、私は異種がどんな言語を使用しているかは知らなかった。


「話とは、何だ?」


「……あの、ウェンさんは……僕と母と妹の友達でした」


「――ふむ。ウェンが殺されたことも、知っているのか?」


「……はい。殺したのは、領主です」


 やはり、と私は呟いた。


「何故だ? ――ああ、急ぎはしないから最初から話して欲しいんだ。ウェンがどうやって、君の家族と友人になったのかも含めて」


 私は身を乗り出し、エーリの話に耳を傾けることにした。


「ウェンさんとは、四年前に出会いました。僕の家族は山に住んでて、父が生きていた時は父がたまに正体を隠してリディスの町に降り、色々と買って来てくれました。僕と妹は、“飴”が一等好きでした」


 エーリは緊張した面持ちで話し始めたが、“飴”というところで口元を綻ばせていた。よほど好きらしい。


「でも父が死んだから、二年ぐらいは飴を食べられませんでした。僕は我慢出来なくて、父が残した人間のお金を持って……母には内緒で山を降りたんです。フードで顔を隠して、大丈夫だと思ってました。でも風が吹いて、顔が露わになって……僕は町の人に追われました。その時、ウェンさんが匿ってくれたんです」


 ウェンらしい、と納得する。そういう状況なら、絶対に庇うような男だ。


「宿の部屋に匿ってもらって、町の人が諦めた頃にウェンさんは僕を山に送って行ってくれました」


「……ほう。それで、山に登ったのか」


「はい。僕らは長いこと、あそこで暮らしていました。町の人も山にはほとんど登らないし、登っても神殿より先には行かないから」


 信仰が廃れても、禁忌は残ったのだろう。それが異種の家族を今まで守っていた。


「それから、ウェンさんは異種に興味があるので話を聞かせて欲しいと……。誰にも言ったりしないと」


「それで、ウェンを信じたのか?」


 もちろんウェンが信じるに値する人物だと私は知っているが、エーリやその家族にとっては見知らぬ観光客だったはずだ。


「はい。僕らは、感情を読むことが出来ます。ウェンさんの感情は、好奇心と同情の混じったものでした。だから、信じたのです」


 驚くべき話だ。されど異種が何やら不思議な力を持っているとは知っていたから、そこまで驚きは大きくなかった。


「ウェンさんは、それからも僕らと話がしたいと言って毎年訪れて来たんです」


「――ほう」


 そこまで異種に興味があるとは知らなかった。だが彼が毎年ここを訪れていた理由は、これで判明した。


 よく、そんなことをして町人にばれないものだと思ったが――


「領主の耳に届き、いぶかしんだ領主が突き止めてしまったんだな」


「そう……です」


 私の推理を肯定し、思い出したのかエーリの目から涙がほろりと零れた。


 説明がなくともわかる。貴族の中には、異種をコレクションしている胸糞悪い奴も居るらしい。また、異種は貴族間で高く売れるのだ。


「僕らが普段住んでいる家はもっと山の上の方にあって、暖炉とかもないから、ウェンさんが来る時には暖炉のある神殿で寝泊まりしてたんです」


「……ほう」


 なるほど、異種には暖房は必要がないのか。裸足なのも納得である。


「それで神殿でみんな寝ていた時に、兵士達がたくさん来たんです……。僕はウェンさんに助けられて、なんとか逃げて――。しばらく元の家で隠れて待っていたけど、母も妹も来ませんでした。それで――二人の気配が遠ざかるのを感じて連れて行かれたんだと、わかったんです。……兵士達の気配も消えたから、神殿に戻って……僕は……」


「ウェンの死を知ったんだな」


「はい」


 エーリはまた一筋、涙を零した。


「あの、ごめんなさい」


 突然謝られて、私は眉をひそめた。


「僕、人間の遺体も雪や土に溶けるものだと思っていたんです。だからウェンさんをあそこに埋めたんです。遺体が運ばれて行くのを今日見て、びっくりしました」


「――ああ、なるほど。異種は、溶けてしまうものなのか」


「はい。僕らの遺体は残りません」


 あれはエーリなりの埋葬だったらしい。風で掛けた雪が飛んでしまったのかもしれない。


「それで僕はしばらく、山に隠れていました。でもある日、ウェンさんを捜しに来た誰かの思念を感知して……あなたを見に来たんです」


「ふむ。それでは昨夜、窓に気配を感じたと思ったのは……」


「僕です。神殿でも、見ていました」


「私を観察して、何がしたかったんだ?」


 純粋に疑問でそう尋ねると、エーリはためらいがちに答えた。


「あなたが……協力してくれるかどうか、感知しようとしてたんです。ウェンさんのお友達なら大丈夫かと思ったけど、貴族のようだし……。でも、僕の感じる限り悪い人ではなさそうで――」


「それは、どうも」


 私は呆れたように微笑んだ。


 そこまで清廉潔白な人間でもないから、エーリも判断に困ったのではないだろうか。


 されど、一つだけ確かなことは――私に異種を所有したり売る気はさらさらないということである。むしろそんなことをしている奴には反吐が出る。


「エーリ。協力というのは、お前の母と娘を助けるということだな?」


「はい……。僕じゃ、近付いたら捕らえられてしまうから……。誰か、人間に頼もうと思って……」


「――お前の判断は正しかったぞ」


 ウェンを殺した犯人を、許すつもりはなかった。


「ともかく、明日領主を訪れるか。今日は休もう……」


 そう言い掛けたところで、私はふと気付いた。


「お前、腹が減っているんじゃないのか?」


 山に隠れ続けていたのならろくに食事も出来ていないだろうと思っての発言だったが、エーリは首を横に振った。


「いいえ。僕らは、あまり食べ物は食べません。たまには食べますけど……いつもは自然から気をもらって栄養にしているんです」


 私は今度こそ、心底驚いた。そして、自分がいかに異種に対して無理解かを噛み締める。


「あの雪山の自然か」


「はい。だからこそ、異種は故郷の自然と離れて生きてはいけないんです。大人だったら、人間の町に降りても多少弱るぐらいで大丈夫なんですけど……子供だと、町に長時間居ると……衰弱死します」


 それを聞いて、私はにわかに慌てた。


「お前は大丈夫なのか?」


「一週間ぐらいなら大丈夫だから、僕は平気です。でも……妹はもう、大分衰弱しているはずです」


「そうか。一カ月ぐらい経つのか――」


 私は唇を噛んだ。母親は大人だから大丈夫だろうが、妹の方は相当弱っていることを覚悟せねばなるまい。


「しかし――それは初耳だな。だから異種の子供の噂を聞かないのか」


「はい?」


「いや――こちらの話だ」


 子供にするには下世話な話だったので、私は口をつぐんだ。


 人と異種の間には、子供が出来ると聞いた。だがしかし、私は異種と人間の間に生まれた子供というのを見たことがなかった。


 おそらく、エーリの言ったことを考えると、人間が片親でも異種の血を引く子供は人間の町では生きていけず、衰弱して死んでしまうのだろう。だから混血の子を見ないのだ。


「それよりエーリ。お前は、家族がどこに捕らわれているか……とか、そういうのは感知出来るのか?」


「はい。屋敷に入れば、わかると思います」


「そうか。それでは――私が領主の気を引く。うん、そうだな。これで行こう。その間にお前は、母と妹を助けるんだ。わかったな?」


「はい!」


 初めて、エーリがホッとしたように微笑んだ。


「とにかく、今日は休め。ベッドを使って良い」


「でも……ジュールさんは?」


「いかにも寝心地の良さそうなソファで寝るから、気にするな」


 私の発言に、エーリは緊張が解けたのか、さっきよりも自然な笑みを浮かべた。


「それじゃ……ベッドを借ります」


 エーリはもぞもぞとベッドに潜り込み、目を閉じた。


 すぐに、安らかな寝息が聞こえて来る。


 私はすぐには眠ろうとせず、しばしエーリの寝顔を見守った。


 そしてふと、神殿で見付けた本の存在を思い出した。本というよりは、手記のように感じたが……。


 私は懐から手記を取り出し、めくった。


 古語で書くとは、さすがは歴史専攻――というのは冗談で、おそらく他人に見付かっても簡単に読めないように古語で書いたのだろう。


 幸い同じく歴史専攻だった私はルーデンの古語なら辞書なしでも読めたので、頼りないランプの灯りの下でじっくりと文章を目で追っていった。


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