第2話



 会話の回想を終え、私は顎に手を当てて考え込む。


 そうだ。あれは……四年前だった。四年前は普通に観光していたと、宿の娘は言っていたが……そしてそこで何かを見付け、山に登り始めたのか?


 思考に没頭していた私は、ふと気配を感じて窓の方を向いた。


 静かにベッドから降り、窓に近寄る。


 ここは二階だ。人など誰も居ないだろうとは思っていたが、猫すら居なかった。


「猫も寒くてうろつけないか……」


 何せ、外は吹雪だ。ひゅおお、と風の鳴き声が窓越しにも聞こえる。雪が横殴りで降っていて、外はいかにも寒そうだった。


 きっと気のせいだろうと見当を付け、私はベッドに戻る。


 もっと考えるつもりだったのに、旅の疲れのせいか私はまた眠りの世界に引きずり込まれてしまったのだった。




 翌日、朝食後すぐに私は警察に向かった。


 リディスは決して大きな町ではない。そのせいか、警官も三人しか居なかった。


「ウェン・ジット? ああ……捜してはいるが、一向に見付からんな。おそらく山で遭難したんだろうと思うが」


 警察も、ウェンが山に登ったという情報は当然掴んでいるらしかった。


「警察は、山には登ったのか?」


「いや、あそこは今の時期立ち入り禁止でな。領主様の許可が居る。捜索のために許可を取りに行ったんだが、許可は下りなかった」


「何だと……?」


 警察といえど、領主の権力には適わないらしい。


 私の母国ではずかずかと領主の館にまで捜査に入って来るが、この国では領主の権力が強いのだろう。


 似ているようで違うところを目の当たりにして、私は異国に居るのだと改めて自覚する。


「おいっ!」


 私は思わず警官の胸倉を掴みそうになって、慌てて留まった。だがしかし、語気に滲む怒りは隠せない。


「それでは、どう考えても領主が怪しいだろう! 山で行方不明になっているのは確定なのに、領主は山に登る許可を与えない――素人の私でも、考えてわかるぞ!」


 警官三人は顔を見合わせ、肩をすくめた。


 わかっては、いるのだろう。これ以上は時間の無駄のようだ。


「ならば、ウェンの荷物を引き取ろう。家族の許可書類はこちらだ」


 ウェンの両親が書いてくれた委託書を差し出すと、警官はその委託書を一瞥してからウェンの鞄を持って来た。


「――邪魔したな」


 その黒い鞄を携え、私は扉を蹴破るようにして警察署を出た。




 一旦宿に帰って、荷物の中身を確かめる。入っていたのは着替えや旅の共に持って来たと思しき本が数冊――それにリディス語の辞書だった。あとは細々とした日用品だ。


「うん?」


 本の一冊に、アーシェル王国の伝承をまとめた本が入っていた。こんなにも重い本を持って歩くとは酔狂な奴だ。


 私はその本をめくって、リディスの項目を見付けた。


『真白き女神リディスは山に眠る。その美しき姿は人の目を焼き、心を惑わす』


 リディスに関するものは、その女神の伝説しか含まれていなかった。


「……登るしかないな」


 領主が拒んだことからしても、山に何かしらあることは確かだ。


 警察は頼りにならない。


 許可など知るか、と毒づいて私は町で山に詳しいガイドを捜すことにした。




 宿の主人に山を案内してくれるようなガイドが居るかどうか聞くと、すぐに教えてくれた。町はずれに住んでいる、ルイという老人が山に詳しいという。


 私は昼食を取った後、ルイを訪れた。


「今は登山に向かないぞ。それに、領主様の許可を取らないと」


「領主は許可を下ろさないだろうから、勝手に登る。別に番人が居るわけでもないんだろう?」


「まあ、そうなんだが……」


 渋る老人に金貨を五枚ほど渡すと、表情が変わった。


「お、おお! これ全部くれるのかい?」


「無事に戻って来たら、もう五枚やろう」


「おっしゃ! 交渉成立だ!」


 金に目のくらむ男で助かった。


「……あなたはずっと、山のガイドをしているのか?」


 ふと、私は思いついたことを尋ねた。


「ん? まあ、そうだがね。何だい?」


「いや。ウェン・ジットという男に心当たりはないかと思って」


「ああ、あの人か――。四年前に山を案内したよ。あんたと同じく、領主様の許可を取らずに登った」


「ほう。そこで何をしたんだ?」


 間違いない。四年前にウェンは何かを見付けたのだ。


「何も。少なくともわしは何も見なかった」


「――そうか」


 期待していた答えではなかったので、思わず肩を落としそうになる。ウェンはガイドに気付かれず、何かを発見したのだろうか?




 峻厳な山道と、町で買った厚手のコートでも防げない寒さに、めげそうになる。


 だが、ここで諦めるわけにはいかなかった。


「だ、大丈夫かーい!」


「ああ!」


 風が強くて、叫ばないと聞こえない。まだこれでも穏やかな日だというのだから、恐れ入る。


 しばらく登ったところで、ルイが声をあげた。


「おや、あそこは――」


 ガイドのルイが指差したのは、石造りの小さな家だった。いや、家に見えるが人の住む家ではないだろう。リディス山にある建造物は、たった一つだ。


「神殿か……」


 呟き、私は神殿に近付いた。


「お、おいあんた! そこに入っちゃだめだよ!」


「そうも言ってられない」


 ルイが止めて来たが、それでも私が進み続けると諦めたらしく「しょうがない」と呟いていた。


 私とルイは、吹き荒ぶ風から逃れるようにして神殿の扉を開いた。


 信じられないことに、ベッドがあり日用品があり――どう見ても、誰かが暮らしていそうだった。


「どうなっている? ここは神殿ではないのか……?」


「神殿だよ。わしも入るのは初めてだが……」


「暖炉まであるのか」


 私は暖炉に近付き、中を覗き込んだ。中に入っていた焼き焦げた薪に、そっと触れる。冷たかった。


 ウェンが、ここで寝泊りをした……? 宿にこもりきりだと言っていたが、もしかして宿の部屋に居なかったのではないだろうか。


 だが、疑問が残る。


 広々とした室内に並べられたベッドは三つ。絨毯の上に置かれた寝袋も在った。


 ここにウェンが来ていたのだとしても、一人ではなかったのだ。誰かを、訪れていた?


「この山に誰か暮らしているのか?」


「まさか。誰もこんな厳しいところで暮らしたがらないし、そもそも住んじゃいけない土地だ」


「だろうな」


 私は頷き、歩き回った。ベッドの下を覗きこんだり、布団をめくったりして何かないか確かめる。


 すると、寝袋を調べた時に私は小さな本が中に在ることを発見した。すぐさま取り出し、本を開く。


「……ウェンの、字だ」


 しかもルーデンの古語で書かれている。これは、一体何だ?


 そこで私は、視線を感じた。ルイではない。


 硝子の嵌めこまれた窓から、誰かが覗いたのだろうか。私は慎重に窓に近付き様子を伺ったが、誰も居なかった。


「外に誰か居ないか、確かめてくれないか?」


 ルイに頼むと、彼は扉を開いて外を見渡した。


「誰も居ないよ」


「そうか」


 杞憂だったようだ。そこで私は奥の壁に設えられた、裏口と思しき小さな扉に気付いた。


 予感が、あったのかもしれない。


 裏口から抜け出した瞬間、私は悲鳴をあげそうになった。


 雪に半ば埋もれて、男が倒れていた。


「ウェン……」


 無論、息などしていなかった。


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