第2話 取材初日(処刑まであと十日)
なんだろう。この。
この、魔王がつけた邪魔なソレは。
「なぜ、仮面をつけているのですか」
表情が読めないではないか。
魔王は豪奢な部屋に軟禁されていた。
天使が用意したというその場所の待遇の良さは、後々に捕虜を虐待したとの批判を受けないためなのだろう。
ふかふかの絨毯の上に、ソファーが二つ、椅子が一つ。
部屋の片隅にはテーブルがあり、情報端末らしき機械が置かれている。まさかとは思うが、外部と繋がっているのだろうか。
わからんし、さほどの興味もない。
魔王は両手に手錠を、両足に足錠をはめられていた。
ただの枷ではない。
光の鎖、グレイプニル。
神喰いの魔獣を拘束する用途で、天使が開発した軍事兵器、と聞いている。対象を束縛するまでは普通の枷と同じだが、一度つけられると力の強さに関係なく無理やり外すことができないらしい。
簡単にだが、魔王の外観を説明しよう。
見た目だけでいえば、彼は人間や天使とさほど変わらない。
腕が二つ、足が二つ。胴体の上に首がある。
服は――どう形容すべきか。ありふれた紺色のスーツだが、それなりに値が張ったブランド品なのだろう。詳しくないのでわからん。
身長は目測で百八十センチほど。服の下に、はちきれそうな筋肉が収まっている。腕も太い。正拳突きで恒星を破壊できるらしい。
しかしなぜ、サーカスの道化師がつけるような仮面をつけているのか。舞踏会でもするつもりなのか。
素顔を見せられんわけでもあるのか。ありそうだな。魔王だし。顔がわからん方が便利なこともあるだろう。魔王だし。
「なんだ、クソどもから何も聞いてないのか」
太く、けれど澄み渡るような声だった。
仮面が覆っているのは顔の上の部分なので、口元は隠されてはいない。
「クソ?」
「貴様らが天使と言っている奴らのことだ」
「なるほど。いえ、その仮面に関しては何も」
下調べした通りだ。
魔王は天使が嫌いらしい。それこそ生理的嫌悪感のレベルで。
「魅了封じのまじないだ。魔王の素顔を見た者は魅了されてしまうのよ。特に弱い奴はな」
「ああ、さようですか」
そういうこともあるだろう。魔王なのだし。
魔界の中枢部にいる魔王の姿は、国家機密になっている。私も取材にあたり、撮影禁止と魔王の外観についての口外禁止を言い渡されていた。
魔王の生態については謎が多い。
取材にあたり、あらかじめ文献で調べたが、
魔王は、殺しても死なないらしい。
より正確には、なかなか死なない。
たとえば先代魔王のグランベルドは、一秒あたり一兆回殺す行為を一か月も続けて、ようやく完全に死んだという。
意味がわからん。
私のレベルからすると、次元が違いすぎて現実感がわかない。
「申し遅れました。私、国境のないジャーナリストの者です。このたびはぶしつけな申し出に応じてくださり感謝しています」
私は、胸ポケットから出した名刺を差し出す。
魔王がそれを受け取る。
仮面の下にある魔王の眼光が、手を伸ばせば届くほどの距離から私を見ていた。
黒い瞳だったと思う。
やばい。
「……!」
声を出そうとして、出せなくなっていることに気づく。
やばい。やばい、やばい。やばい。
恐怖が、足元から這い上がり、脊椎を伝って胸をぎゅっとしめつけた。
心臓が止まっている気がする。
息がつまる、どころではない。
肺が動かない。
死ぬ。
「何を」
魔王が、口を開いた瞬間に。
私の呼吸が、正常に戻った。
心臓の音が、大きくて速い。私の動揺そのままに。
「知りたいのかね?」
仮面ごしの眼光がやわらいで、私は知らぬまに深呼吸をしていた。
甘かった。想定が。
”もうすぐ死ぬのってどういう気分ですか”と。
それが私の、生涯で最期の言葉になるところだった。
とてもとても、言えたものではない。
言えばきっと、殺される。
「貴方はもうすぐ死ぬわけですが、どういう気分ですか?」
言いました。
はい、言いました。
今日は寒いですね、という程度の気軽さで言いました。
考え? あるわけがない。
私の性癖が、死に対する根源的な恐怖を圧倒したのだ。
理解されなくていい。
されるとも思っていない。
私は今、歓喜に身体をふるわせている。
めちゃくちゃ楽しい。
相手は魔王、銀河を統率する国家元首だ。
断言しよう。私の生涯で、これ以上の大物の処刑に立ち会う機会など、絶対にない。少なくとも、過去のどの記憶を思い返しても、思い当たらない。
「なぜ、それを聞くのかね?」
穏やかな声だった。
私は我に返る。
命がけで質問したのだ。
答えを聞く前に殺されてはかなわない。いや、それでもいい。殺されるなら殺されるでいい。この程度の煽りで激昂するようなショボイ器の奴だった、と確認できるなら私の意の血と交換条件だろうが本望である。楽しい。
「興味本位です」
嘘をつけば、会話が終わる。
そんな気がした。
私はそれ以上、何も付け加えない。
魔王も重ねて問いかけはしない。
ほんの少しの間、どちらも黙っていたが、魔王が微笑んだ気がした。彼は仮面をつけているので、顔は見えない。だから実際のところは分からないのだけれども。
「はじめてみたぞ。死ぬのを覚悟しながら
「死にたくはありません」
「ふうん?」
「あのう、私はあなたに殺されるのでしょうか?」
「まだ何もしとらんぞ。何をいっとるんだ」
「すみません」
謝った、自分の声がかすれていた。やっぱり怖い。
く、く、と、魔王が口を閉じたまま笑う。
「そう固くなるな。別にとって食おうというわけでもなし。私とて答えたくない質問に答える義務はないが、さりとて多大な労力を払ってここまで来た者をむげに扱うのも気が引ける」
どうやら魔王は、あまり気分を害していないらしい。
そう思って安心したとたん、私のひざがふるえてきた。緊張しているようだ。
「恐縮です。水を飲んでも」
「お好きに」
テーブルの上にあるコップをとると、私は一気にあおった。
のどがからからに乾いている。
今、気づいた。私の顔がべっとりと、冷や汗で濡れていることに。
「それで、質問は。死ぬと分かった今の気分だったか。わからんな。質問の意図が」
「感じていることをそのまま言ってくだされば結構ですが」
「たとえば――」
魔王ベルゼビュートは、何かを言いかけて間をはさんだ。
「たとえば?」
「息を吸って吐くのはどんな気分ですか、と問われたとする。卿――ああ、名前は?」
名刺を渡したはずだが。
読むつもりがないのか、それとも私の口から自己紹介させたかったのだろうか。……まあいい。
「ナターシャです。ナターシャ・トワ」
「トワ君。呼吸するのはどのような気持ちですか、と問われたら、どう答える?」
「考えたこともないですね」
「そうだろう。今の私もちょうどその気分だ」
「陛下にとっては、死ぬことは呼吸をするのと同じことだと?」
「設問が、”私個人が死ぬのを、私がどう感じるか”ならばそうなる。これが家族や友、あるいは顔見知りの部下や臣民の死ならば耐え難くもあり、心苦しくもなるが。私の命に関して、死を意識するとか死ぬのをおそれるとか、そういう感覚を抱いたことがない」
「死ぬことへの実感がないと?」
「うーん……。逆だろう」
「ぎゃく?」
「産まれた時から、私の死はすぐ傍にあった。魔王になったのもたまたまだし、今まで生きてこれたのもたまたまだ。京四郎がいなければ、産まれる前に死んでいたのだし――」
「きょうしろう……?」
初めて聞く名前だ。
魔王に関してはかなり調べた。
取材の許可が下りてから今まで、新規の仕事受注を最小限にし、代わりに集められるだけの資料を集めて目を通してきた。今の私は魔王の家族構成はもちろん、大まかな交友関係も知っている。マスメディアに乗らない情報も。
けれどそこに、京四郎という名前はなかった。
「出直してこい」
そっけない声で、そう言われた。
「え?」
「話にならんから出直してこい」
「え、え、え?」
いやな汗がでた。
ここで打ち切り? イヤだ。まだ、質問への回答をもらってない。これは千載一隅のチャンスなのだ。不意にすれば、一生後悔することになる。
「チャンスをください。何でもします。非礼はお詫びします」
土下座した。
自分で言うのもなんだが、清々しいくらい綺麗なポーズの土下座だったと思う。
「だから、調べて出直してこいと言ってるんだ」
「そこをなんとか」
パチン、と音がした。
びく、と私の身体がすくむ。
恐る恐る顔を上げる。
パチン、とまた音がする。
魔王が指を鳴らしていた。
「デスマーチ」
「で、です?」
「京四郎の居場所を教えてやる。奴に会って、デスマーチという魔法について聞いてこい。”シュザンナからの紹介”と言えば応じるはずだ。聞いたらまた出直してこい」
「その宿題をこなして出直せば、また取材に応じてくださると?」
「ああ。約束しよう。私の処刑までの期日は少ない。急げよ。その気があるのならな」
「はいっ」
面倒くさいことになった。
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