102話【天使の慈愛】



◇天使の慈愛じあい


 倒れたエドガーのもとに転移したフィルヴィーネとスノードロップ。

 スノードロップはエドガーの頭をひざに置くと、自分がここに来た理由をべた。


「……わたくしは、守るためにここに戻って来たのです……」


 その言葉が向けられた暗がりから、刺すような威圧感いあつかんを放ち続けていた“魔王”フィルヴィーネは、ゆっくりと歩いてかがむ。“契約者”である少年の様子を確認して、スノードロップを一睨ひとにらみすると言う。


「守るだと……?現にエドガーは苦しんでおる。自分が苦しめているかもしれぬというせきは無いと言うか?」


「そんな事はありませんわっ!わたくしは……――っ」


 無言のあつは、スノードロップののどを押しつぶす程の物だった。

 声は喉元のどもとで止まり、くちびるは固まってしまったかのように動かない。

 エドガーのほほさすっていた腕はしびれ始め、無意識に身体がふるえる。


(これはっ……ニイフ様の、神意しんいっ!?まさかっ……今までおさえていたと言うのですかっ!そんなバカな事っ!!)


 “神”の意志いし神意しんいとは、その存在全てだ。

 常にそこにあるものであり、不変。そしてそれは、決しておさえられるものでは無い。その必要もないからだ。


 スノードロップは思っていた。“魔王”となり、異世界人としてこの世界に来たフィルヴィーネには、もう神意しんいは無くなっているのであろうと。

 あの時、異界のとうで見た時も、それほど力は感じられなかった。

 それが今、ピリピリとはだを焼くその威圧感いあつかんは、確かに“神”の物だ。


「――よいですかガブリエル……私はいつでも“神”に戻れるという事、覚えておきなさい……」


 口調くちょうの変わったフィルヴィーネは、ガブリエルを見下みおろして言う。

 その姿は正に美しい“女神”そのもので、数千年前に存在した【紫月しづきの神ニイフ】だった。


「――は、はいっ!」

(……あらがえない……わたくしたち“天使”は、神々かみがみのいとし子なのだから……)


 スノードロップはエドガーを優しく寝かせると、姿勢しせいを正してニイフにこうべれた。

 かしずき、敬愛けいあいの意を込めてその言葉を聞き入った。


「先程ガブリエルの言った事、つまんででもいい。私のいとしい仲間たちに話します……よいですね?」


「……そ、れは……」


「――全てではありません。つまむと言いましたよ?私は……二度も言わせるのですか?」


「も、もうし訳ありませんっ……――で、ですがっ!!」


 “神”の神意しんいと、“天使”の意地いじでは話にならなかった。

 しかし、スノードロップにも十数年の思いがある。

 この世界に来てきずいた、確かなものがある。


「わたくしも、その場に同席させていただきます!話す内容も、わたくしに一任いちにんください!どうか……ニイフ様っ!!」


 汗をポタリと落とし、スノードロップは神意しんいあらがった。

 “神”にさからうという事が、“天使”に許される事ではないと理解している。

 “大天使”と呼ばれ、多くの“天使”たちをしたがえる《天使長》、スノードロップ・ガブリエル。

 まさかこの世界に来て、また“神”の意を受けるとは思わなかった。


「……」


 ニイフはスノードロップを見下みおろしている。

 その身姿みすがた(ボンテージ)からは想像もできない神々こうごうしさを放ち、周囲に紫光しこうきらめいている。


「……ガブリエル、顔をあげなさい」


「は……はい」


 スノードロップは怖さ半分に顔を上げた。

 ニイフは笑顔だ。その笑顔は美しく、同性であるにもかかわらず心をときめかせてしまいそうになるほどの物だった。


「――話はあなたに任せましょう。ですが、全て知られる覚悟がありますか?」


 それは、ローザを始めとした異世界人たちに、今の話をつつみ隠さずに話せるのかと言う事だ。

 隠してきた秘密ひみつであり、隠し通さなければならない事実。

 それは、エドガーが知らない方がいい事柄ことがらであり、もっとも関係性の深い彼女らがそれを受け入れるのか、スノードロップやノインを受け入れるのか、それが一番の問題だ。


「……エドガー様の、為ならば」


 しぼり出すようにして出した言葉だった。

 だが、うそはない。

 エドガーを介抱かいほうしながら話した事も、今言った事も。

 エドガーの新しいきずなに、深入りするつもりは初めから無い。

 だが、一つだけ。一つだけ待ち受ける困難こんなんを、彼女らが、エドガーが受け入れてくれるだろうか。

 問答無用で巻き込むつもりだった、西国【魔導帝国レダニエス】とのあらそいを。





 応急処置も終え、エドガーも落ち着いた。

 フィルヴィーネも神意しんいを再びおさえて、フィルヴィーネに戻った。

 スノードロップは安堵あんどしながらも、異世界人たちに説明をしなければいけないという事を考えると、キリキリとが痛む思いだった。


「では戻るぞ。エドガーの手をつかんでおけ、そのままエドガーの部屋に転移するとぶ


 フィルヴィーネはスノードロップの肩をむんずとつかむと、また一瞬で転移を開始する。


(この方の魔力は、どうなっているのでしょうか……不思議ふしぎでなりませんね、まったく)


 魔力が枯渇こかつするこの聖王国で、何度も《転移魔法》を展開てんかいする“魔王”に、あらためて畏怖いふの念をいだいた“大天使”さまだった。





 気付くとそこは、エドガーが寝室にしている部屋。宿の管理人室だった。

 丁度ちょうどベッドに転移させたのか、エドガーは横になっていて、スノードロップはベッドのそばに座っていた。


「――もうよいぞ。手を放せ」


 ペシンと、フィルヴィーネに手をはたかれた。


「痛いのですが……」


「ふん。ではわれは戻る……何も今すぐとは言わぬ。近々ちかぢかにでも、話す内容をまとめておけよ?」


「かしこまりました、フィルヴィーネ」


 手をひらひらさせながら、管理人室を出ていくフィルヴィーネ。もう転移はしないらしい。

 ぱたんと閉じられた扉を見ながら、スノードロップは叩かれた手をさする。


「おかしな方です……あれほどの力を持っていながら、どうしてこのような世界に来たのでしょうか……それに、“神”の力が残っているのに……どうしてそれを使おうとしないのです」


 この世界に“神”はいない。もう存在しない。

 それは“天使”であるスノードロップと、“神”であった自身がよく分かるはずだ。

 つまりは、この世界の《唯一神オンリーゴッド》。ニイフこそ、この世界にただ一人の“神”だというのに。


「……ふぅ……」


 スノードロップは落ち着き、心内こころうちをドロシーに戻すと、せっせとエドガーの介抱かいほうを始めた。

 時間はもう朝方に近い。エドガーもこのまま眠るだろう。

 ドロシーは椅子いすに座り直す。

 エドガーの寝顔をのぞき込んで、微笑ほほえみながら。


「もうぐ、本当の姿でお会い出来ます……ノインも近くまで来ている筈です……覚えていなくていい……思い出してくれなくてもいい……ただ、ただおそばに……いさせてください、エドガー様」


 十数年の悲願ひがんを意外な形で知ったあの日、ノインと共に【魔女】は敵だと決めたあの日。

 いつわってでも彼を守るとちかった。

 たった数年の関係性ではあったが、今でもその思い出は消えない。


 その思い出を守る為、友の姿をして《魔法》をかけ、エドガーに近付いた。

 もしかしたら、それは間違いだったかもしれない。

 今のエドガーならば、話せば聞き入れてくれたかもしれない。

 そんな思いが、“天使”の心で渦巻うずまいていた。


「……」


 スノードロップはいつくしみを持って、エドガーのほほくちびるを当てた。


「お休みなさいませ……エドガー様」


 こうして、優しき“天使”の慈愛じあいつつまれて、エドガーは深い眠りにいたのだった。

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