02話【下町の召喚師】



◇下町の召喚師◇


 ~宿屋【福音のマリス】~

 その唯一の従業員、メイリン・サザーシャークの朝は、経営者であるエドガーよりももっと早い。

 実家は【下町第一区画アビン】で農家をしており、日が昇るよりも少し早く目を覚まし、王都外の川から水を汲み、野菜達に潤いを与えてやる。

 全六区画ある下町には水道が無い。

 下水道は通っているものの、野菜に与えてあげられる様な新鮮な水ではない。


 貴族街には、城にある魔道具から止まることのない水が溢れ、川となって巡っている。

 実に理不尽な事だ。

 メイリンやエドガー達の様な下町の住人は、その魔道具から生まれた綺麗な水を使用することも出来ない。

 貴族は、下町の住人なんて家畜か何かと思っているのだろう。

 勿論、差別心を持たないエミリアの様な貴族もいるが。

 そんなもの、このリフベイン聖王国では、たったの一握りだ。


 そのくらいこの国の貴族は酷く、汚い。

 ともかく農家であるサザーシャークの一家は、北の大門から抜けて少し先にある、【ルド川】から、一家総出で水汲みをしている訳だ。

 農家の仕事を一通り終えたら、エドガーの家である勤め先、宿屋【福音のマリス】へ向かう。


「ふぅ。それじゃあ、お父さん。エドガー君の所に行くから、後は大丈夫よね?」


 メイリンは柵にかけてあったタオルで額にいた汗を拭き、父モンシアに出かける事を告げる。


「おお、大丈夫だ。行っておいで」


 ガハハと笑う毛むくじゃらの熊の様な父・モンシアは、物凄く豪胆な人物で。

 昔は警備隊の隊長を務めるほどの人であったらしいが、妻・ミシテラと結婚し、婿入りしてからは農家を継ぎ、二人の子供にも恵まれて日々を送っている。

 メイリンが言うのもなんだが、夫婦はかなり仲が良い。


「うん、行ってきます」


 サザーシャーク家と、エドガーの家である【福音のマリス】は、3ギール(km)離れているが、メイリンは馬車も使わずに、いつも歩いて通勤している。これでも充分に近い方なのだ。


「今日もいい天気。洗濯物がよく乾くわ」


 それは今日も同じで、毎日通勤途中にエドガーの幼馴染、エミリアに鉢合わせする。

 きっと今頃エミリアがエドガーを起しに、わざわざ貴族街から向かっているだろう。

 この時間なら、宿の裏口で丁度鉢合わせするはずだ。


「――あ、メイリンさん!おはようございますっ」


 宿に着く寸前、元気な少女に声を掛けられる。予想通りエミリアだ。


「おはよう。エミリアさん、相変わらず早いわね……」


「えへへ、エドを起こさないといけないので」


 頭に手を当てて、はにかみながらそう言うエミリア。


「ちょっと待っててね。今鍵を開けるから」


「はい!」


 エドガーから預かっている裏口の鍵をカチャっと開けて扉を開け放つ。

 ギィィっと、扉がきしむ音を鳴らした。


「じゃあ私、エドを起こしてきますね!」


 そう言うと、一目散に駆けて行った。


「もう、相変わらずせっかちさんなんだから」


 感心半分呆れ半分といった感じに、メイリンは笑った。


「さてと、お掃除しますか」


 今日も宿の掃除に取り掛かる。広い宿を、たった一人で。

 初めはエドガーが一人で掃除をしていたのだが、いたたまれなくなり手伝い始めたのがきっかけで、今では日課になっていた。




 エミリアがエドガーを起しに行って半時はんとき(30分)、中々起きてこないエドガーを待ちながら、メイリンがロビーの掃除をしていると。

 ドンドン!と、宿の玄関ドアを叩く男性が現れた。


「おいっ!何やってんだよ、早くあけろっ!!」


 ドアを叩く音が大きすぎて半分何を言ってるのか聞こえなかったが、エドガーの客だろう。

 昨夜に『明日、朝早くにお客さんが来ますので』と、エドガーから聞いていた。

 メイリンはほうきを壁に掛け、急いでドアを開ける。


「申し訳ございません、お客様……」


 深々と頭を下げるメイリンに目をやることなく、男はズカズカとロビーに歩いていく。

 頬に傷を付けた、いかにも乱暴そうな大男。

 メイリンの印象は「最悪」。だ。

 同じ大男でも父のような優しさなど皆無で、明らかに弱い立場の人間を見下すタイプ。


「オイオイ!店主はどーしたよ、約束の時間は過ぎてんぞ!?」


 一言目がそれ?とも思ったが、メイリンは堪えた。


「申し訳ありません、只今呼んでまいりますので、少々お待ちください」


「ああ!?時間も守れねェのかよ、【召喚師】って奴は!こりゃあマケてもらわねぇとなぁ」


 わざとらしく玄関に向かって大声で言う。他の通行人に聞こえるようにしているのだろう。

 「すみません」、と再び頭を下げ、エドガーを呼びに行くメイリンに、男は顔をニヤニヤさせている。

 この男の常套句じょうとうくだ。約束の時間よりもほんの少し早くやってきては、エドガーが時間を守らない!と言い、値段を下げさせる。


「すみません!!ラドックさん、大変お待たせいたしました……」


 来るなり頭を下げるエドガーに、男はニヤニヤしたまま告げる。


「なぁ店主さんよぉ、これで何度目だと思ってんだよ!」


 男はロビーのソファーにふんぞり返りながら、テーブルに足を乗せる。

 汚れたら靴から土がこぼれ、テーブルをけがす。


「本当にすみません、代金は下げさせて頂きますので……」


 その言葉を待っていた!と言わんばかりに口元を歪める男。


「おお!そいつは当たり前だろうが、銅貨1枚でいいよな!?」


 エドガーが「いや、流石にそれは……」と、うつむく。

 しめしめ、今回も楽勝だな。内心そう思っていただろう男、ラドック。

 だが彼は、エドガーの後ろ、メイリンの更に後ろにいる人物に気付いていなかった。

 先程からずっと一緒に話を聞いていた少女、エミリアに。


「……いいわけないでしょう、そんな事」


 エミリアがボソッと呟いた。


「は?」


 ラドックがエミリアに気付いた。


「おおんっ!!なんだ嬢ちゃん、その制服、騎学きがくの生徒だな。で?なんか言ったか!?」


 ラドックはソファーから立ち上がり、背の低いエミリアを見下みおろす。

 エドガーが強気に出ないと知っていて、どうせこの少女ガキも同じだろうと高をくくっているラドック。

 案の定、エドガーやメイリンは焦っている。


「――ちょ、ちょっとエミリア!駄目だよ、早く謝って!」


 そのエドガーの言葉にいち早く反応したのは、ラドックではなくエミリアだった。


「はぁ!?何で!?何でなのエド。さっき銅貨3枚って言ってたよねっ!」


 エミリアはエドガーに近付き、顔を思いっ切り近づけて凄む。

 こんな状況でなければ、ドキドキしてしまいそうだが。


「それは……――い、言ったけど」


「なら何で3枚貰わないの!?」


「いや、だから僕が時間に遅れたからで……」


 エドガーに目を逸らされ、エミリアは更にヒートアップする。


「違うでしょ!?そもそも、受け取りに来たのはこの人で、初めからここにいるエドは、遅刻なんかじゃ無いじゃない!約束の時間を過ぎた?だったら遅れたのはこのオジサンでしょうが!!」


 まさにその通りの大正論。だがエドガーは言えないのだ。

 【召喚師】の扱い上、もし強く出てそれが周りの人達に知れたら、それこそ仕事が無くなりかねない。

 エドガーは強く言い返してこない。それを知っている下町の住民達は、暗黙のルールでエドガーに仕事を依頼する。となっているからだ。

 エミリアの一方的な言い分に腹を立てたラドックは、ここぞとばかりにエミリアではなくエドガーを責めたてる。


「はんっ!!これだから【召喚師】っつーのはなぁ!!店主さんよぉ、そんなんだから、ろくな友達も出来ないんだぜぇ?」


 身振り手振りを大げさに。外に聞こえるようにわざとらしくを徹底してラドックは叫ぶ。

 うつむくエドガー。ラドックは、ちらりとエミリアを見やる。

 エミリアはその一瞬で、ろくでもない友達=自分。と言われた事に気付き、グッと拳を握る。


「――くっ、このっ!!」


 今にも殴りかかりそうなエミリアを、メイリンがなだめる。


「ダ、ダメよエミリアさん、暴力だけは、絶対にダメ……!」


 メイリンの真剣な眼差まなざしに、エミリアは「でも!」と食い下がるも、うつむくエドガーの行動に驚いた。

 エドガーは一歩前に出て、うつむいたまま体ごと頭を下げ、そのままロビーの床に額をつけた。土下座である。


「――ラドックさん、この度は時間に遅れたうえに、更には知人の暴言と、誠に申し訳ございません、お代は結構ですので、どうかご容赦を……」


 床に額を付けながら、エドガーはラドックに謝罪する。

 その行動に、エミリアもメイリンも驚きで声を出せなかった。


「は、はんっ。分かればいいんだ、分かればなぁ」


 満足そうにエドガーを見下すラドック、一頻ひとしきりエドガーを見下し続けると。


「へっ!で?工具はどこだ?」


「……――あっ!た、只今お持ちします!!」


 真っ先に動いたのはメイリンだった。ロビーのフロントに行き、台に置いてあった箱を持ってくる。箱を開け中を確認すると、ラドックは礼も言わずに出ていった。

 エドガーはまだ床に額を付けていた。




「……エド、もう行ったよ」


 エミリアが控えめに声を掛ける、するとエドガーは、ハハハっと笑い。


「昨日の体力、無駄になっちゃったよ」


(……な、何で笑っていられるの?)


 エミリアは、悲しみも怒りもしないエドガーを悲しげに見る。

 その視線に気付いたのか、エドガーは。


「大丈夫だよ、エミィ・・・。こんな事、日常茶飯事だからね」


 こんな時だけ、昔の呼び名でエミリアを呼ぶエドガーは、エミリアを責めることなく、笑うのであった。

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