15話【そして、少年の瞳に赤は映る】
◇そして、少年の瞳に赤は映る◇
「うわぁ!なにこれかわいい!!」
それは、古文書を見始めて最初にエミリアが放った言葉だった。その絵は、小さな動物の絵。
頭に鏡を乗せた小さな動物。
尻尾は長くふさふさで、耳は長い。
体毛は緑で、とても
ご丁寧に、人物との対比まで書かれていて、この小動物は子供が抱えるぬいぐるみ程の大きさだった。
「……エミリアお嬢様ぁ?」
「……ご、ごめん」
実はエドガーも、気持ちは分かるのだ。
正直、“召喚”でこんなに可愛い動物を呼び出せるのなら。
多分エドガーも積極的にやっている。
「ページ
「う、うん」
エミリアは、意外とこう言う本に興味を持つのだ。
前も、何度かエドガーから本を借りていった。返して貰ってはいないが。
次のページを
次に描かれていたのは、まるで城の
「……か、カッコいい!!」
「お嬢様ぁ」
ページを
エドガーは、自分が持たないエミリアの感性に、何だか嬉しい気持ちで満たされていた。
「ご、ごめんって」
「いいんだよ。エミリア」
これでいいんだ。エミリアのこの反応はエドガーにはないもの。
新鮮かつ斬新な反応で、とても参考になる。
これから“召喚”をする為には、非常に助かる。
「エド……そんな諦めた様な顔しないでよっ」
「えっ!してない、してないよっ!」
そんな顔をしてはいないつもりだったが。
エミリアにはそう見えてしまっていたらしい、気を付けよう。
「じゃ、じゃあ。気を取り直して次に」
エドガーは次のページを
そのページには。
「は、裸ぁ!?エドは見ちゃダメぇ!」
エミリアは素早い動きでエドガーの目を
――裸。確かに裸だ。
髪の長い女性。雪の結晶を素肌に散りばめて、猛吹雪を巻き起こしているように見える。
肌は青く、人間らしい熱は感じられない。
「エミリア!手、邪魔だよ……」
「だって、はだ、裸!」
「いや、だから……見ないとヒントが!」
「――!何のヒント!?裸の女を“召喚”するつもりなのっ!?」
このエミリアの発言は、後にエミリア自身の
その行方まで、あと
「私が
無理矢理に古文書をエドガーから
「わ、分かった、分かったから、怒んないでって」
エドガーは両手を上げて降参する。
「怒ってないしっ!」
「
――なんで?
「……なにこれ?」
次のページに描かれていたのは――火の玉。
「これって、火の……“精霊”って事かな?」
エミリアはエドガーを見る。
「ごめん、見られても分かんないよ。それにどうだろう、魔術か何かかもしれないよ?」
「ま、魔術?……でも、動物に巨人……あと裸の女とか。みんな存在するものだよ?」
確かに、鏡を乗せた緑色の動物。
岩石でできた巨人。
氷を巻き起こす青い肌の女性。
この本は“精霊”の本なのかも知れない。
この本がもし“精霊”の本なら、かなり貴重なものではないか。
エドガーは自分が興奮し始めていることに気づかない。
「エミリア!次のページは!?」
「えっ?う、うん……
エドガーの剣幕に押されて、エミリアは急いでページを
「コレは……人かな?いや魚?」
上半身は人間の女性。下半身は魚。
美しい、神秘的な姿だった。
「お嬢様ぁ。これも裸ですけどぉ、いいんですかぁ?」
ナスタージャが余計な事を言い出した。
お願いだからエミリアを
「え?ああ、うん。コレは大丈夫」
エドガーには、エミリアの基準が全く分からなかった。
一方エミリアは、描かれている魚の部分を半眼で
「ぷふふ。確かに、
ナスタージャがトントン、と本の挿絵を指差す。
その部分は魚の部分。人間で言えば股間の部分に当たる。
「な、なにを言ってるのよっ、別にそんなんじゃないし?」
疑問形で否定するエミリア。
腕を組み、顔を赤らめながらそっぽを向く。
「えー、ホントですかぁ?」
そっぽを向くエミリアを、ナスタージャが肘でつつく。
どうでもいいが、メイドがご主人様にやっていい行為なのだろうか。
「二人共、真面目にお願い」
エドガーは何の話か理解していないが、取り
「えっと次は」
次のページには、電撃を
「「「……」」」
なんだか、とてもいけない気がするので次のページに行こう。
数ページを
エミリアやナスタージャは勿論、多少魔法や“精霊”の知識があるエドガーも、古代語は読めなかった。
「う~ん、やっぱりどれも古代語で、よくわからないな」
「あっ!エド……コレは?コレ」
エミリアが指さすページには、炎に
その描写に苦しむ様子はなく、自らが炎を操っているように見える。
「これは、炎の……“精霊”かな?」
「違う違う!そっちじゃなくて、隣のページ見て?」
炎の精霊らしき絵の隣、そのページには、エドガーにも読める文字で、なにやら書き込みがなされていた。
「文字?これは……父さんが書いたのかな?」
「な、なんて書いてあるの?」
【リフベイン聖王国】で使われる文字は【カルン文字】と呼ばれ、この世界で一般的に使われている常用文字だ。
それでは無い文字で書かれた言葉は、エミリアには読めなかったらしい。
エドガーにも全て読める訳ではないが、父が書いているのは【ルーンス文字】と呼ばれる、魔術に使われるものだった。
「えっと待って。読むから」
(父さんの文字、汚いなぁ……大雑把な性格がここにも出てる)
「えっと……
「《石》……?」
疑問を口にしたのはエミリア。
「エミリア?」
「う~ん。ねえエド……《石》って、もしかしてこれかな?」
エミリアが人差し指で、ページの右上をなぞる。
そこには赤い《石》、まるで炎を体現したかのような赤い《石》が描かれていて。
「ああ、そうかもね」
エミリアはジト目でエドガーを見る。
「――もうっ!何で気付かないのよっ!もうっ!」
「ええっ!?な、何が……?」
プクゥっと頬を
「いや、ご、ごめん……なんかわかんないけど」
「わかんないのに謝るんですかぁ、エドガー様はぁ」
「う、ごめんなさいっ!」
つい、ナスタージャにも頭を下げる。
「あ、いえ。私に謝る必要はないですよぉ、それよりお嬢様ぁ、これ、なんなんですか?」
ため息を
「この《石》さ、私がエドにプレゼントした《石》に似てない?」
「――あっっ!?」
大の石好きであるエドガーとあろうものが、
まだまだダメなところは多そうだ、と、エミリアもナスタージャも思ったに違いない。
「き、【消えない種火】っ!?」
エミリアから贈られた、微量の熱を持つ赤い宝石。
この世界では、一般的には価値のない《石》。
「じゃあ、その《石》があれば、炎の“精霊”さんを呼べるんですかぁ……?」
ナスタージャの質問に、エドガーは父が書き込んだと思われる文字を読み返しながら答える。
「父さんは、核の《石》がないって書いてるし。他の材料は
歯切れの悪いエドガーに、エミリアは。
「エド!《石》どこにあるの!?」
「えっ?……僕の部屋にあるよ。ベットの近くの棚に箱のまま飾ってある」
「ナスタージャ!ゴー!!」
「――えっ。あ!は、はぃぃっ!!」
エミリアの号令にすぐさま反応し、地下から《石》を取りに行くナスタージャ。
「エド、すごいよっ!出来るかも知れないんだよ?お父さんも出来なかった“召喚”を!」
「それは……」
そうかも知れない。でも。
“召喚”には体力、魔力が大量に必要だ。
今“召喚”に失敗したら、アルベールを助けるなんて出来なくなる。
それよりなら、もっと効率の良い“召喚”で確率を上げた方がいい。
例えば武器や防具、奇襲のための道具でもいい。
「大丈夫だよエド、私がいる」
エミリアは自分の胸に右手を当てて、エドガーを見つめる。
しかし、エドガーは直ぐに
「……エミリア。でも【精霊の召喚】は、多分リスクの方が高いよ」
【精霊の召喚】は、父にも聞いた事が無かった。
古文書を見る限り、父は何度もチャレンジしたのだろう。
だが、父が出来なかった【精霊の召喚】。
エドガーは、それが自分にできるとはとても思えない。
「――じゃあ!やり方教えて!?」
エドガーは突然の大きな声に驚き、エミリアを反射的に見る。
「……エミリアっ」
「エドがやらないなら……私がやってみるっ」
“召喚”は【召喚師】にしかできない。
特異体質である【レオマリスの血】が無ければ、不可能なのだ。
「――無理だよ」
「なんでっ!?」
エミリアだって知っているはずだ。
でも、聞かずにはいられなかったのだろう。
「なんでもだよエミリア。“召喚”は【召喚師】にしか出来ない。――無理なんだっ!」
「「……」」
「「……」」
長い沈黙。二人の間にこんな沈黙は今までにない。
(僕だって、やれるものならやってるさ……でも、リスクの方が高い。今はこれじゃ駄目なんだ!)
「「……」」
「「……」」
続いていく沈黙に
「――エドが、助けてよ!」
「……えっ?」
エミリアの、いつもの明るく優しい笑顔。
それが、見る影もなく
顔をクシャクシャにし、声を上ずらせ、泣く。
それでもエドガーに、我慢してきた本心をぶつける。
「……助けてよぉ、エド。兄さんを、私をっ――助けてよぉぉぉっ!!」
地下室に反響するエミリアの悲痛。
「……う、ぐすっ……きっと、私じゃ、あいつらに勝てないもん。ロヴァルトの家も、今は何も、出来ない……から」
フィルウェインは言っていた。
ロヴァルト家、その当主アーノルドは現在、アルベールが【聖騎士】になった報告という形で、昨日から【リフベイン城】に出向していると。
これから城に行きアーノルドに説明したとしても、ロヴァルト家が王家から反感を買うだけだ。
それでは何の意味もない。
だから、エミリアは自分達で何とかしようとした。
その最後の頼りが、エドガーの存在だった。
何も、エドガーに戦いを期待している訳じゃない。
ただ居てくれればいい、自分の
“召喚”をする。
そう言いだしたエドガーを見た時、エミリアは死ぬほど嬉しかった。
今まで消極的で、体力もやる気も無かった幼馴染。
騎学を辞めて学生では無くなって、会う時間は減った。
それでも毎日のようにエドガーを起こしに行ったりして、エドガーを孤独じゃないようにした。
エドガーの為に。自分の為に。
「エドっ……お願い!……私、なんでもする。言ってくれればなんだってするよっ!」
エミリアはエドガーにの胸にしがみつき、
「エミリア……」
(ホント、情けないな僕は……また後ろ向きになってた)
エミリアの本気の涙なんて、子供の頃にも一度あるかないかだ。
アルベールを助けたいと言う思い。大切な家族なんだ、当然だろう。
エドガーに涙を見せてまで、危険な“召喚”を
アルベールを助けたい思いと、エドガーを信じてるという。――親愛の証。
(僕は、何に
エミリアの優しい温もりを感じ、不安な気持ちが薄れていく。
「……ねえ、エド、お願い……エド?――わ、笑ってるの??」
エミリアはエドガーを見上げ、笑みを浮かべる幼馴染を不思議に思う。
「ごめん……変な意味はないんだ。ただ、自分がこんなに情けないとは思わなくてさ」
「――ち、ちがっ……違うよ!エド、私!」
「大丈夫。わかってるよ……
「――エドっっ!!」
思わずエドガーの胸に顔を
その暖かい感触は、エドガーの荒野の様に寂しい心に――火を灯した。
「あのぉ……もういいですかねぇ?」
がばっと、エミリアを引き
「ナ、ナスタージャさん……いつからそこに?」
ドアの
「え~っと……『エドっ!!大好きっ』って所からですかねぇ」
自分の身体を抱きかかえて、ちゅ~っと唇を尖らせる。
「そ、そそ、そこまでしてないわよぉ!!」
耳まで赤くし否定するエミリア。大好きっ!は否定しない。
「ナスタージャさん、《石》は……?」
エドガーはあえてスルーする事にした。
「あ、はいここに」
一瞬で覚めたナスタージャから小箱を受け取る。
後は、他の材料だ。
「よし!エミィ、ナスタージャさん。父さんが古文書に書いてある通りに材料を
「分かった!」
「あ、はい!」
「まずは、えっと……【プリンセスブラッド】だね」
「お、王女の、血ぃ……?」
エミリアはあからさまに嫌がる。
「本当の血じゃないよ……昔の王女様が飲んだ薬……って書いてるよ」
もし本当だったら、
「あ、これですかぁ?」
ナスタージャが、棚の
小指程の小瓶。血のような赤い液体が入っている。
エドガーは古文書の絵を見て確認する。
「……た、多分」
父エドワードは、絵も下手だった。
「多分て」
ジト目で見てくるエミリアのツッコミを無視し。
「よし、じゃあ次!【
「た、たてがみ?」
「……もう、絶対にこれですよねぇ……?」
ナスタージャが見つけたのは、壁に掛けられた
「ねえ、私……ゴミにしか見えないんだけど……」
「……なんか、ごめん」
◇
【プリンセスブラッド】に【
父の書き込みはこれで全部だ。これで“召喚”出来るのだろうか。
「まだ、何か……」
あるかもしれない。と言おうとして、エドガーは思う。
(もし“召喚”に使う他の道具……例えば、魔法陣を書くためのインクを、赤い物にしてみるとか)
「これで終わり……?」
「あ、うん。大丈夫だよ……これで全部だ。よし、じゃあ行こうか、【召喚の間】に」
ギィィっ!と開かれる、重厚感のある鉄の扉。
地下室の奥にある【召喚の間】。
この広い空間は、大規模な“召喚”を行う際に使われるらしい専用の部屋だ。
【召喚師】以外は入れない特殊な力が発動して、【召喚師】以外の人間を
「一年ぶり……か」
きっと、エドガーの妹リエレーネが知ったら怒るだろう。
ここは、母マリスが亡くなった場所。そして最後に父を見た、悲しい場所。
「なんか、明るいね……」
入口付近の横から、エミリアの声。
「ああ、【明光石】を何個もつなぎ合わせた、大きいサイズのランプがあるんだよ」
【明光石】は、一度光を取り込むと一生光り続ける《石》。
それをつなぎ合わせ大きくしたものだ。一般的には使われないだろう。
何せ一生光るのだ。家庭で使用したら邪魔でしょうがないはずだ。
「ああそっか、地下だもんね」
エミリアは納得した様子。
そしてエドガーは部屋を進み、棚から赤茶色の物体を取り出す。
「よかった、ちゃんとあった」
「なにそれー」
エミリア達は入口で見ているだけと約束させた。そもそも入れないが。
見えない壁に手を当てて、エドガーをジィっと見る。
「これは【
エドガーは部屋の中心部に歩み寄り、しゃがみ込んで手を合わせる。
(母さん……)
「エドガー君、何してるんですかね?お嬢様ぁ」
ナスタージャは、小声で真下のエミリアに話す。
「ん?祈ってるのよ……ここでお母さんが亡くなったから」
エミリアも、エドガーの母マリスを思い出す。
「そうなんですかぁ」
「ねぇナスタージャ」
「……はぃ?」
「どうでもいいけどさ、何でエドにはエドガー様……で、私にはエドガー君、なの?」
今は、本当にどうでもいい話だった。
「そりゃあ、
「――方が?」
「お嬢様が面白いので」
「お~ま~え~は~!!」
立ち上がり、ナスタージャの頭をガッチリ固め力を込める。
「あああっ!お嬢様!痛いぃ。あ、お嬢様の
「も、もういいかな?」
はははっ。と呆れ笑いをし、エドガーがエミリア達を見る。
「ご、ごめんエド、邪魔だよね……」
「ううん。大丈夫……リラックスできたよ」
本当の事だ。
「そう?じゃあ、もっとリラックスして……ねっ!!」
と言って、エミリアは更に力を込めた。
「ああああああっ!!い、ったぁぁぁいぃぃぃ!!」
さすがのナスタージャも、今度は冗談などを言えなかった。
「エミィ、その辺で……」
エドガーの言葉でやっと解放されたナスタージャ。
「あぁ、ありがとうございますぅ」
エドガーとエミリア、二人にお礼を言うナスタージャだった。
「あんたは本当にあんたね」
仲のいい主人とメイドを見てリラックス出来た。
材料も
「さあ、準備は出来た……やるよっ、【精霊の召喚】」
◇
炎の“精霊”イフリートを“召喚”し、契約する。
アルベールを助けるために、力を貸して貰うのだ。
“召喚”する為の素材。
【プリンセスブラッド】。
【赤帝馬の鬣】。
【消えない種火】。
に加えて、【陽赤土】を混ぜた
もし危険そうなら、直ぐにエミリアが扉を閉める。そういう算段だ。
最近は倒れる程の“召喚”はしていないし、魔力は勿論【トーマスの秘薬】のお陰で、体力も十分だ。
エドガーは水桶に大量のインクと水を投入し、専用の
水桶の中は【陽赤土】の赤色と、薄めたインクの黒で混ざり、濃厚な赤黒いインクになった。
「よし、次は魔法陣だな」
エドガーは次に、【
ある程度整えて水桶のインクに付けると、【召喚の間】の中央に魔法陣を書き始める。
父がメモを書き残した古文書を頼りに円形の魔法陣を書き、その中に古代語を記入する。
エドガーは古代語を読めないので、父の書いた文字を信用するしかない。
古文書の通りに書き込み、
もし間違っていたら魔法陣は直ぐに発光するはずだ。
それだけは便利だと思う。
「うん、間違いはないみたいだ……よかった」
魔法陣を書き終えたエドガーは、残った【
後は、【プリンセスブラッド】を魔法陣に直接注げば、“召喚”は発動されるはずだ。
「よしっ、準備完了だ」
エドガーは入口で待つエミリア達に振り向くと。
「じゃあ始めるから、何かあったら直ぐにドアを閉めて、いいね?」
「……う、うん」
「……は、はい」
どうやら、二人共緊張がやばいらしい。
エドガーもいつもより緊張はしているのだが、何だか二人を見てるとリラックスできる。
「――始めよう」
エドガーは魔法陣の前に立つと、【プリンセスブラッド】の
「レオマリスの血……【召喚師】の血が汝に問う。火炎を身にまとう“精霊”よ、供物はここに。我が呼びかけに答え、今、姿をみせよっ……!」
【召喚師】の
まさか父が残した汚い文字の中に、
光る魔法陣が順に走り。中央の《石》、【消えない種火】が光に包まれる。
そして《石》から放たれる火。その火は一瞬で炎となり、魔法陣に染みる【プリンセスブラッド】をつたって、【
(う、熱っ……!)
既に炎は魔法陣全体を通して発生している。
轟々と燃え上がり、広い天井まで届いている。
(そろそろだ)
古文書に記された、“召喚”の最適な目安。
「我が名は、エドガー・レオマリス!契約を望む者なり……
名を呼んだ瞬間――
炎は一層強まり、音となる。
その音に混ざり、中心部で《石》が砕ける音がしたことを、ここにいる誰も、知ることはない。
◇
その影はエドガーの方を振り向き、突然右腕らしき物を振りかざした。
「――っ!!がっっ!――ぐあぁっ!!」
「――エドっ!?」
「エドガー様っ!!」
吹き飛ばされ、二度バウンドする。
魔法陣の炎の中から突き出る、赤黒い腕。
“召喚”には成功したらしいが、どうやら高いリスクにあたったらしい。
「――ぐっ!!うっ……」
エミリア達の悲鳴を聞き、エドガーも直ぐに反応する。
「――今すぐドアを閉めろぉぉぉぉっ!!」
まだ倒れながらも、エミリアを
「……で、でも!!」
「早くしろっ!急げっ!!」
「エ、ド……ぅぁ……ぁぁ」
エドガーの見たことのない剣幕に、エミリアはたじろいでしまう。
逆に素早い対応を見せたのはナスタージャだった。
「お嬢様っ!!」
立ち尽くすエミリアの腕を引っ張る。その反動でエミリアは後方に転んで、尻餅をつく。
「……ナ、ナスタージャ」
「申し訳ございません!お嬢様!
ナスタージャはエドガーを見る。
倒れながらも、エドガーは首を縦に振る。
それは、「これでいい」というエドガーの許容。
「エドガー様っ――くっ!」
一瞬の
「ああぁっ!……エドっ!!エドォォ!!」
転び尻餅をつきながら、エドガーの名を叫び手を伸ばすエミリア。
まるでスローモーションのように。ナスタージャが鉄のドアを閉めていく。
閉じられる扉の隙間から見えたエドガーは、とても優しい笑顔で。
――エミリアに
◇
ドアは閉められた。後ろに感じる
エドガーが、真っ先にしなければならない行動。――それは。
内ポケットからこの部屋の鍵を取り出し、持ち手側の飾りを
この【召喚の間】は、歴代の【召喚師】から伝わる巨大な【魔道具】の一種だ。
エドガーの持つ鍵も例外ではなく、持ち手側を回すことで、室内の強度を上げる事ができる。
この部屋が完全に密室でなければ使えないので、ナスタージャには感謝しなければ。
(はは、エミィ……あんな顔して)
今はもう、扉の向こう。部屋の強度を上げた事で、ドアは絶対に開かない。
それでもエミリアは、きっとエドガーを呼んでいる。
(戻って……謝らないと)
グッと力を込めて立ち上がるが、両腕は炎に焼かれて既に感覚はない。
それでも、立ち向かわなければ。
幼馴染二人の為に。
「――
「……」
(言葉は……通じないのか?)
「……目障リナ虫ケラダ……」
ゾッとするほど、殺意に満ちた声。
――これが――精霊?
「“精霊“イフリートよ……僕と、契約を」
それでも、当初の予定を
「契約……ダト?」
心臓を
「力を貸してほし……いんだ」
魔法陣から溢れる炎の圧が弱まり、イフリートが姿を現す。
その姿は、古文書に載っていた絵とはまるっきり違う。
まるで悪魔のような姿をした、異形の化物だった。
エドガーの三倍はある
上半身は人間に近く、下半身は動物の足をしている。
古文書に描かれたイフリートは、人間よりも小さめで、子供の見た目をしていたのに。
(あの本……
「力ヲ欲スルカ……虫ケラヨ……コノ我ニ、力ヲ貸セト?」
「ああ、そうだ……」
エドガーは
「――フザケルナァァァァ!!」
エドガーの倒れている床が、一瞬で
「――ガァッ!!グッ――かはっ……!」
爆発の衝撃で
「っは、はぁっ、はぁ、はっ……」
(苦しい――息が……出来ない……)
「図ニ乗ルナヨ……虫ケラガッ……!!我ヲ“精霊”ナドト同一シ、
そうして放たれる、炎の爆弾。
倒れるエドガーの近くに何度も爆発が生じ、エドガーはまるで
「……ヌゥ、目覚メタバカリデ、
既にエドガーはまともに話すことは出来ない、しかし。
(何でこんなに……息が出来ないんだ……でもそうか、“精霊”じゃ、ないのか。なら)
「じゃ、あ……お、前は……何、者なん、だ……」
精一杯息を吸い、言葉を
「我ハ
魔族。
昔話に出てくる空想だと、誰もが思っているはずだ。
「魔、人?」
「……ソウダ、我ハ数千年前ニ封ジラレタ……《石》ヲ破壊シ、封印ヲ解イタ事ハ感謝シテヤルガ」
(《石》を破壊……?封印?僕はこいつを“召喚”したんじゃ……ないのか?)
意識がまだあるだけでも、エドガーからしたら凄いことだ。
だがこの状況で、
(“精霊”。いや、“魔人”か……それが本当なら、僕はとんでもないことをしたんじゃ……)
昔話に出てくる
これはもう処刑じゃ済まない。
ここで死ぬならいいのかもしれないが、ここで死ぬ気はさらさらない。
だから、エドガーが何とかするしかない。
「どう、すれば……静、かに、して、もら……える?」
「……」
「――ぐふぁっ!!」
吹き飛ばされて、はじけ飛ぶ。
何度も壁や
「――ドウシタ、静カニシテヤッタゾ……」
(く、そ……話も通じないか、こんなことになるなら――“召喚”なんて)
やめたらよかった。と思いそうになったエドガーは、すぐにその考えを塗りつぶす。
(あぶな……また、弱気になるとこだった)
エドガーの脳裏には、さっきのエミリアの泣き顔と、昨日のアルベールの笑顔があった。
(もうエミリアにあんな顔をさせちゃダメだっ!――そしてアルベールの笑った顔を、もう一度見るんだっ!)
何度も
「ホゥ、マダ立ツカ……手ヲ抜イテイルトハイエ、我ガ炎ヲ何度モ食ラッタノダ、モウイイダロウ、ソロソロ消エルガイイ!」
――爆発。
炎の爆弾は、フラフラと立ち上がったエドガーの腹部に命中し、吹き飛ばす。
うつ伏せに倒れ、血をまき散らす。しかしその血も、高熱で蒸発していった。
(くそ……ダメか……もう、意識が)
「次ハ……コノ部屋カラ出ネバナラヌナ……」
「――っ!!」
(ダメだっ!ダメだ!ダメだ!ダメだっ!)
この部屋から出れば、真っ先に狙われるのはエミリアとナスタージャだ。
上にはメイリンとフィルウェインもいる。
(どうするっ!?どうすればいいっ……誰か!?……誰か?……誰がいるっていうんだ……ここは、【召喚師】しか入れないんだ……いるわけがないのに……なんで、なんでだよっ!!なんで僕はこんなにも……)
「――弱いんだ……だ、誰か……誰でも、いい!」
目から溢れる涙。
しかし、それはすぐさま|虚《》うなしく蒸発していく。
「た……す……け……て」
小さく、弱々しい言葉を発した。
その瞬間。エドガーの身体は、突然噴き出した炎の渦に包まれ。
そして、意識を失った。
◇
「
エドガーの周りから噴き出した炎。自分のものではない炎に、
「何ッ!?」
背後に感じた人の気配と、凄まじい“魔力”。
「何者ダ!?」
振り返り、人影を確認する。
「――何者、か。契約者にもまだなのに。貴様
――ひたひたと歩く。
その姿は、裸の女だった。
女は、まるで赤子の手を
その右手には長剣が
超一閃。
まだ距離のあるはずの女から一瞬で到達した斬撃は、
「――グォォォォ!!」
ドサリと落ちる赤黒い腕。
左腕が切断され、雄たけびを上げる
「あら、意外と頑丈じゃない」
一刀両断するつもりだったのだろうか、
「――キ、貴様、ソノ力……!?」
女の右手の甲には、赤く輝く宝石、【消えない種火】が光を放っていた。
それだけで、女の魔力を増幅させているのが分かる。
「何故ソノ《石》が……ソレハ我ノ!」
「――貴様のではないっ。この【
かつて
先程
「私は、
右手が光るとともに、長剣をかざす。
宝石から生まれる無尽蔵の炎と、
「グォォォォッ!!マ、マタ封印サレルノカ!コノ我ガ!!」
地下の
「封印……?何を生ぬるいことを。私の【
「グ、グァァッ!!貴様!貴様ァァァァ……――」
――大爆発。
炎の斬撃が
魔人は、跡形もなく消滅した。
「……さてと、そろそろ
自身も大爆発に巻き込まれたはずだが、まるで動じずにエドガーを心配する。
「ああもうっ!
持っていた剣を投げ、魔力を込める。
すると炎の剣は三つに分身し、
全ての炎を消し終え、三本の剣も消滅する。
すると同時に、エドガーを包んでいた炎の球体が解除され、倒れるエドガーの姿が確認できた。
「あ、無事……かな?」
「――……うっ、うぅ」
「よかった。生きてるわね」
彼の視線を感じ、何か違和感を感じる。
「――って私、裸じゃない……流石に初対面の印象は大事ね」
右手をかざして炎を生み出すと、真っ赤なドレスに変化させて
「まぁ、急場しのぎならこのくらいかしらね」
ついでに、腰まである髪をアップにする。
それは、まるで赤い炎の
女はエドガーの元へ駆け寄る。膝を着き、エドガーの顔を
「ねぇ、私を呼んだのは、貴方でしょう?」
「……ぁ……」
何かを言おうとしたが、エドガーは、まるで彼女の言葉に安心したかの様に、眠りについた。
「……寝ちゃった……?」
「……」
「……本当に寝てる。よくこんな状況で……ん、まあ、それもそうね」
エドガーの頭を膝の上に寝かせ、彼女は右手をエドガーの額に乗せる。
「――退屈しなくて済みそうでよかった。出逢えて良かったよ……ありがとう」
彼女の右手に輝く《石》が、エドガーに感謝するように
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