ある雨上がりの日に君と出会う 2

「すまない。先ほどは失礼した。これを受け取ってもらえるだろうか。」


振り返ったメイドは、顔を赤くするとみるみるうちに涙目になり、うつむいた。


「いえ・・・ぃえ・・・あの・・・・私がわ・・・わるいのでっ」


――あぁ、怖がらせてしまったか、兄上ならこんなことはないのだけれどな・・・


片手に果実水、片手にベリーにチョコレート掛けしたものを持ち、ジャンルードは溜息を一つついた。


「あ・・・ナディアが、失礼したです。すいません。旦那様はけがないですか?」


訥々とした「変わった」口調で話しかけられ、メイドの前に座っていた彼女が慌てて立ち上がった。鏡でよく見ていた自分と同じような色合いの、少しばかり年下だが凛と背筋を伸ばした小柄な少女だ。派手な美しさはないが、なぜか目が離せない。


――旦那様??? あぁ、「」か。他の大陸の出か?


「あ、あぁ、こちらがぶつかったので。申し訳ない。少しいいだろうか。」


頷く彼女に安堵して、テーブルに手に持ったものを置くと、メイドに向かって手を振りぬく。


「すまなかったな。『清潔化クリーン』。『温風ブロア』」


みるみるうちに暖かい風が吹き抜け、メイドのエプロンと汚れた足元が綺麗になった。


「ま…魔法だっ。すごいっ!!!」


 驚いて砕けたのだろう、そんな口調でメイドを見ている目の前の彼女に、自然と笑みがこぼれた。メイドは笑みを浮かべたジャンルードの顔を見ると、熱でも出たのかというほど真っ赤になり、ぱくぱくと金魚のように口を開けている。


「改めてこれを受け取ってもらいたい。申し訳ない。俺は冒険者のエミリオだ。先ほどはあなたのメイドに失礼した。」


その言葉を噛みしめるように理解しようとしていた彼女は、いきなりこちらをきっと睨むと、


「メイドと下に見るはだめです。あなたのメイド違います。偉そうです。」


そう言い放った。


・・・・は????

ジャンルードは呆気にとられた。大抵は先ほどのメイドと同じ反応なのだ。自分が話しかけると。それなのにこの目の前の少女は、片言で「自分のメイドを呼び捨てにして下に見るな」と怒っている。メイドは自分の連れの少女が自分の事で食って掛かっていることに慌てて、余計に涙目だ。


「お嬢様っ。私はメイドですからっ。この方は恐らく貴族階級からの冒険者様なんです。ですからっ」


「・・・貴族とか平民とか関係ないです。ナディアは私の大事な友達でメイドです。私が失敗しないで毎日生活できるは、私の「」になったナディアのおかげあるですから!」


ぶはっ。


我慢できずにジャンルードは破顔した。「」だと?「」だろ。メイドが言っているのが正しいのだ。正しいけれど、自分は今、平民の「エミリオ・バーク」の設定だ。なるほど、ハリスが「平民になり切れていない」というはずだ。吹き出した自分に余計に憤慨している目の前の少女に、ジャンルードは慌てて謝った。


「いや、すまない。俺が悪かった。確かに貴族の出なので、そういう言い方になってしまった。決して君の連れを軽んじたわけではない。申し訳ない。」


素直に頭を下げると、彼女はビックリしたようにこちらを見つめ、慌ててぴょこんとお辞儀をした。


「こちらこそ、ごめんください。言葉まだ下手で、理解もまだうまくないです。」


「いや、気にしなくていい。こちらに意図は伝わっている。」


顔を上げた彼女はほっとしたように笑った。その咲きこぼれるような笑みに、ジャンルードは見惚れ、固まった。


「おーい。エミリオ。お前、飯は調達したのか―?・・・ってどうした。珍しく女の子ひっかけてんのか?」


向こうからハリスが息を切らして走ってくる。


「ハリー。馬鹿なこと言うな。・・・すまない、えーと・・・?」


「ミオです。エミリオさん、果実水とチョコ、ありがとうでした。」

ペコっとお辞儀する彼女に


「へえ。ねえ、ミオさんだっけ、急ぎじゃないなら一緒のテーブルつかっていいかい?もうここしか空いてなくてさ。」


 みればさっき目を付けていたテーブルもすでに埋まっている。伺うようにミオと名乗った彼女を見ると、仕方がないかという顔でニコッと笑う。ジャンルードはほっとして、飲み物の屋台の店主に預けていたかごを受け取りに向かう。ついでにワインとエール、食後のコーヒーを買い求めると、テーブルへ戻ってきた。串焼きは冷めてしまっていたが、それでも柔らかく、噛みしめるたびに肉汁が溢れてくる。パンをちぎって口に運んでいると、目の前の彼女、ミオが木のコップを持って残念そうな顔をしている。


「どうかしたか?」

「・・・ちょっと甘すぎるです。ぬるいし。」


――あぁ、なるほど。


チョコレート掛けの果物も一緒に食べているので余計にそうなのだろう、彼女はじっと運ばれてきた自分のカヘーコーヒーを眺めている。


カヘーコーヒー飲めるならこちらにするか? 『』してほしいならするが。」

「もらってもいいですか? カヘーコーヒー好きです。『』? ここは凍った食べ物あるですか?」


ぶはっ。


彼女の片言の話し方に思わず笑ってしまい、ジトっとした目で見つめられて慌てて謝ると、ジャンルードは自分のカヘーコーヒーに向かって右手の指を振る。これくらいなら無詠唱でも簡単だ。


――(氷結球アイスボール。)


見る間にコップに氷が2.3粒出現し、彼女は眼をまんまるにすると


「指から氷出せるですか。エミリオさんすごいですね!!!」


今まで大きな氷魔法を使って感謝されることはあっても、こんなキラキラした笑顔で褒めてもらったことがあっただろうか。ついでにメイドと彼女の果実水にも浮かべると、


「うーん。冷たくって美味しい!!」


令嬢らしからぬ砕けた笑顔で一気に飲み干している。メイドに「一気に飲むのはだめですってメリアさんに叱られますよ?」と笑われて、コップを見つめて、やってしまった・・・と茫然としている彼女。こんなにくるくる表情が変わる令嬢は今まで見たことがない。冷えたカヘーコーヒーをちびちびと飲んでいる彼女から目が離せないでいると、背後から彼女たちを呼ぶ声が聞こえた。


「お嬢様。メリア。お待たせしました。奥様がそろそろお待ちですよ。・・・そちらは? 」


家令か執事だろう。老齢の男性が荷物を抱えて立っていた。ジャンルードは慌てて立ち上がり


「すまない。こちらのメイドさんにぶつかって、果実水をかけてダメにしてしまったので、新しいものを御馳走させていただいた。けして怪しいものではない。」


「そうでございましたか。それは当家の者が失礼いたしました。では、お嬢様。まいりますよ。」


深々と頭を下げると、執事は彼女を促した。


「はい。ジェームスさん。エミリオさん? 氷ありがとでした。それでは失礼いたします。」


まだおぼつかないカーテシーをすると彼女はメイドと執事と共に去っていく。ふと手をつかんで引き止めたい衝動に駆られて、ジャンルードは自分に驚いた。俺が誰かを引き留めようとするなんて。


「ねぇ。俺の存在忘れてないですか。友よ。」


ハッと気づくとハリスがにやにやしながらこちらを見ている。


「・・・忘れてなんかいないさ。」

「そうかぁ? 魚見つけた猫みたいな真ん丸の目で、ミオ嬢といったか?目が離せなかったくせに。」

「・・・そんなことは・・・ない」


にやにやとこちらを見るハリスに、さっと頬に朱が走るのが自分でもわかった。そんなんじゃない。ただもっと話したい。もっと知りたいと思ってしまっただけだ。興味があっただけで。


「さっき宿で聞いたんだけどさ。くだんの『養女』様。あの彼女だよ。」

「は?」

「異国から来た黒髪の令嬢で、言葉がまだ不自由であまり話さないんだと。ミオ様って言ってたから彼女で間違いないんじゃないかな。でも・・・彼女見慣れた花の指輪してたもんなぁ。あれはマーガレットだったかダリアだったか。少なくとも見慣れた「花」なんだよな・・・。」


そういえばとジャンルードは思い返す。引き留めようと掴みかけたその左手の人差し指に、ゴールドの多弁の花の指輪があった。少なくとも知らない「花」ではない。彼女落ち人ではないのだ。


「まあ、本当に彼女がなら、偽装のために別の花をつけている可能性もある。でも違った時のために、惚れるのだけはやめとけよ? 自分で散々言ってたことだろう?」


「あぁ。」


そう頷くと、さっきの彼女のこぼれるような笑顔を思い出す。氷を見つめてまん丸になった瞳。

「美人だったな。目が離せない感じの」


――はぁ?


ハリスはまじまじと彼を見る。昨日から自分の友はおかしい。確かにジャンルードと近しい色合いの娘だった。優しげで凛とした姿勢のいい表情がくるくると変わる少女。だが、ジャンルードやクリスを見慣れ、王城で着飾った令嬢たちを見飽きているハリスからすれば「普通」の令嬢だ。それを、今までどんな令嬢を見てもピクリとも眉を動かさなかった隣の男が、美しかったと顔を赤らめるなど。


「お前・・・ホント難儀な奴だよな。」


今まで、一度も感じたことのないだろう感情を持て余し、彼女がいなくなった方向を見つめている友にそう呟くと、行くぞ。と友を促した。これから冒険者ギルドへ移動の報告をして、依頼を受けつつ情報を集めなくてはならない。マノアでの彼らの日常が始まった。

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