辺境の街 マノア

旦那様の御帰還

鳥のさえずりで目を覚ます。まだ明けて間もない時間。湖にもやがかかっている。焚火はしっかり薪が加えられていて、まだ煮炊きはできそうだ。目をやると剣を抱えて毛布にくるまりカイドが眠り、美桜を包みながら母狼が見張り番をしてくれていた。


「きみが見張っててくれたの?ありがとう。御飯作って出発の準備しなくちゃね。」


美桜は急いで起きると車に入り、白いシャツとジーンズに着替える。つなぎはさすがに初めての人に会うのはよろしくない。顔を洗い、長い髪を後ろで一括りにすると最後のパンを取り出し、コーヒーを入れなおす。


『カヘーか。いい匂いだ。おはよう。ミオ』


「コーヒー。コーヒーこっちにもある? 好きだからうれしい。おはようだ。 カイド氏」

『・・・カイドだ。カイドじゃなくて。あとおはようございますな。』

「カイド‥さんおはようございます。」


カイドは美桜の頭をクシャっと撫でると、お湯で濡らしたタオルを受け取り、顔を拭いた。添え木をした足はまだおぼつかないし、痛みもあるようだ。


『人目につかないうちに家に戻りたい。運搬用に馬車道があるからそこを行こう。って、これは理解できてなさそうだな。早めに出よう。焚火の処理は任せてくれ』


美桜はきょとんとしたが、早めに出るは解ったので、道具を全て片付け、いつでも出られるようにした。いつの間にか牙を持ってきてくれていた狼たちを誉め、カイドの身振り手振りで「右・左・前・後ろ・止まれ・進め」の単語を確認し、ハイドを母狼の背も使って車へと押し上げ、後部座席に座らせた。


「大きい音する。指示 大声お願いする。」


そして母狼と子狼を撫でて抱き着いた。


「色々ありがとう。逢えてよかった。元気でいてね。」


母狼は尻尾をパタンパタンと振ると、子狼2匹を鼻先で美桜のほうへ押しやった。 


「え・・・連れて行けって言ってるの? いいの?子供連れて行って」


母狼は美桜の頬をべろりと舐めると、尻尾をパタパタ振った。


「解った。大事に育てるよ。道を覚えて里帰りさせに来るね。」


気づくと湖面の向こう側には狼の群れが来ていた。あれが本来の群れなんだろう。子狼たちは母狼にじゃれつくと、美桜の足元に座った。美桜は子狼といっても既にバーナード犬くらいはある二匹を1匹は隣にもう一匹はハイドの隣に座らせると、エンジンをかけた。ガソリンはまだ1メモリしか減っていない。ガソリン以外のものが見つかるだろうか。いつかは使えなくなることを考えると怖くて仕方がないが、とにかく今は知識を得なくては。


聞きなれないエンジン音に、自分以外が驚いていることに苦笑しながら窓を開け、母狼にさよならを告げる。

「またね。ホントにありがとう。」

ウォーーン。ウォーン。

サヨナラの遠吠えが向こう岸からも聞こえた。子狼たちもそれに応える。左手で背中を撫で、カイドが言うとおりに湖の端にある馬車道へと車を進めた。人が通る前に森を抜けなくては。


――カイドは驚いた。手振りで方向を示すと、ミオは難なくこの大きなというものを一人で動かし始めた。魔法で動いているわけではないらしい。かなり大きな音と振動はするものの、馬車に比べたらかなり楽な移動だった。途中休憩をはさみながら、広大な森を抜けていく。ここはバクストン領の東、リンフォールの森。アルジェントウルフの群れが守る、精霊が宿るといわれている実り豊かな森だ。それでも人を襲うゴブリンやオーク、盗賊だって実際いるのだ。冒険者に依頼が出る程度には。街から片道一日半かかる最奥の湖の側にいた美桜はよく無事だった。必死に道から外れないよう進んでいる娘に目を向ける。剣が振れるようには見えない、魔法すらもまだ使えぬ華奢な娘。カイドはつくづく自分とこの娘を引き合わせてくれた神に感謝した。


  森と街道の境界は緩やかな崖だ。その坂道が遥か先だが見えてきた頃には辺りはまた闇に包まれ始めていた。このまま進めば真っ暗になる。獣の時間だ。


『美桜。まだ先は長いから、ここで野営だ。』 


カイドは休憩の為に開かれた野営地を指さして叫んだ。美桜は一旦車を止めたが後ろを振り返ると笑って


「カイドさん、夜これ動ける。あかりつく。道だけ教えて。」


そういうと前方が明るく光り輝いた。山の夜道も美桜はある程度経験済みだ。道案内がいるならそのまま進める。カイドは口をポカーンとあけたがすぐに我に返り、坂道をゆっくりと降りて街道を左へ折れるよう指示する。街道は馬車が通るだけあって轍はすごいものの、山道に比べたら段違いに走りやすかった。美桜は車の速度を上げる。夜道はよほどの急ぎでなければ誰も通らない。少し走ったのち、カイドは右手の道に入るよう指示すると、丘のようになった緩やかな斜面の間を通り、川を渡った先に柵というより防衛のための木壁が見えてきた。


『俺の家だ。ヴェルノウェイ屋敷コート


門を入ると、ハイドは左手の一つの建物にそのまま車を入れるよう指示し、美桜はそこへバックで入れて停車した。夜の静けさが瞬時に美桜を包んだ。虫の声と草ずれの音しかしない。カイドが何かつぶやくと、建物の壁が一列にぼんやりと明かりがともった。

――魔法だすごい! 


美桜が驚きながら、後部座席のカイドを手助けしてゆっくりとおろしていると、背後で物音がした。振り返ると緑の長い髪を後ろでまとめた、色気たっぷりの美人が杖をこちらに向けて身構えていた。


『カイド・ヴェルノウェイ。あなた今度はどんな厄介ごとを持ち込んできたの』


そういって身構えている彼女に、カイドは笑って手を振って答えた。


『ただいま。サーシャ。森の奥で怪我しちまった俺をアルジェントウルフの親子とこいつが助けてくれてな。こいつ独りぼっちだから、娘にする。子狼も預かってきちまった。美桜。挨拶しろ。俺の妻だ。』


美桜は慌てて、ぴょこんとお辞儀をすると


「初めまして、サーシャ。私 みおいいます。落ちてきました。この世界何も知らない。カイドさん教えてくれる言いました。よろしくください。」


『美桜。サーシャだ』

「サーシャさん。わかった。」


サーシャは目の前の2人と2匹を交互に眺めると、杖を溜息をついた。


『・・・・とりあえず、ここはしめてお茶にでもしましょう。みおといったわね。ようこそヴェルノウェイへ。』


狼たちは元々牛が寝ていたであろうスペースに2匹で丸くなったので、美桜はそのまま置いて、家のほうに着いて行った。家とは言っても美桜からしたらほとんど「屋敷」だ。何部屋あるんだろう。

煌々と明かりのついた玄関から中に入ると、武装したおじいさんと人のよさそうな恰幅のいいおばさん、それに何人かのメイド服や執事服を着た若い集団が立っていた。


――老執事だ!すごいかっこいい! じゃああれはメイド長さんなのか。うわぁすごい。


『奥様!御無事で。一体何の音だったのですか。あのすさまじい音は。』

おじいさんが駆け寄り、サーシャさんから杖を受け取りつつたずねた。サーシャは首を振りつつ、


『旦那様の御帰還よ。怪我しているから着替えさせて手当してくれる? メリア。こんな時間に悪いけど、サロンにお茶運んでくれる?』


『かしこまりました。奥様』

おばさんがメイドたちに何かを言ってさっとどこかへ行き、おじいさんは若い男性たちに指示しながらカイドさんをどこかへ連れて行った。あっという間に人気ひとけのなくなった玄関ホールで美桜が焦っていると、


『じゃああなたはこっちね。』


とサーシャに手招きされ、美桜は左側の大きな扉の中に案内された。

開かれたそこは居心地のいいソファと暖炉、年季の入ったアンティークの家具。隠れ家カフェによくありそうな居心地のいい空間だった。美桜はきょろきょろと見渡すと、勧められた椅子にちょこんと座った。

サーシャに少し待っていてと言われ、ぱちぱち爆ぜる暖炉の薪を眺めていると、やはり気を張っていたのだろう、ついそのままうとうとと舟をこぎ出してしまい、サーシャとメリアが軽食とお茶を運んできたときには、ソファのひじ掛けに腕をかけすやすやと寝息を立てていた。


『まあ・・・疲れているのね。泥だらけだし。すごく華奢よね。』

サーシャがじっと美桜を眺めて呟くと、側に控えているメリアも


『黒髪に夜空のような黒目。この大陸の娘ではありませんね。それにしても艶々とした綺麗な髪ですこと。それに言葉が少し不自由にお見受けしました。旦那様はいったいどこから・・・。』


 その時、ゆっくり扉があき、執事に付き添われ松葉杖をつきながらカイドが入ってきた。着替えも済ませ、入浴と髭剃りも済ませたのだろう、さっぱりとした本来の旦那様だ。そんなサーシャと隣り合わせで座った後、ゆっくりとカイドはサーシャを見つめ、手を握った。


『ジェームズ。メリア。お前たちにも聞いておいてもらおう。』

『かしこまりました。』

『この娘は「落ち人」だと思う。』


瞬間、部屋にいるカイド以外の者の動きが止まった。

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