そして彼女は覚悟を決める
さらさらと風に頭上の木々が葉を揺らす。鬱蒼としているというよりは陽の光が満遍なく届いて、木々や草に至るまでも「生きている」ことを喜んでいるような森。
―へんなの。さっきまで怖かったけど、なんだかそれがなくなった。
地元の森によく似ている。森が活きている。濃い緑のエネルギーが自分で消化しきれずに溢れて覆いかぶさってくるような、そんな感覚すら覚える。懐かしい。美桜は足元の草を踏みしめながらまっすぐ湖に向かった。時々車を振り返って方向を確かめる。50メートルも離れていないけれど、今自分を「自分」と認識してくれるのはあの空間だけだ。見失うわけにはいかなかった。
たどり着いた湖は、見たことがないほど青く澄んでいて、湖面に白樺と似た樹々が映り込み、鏡のようにきらめいていた。そのきらめきで目がかすむ。なんとなく解っていた。帰れないのだ。恐らく二度ともう家には帰れない。それが透明な水面を見ているとすとんと心にはまった。
「う・・・うぁぁぁぁぁん。う。。。うっ。うぁぁぁぁぁん」
何もいないかのような静寂。でもおそらくたくさんの何かがここにはいて、『静かにしてくれている』のだ。美桜は崩れるように座り込んでただ泣いた。失ったものがあまりにも大きすぎて。自分を形成するものが根こそぎ変わるのだ。その喪失感はあまりにも大きかった。
それでもいつか涙は止まる。美桜はタオルで顔を乱暴にふきあげると、青く澄み渡った空に向かって叫んだ。
「負けてたまるかぁぁぁぁぁ!!!!! 九州女舐めるなあぁぁ!!!!」
ついでだとばかりに、美桜はつなぎの上を脱いで腰で結んだ。湖の水を手に取ると、インナー代わりのTシャツが濡れるのも構わず顔を洗った。心地よい冷たさが、朝からさんざん泣いた顔を心地よく冷やしてくれる。
「ふぅ。」
濡れてしまったシャツは後で着替えよう。そう思ったとき、美桜は自分の顔と体に違和感を覚えた。
・・・若くなっている。昨夜見た時よりも幾分か若くなった顔が湖面から困惑した顔でこちらを見返していた。18歳…くらいだろうか。大学の学生証を思い出す。こんな顔だったな。
「うわぁ・・・不気味。何。チートはくれないけど、寿命は伸ばしてくれるの。何その罰ゲーム。」
そして、濡れたシャツの下から浮かび上がっているもの。
自分の右鎖骨から右の乳房に向かって斜めに花が次々と咲き、間から見慣れたギザギザの葉が顔を出している。
「これは・・・桜? あーもうわけわかんない。とりあえず、今日は寝る!」
太陽も幾分傾き、そろそろ夕暮れの時間になろうかという頃だ。車に戻らなければ闇に包まれる。美桜はすくっと立ち上がると、元来た道を戻ろうとした。その時だ。
「ウォンッ ウォンウォンッ」
どこからか真っ白というより銀色がかった毛並みの犬が走ってきた。いや近づいてくるうちにその大きさが馬くらいの狼だということに気づき、美桜は後ずさる。
2メートルほど離れた場所で座り、キラキラした目でしっぽを振ってこちらを見ている。こちらに害意はなさそうだ。美桜はゆっくりとカーブを描くように近付き、斜めに座った。握り拳で手を差し出し、匂いをかぐのを待ってみると、狼はくんくんと嗅いだ後ペロッと舐めてこちらを見返した。
「君は誰かな。狼…でいいんだよね。お・・・おっきいね。御主人が・・・いるのかな。人が住んでるってことか。」
そう問いかけながら、おずおずと目の前のモフモフを撫でて癒されていると、不意にその犬が自分のシャツのうなじをかぶりと噛むと美桜を背中に放り投げ、走り始めた。
「えっ。ちょっと。ちょっと待ってぇぇぇぇぇ」
慌ててしがみつくと、狼は来た方向へ走り出す。森の中へ少し入ると、乾き始めた血の気配がした。
ぞくっと背筋が冷えて周りを見渡すと、大木の根元に筋肉質の男性が力なく座り込む。足元にさらに小さなモフモフが2匹、守るように座り、その傍らに熊ほどの大きさの猪っぽい生き物が、剣が刺さったまま事切れていた。
「猟師さんかな…。あ。息はしてるね。足の骨折と‥怪我してるだけかな・・・。ケガは浅いから止血もいらなそう。・・・すごいね、きみ、この人を助けたくて私を探し出したのか。このまま夜になるのはまずそうだし、車に運びたいけど。うん、君が信用しているのなら大丈夫そうかな。異世界人が受け入れられる世界だといいけど、そうじゃなければ・・・まあ車からほっぽりだして逃げればいいか。」
くうん?と首をかしげているような狼に普通に話しかける。不思議と会話が通じているようだ。
「いつ倒したのかわからないし。毒持ってるかどうかもわからないから肉は触れないな・・・。牙とか耳とかが討伐の証拠に大抵なるよね。。。よし。」
刺さっていた剣を引き抜き、草で拭うと、腰のシザーケースからナイフを取り出し、耳を切り取りビニール袋に入れた。牙は‥後で本人にしてもらおう。
「うぇぇぇ。解体はやっぱりなれない・・・これ…君たち食べられる?」
振り返って聞くと3匹はしっぽを振って座っていた。
「いけそうだね。じゃあまず、おっきい狼さん。さっきの湖まで送ってくれる? 車移動させてキャンプ張ろう。」
やっぱり会話が通じている。最も大きい狼がすっとしゃがんで乗るのを待つかのように尻尾をパタリパタリと振った。
「ちびちゃんたちは、その人見ててね。」
「ウォンっ」
美桜は狼に湖まで送ってもらい、獣道のように木々の隙間が空いていたので、なんとか車を湖の側まで動かした。ロープと毛布とツェルト、タープポールを持つと男性のところへ戻る。簡易の担架を作り上げるとそっと彼をのせた。うーん。重い。
「きみ・・・これを引っ張れたりする?」
と狼に聞いてみると尻尾をパタパタさせたのでロープをかけて引いてもらう。車の側の草むらに枯葉を集め、シーツでくるむと男性を寝かせ、足にシーツを破って包帯代わりにして添え木を固定する。傷は洗って消毒しガーゼを張っておく。応急処置が終わった後は石を拾い集めてかまどを作る。火がつきやすいように紙を丸め、枯れ葉を乗せる。小枝を組んでさらに少し太い枝をのせる。着火すると火は段々と大きくなった。
――キャンプにつれていってもらっててホントよかった。二度と逢えないけどありがとう。斉藤パパ。ママ。
ダッチオーブンが使いたくて買っておいたトライポッドを取り出してポットをかける。野菜も肉もないから、カップスープの素しか使えない。あとはかまぼことパンがあるくらいだ。
「ありがとね。お腹すいてたらさっきのイノシシ食べてきていいよ。この人は私が見てるから。」
そういうと狼たちは一斉に走っていった。
後部座席側の下に格納していたテーブルと椅子を出し、ランタンをともしてコーヒーを入れる。あたりはすっかり暗くなり始めていた。こうして美桜は否応なく異世界に足を踏み入れたのだった。
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