森の中の彼女

そして彼女は途方に暮れる

ジャンルードが倒れた嵐の夜が明けたちょうどその頃。

王都から馬車で二週間離れた辺境、バクストンの東に広がる広大な森の中で彼女はゆっくり目を覚ました。


「ひどい嵐だったなぁ。。。P.Aあって助かった。夕方までに南港に着けばいいし、大阪観光はまた今度だね。」


そう呟いて、あくびをしつつ彼女はスライドドアを開けた。開けて・・・固まり・・・そして閉めた。


「なに・・・今の・・・」


思わず、鍵を閉めると、もう一度。

今度は窓のカーテンを開けて・・・閉めた。スマホを取り出すと画面を見てボタンを押して・・・。

そのまま無言でベッドを片付け始める。シーツと低反発シートを丸め、毛布をたたむと最後部の荷物の山に放り投げる。今は細かいことにかまってなんていられない。座席を立ち上げ、跳ねあげテーブルをセットしカセットコンロにお気に入りの琺瑯ポットをかける。これが最後だからと買い溜めたお気に入りの店の豆を、ミルでゴリゴリ挽く。


(夢だ‥‥これは夢だ…。長時間のソロドライブで疲れてるんだ。)


朝のルーティンでコーヒーを作り上げ、香りを胸いっぱいに吸い込むとなんとなく落ち着いた気がする。

一口飲むといつものコーヒーだ。うん。うまくはいってる。


「・・・よし。」


改めてカーテンを開ける。朝陽が眩しい。いい天気になってよかった。けれど。


「ここ・・・ここどこぉぉぉぉぉぉ!!!!」


そう絶叫しても・・・誰も答えてくれる人はいない。だって自分がいるのはソロドライブしてきた車中で、そして外は知らない森の中。見ただけで慣れ親しんだ日本の森じゃないことは解る。何より自分は昨日の夜、フェリーで降り立った舞鶴から次の日のフェリーが出る大阪南港まで高速を飛ばしていたはずだ。突然のひどい嵐で、やむなく深夜のP.Aに停車してトイレを済ませて仮眠をとったはず・・・。よろよろと椅子に座り、頭を抱える。


「落ち着け…落ち着け・・・自分。深呼吸・・・冷静に・・・」


森の中ってなんだ。道路どこ行った。アスファルトは?っていうか、スマホ圏外なんだけど、ここホントどこ? なんで白樺とオレンジっぽい樹が共存できてるの?北限どうした?そしてあの向こうに見えるきらきらした水はなに?湖なの?なんで湖のそばに車停めてんの? 寝ぼけて運転したの? 寝る前にちょっと飲んだビールのせい?

え。ちょっと待ってもう無理・・・・

ふっと意識が飛んだ。思考の限界だった。


次に目を覚ましたのは、日も高くなったころだった。変わっていない外の景色を呆然と眺め、もう一度スマホを確認した彼女から乾いた笑いがこぼれた。


(あぁ・・・夢じゃなさそう。もう認めるしかないか。)


窓の外は変わらず森の中。頬をつねっても痛い。ラノベは好きだし、ファンタジーも大好きだ。けれど。まさか。


「まさか・・・異世界ですか・・・。ここ・・・。」


なんの冗談だ。そういうのって大抵10代の子じゃないの?勇者召喚!とか言って。それか40代の男性がこう疲れ果てて気づいたら・・・とか、不可抗力で死んでしまって転生で・・・とか。

自分はどうだ。寝てただけだ。城に召喚されてるわけでもないし、死んだわけでもなさそう。ってことはチートもらえるっていう展開もなし? え。どうすんのこれ。


ふるふると震える手で冷め切ったコーヒーを飲み干す。とりあえず身一つで飛ばされたことではないということだけでも感謝だ。シェルターがあるのと同じことだもの。でも・・・。

一人は慣れている。孤独は友達だった。けれどこんなにも「切り離された」と感じたことはない。これが本当の孤独なのか。怖い。どうしたらいい? 言葉は? 人はいるの? 帰れる・・・の?

今までの自分が積み上げてきたもの全て置いてきてしまった。私は今・・・『空っぽ』だ。

手の震えが収まらない。寒気が止まらない。怖い。怖い怖い怖い。ボロボロと涙が零れ落ちて、テーブルの上に水たまりを作る。2人掛けのシートに横になり、膝を抱えて丸まった。自分を自分で抱きしめていないと自分が無くなってしまいそうなのだ。


「怖い…助けて・・・誰か・・・」


そう呟いてもやはり誰も答えてくれはしない。自分の嗚咽だけが車内に響いていた。

ひとしきり泣いて目が明かない程泣いた後、彼女はすくっと立ち上がった。


「落ち着け。無理だけど落ち着け。まずは水。食料。寝る場所。外の安全確保。キャンプと同じ。」


そう呟くと、頬を両の手でパンっとはたく。痛みで少し冷静さを取り戻せた。

自分がテンパったときの対処法は、仕事で嫌というほど身に染みている。


(飲料水としての水は煮沸しなきゃだけど12ℓは確保・・あぁ災害用に入れといたペットボトルが5本と。食料は乾パン・・・使いかけだった調味料類と乾物と‥米と乾麺類・・・あー最後だと思ってちくわパンとかパンロール買っといてよかった。あとは昨日のコンビニの残り・・薬も車にしといてよかった。寝る場所は大丈夫。問題はトイレ・・・あぁ、やっぱトイレ乗せるべきだったか・・・こんな時の為に・・・ってそんな想定できるかぁ!)


一人で空しく突っ込んでいる彼女。菅那木かんなぎ 美桜みお 32歳。元々自立心は旺盛だ。家庭環境も順風ではなく、13歳から一人暮らしでそのまま大学へいき、2年ほど外国を放浪して社会人へ。これが最後の恋と決めた恋人が札幌に住んでいるからと福岡から家財一式を携えて仕事も辞め、引っ越したくらいなのだ。まあ、現状としてその札幌から恋人と別れて撤退中だったわけなのだが。


(そういえば。キャンピングカーに乗るのにも反対されたな。『なんでかわいい車に乗らないんだ』って言われてたけど、自分が街乗りの車乗ってたんだし、私がキャンピングカーにして何が悪かったんだろう。でもなんか悪いことした気分になって謝ってたんだよなぁ私…。)


札幌で借りたマンション。お隣の斉藤さん御夫婦が退職を機に日本一周したいから、新しい大きなキャンピングカーに買い替える。っていう話に乗っかって、買わせてもらった2人で使うには十分なバンコン型キャンピングカー。仲良くなって山菜採りやキャンプに一緒について行っていたから、使い勝手も知っていた。元々乗っていた車が雪には弱いこともあって、処分して越してきたからありがたい話だった。乗り始めてからも相談に乗ってもらえたし、引っ越しも運送屋のコンテナボックスに家電とすぐ必要のないものを詰めて送り、細々したものは車に積めばよかった。いいお隣さんだったことに今更ながら感謝する。


(ありがとう、斉藤ママ。斉藤パパ。山を一通り教えてくれて。)


そう思いながら、備え付けの棚から山菜採りに行っていた時の服装を引っ張り出す。

『まとめておいておけば、出かけた先でいつでも行ける』と言われて以来、一式入れておいたのがここでも役に立つ。オリーブ色のつなぎ。長靴下。スパイク付きのトレッキングブーツ。革の手袋にネックガード。


(これと後は・・・っと)


つなぎのベルト穴に通す本革製のシザーケースは4本入るお気に入りで、力のいらないラチェット式 剪定鋏と、女でもなんとか使えるだろうとお下がりでもらったキャンプ用ナイフ。オピネルのフォールディング鋸。仲良くなった小林のじっ様からもらった「肥後の守」。

昔ゃこれで鉛筆削っとったって削り方教えてくれたっけ。


(水と・・・あれも一応・・・)


そういって取り出したリュックには500mlのペットボトルの水2本とパン2個、チョコレート2枚。ここに居るのがどんな熊かはわからない。だから、念のために熊防止のベアベルは逆に寄ってこられても困るので外して、撃退スプレーはリュックの脇に取り付ける。


(『たとえ見えてる場所に行くんでも忘れるな』だよね・・・斉藤パパ。)


ツェルトとファーストエイドキット、ビニール袋とタオルをリュックの底に潜り込ませる。


(とりあえず湖の確認。車の周りの確認。迷うほど遠くには行かない。よし。)


恐る恐るドアを開ける。降ろした足に草が絡む。森。人があまり立ち入っていない森だ。


開けてはいるが道らしい道がない。これはほんとにまずい気がする。

湖まで。100メートルもないくらいなのに、足取りは重い。

でも夕暮れまでには戻らなれば。夜は何があるかわからない。

美桜は一歩ずつ歩を進めた。

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