第二王子の出奔
雷鳴と共に浮かび上がるもの
百花の国プリヴェール。
花のように並んだ4つの大陸、その右上、常春の大地ダリオトールの大国である。
一年の2/3を温暖期、1/3を寒冷期とするダリオトールの中で、大河ユヴェールを抱き、その恵みによって4大陸の中で最も長く続く王国だ。
それは突然のことだった。
その日の夜はプリヴェールではありえない荒れた天気となった。暴風とそれに伴う吹雪が温暖期「ヴェール」真っ只中に吹き荒れたのである。花たちの上に雪がつもり、河は凍り、海は荒れた。河口に位置する王都レグレリアも例外ではなく、海風が遥か眼下の海水を巻き上げ、窓を容赦なく打ちつけていた。
「…ひどい風だな。まさか船を出しているものはいるまいが・・・」
岸壁に立つ王城の窓辺から荒れ狂う海を眺め、一人の男がそう呟くと気だるげに長い脚を組み替えた。
プリヴェール第二王子、ジャンルード・エミリオ・フレイヴァル・プリヴェール。
黒い髪に瑠璃色の瞳。常春の大陸には淡く大地に根差した色を持つものが多い中、凍った湖を思わせる冷たい美しさを備えた彼の纏うまと色は短い寒冷期の夕暮れと宵闇の間の色。その鍛えられた長身痩躯の右手には水属性を示す青い葉と蔓によって編まれた円形の紋章が刻まれている。
【聖樹の紋章】エンブリオ・ヴェルディーレ。
葉の色は属性を、植物の種類で才能を示す、この世界の男が手に持つもの。
葉の量、蔓や枝の太さや形状は成長過程での努力次第。成人までに枝や蔓が左右に半円程度伸びていれば一人前となり、独立や結婚が認められる。
ただし、王家や貴族は古のいにしえ王家に降りた神託により、円に近い形にまで高めることとされ、2代に渡って半円程度しかなかった場合、その家の爵位が下がる。王家も例外ではなく、現王家は【フレイヴァル公爵家】であった家系。己を磨き続けた者が中枢に残る。それこそがプリヴェールが大陸で最大の王国として長く栄え続けた理由でもある。
―コンコン
「・・・入れ。・・・って兄上っ。何をなさっているのですか!」
荒れる海から面倒そうに視線を外して振り向いた瞬間、
ジャンルードはため息をついた。
「兄上。メイドのようにノックなどせず、入って構わないのですよ。」
「嫌だよ。かわいい弟が驚く顔が見られないじゃないか。」
第一王子、クリストファー・アランテス・フレイヴァル・プリヴェール。
春の陽だまりを集めたような金髪、新芽を思わせる若草色の瞳。
父譲りのジャンルードと似た顔立ちであるのに、弟が冬の夜の湖ならば、兄は春の花咲き乱れる草原のようだと形容され、暖かい色合いそのままの慈愛に満ちた微笑みを絶やさない2歳年上の兄。心無いものに姫のような王子と揶揄される事もあるが、ジャンルードは、兄が土属性を持ち、努力を重ねて正円に近い紋章を刻んでいることを知っている。
「ジャン。アリステアがピアノを弾いてくれると言うんだ。サロンへ行かないか?」
クリストファーは5年前、紋章の中に深紅の薔薇が浮かび上がった。
深紅の薔薇を胸に持つ娘。それが未来の王妃であると、国内はもとより各国に告知された。
豊かな大国の王妃候補に世界中の【薔薇の乙女】が心ざわめかせたが、様々な騒動の結果、クリストファーを射止めたのは次代は子爵に落ちることが確定していたオコンネル伯爵令嬢、アリステアだ。
ジャンルードはお互いを唯一と認めあう二人を見るたびに、兄の幸福と幸運を喜び、そして自分の境遇に思う。唯一とはなんと甘美で残酷なものだろう・・・と。未だ浮かび上がらない自分の花。それがどんな花であれ、唯一とどうして解るのか。唯一ではなかったら・・・自分は父上と同じように後で出会ったものが唯一だったと知ったらどうするのだろう。。。
「・・・ジャン。ジャン?どうした?」
ふっと意識を戻すと、心配そうに兄がこちらをのぞき込んでいた。
「すみません、ちょっと考え事を。・・・王妃殿下は?」
「父上と一緒にもうサロンへおいでになっているよ。」
(あぁ。それならば。)
「じゃあやめておきます。王妃殿下の御機嫌を損ねてしまいますから。こんな天候では不安になられていらっしゃるでしょうし。」
その言葉を聞くと、クリストファーは美しい顔を悲しげにゆがませた。
「ジャン。母上のことは気にしなくていいんだ。父上も久しく君と話せていないと仰っていた。君は誰が何を言おうが、私の弟で父上の子なのだよ?」
近づいて自分よりさらに背の高い弟の頭を撫でようとする優しい兄にジャンルードは笑顔を作る。解っている。解ってはいるがこの天候を思わせるような色をした自分が団欒の場に行けば、
王妃殿下から何を言われるかは簡単に予想がついた。そしてそんな彼女を兄と父が叱責し、その結果、さらに彼女に凍てつくような眼差しで睨み付けられることも。
「解っています。兄上と父上が私を愛してくださっていることは。私も心の底から敬愛しております。けれど、私の存在は王妃殿下の御心を痛めます。王家で諍いが起こるなどあってはなりません。」
「ジャン・・・。」
「どうか義姉上アリステア様には、次回の楽しみとさせてくださいとお伝えください。これから何度でも機会はあるでしょう? やっと手に入れた兄上の至高の薔薇の君なのですから。」
そう言って、兄に笑ってみせると、クリストファーは渋々納得し、気を取り直したかのように
「そうだよ。君の事を『高級そうなビターチョコレート』なんて綺麗な言葉でほめてくれる素敵な姉上だろう?」
と甘い蕩けるような顔でウィンクした。
(全くこの人は・・・)
「お見送りしますよ。兄上。」
口の中にチョコレートを目いっぱい詰め込まれたかのような気分を振り払い、そう言ってジャンルードが窓際から一歩離れた時、雲で覆われた夜空に閃光が走り、轟くような雷鳴が響き渡った。
その瞬間、兄を守る剣となるため己を鍛え上げ、今まで一度たりとも毒以外で倒れたことはないのにもかかわらず、ジャンルードは体の力が抜けていくのを感じた。
(・・・なんだ・・・右手が・・・熱い? それに…なんだこの眩暈めまいは・・・)
「ジャン!? どうした!」
「なんでも・・・あ・・・り・ま・・」
振り返った兄が青ざめているのを宥めようと言葉を発しようとしても体は言うことを聞かず、
意識を失う刹那、兄の震える声を朧気に聞きながらジャンルードは意識を手放した。
「この花は…なんだ?」
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