最終話 「悪役令嬢だからって、甘く見ないでちょうだいっ!」


「っはあ、はあ……っ!」


 息が、苦しい。

 鈍い頭痛が、先程からがんがんと鳴り響いております。


「……こ、こ……です、わね……」


 この街で、一番豪華な建物。

 辺境とはいえ重要なこの街は、王族による直轄領。

 だからこそ疑われにくいのではないかと考え、私が医者となる土地に選んだ場所です。


 そしてこの建物は、時々視察に訪れる王族の方々が滞在される時に使われる建物ですわ。

 私も昔に王子の婚約者として、幾度いくどか訪れたことがありますの。


「はぁ、はぁっ、…………スゥッ………ふぅ……」


 今私のいる、建物の正門からちょうど視界となる位置の壁に寄りかかりながら、息を整えます。


 さて。

 ここまで来たは良いものの、どう致しましょうか。


 来たことがあるとはいえ、内部の構造はほとんど知っておりません。

 元々は婚約者でしたが、それはあくまで口約束程度のものでしたから。

 正式に王族となるわけではなかった私では、王子のお供としてこの屋敷に来ることは出来ても、動き回ることすらろくに出来やしなかったのです。


 本当に、どうしましょうか。

 ……正面突破でも、致しましょうかね。


 正面突破?


「……門前、見張りが二人」


 キュッと目深に被ったフードを片手で掴みます。


 裏口から入るにも、恐らくは見張りがいるでしょう。

 もちろん、こういった屋敷には常設されているであろう抜け道も、私は知り得ません。

 超常的な現象を引き起こせる奇跡も、今の疲れと体力の消耗が激しい状態の私では、使うことも出来ません。

 そもそも超常的な現象とは言いましても、奇跡を私個人のための空間転移などという私的な目的で利用することは不可能でしょうし。


 やはり、正面突破しか取れる方法はありませんわね。


「ふぅ……」


 今になって、少し、恐怖心が芽生え始めました。

 婚約破棄をした相手に会いに行くのですもの、やはり気まずいところはありますわ。


 ……婚約破棄を理由に、逃げ出してきた。

 課された責務、居るべき場所。

 そこへ今から、舞い戻ろうとしているのですから。


 怖い、ですわ。


 …………もし、もしも。

 私の、王子を愛する心が否定されてしまったら。


 乙女ゲームの中のクオード=ミーラ・ツインテイン侯爵令嬢のように、手酷く断罪されてしまったら。

 王子から、拒否されてしまったら。

 侯爵令嬢の頃の、愛を知らずに生きていた頃の【私】がいるから、なおさら。

 本当にあの地位であの場所で、愛され得るのかどうかが、とてもとても疑わしいこととなってしまっておりますの。


 聖女は、たしか、元の地位は相当低かったはず。


 サクラの生きていた世界でも、サクラはあちらの世界での平凡な地位で生きておりましたから。


 だから。

 侯爵令嬢たかいちいの私が、王子の婚約者としての私が。

 愛することを許されるのかが。

 愛されることがあるのかが。

 分からないのです。


「――ですけれども」


 再度、息を整えます。


 サクラは、私の意志を応援してくれました。

 アイラは、私の助手たちは、また会いましょうと言ってくれました。


「私は、私として、生きる」


 もう、逃げたくはありません。


 たしかに地位が高いことへの恐怖心が消えるわけではありませんが。

 けれども、この世界で。

 私は誰からも愛されず、一人かなしく生きているわけではありませんの。


 私には、私を愛してくれる人がいる。

 私の中のサクラと、それからアイラに、他の助手たち。


 もしかすると他にもいるのかもしれませんし、いないのかもしれません。

 ですが、事実として私を愛してくれる人がいるなら。


 私も、誰かを愛することから逃げたくはないのです。



 王子に拒否されて、愛を失わされることの苦しみから。

 もう、逃げません。



 だから。


「参りましょうか」


 まずは、立ち向かう。


 それでたとえ悪い結果になったとしても、世界が終わってしまうわけではありませんのよ。


 私には、また会わなくてはならない人々がおりますの。


 こんなところで立ち止まって、逃げて。

 二度と会えずに朽ちていくなんて、そんなこと。

 嫌ですから。



 パサリ



 フードを外します。

 空を見上げると、立ち込めた雲の隙間から、一条の光が差し込んでいることが分かりました。


 寄りかかっていた壁から、しっかりと。

 自分の二本足で大地を踏みしめて。


 一歩。

 光の当たる空間へ。


 『胸を張れ』


 侯爵家から除名されていたとしても。

 侯爵令嬢として。

 美しく、みやびに。


 胸を張って、前に進みましょう。


「――少し、よろしいかしら」


 貴族世界の入り口に立つ門番へ。

 優雅に微笑み、気高く挨拶を。


 【私】ではなく私だけの。


 【彼女】に誇れる、私だけの生き方を。

 示しましょう。


「私、ツインテイン侯爵令嬢のクオード=ミーラ・ツインテインと申します。

 こちらに、レトラス殿下はいらっしゃいますか?」





 ☆☆☆





 カツカツと、ただ靴が床を叩く音のみが響き渡る廊下。

 案内をしている使用人の後ろについて歩きながら、私はそっと深呼吸をします。


 『ツインテイン』という名と、それからフードを外していたお陰で左右の瞳の色が違うことにすぐ気付いていただけたこともあったからでしょうか。

 この屋敷には考えていた以上にすんなりと入ることが出来ました。


 アポイントメントなど、もちろんありません。

 ……そこまでクオード=ミーラ・ツインテインを探しているということでしょうか?

 理由が精霊王の奇跡を求めてか、他にあるのかは分かりませんが、どちらにしても国王が公認して国外追放をするような状況ではないことは確かでしょう。


「こちらでございます」


 がちゃり、と。

 応接間であろう部屋に私達は入ります。

 ……どうやらまだ、王子は来ていないようですわね。


「こちらにお掛けになってお待ちください。何か御用がありましたら、部屋の隅におりますので、御遠慮なくお申し付けください」

「えぇ、ありがとう」


 侯爵令嬢としての地位に立つ者として、正しい態度を。


 三ヶ月もの間平民として過ごした身としては、事前に行くという連絡もしていないのにも関わらず、ここまで高圧的な態度を取っても良いのであるのか、と。

 サクラの頃の記憶も相まって、精神的に辛いところはあります。


 肉体的にも、ここへ来るまでに出来る限り急いできたため、元から疲労が溜まっていたことによる疲れがどっと押し寄せてきております。


「……………………」


 けれどもそれを、態度に出すわけにはいきません。


 やがて。

 コンコンコンコン、こんこんこんこん、と。

 扉がノックされました。


 いらっしゃったようですわね。


 さらなる緊張でこわばりそうになる顔を、なんとか笑顔のままで保ち。

 私は立ち上がります。


 少し間が空き、そして。

 扉が、開かれました。


 心の中で、深呼吸。

 背筋をしゃんと伸ばし、しっかりと前を見据えます。


 姿を現した彼は、どこかやつれているように見えました。


「っ! …………待たせたな」

「ご機嫌よう、殿下。ツインテイン侯爵令嬢、クオード=ミーラ・ツインテインでございます」


 両手でスカートを摘まみ上げ、挨拶。


「本日は事前の連絡も無しに私の勝手で押しかけてしまい、申し訳ございません」

「……いや、構わない」


 流れるように王子は椅子へ座り、「お前も座れ」と仰られます。

 それを聞き、私も一言断ってから、先程まで腰かけていた席に着きました。


 ここからですわ。

 もう一度、心の中で深呼吸をして。

 ゆったりとしたまばたきで、不安と恐怖の意識を切り替えました。


 ……もう、逃げません。


「久しぶりだな、クオード=ミーラ嬢。今まで何をしていた」


 鋭い声音こわねに、鋭い視線。

 憶すことなく、息を吸って答えます。


 くらりと頭の中が痛んだのは、恐らく緊張によるものでしょう。


「この街で医者をやっておりました。ミーラ・ブロッサムという偽名を用いて医者の国家免許を取得していますので」

「医者……?」

「はい。この国では、生まれた時に名前を授かることの出来なかった孤児でも国家免許を取得出来るよう、偽名であったとしても免許の取得試験を受けることが出来るのです」

「それはさすがに知っているが……。いつ、試験を受けた?」

「半年程前です」

「まさか、学園での勉強をしながら受けたというのか?」

「はい、その通りです」


 続く問答の中、隅にいた使用人が紅茶を用意してくれました。

 ちょうど王子が驚いたように口ごもったタイミングに、私はカップを手に取ります。

 喉を湿らせ、心を落ち着かせまして。

 カップを机の上に置きました。


「そう、か。

 ところで、二日前の魔物災害があったこと、お前は知っているか?」

「はい。知っております」

「……その魔物災害で危機に陥ったとき、天からの光がすべての魔物を寸分の狂いなく穿うがったと聞いているが。

 それはお前が起こしたことか?」

「はい。私が、やりました」

「――なぜ、やった?」


 心臓がどくどくと激しく脈打っております。

 息を深く吸い込み、私は口を開きました。


「やらなくてはならないと、想ったからです」


「それは、お前が精霊王の奇跡を持っているから、か? やらなくてはならない責務を負っていたからか?

 ……その責務を、なんとなく思い出したからか?」


「いいえ、違います」


「ならば、なぜだ」


「私には守りたい人がいるからです。

 私に、心の底から叶えたいと想う理由があるからです」


 愛する喜びを、愛を知った喜びを、守りたい。

 愛を失い悲しむ人を、くしたい。


 これが、私の生きる意志であり、信念だから。


「…………やはり、か」


 ふと、王子は。

 乾いた笑い声をかすかに上げます。


 まるでそれは、何かを悟り、諦めたかのような声色こわねをしていて。


 スッと合わせられた瞳には、苦しいような、かなしいような、にくたらしいような。

 そんな光が浮かんでおりました。


「なん、でしょうか」


 その色は、思わず私が疑問を口走ってしまうほどのもので。


 王子は大きく、息を吸います。




「……クオード=ミーラ嬢。いや、ツインテイン侯爵令嬢。

 には、ではない他の、心を通わす人がおられたのですね」




「――――っ!?」

 果たして私は、笑顔かめんを外さずにいられたでしょうか。


「学園に通っていた頃から、なんとなく感じてはいたのですよ。

 貴女はいつも、感情を感じられない笑顔を浮かべていたから。

 僕の隣にいても、貴女はそれを婚約者としての責務としかとらえていないのであろうと。そう、考えておりました」


「……………………」


「いつだったか。

 ある日突然、貴女の様子が変わったのは。二年ほど前だったでしょうか。

 そしてその頃から、貴女は僕のことを避け始めました。

 代わりとでも言わんばかりに、聖女をあてがって」


 二年前。

 【私】が【彼女】と出逢った頃に合致しておりますわね。


「貴女は日に日に輝きを増していきましたね。

 外面ではそれほど変わらぬように見えるのに、貴女は美しくなっていった。

 ……なるほど。それも今思えば、貴女が僕ではない誰かに恋をしたから、ということですか。

 恋をした女性は美しくなると、そう言われますから」


 …………はい?

 王子ではない誰かに、恋をした?


 もしかして。

 いえ、もしかしなくとも。

 王子が諦観ていかんして話し始めてから、少しずつ、予想はついておりましたが。


 王子は、勘違いをしているのでは、ないでしょうか……?


 そしてそれは。

 ……私も。同じなのでは、ないでしょうか。

 同じであると、願いたいです。


「まったく、あの日は驚きましたよ。

 貴女は突然、婚約破棄という言葉を発したのですから。

 あぁ、なるほど。それさえも貴女の策略ということですか。

 侯爵家から、僕という婚約者から逃げ出すために作られたシナリオ。

 すでに貴女には、心の底から想い合う人がいたのでしょう?」


 違う、と。

 言いたかった。


 ですが、なぜか言えませんでした。


 表情は笑顔を保てているはずなのに。

 仮面の笑顔を浮かべられるほどの余裕は、あるはずなのに。


 笑顔のままに固まってしまったかのように。

 口を、動かすことが、出来ません。


 なんで、なぜ。

 言わなきゃならないのに。


 今、言わないと。

 取り返しのつかない過ちを、犯してしまうことは、確かですのに。


 言えない。

 言えない。

 言えない。


 イエ ナイ


「ツインテイン侯爵令嬢。

 なぜ今ごろ、僕の元へ来たのですか?」


 イエナイノ

 ナニモ イエナイノ


「フラれたりでもしたのですか?

 ……それとも、いまだに過去の恋に縛られている僕のことを嘲笑いに来たのですか?」


 チガウ

 チガイマスノ


 ワタシハ、

 貴方ニ――


「何か言ったらどうですか、なあぁっ!」


 ……からだが

 うごかない。


「なんで今も笑ってられるんだよっ。

 なんでここまで責められて、何も言わずにいられるんだよ!」


 いきが、できない。

 めのまえが、みえない。

 あたまがいたい。

 くらくらする。


 たおれてしまいそう、ですわ。




 …………――で、も。




「…………っ」


「ふざけるなよ、なあっ!!

 言っとくけど、言っとくけど、な」


「……っ、」


「俺は、お前のことなんてっ、」


「っ、」




「大っ嫌い、だからなッ!!」



 ――――っ、あ。


 ヤメテ

 ヒテイシナイデ


 キョウフ

 きょうふ

 恐怖。


 こワれてシまう。


 でも

 でも、でもっ。


「っ、…………スゥ……」


 今言わないと。


 私が私として、生きるためにっ。

 約束を、守るために。


 胸を張れる、私になるために――っ!


「いいかっ!

 わかったら、さっさt



「それでも私は殿下が好きですわっ!!」



o出てい、け……」


 立ち上がってしまいました。

 王子のこと、レトラス殿下のこと、見下ろしてしまっています。


 不敬になるのかもしれません。

 これが理由で、断罪されるのかもしれません。


 ……それでも。

 たとえ貴族社会で袋叩きにあおうとも。


 今は。

 今だけは。


 私が、私として。

 生きていきたいのです……っ。


「殿下」


 目の前がちかちかします。

 頭の中をガンガンと、鈍器で殴られているような気がします。


「私は、貴方を、愛しておりますの」


 吐いてしまいそうです。

 倒れてしまいそうです。


「だから、ここへ、参りました」


 それでも。

 胸だけは、張って。


「これ以上、逃げ続けたく、なかったから」


 深呼吸を。

 吸って、吐いて。


「……どういう、こと、だよ。

 俺のことなんて、どうでもいいんじゃなかったのか。

 だってお前は、あの日、卒業パーティーの日。

 俺の話なんて、聞こうともしないで、立ち去っていったじゃないか……」


「申し訳ございませんでした」


「それより前だって!

 お前は、まるで一秒でも早く違うところへ行きたいとでも言わんばかりに。

 俺の近くにはいたくないとでも、言わんばかりに。

 いつもいつも、逃げていったじゃないか」


「本当に、申し訳ありませんでした」


 犯した過ちは、謝らなくてはならない。

 たとえ謝ったところで許されなかったとしても。


「だったらなんで、今になって帰ってきたんだよ。

 逃げたくなかった……? ハッ、そんなの。

 なんで今さらになって、逃げずにここに来れたって言うんだよ……」


 おかしいだろ、と。

 王子は言いました。


 なんで、なんで……逃げずに来れたって、言うんだよ……。

 向き合うのが怖いから、逃げているっていうのに」


「…………殿下」


「なぁ、なんでだよ。

 俺は今でも逃げてるって言うのに。

 あの日。

 ようやく正式に婚約が結べるからって、舞い上がっていたからって。

 いきなりのことに、動揺して。


 お前のことを無理にでも引き留められなかったことから。


 今でも俺は、逃げているのに」


「……殿下」


「なんでだよ。

 なんで魔物災害なんて起こったんだよ。

 なんで、奇跡の光が、王城から。見えてしまったんだよ……」


「殿下」


「ここにだって、お前がいないことを確かめに来たのにさ。

 聖女がやったことだと、確かめに来たのに。

 聖女は違うって言うんだ。

 けど、一番有力なところへ行っても、そこにいた人からは違うって言われたからさ。


 ……もうお前には会えないって。

 そう、無理やり思い込ませようと、諦めさせようとしていたのに」


「レトラス殿下」


「なぁ、なんで来たんだよ。

 来てしまったんだよ!

 ……もう、見つからないっていう事実からも。

 逃げ出してしまいたかったのに、さ」


 …………。


「レトラス殿下っ!」


 パチン――ッ、と。

 部屋の中に乾いた音が響き渡りました。


「……クオード、=ミーラじょう……?」


 頬をはたかれた王子は、呆然とした顔でこちらを見ております。


「一人の世界に入らないでくだいましっ。

 たしかに、卒業パーティーの日に私が殿下のこと話をまともに聞こうとしなかったことは確かに事実ですし、変えようのない過去ですわ。

 だからって、ずっと貴方の話を聞いていなかったわけではなくってよ!」


「……?」


「私は、貴方のことを遠ざけようとしておりました。

 えぇ、そうですわ。私だって、怖かったのですもの。

 愛さえ知らずに生きていたからこそ、殿下を含む高い地位の世界が。

 愛のない無機質な世界に見えてしまったから」


「……俺は、お前を、愛していた。

 無機質なんて、そんな……」


「いいえ、愛してなどおりませんでしたわ。

 貴方が愛したのは、昔の感情の無い【私】ではなく、今の、愛を知った私でしょう?

 二年以上も前の貴方が【私】を見る目が、どれほど冷ややかなものだったのか。

 私は今でも、覚えておりますわよ」


「……そ、れは…………」


「ですけれど、変わっていく【私】と共に、貴方も変わっていった。

 貴方の私への態度は、次第に軟化していきましてよ」


「…………」


「そして、だからこそ。

 私は貴方に。

 レトラス殿下に惹かれてしまったのです。

 私は貴方にきつい態度で当たっているはずなのに、

 それでも私に優しくしてくれた貴方だったからこそ」


「――ッ!」


 頬が熱いです。

 恥ずかしい、というのもあるのかもしれません。

 けれども恐らく、体調の悪化もあるのでしょう。

 頭の中は既に、ぐるんぐるんとしております。


 それでも私は、続けます。

 今でなければいけないから。


 今でなければ、後悔してしまうから。


「殿下は先程まで、なぜ立ち向かえたのかと疑問に思っておりましたわね。

 正直私も、逃げ続けていたかったわ。

 だってそちらの方が楽ですもの。

 苦しまなくても済みますもの

 、ね?」


 そう。

 苦しまないのは、ほんの僅かな間だけ。


「いつか逃げている自分に気付いた時。

 きっと私は、苦しみますの。

 もちろんその苦しみは、立ち向かうことによる苦しみよりも楽なものなのかもしれませんわ。

 けれどもその苦しみは、断続的に襲ってきましてよ」


「だんぞく、てき……?」


「えぇ、そうですわ。

 とはいえ、人間というものは慣れる生き物。

 最初の方は辛くとも、慰め目を逸らし続ける内に、いつの間にかその苦しみさえも感じなくなっていくのかもしれませんけれど」


 たしかにその生活も、いつわりとはいえ幸せなものではあるのかもしれないですわね。


「ですが私は、何も感じられなくなって生きていくなんてこと。

 やりたくありませんわ。

 人間は自身に対して攻撃を加えてくるものに対して、結構敏感なものですの。

 そして恐らく、その危険信号の一つに、苦しみもあるはずでしてよ。

 ならば、苦しみを失った人間は。

 果たして、喜びを感じることが出来まして?

 愛を感じることが、出来まして?」


「……そんなの、わかんないだろ。

 苦しみがなくたって、愛せるかもしれない。

 仮定の話で、逃げずに立ち向かおうとする方が、よっぽど怖くて苦しいことなんじゃないのか……?」


 はて。

 これほどまでに、王子は。

 弱腰な人だったかしら……?


 ……あるいは。

 王子もまた、初めて誰かを愛したのかもしれませんわね。

 だからこそ、面と向かって否定されることが怖く恐く感じてしまっているのかも知れません。


 ですけれども。

 たとえ王子が逃げ続けようとしましても。


 私は、もう。逃げない、と。

 決めたのですから。


「――私と殿下を同じにしないでくださいまし」


 しっかりと、王子の目を見て続けます。


「私には、私を愛してくださる人達がいるのです。

 私の愛する人達がいるのです。

 私はもう、愛する喜びを、愛される喜びを、愛を知る喜びを。

 知ってしまったのです」


 だというのに、王子は。

 立ち向かうことハイリスクを背負わない代わりに、愛故の喜びハイリターンを投げ捨てると仰るんですもの。


「だから今更、愛を棄てることなど出来ません。いえ、したくありませんの。

 もし棄ててしまったら、絶対に私は後悔しますから。

 胸を張って生きていけなくなりますから。


 死んだように生きるなんて、ゴメンですのよ」


 一息入れ、また、私は紡ぎ出します。


「もしも今の私の行動で、断罪されるのならば。

 どうぞなさってくださいまし。

 今私は、この国の王子を侮辱しているのですから。罪に問われてもおかしくはありませんものね。


 あるいは、やはり立ち向かいたくないと。

 私のことを拒否なさるなら、それも結構。


 少なくとも、今この場所に来ずに、どこか違う場所でもんもんと『愛する心』を磨り減らして生ける死人に朽ち果てていくよりかは。

 ずっとずっと、私は前を向いて、歩いていけますから」


 パッ、と。

 部屋が光に満たされます。

 雲より太陽が出て、窓から陽が差し込んだのでしょう。


「こういう考え方を、独善的な考え方だと。仰っていただいても構いませんわ。

 ひとがりな、ただ自分がどうなるかを考えてばかりの思考であるとは理解しておりますもの。

 そうまるで、



 ――『悪役令嬢』のような考え方であると」



 あぁ、そういえば。

 乙女ゲームでも私は、悪役令嬢でしたわね。


 最後には必ず断罪され、散っていく運命の位置付けキャラクター


「たしかに私は、今まで逃げ続けた独善者ですし、今は勝手に立ち向かおうとしている独善者ですわ。


 ですが私は私として生きるこの生き方に、胸を張っていけると大きな声で言えます。

 いつか後悔するその日がやってきても、そのたびに、立ち上がって、前に進んでいくと。

 そう宣言できます。


 だから、レトラス殿下。

 自分には無理だと思い込んで。

 過去に【私】が、愛を知らずに生きていたからと。

 も逃げ続けることしか出来ないと、そんなことを言わないでくださいまし」


 私は。

 決して、散らない。








「悪役令嬢だからって、甘く見ないでちょうだいっ!」





 ☆☆☆





 それから。


 私の話を最後まで聞いてくださったレトラス殿下は、少し考えさせてくれと。

 迷いの混じった、しかししっかりとした芯のある光を宿した瞳で、私に宣言しました。


 必ず俺の中で答えを出すから。

 それまで待っていてほしい、と。




 その後、特にお咎めもなく屋敷を出ることの出来た私は、寄り道せずに病院へと帰宅しました。


 ただいま、と。

 裏口から入った瞬間にアイラから抱きつかれ、そこで緊張の糸も切れてしまったのかは分かりませんが。

 その場で気を失ってしまい、アイラが悲痛な叫び声を上げていたことは、再び目覚めた後に聞いた話でしてよ。 


 もちろん、意識を取り戻してから、アイラ以外の助手たちにも今回のことは全てお話しましたわ。

 謝罪をし、それで受け入れてくれる世界というのは、なんと優しい世界なのでしょうね。




 そして、今。

 私はとある王国の辺境の街で、医者として働いております。


 かの屋敷に乗り込んでから、まだ一週間しか経っていないからでしょう。

 レトラス殿下からの返事は来ておりません。


「先生、そろそろ休憩を終わりにしますか?」


 ふと、目の前に座っているアイラに声をかけられました。

 どうやら既に、紅茶を飲み干しているようです。


「そうですわね、行きましょうか」


 私も残りの紅茶を全て飲みまして。

 よっ、と立ち上がります。


 さて、午後も気合いを入れて行きましょうか。


 アイラと別れてから、一つの診察室に入った私は、いつも通り患者の診察をしていきます。


 やがて一時間程が経過した頃でした。

 ちょうど一人の患者の診察を終えたところで、伸びをした時のこと。


 診察室の外でワッと声が上がったのです。


 ……はて、何か起こったのでしょうか。

 まさかまた、魔物災害などと言うことでは……ありませんわよね?


 とはいえ、今はまだ勤務中。

 ここから動くわけにはいきません。


「次の方、どうぞ」


 外へ声を張り上げ、呼び掛けます。

 案内は助手がやってくれましてよ。


 さて。


「次の方の診察ファイルをいただけないかしら?」


 後ろへ視線を送りながら……あら?

 先程まで部屋の隅にいた、もう一人の助手はどちらへ?


 そうこうしている内に、扉がノックされました。



 コンコンコンコン、こんこんこんこん



「はい、ど、う……ぞ……」


 待ってくださいまし。

 このノックの叩き方は――――。



 がらがら、と。

 引き戸式の扉が開かれました。


 その、先に。

 

「クオード=ミーラ嬢」


 我が(元)婚約者たる方がいらっしゃって。


「なぜ――」

「その先は言わないでくれ。何が言いたいのか、俺もわかっているから」


 それは、と彼は言いました。


「なぜ俺がここにいるのか、だろう?」


 ……いえまあ図星ですけれどもっ!?

 そういうことじゃあ、ないんですよ!

 そういうことですけれども!!


「わかっているよ、今はまだ手が空いていないと言うのだろう?」

「い、いや、ちょっ」


 どういうことでして?!


 ってぇ、まさか。

 もう一人の助手がいなかったのって――!


 はかりましたわねぇっ!!


「俺はお前のこと、愛している」

「ひぃゆぁっ!!」


 な、なんですのよぉいきなりぃっ!


「そこまで赤くならなくてもいいだろ」


 あ、あ、、あ、、、


「赤くなんてなっておりませんわァッ!!」


 そんなの、的外れですわよぉッ。

 全く、なんなんですのよぉ!


「……何、用でしてよ」


 息絶え絶えの中、なんとか私は尋ねることが出来ました。

 もしこれで意味もなく来たと言うのでしたら、王子だろうとなんだろうと関係なしに蹴り飛ばして外へ追い出してやるんで――



「迎えに来た」



――すから、ね、…………、


「へ?」


 己でも呆けていると分かる声が、喉の奥から出てきました。


 そっ、とその場でひざまずく彼。

 私と目線をぴったり合わせ、静かに笑顔を浮かべました。




「クオード=ミーラ・ツインテイン侯爵令嬢。

 僕は君を愛しています。

 正式に婚約を、結んでいただけませんか?」












「――――はいっ!」




【完】

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