第五話 「本当に、それでいいんですか?」
「……色…美し…髪の………金……蒼…………違…色を……瞳…持ち……を…知ら…い……か?」
……誰の、声?
男の、声……。
懐かしい、ような……。
「そ…なんで……。…すが、知り……ん。申し訳あ……んが……」
……聞き覚えのある声。
たしか、アイラの……。
「…うですか。……りました」
もう一度、男の声。
それから、それから。
「…………」
周りはまた、暗く、静かに。
どこか深くへ、落ちていくような。
そんな感触に。
包まれ、て――――
☆☆☆
すっ、と。
どこか浮かび上がるような感触で、私の世界に光が入り込みました。
開いた
大きなふわふわとしたものの上で眠っていた、ということ。
このことはすぐに分かりましたわ。
少しして、それがベッドの上であるということも。
「…………」
私はゆっくりと上半身を起こします。
額からずり落ちたのは、少し乾いた冷たい布。
助手の誰かがかけてくれたのでしょうか。
脇の台の上に置いておきます。
どうやらここは私の寝室であるようですね。
恐らくは、私の起こした奇跡によって気を失った私を、誰かが介抱して下さったのでしょう。
あぁ、それよりも。
魔物災害は、どうにかなったのでしょうか。
今、病院は、きちんと動いているのでしょうか。
魔物災害。
私の奇跡の光線で、どうにか。
どうにかなった、はずですのよ。
病院。
こちらは、恐らく、私の助手達がまわしてくれているはずですわ。
どこかで不具合が起きているのではないか、と。不安になるところはありますけれどもね。
……そうですわ。
気になるのならば、ベッドの上から降りて。
様子を見に行けばよいのですのよ。
「よいしょっ――っと、と」
フラついた体を、慌ててベッドで支えます。
危なかったですわね。
立ちくらみでしょうか?
頭を軽く殴られたような感覚と、チカチカと目の前が明滅しましたの。
それから少し、血のような匂いがふっと鼻の奥の方を
珍しいですわね。
立ちくらみと言えば、低血圧の方に多いのですが。
私は特に低血圧というわけでもありませんので、今までなったことは、覚えている限りではないはずですのに……。
……とりあえず、収まりましたので。
部屋を出ましょうか。
少し鈍い吐き気を感じながらも、気になるほど辛いものではなかったので、そのまま、私は部屋のドアノブを回しました。
「あ、先生!」
寝室を抜けた先、いつもの休憩に使う部屋。
そこの水差しの前に、アイラが立っています。
「…………っ、」
駄目ですわね。
声を出すだけでも一苦労です。
疲れが溜まっているのでしょうか?
また少し、くらくらとしてきました。
「せ、先生っ。
え、えっと、ここに座ってください。まだ起きたばかりなんでしょう?」
「……そ、う……ね」
進められた通り、私は椅子に座りました。
まったく、そこまで焦らなくても良いのに。
「……はい、先生。水です。飲めますか?」
言葉と共に机の上には一つのコップが置かれます。
「……ありが、とう」
いただきましょうか。
そう思い、私はコップを持ちまし――
「――――っ」
――手が、滑った……?
……コップが。
上手く、持てませんわ。
力が、手に力が入らないので、しょうか……?
「本当に、大丈夫なんですか?」
ふと前を見ると、そこには心配そうな。
けれどもどこか、苦しそうで、何かを迷っているような。
そんな苦悶ともつかない表情をしたアイラが、私の手元のコップに視線を送っていました。
続けながら、彼女は私の向かいの椅子に座ります。
「えっと、ですね。あくまでわたしの予想なんですけど。
先生、あの魔物災害に日に気を失って、それで、今、目を覚ましたばかりですよね?
それで――その、先生が目を覚まして、まだフラフラで。
なのにもう起き上がって、歩いてきたのは。
病院のこと、気になったから。
ですよね?」
確かめるように尋ねてくるその声に、私は小さく。
頷くことで答えました。
……正直、声を出すことも
やはり何かがおかしいですわ。
ここまでの倦怠感。
今までで一度も無かったはずですのに。
……まさか、とは思いますが。
「…………先生は、わたしたちのこと。
どう思ってますか?」
ほぇ?
どう、思って?
「……なぜ……そのような、ことを?」
私が問いかけても、アイラは深く
ただ深呼吸をしているだけでした。
それから
このなんともいえない
私は。
どこかくらくらと定まらない思考のままの私は。
辛く、重く。
まるでまるで吐いてしまいそうな、感覚に。
襲われているようで、私も。
大きく、息を吸い込みました。
やがて。
一時間も二時間も、三日も四日も過ぎ去ったような、現実に
「先生は。
本当に、わたしたちのことを考えているんですか?」
一つ。
「……どういう、ことかしら」
考えている?
それはもちろん、
「考えている、に。決まっているで、しょう」
そんな、当たり前でしてよ。
だって貴女方は私の病院の一員。
【私】と【彼女】で交わした約束と。
そして私だけの意志に、貴女方の愛を失わせないことも含まれているのですから。
「…………ねぇ、先生。
先生はなんで、お医者さんになったんですか?」
はて、どうしたのでしょうか。
どこかアイラの様子もおかしいように感じられますが。
「そう、ですわね」
私が医者になった理由。
それは、【私】と【彼女】の約束を守るために、ということで良いのでしょうか。
「……愛を、守りたかったから。ですわ」
ああ、そういえば。
【私】が医者を志した理由を【彼女】以外に話したことはありませんでしたね。
それは脳裏に思い描くだけで、体の中に
私は、そっと。
夢を紡ぎ出します。
「昔。幼き頃。
【私】にはね、【私】を【私】のままに、愛してくれる人が、いなかったの。
【私】自身も、ただ課せられた責務だけ、を。こなす日々と、それのみをやり遂げよう、と。しておりましたの。
……特に、感情も、ないままに」
すっと息を吸い込みます。
アイラは変わらず机の一点を見つめているのみでした。
ですがおそらくは、聞いてくれている。
そう信じ、私は続きを語ります。
「けれども、ね。
ある日。本当にそれは、奇跡としか。言いようのない、出来事が、起こりましたの。
――【彼女】。
【私】のことを、本当の【私】自身として見てくれた、唯一の人。
そんな人に、出逢えましたの。
【彼女】は、【私】に、愛を知ることの、喜び。を、教えてくれた。
だからこそ、【私】は、私として生きる目的に。
この世の誰からも、愛する喜び、愛を知る喜びを、失わせない。
そういう夢を、抱きましたの。
故に私は、医者を志したの、ですわ」
……正確には、【彼女】がいたから、という理由もあります。
【彼女】の志していたものが医者だったから、私も医者を志した。ということも、まぁ、あることはあるのですが。
やはり一番は、【彼女】と交わした約束。
【私】が私として生きる約束に、違いはありませんから。
【私】の初めて心から叶えたいと想えたこの意志を、私が叶えて生きていくという約束に。
違いは、ありませんから。
さて、と。
体調も整ってきましたわね。
「アイラ。そろそろ、私も仕事へ向かいましてよ。今の状況を教えてくれるかしら?」
くいっと水を飲んで、私は言いました。
せっかく水は用意してくれたんですもの。水分も取っておくべきでしょうし。
それから再度前に向き直り――?
「……アイラ?」
視線の先には、なぜか涙を浮かべて顔を上げているアイラがいて。
「どう、されまし――
「うそつきっ!」
――た、の……?」
ガタン、っとした音は。
勢いよく、彼女が立ち上がった拍子に椅子が立てた音。
「なんで、そんなこと言えるんですかっ!
わたしたちのこと考えてるって、言えるんですかっ!?
愛する喜びをを守りたいって、そんな、そんな。
守れてなんかないのにっ!
踏みにじってしか、いないのにっ!!」
「…………えっ?」
なに、を。
いきなり、いったい…………
「そんな顔、しないでくださいよ!
たしかに、先生は愛を知らなかったのかもしれないけど。ずっとずっと知らなくて、わかんないのかもしれないですけどっ。
でもでも、こんなの。ひどすぎますよ、つらすぎますよ」
「先程から何を仰っておりますの? 突然そのようなこと言われましても……」
「じゃあ先生はいいって言うんですか?
どうでもいいって、言うんですかっ!?
――先生を愛する喜びなんてっ」
「……っ、……え……?」
先生を愛する喜び?
先生は、私のことだから。
つまり。
「私を愛する、喜び……」
「そうですっ。
わたしは先生のこと、敬愛してます。
そしてそれは、この病院にいる先生の助手だって、全員。同じはずです。
先生の、ひたむきに患者さんと向き合う姿勢も。
いつも優しく接してくれる態度も。
絶対に患者さんのことを笑顔にしてしまう魔法のような技術だって。
それだけじゃないもっと、いろんなところにっ。
惚れこんで、気づけば敬っちゃうから、わたしは先生の助手をしてるんです!」
「…………」
私を、愛する、喜び。
……考えてみれば、それが存在することは当たり前のことですに。
いつの間にか、私は愛されることがないと、思い込んでいたのでしょうか……?
「なのに、なのに。
魔物災害で、気づいたら先生、倒れてて。
――怖かったんですからぁっ。
先生が死んじゃうかもって、本気で思ったんですからぁ!」
アイラの頬をほろほろぼろぼろと流れていく涙。
……本当に、酷い過ちをしでかしてしまったことだけが。
今の私に分かる、最大限のことでした。
「もう、やめてくださいよぉ。
みんなみんな、すっごく焦ってたんですからぁっ。
先生目を覚まさないからって、みんなこの二日間は泊まりこんでたんですからね!」
「そ、それは……申し訳ありませんでした」
二日も寝込んでおりましたのね、私……。
「ホントに、ですよぉ……。う、うぅ……」
アイラはゴシゴシ目を
「……もう二度と、一人で無理なんてしないでくださいよぉ。
そりゃ、魔物災害は大変でしたけど。
先生しかできなかったことなのかもしれませんけど!
でも、なにか危ないことをするときは、相談してください。相談じゃなくてもいいですから、なにか一言、話してください。
……私たちから、愛する先生を、奪わないでください……」
どうしようもない程に真摯な瞳を向けられ、私は。
いえ、私も。
立ち上がり、しっかりとアイラの目を見て。
口を開きます。
「わかりましたわ。約束します」
それから、思い込みからの過ちにせめてもの誠意をと思い、お辞儀を。
しっかりと体を折り曲げた、敬礼と呼ばれる種のそれを致しました。
……あれ?
少し、頭がふらりと――
「せ、先生っ!?」
次に気が付いた時には、アイラにもたれ掛かる形で抱えられておりました。
「ま、まだダメじゃないですか!
えっと、ほら、とりあえず椅子にもう一回、座ってください」
「あ、ありがとうございます……」
彼女に支えてもらいながら、私は椅子に座ります。
……まだ疲労が抜けきっていないようですわね。
「……えっと。
先生の言葉、受け取りました。
約束、ですからね?」
「もちろんですわ」
私自身が愛されているとは、本当の本当に盲点でしたが。
私を失うことによって悲しむ人がいるならば。
私は、私を失わせるわけにはいかない。
まだ僅かに鈍い痛みが残る頭の中で、考え。
ぐっ、と。胸の前で片手を握りしめました。
決意を新たに。
私の犠牲による夢の実行だけは、しない。
そう、誓いましょう。
「さっきのは、立ちくらみですか?」
ふと問いかけられて前に向き直すと、アイラが少し視線をずらしておりました。
「えぇ、おそらく」
「まだ、疲れがとれないんですか?」
「そうみたいですわ。いつもならどれほど働いたとしてもそこまで引きずらないのですけれどもね」
そう答えつつ、心の中でそっと思います。
なぜ、疲労が取れないのかということについて。
さすがにここまで来れば私とて分かります。
そう、原因は――
「……精霊王の奇跡、ですか?」
――精霊王の奇跡によるものだ……と…………。
…………んんっ?
……んんんっ??
「……な、なんのことでして?」
いやはやたてはてまて。
いやはや、たしかに、ですよっ。
私が王子の元婚約者クオード=ミーラ・ツインテインであることが露見することよりも、魔物災害における魔物を排することでこの街の人々のことを守ることを優先しましたけれども。
ついでに王子の(元)婚約者と言えば精霊王の奇跡を授かりし人であることは、少なくともこの国では有名なことですけれどもっ。
……なんでこのタイミングで、アイラがその言葉を。
しかも、私に向けて!
言いましてよぉ……。
「その、ですね。
先生が寝こんでいる間に、王子さまがこの病院に来たんです。
二日前の魔物災害の時、いきなり天から光の束が魔物を貫いたみたいで。わたしは病院のなかにいたんで、見てなかったんですけどね。
その前に光が、どうやらこの病院から天に向かって昇っていったらしいんです。
それで王子さまが、この病院に来て、クオード=ミーラ・ツインテイン侯爵令嬢さまを知らないかって、尋ねてきたんですよ」
……王子が、この病院に、来た、と。
しかも、私を尋ねて。
…………なぜ、私の本当の名を告げていったのでしょうか。
王子の(元)婚約者の名前までがクオード=ミーラ・ツインテインであることまでは、有名ではありませんのに。
そう。
例えば、私のことを『ミーラ』という名と瞳の色で「精霊王の奇跡」と言い当ててしまった、かのメモルア部隊長のような。
つまりは一定以上の地位に属している方か、私と直接会ったことのある方でなければ知らないといいますのに。
ちなみにメモルア部隊長は、おそらく以前に私と直接会ったことがありましてよ。
部隊長の方の中には、私の名前を知らない方もおられますので。
「えっと、それで、わたしは知らないと答えたのですが……。
その、王子さまが、外見の特徴も教えてくれまして。
亜麻色の美しい髪の毛に、金色と蒼色の左右違う色をした瞳の持ち主であると」
――――あぁ。
これ、確実に露見してしまっているパターンですね。
あぁ…………。
どうしましょう。
「そのぉ、先生って、ミーラ・ブロッサム先生じゃないですか。
えっと、クオード=ミーラ・ツインテイン侯爵令嬢さまにも、『ミーラ』という名前が入っているじゃないですか。
あと、先生の外見。
王子さまが言ってたのとぴったり当てはまるなぁ、と思いまして」
……白状してしまった方が良いのでしょうか。
「それで、その、なんですけど。
先生って、侯爵令嬢さま、なんですか……?」
なぜか不安そうに問いかけてくるアイラ。
私が侯爵令嬢であることを隠せるならば、まだ隠したいと。
隠したままに、このまま医者として生きていきたいと。
そう願ってしまう心もあります。
もっとも、今の私が侯爵令嬢であるのかどうかは怪しいところですけれども。
除名されている可能性も大いにあり得ますから。
ですが。
ここまで侯爵令嬢としての特徴が知られている今。
隠し続けられる、ものなのでしょうか……?
隠し続けたいと、想ってしまう。
……医者としての立場を、生活を。
失いたくないと。
この気持ちは、約束によるものだけではない。
そうまるで、私自身がそう在りたいと願っているような気がしてならないのです。
「先生……?」
いつの間にか
彼女は、私のことを愛していると言っておりました。
そしてそれは、きっと、多分、……絶対。
私も、同じこと。
私は。
ただの医者としての私を支えてくれている助手たちのことを。
ただの医者としての人々を救うこの生活のことを。
――愛しています、のね。
「アイラ」
そっと。
私は微笑んで見せます。
今の今まで気付かずにいたこの想い。
私が愛されていて、私も愛しているということ。
手放したくない。
変えたくない。
……けれども。
いえ。
だからこそ、ですわね。
「私も、貴女方を愛しております。
貴女方を愛する喜びを失いたくありません」
息を呑むように、アイラが肩を上げました。
「だからこそ、私は告白しましょう。
愛しているから、愛されているから。
故にこそ、本当の私を知っていて欲しいのです」
「……はい」
深呼吸。
見えないかもしれない、膝の上の手を。
ピんっと先まで。
美しく伸ばし、きちんと重ね。
挨拶。
「私は、ツインテイン侯爵令嬢。
クオード=ミーラ・ツインテインと申します。
生来より精霊王様から、奇跡を巻き起こす力を授かっております」
『胸を張れ』
幼少の頃より叩き込まれた、侯爵家の一員としての心持ち。
「……っ、」
へたりと泣いてしまいそうなアイラ。
きっとそれは、私が彼女とは比べ物にならない程の地位の壁で隔たれていたと、私自身の口から告白したから。
今まで愛してきた『先生』が、消えてしまいそうになっているから。
胸を張れ。
自身の生き様に、胸を張って生きていけ。
後悔の無い選択を。
私は、選びます。
「
パッ、と。
重ねた手を外し、今度はニコリと笑って。
胸に手を当て、挨拶。
「私の名前は、ミーラ・ブロッサム。
【彼女】――
王国辺境の街で、医者をしておりますの」
平民に、表面の
侯爵令嬢として胸を張るために、着飾る必要はありませんの。
婚約者としていた頃では、私自身の本当の気持ちに胸を張り生きていくことができなかったのです。
だから、今は素直に。
選びたいのです。
「私は、侯爵令嬢ですわ。
けれども同時に、この病院の院長でもありますのよ」
それに、と私は続けます。
「たしかに昔は侯爵令嬢だったのかもしれません。殿下の、王子の婚約者だったのかもしれません。
ですが残念なことに、私は既に婚約破棄された身。
同時に、もう侯爵令嬢としての地位を失っているかもしれませんの。
だから、「……そんなこと、ないです」私は――? どうされましたの?」
あら……。
この病院から去るつもりはないと、そう宣言しようと
首をかしげながらアイラを見やると、今にも泣き出してしまいそうな顔でまさに口を開かんとしているところでした。
「婚約破棄なんて、そんなのウソですっ」
……………………はい?
「あの…………どういうことでして?」
困惑のあまり尋ねると、アイラは「ふやぁっ!」と肩を大きく跳ねさせます。
……そこまでこう、慌てなくてもよろしいのに。
「やっ、あ、えっと、その。
えっ……と、ですね。
ツインテイン侯爵令嬢さま、と」
「先生で構わなくってよ」
「ぇあ、っと、……先生。と、王子さまの恋路を、こう、詮索とかするわけじゃ、ないんですけど……。
そのその、んと、えと、……侯爵令嬢さまに言ったら不敬かもしれないんですが、えっと、その」
「言ったでしょう? 私はこの病院の医者です。
不敬もなにもありませんわ」
……「不敬かもしれない」、と。
実際の貴族社会でそう口にしただけで袋叩きにあってしまうような気もしますが。
今は関係のないことでしょう。
「あー、うぅ。っと、……では」
震える声を
「あくまで、わたしの見解でしかないんですけど。
その、王子さまが先生のことを探しに来たときに、ですね。えっとえっと……そのぉ。
すごく、必死に見えたんです。
まるでその人が大事で大事でたまらないかのような、ずっとずっと追い求め続けているかのような。
えっと、言葉ではあまり上手く言えないんですけども、それでも、です。
……端的な言葉で言うなら、ですよ」
目の先に座る少女が、息を吸ったことを。
私もそれで何とはなしに緊張して。
続きに、耳を傾けました。
「まるで、まるで、それは。
王子さまの姿は。
愛している人を、失ってしまったかのような」
「……」
「愛している人を、探しているように」
「…………!」
「わたしは、感じたんです」
……あい……アイ……愛……?
探して、いた…………?
でも。
ですけれども!
「……王子は、私との婚約を、破棄したはずでは……」
少なくとも乙女ゲームでは、
クオード=ミーラ・ツインテイン侯爵令嬢は、婚約破棄をされた上で断罪されておりました。
そして私自身が生きているこの世界でも、同じような結果となるように最大限仕組んだはずですのよ。
たしかに、
…………罪……回避………………
そう、いえば。
乙女ゲームの中のクオード=ミーラは、ミーラだったのでしょうか?
……そうですわ。
普通に考えれば、おかしなことですものね。
精霊王の奇跡。
生まれつき授かっていなければ、一生授かることはないといわれているもの。
もちろん、乙女ゲームのヒロインである聖女の持つ力も特別なものですが。
それ以上に、私が今持つ奇跡の力は。
特別で、稀少度の高いものではなくって?
その奇跡の力は、
ふと考え付いてしまって、やはり疑問に思いました。
ではなぜ、
国外追放などという刑を受けていたのか、と。
「先生、は」
ふと耳を掠めた声に、私は一度思考を止めました。
「なんでしょうか?」
「……先生は、王子さまの言葉。
ちゃんと、聞いたんですか……?」
「ちゃんと、聞いた……?」
それは、恐らく。
婚約破棄の、かの学園卒業パーティーでのことですわよね。
あるいは。
パーティー以前に、私が王子ときちんと話をしたことがあるのか、ということでしょうか。
「………………」
……きちんと話をしたことは、ありました。
むしろ王子を聖女と二人きりにしようとして、そこをよく王子に引き留められておりましたもの。
引き留め、優しく話しかけられて。
それで、気付けば。
恋に、落ちていたのですから。
けれど。
「あの日は、どこか先走っていたのかもしれませんね」
「あの日、ですか?」
「ええ。王子に婚約破棄をされかけ、私が王子に婚約破棄をした日のことですわ。
あの日私は、婚約を破棄した後に予定していた計画に気を取られ過ぎていたのかもしれません。
立てた計画を必ずやり遂げなくてはならなかったから、それが【彼女】との約束だったから。と。
しっかりとした目で、周りを見ていなかったのかも。しれま、せん」
もしかすると、私の考えていたことそのままが現実であったという可能性もあります。
ですが。
あの頃の【私】は、
私に向けられる愛に
そしてその思い込みは、きっと。
立派すぎるくらいの色眼鏡となり、【私】と私の見る世界を
この歪みは、相当酷いものでした。
『私が王子を愛する喜びは犠牲にしても良い』と考えてしまう程には、恐らく。
「ねぇ、先生」
確かめるような口調で、アイラは言いました。
「先生は王子さまのこと、好きでしたか?」
「……好きでしたわ。
今でも愛しております。
かつて約束と意志と夢のために、棄てたはずですのに。
棄てきることなど、出来やしなかったのです」
自分で言っていて、なんだか
……アイラは、この病院に王子が来たと言っておりましたか。
もし、もしも。
もう一度、彼に会うことが出来たら。
いえ。
無理な話ですね。
「……本当は、ですよ。
本当は、ずっと先生は先生でいてほしいんです。わたしも、先生との日々は手放したくないんです。
…………でも」
アイラが、顔を上げて。
決意の灯った光で、私の瞳を見つめました。
「先生、立ち上がってみてください」
「ぇっ、ぇえ」
突然どうしたでしょうかと思いながらも、私は立ち上がりました。
……っ、まだ。
立つと、頭が痛くて、少し血の匂いがして、目の前が暗くチカチカとして――。
ふらりと倒れ込んでしまいそうになる私を、アイラは無言で立ち上がり、机越しに支えてくれます。
「……やっぱり、ですか」
そのまま座らずに、私の助手は言いました。
「先生、疲れが取れてませんね。
まぁ、先生一人の力で魔物災害の魔物の群れを跡形もなく消し去ってしまったことを考えれば普通なのかもしれませんけど。
こんな状態じゃ、先生、歩くこともままなりませんね。
もしかするとどっかでつまずいて転んで、頭打って死んじゃうかもしれません」
アイラの声も、どこか遠い世界の音のように聞こえて。
けれど、も。
立ち続けているためか、少しずつ症状が収まってきているように感じます。
「先生」
凛とした
それはくらくらした私の耳に、鋭く。入り込んできました。
「先生は今、辛いですか?」
「…………っぇ、え。……そ、ぅね……。あた、ま、……いたい……です、わ……ね」
「頭が痛いだけですか?」
「………………いい、え
……王子と、会えない、ことが。
もう二度と、話せない、ことが。
――何よりも。……辛い、こと、ですわ」
恋をしてしまったから。
彼を愛してしまったから。
だからこそ、辛く、苦しい。
……心臓が強く激しく打ち付けているような、頬の辺りが熱くなっているような、目元から
この気持ちは、まるで。
けれども、少し、違うようで。
「わかりました。
……先生、約束です」
私の頬に、ツぅーっ、と。
流れ落ちてきたものは。
頭痛の収まりつつある頭を、なんとか。
視線だけでもと、上に向けました。
「アイ、ラ……?」
なぜ、貴女が。
泣いておりますの……?
「死なないって。
そう約束してください。
また会うって。
約束してください」
「……わかりましたわ。
私は、死なないと。無事でいると。
約束致します」
そんな。
私はどこへも行きませんのに。
「約束、ですよ?」
「ええ。
けれど私は、どこへも行きやしませんわ」
「……うんん。
先生は、行きますよ」
そっと微笑みながら、アイラは言いました。
「だって、先生。
王子さまに会いに行きたいんでしょ?
王子さまを愛することを諦めたこと、悔やんでいるんでしょ?」
「………………ですが。
私ではもう、会いに行けませんの
今の、侯爵令嬢ではない私では。
身分が、違いすぎますもの」
「……どうでしょうね」
頬に涙を伝わせ、けれども精一杯に笑顔を浮かべて。
私の助手は、口を開きました。
「王子さまがこの病院に来たの、数時間前ですもん。
きっとまだ、この街にいますよ。
……先生なら。
王子さまの婚約者だったミーラ先生なら。
王子さまがこの街に滞在するときにどこにいるのか。
わかるんじゃ、ないですか?」
「…………で、も……」
「先生。
ミーラ・ブロッサム先生。
クオード=ミーラ・ツインテイン先生。
この機会を逃したら、もう二度と。
王子さまとは会えないんですよ?」
だって先生は、この街の医者だから。
そう告げて、アイラは。
そっと。
私の胸を押しました。
「約束。
覚えていますよね?」
「……はい。覚えておりますわ」
「なら、先生」
そして。
そして、そして。
まるで私を勇気付けているかのように。
彼女は、小さく。目を細めて。
「本当に、それでいいんですか?」
――――――…………。
…………約束を。
――「ミーラはミーラとして生きるって。そう、約束してほしいの」
――「死なないって。また会うって。約束してください」
叶えに行きましょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます