第四話 「全てを救いの奇跡で、御導き下さい」



 精霊王の奇跡、と。

 この方は仰って……?


 口の中が、乾いていくような。

 背筋に冷たいものがせり上がってくるような。

 ――どこでバレたのか、と。

 頭の中でぐるぐると。

 回りはじめて……――――。


 ……いけません。

 今、動揺している時間などありませんわ。

 まずはメモルア部隊長のお怪我を手当てすること。

 これが最優先事項でしてよ。


「……治療に入らせていただきますわね」


 一言、私は彼に告げまして。

 準備した道具を手に取りました。


 現在考えるべきは、部隊長の治療について。

 手早く、確実に。

 治療を進めていきます。


 幸い……とは言ってはよろしくありませんが。

 メモルア部隊長はお怪我の影響で、気を失っておられます。

 これならば、奇跡のことにも触れられることはないでしょう。

 治療に専念できますわ。


 連れてきた助手と共に、十分にも満たない時が流れ。

 それはまるで一時間とも十時間とも感じられて。


「あとはメモルア部隊長様がお目覚めになるのをお待ち下さいまし」


 部隊長に付き添って来られた兵士に、私は告げました。


「ですが、これはあくまで応急処置に過ぎません。魔物災害が落ち着き次第、きちんとした手当てをする必要がありますの」


 いくら彼が部隊長だとはいえ、彼ばかりに時間をかけているわけには参りませんから。

 負傷者は、まだ、おられます。


「わかり、ました。ありがとうございます」

「いえ、これが私の仕事ですから。

 それから、もしメモルア部隊長様の体調が急変したときは、すぐに近くの者に申し出て下さい」

「はい」


 付き添いの兵士が頷くのを見て、私は安心させるように笑顔を浮かべ、一礼。


「それでは私は、失礼致します」


 まだまだやることは、たくさんありましてよ。


 王子への愛を犠牲に、私が選びとった未来。

 想い。



『見知らぬ誰かだとしても、わたしが救えたら。

 ――とっても素敵だな、って。そう思って』



 いつしか【彼女】が言っていたこと。

 【私】が経験してきた人生。


 この二つが合わさり、今の私がいる。

 私の想いがある。



 立場上、親からの愛情を受けられずにいた【私】。

 そして【彼女】から受けた、無償の愛。

 そんな【私】だからこそ、紡ぎ出せた想いがある。


 そう信じて、今の私がいますの。



 愛する者を失うことは、辛く、苦しい。


 ならば、と。

 愛する者を失わないように、せめて私に出来ることを。

 たとえ見知らぬ誰かであろうとも。

 笑顔を失いさせたくはない。


 私のように、愛を知らずに生きた者にも。

 いつかは愛を知るときがある。


 巡り逢いしその日に、笑えるように。


 私は、医者になりましたのよ。


 愛を持つ者には、愛を失わせないように。

 愛を持たざる者には、愛を知る喜びを失わせないように。


 私は生きていく。

 そう、【彼女】とも約束しました。


「……ふぅ」


 心の奥底で、決意を確かめながら。

 私は、次なる患者の元へ向かいます。


 この魔物災害は、乗り越えなくてはなりませんわ。

 実際に魔物と戦うのは私ではありませんけれども。

 少しでも、乗り越える力添えが出来ることを願いつつ。


 いえ、まぁ、正直なところ。

 私の奇跡の力をもってすれば、戦況を良い方向へ大きく動かすことは可能でしょうが。


 ……今この国には、聖女がいらっしゃいます。

 元婚約者たる王子も、戦闘に関する類いまれなる才能をお持ちでしたから。


 そして恐らくは、この魔物災害に際して、少なくとも聖女はこちらにいらすはず。

 乙女ゲームでも、たしか、そうだった気がします。


 聖女の力は、戦闘を行うものへの祝福を与え、一時的に能力をあげるというもの。


 私の奇跡の出る幕など、ありませんわ。

 きっと。





 ☆☆☆





 その報告があったのは、メモルア部隊長の治療を終えてから、さらに一時間ほどの時が流れた頃のことでした。


 ちょうど休憩を取っていた私に、同じく休憩を取っていたアイラが、そういえばと。

 話の流れで言いましたの。


「先生、聖女様がご到着になったみたいですね」


 私はそう聞き、コトリとカップを机に置きました。


「あら、そうですの?」

「はい。つい先程運ばれてきて、わたしが治療した方が言ってました。初陣だそうですよ」


 やはり聖女は来ましたか。


「なんでも、聖女様だけが急いで来たみたいで、王都からの救援はまだみたいですけど。

 でも、聖女様が来てくれただけでも、心強いですよね」

「そうですわね」


 聖女の力があれば、今回の魔物災害もどうにかなるでしょうし。


 そう少し心に余裕ができたように感じた。

 その直後のことでした。


「大変ですっ!」


 扉を開けて飛び込んできたのは、この病院の医者の一人。


「前線が、突破されたみたいです!」


 シンッ、と沈黙がその場を支配したことだけはわかりました。


「魔物が、街に、来ますっ!!」


 思わず立ち上がってしまいました。

 ……マズイですわね。


「せ、聖女様が来たんじゃないんですか!?」


 アイラが隣で叫んでおります。

 私は、なんとか、冷静になろうと。

 深呼吸をしました。


 なぜ、聖女が来た直後に、前線が突破されたのか。

 ……いくつか考えられることがありますが。


「アイラ、落ち着いて下さいまし。

 聖女様は初陣なのでしょう?

 もしかすると、能力の引き上げに兵士が振り回された可能性もありますわ。

 初陣ということは、恐らく一度もこの街の兵士に祝福をお与えになったことがなかったのでしょうから」


 今のところ、一番有力な考えがこれでしょうか。


「もちろん、突然倍以上の魔物が襲い来た可能性も否定できませんが」


 どちらにしても、このままでは最悪この街が滅びてしまう可能性があります。


「二手に別れますわよ。

 片方は急いで街から脱出する準備を整えて下さいまし。

 もう片方は、治療の方をお願いしますわ。この病院にいる患者全員を、一人で動ける状態にまで持っていきますの」


「わ、わかりました!」

「はいっ!」


 二人が部屋を出ていくのを見送り、私は一つ。

 深呼吸をします。


 さて。

 どう、致しましょうか。


 私の想い。

 【彼女】との約束。


 双方を満たすためには、この街の滅亡を見過ごすわけには参りません。


 ……いえ。

 迷っている時間はありません。


 所詮私が気にしているのは、私がミーラの名を持つ元王子の婚約者であると露見すること。

 そして、は今、どうでもいいのです。




 大事なことは、悲しむ人をゼロにすること。




 そのためにこの街を救わなくてはならず。

 そのために私が奇跡を起こさなくてはならないのなら。


「いいでしょう」


 後のことは後に考えれば良いのですから。


 指を絡ませるようにして、両手を組みます。

 そして、天を仰ぐようにしてその場に跪きました。


「どうか――」


 祈るように、紡ぎを。


「私のいる街に、奇跡を」


 神聖な雰囲気で、私のいる部屋が満たされていきます。


「救いを――願いを……

 精霊王様の御力で、私の力を糧にして」


 私の体力が根本から吸い上げられていき。

 くらくらと揺れる視界を。

 私は閉ざしました。


「全てを救いの奇跡で、御導き下さい」

 私の力だけでは成し遂げられなかったことを。


 この街の救いを。

 愛を失わせないようにする、力を。


 額に手を当てるように、礼。


 ふと、体が軽くなるような感覚。

 直後、突然の疲労感に見舞われる体。


 耳の中に飛び込んできたのは、驚愕の声。


 なんとか立ち上がり、壁を伝うようにして裏口から外に出ました。


「あぁ――……」


 空から降り注ぐ、光の束。

 魔物の群れを穿うがっていると。

 感覚的に、分かります。


「なんと、か……なり、ました……わね」


 奇跡は無事に、もたらされたようですね。


 そして私の意識は、暗転しました。


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