第二話 「大変です、先生っ」




 計画はほぼスムーズに進みましたわ。


 幾つかの対応策を練っておいたお陰で、これといった大きな失敗をする事も無く。

 私は今、庶民の格好をして【私】と【彼女】で稼いだお金で購入した建物にいますの。


 到着したのはつい先程の明け方。

 これも予定通りでしてよ。


 さて。

 カップを机の上に置きまして。

 そろそろ開院の準備を始めなくては。


 生活用品は元よりこの家に置いてありましたの。

 いえ、私の身を移動する際に最小限の荷物だけで済むようにしておいた、と表した方が正しいかしら。


 そして今日から私は、医者となりますの。


 年中無休というわけではありませんけれど、基本的に休み無しで夜の救急の患者にも対応した、そんな病院の医者に。


 医学の方はきちんと勉強しておりますし、ここで病院を開院する事に関しましても国に許可を得ておりますわ。

 もちろん、助手だって何人か雇っております。雇用自体は今日からですけれども。


 何よりも。

 私自身が医者として働きたいと。

 そう、願いましたの。


 【彼女】との時間の中で、私がようやく見つけ出せた答えですわ。

 誰にだって邪魔はさせませんとも。


 あら。もうこんな時間。

 本当に準備を始めなければ間に合わなくなってしまいますわ。

 開院前にまた紅茶も飲みたいですし。

 準備、始めましょうか。


 そうは言いましても、今からやらなくてはならない事はあまり多くはありませんのよ。

 これも事前に整えておいた分がありますので。

 だから時間も、言うほどかかりませんの。

 えっと、これとアレと、それからこっちもですわね。

 あ、いけない。忘れていましたわ。

 白衣、着ませんと。



 それからおおよそ二時間ほどで開院の準備を終わらせる事ができましたわ。

 ふぅと息を吐きながら、ポットのお湯が沸騰するのをまっているところですの。


 カランカラン


 ポットの下の火加減を見ていましたら、来客のベルが鳴りましたわ。

 そうですわね。

 そろそろ来てもおかしくはない時間帯ですもの。


 ちょうどぽこぽこと音を立て始めた水面に、私は火を止めます。

 それから裏口に向かいましたわ。


「おはようございます、ミーラ先生」


 立っていたのは、助手の一人。

 長い髪の毛を三つ編みに編んだ、とても真面目な良い子ですの。


「おはようですわ、アイラ。さっ、中に入ってちょうだいな」


 彼女は私が呼んだ時にはいつも一番に来てくれますのよ。


「今紅茶を入れる為にお湯を沸かしたところだから、少し待っていてくださるかしら?」

「は、はいっ、わかりました」


 ふふっ。

 彼女も緊張していますのね。

 私だって緊張しておりますわ。それこそ眠気も吹き飛んでしまうくらいに。

 睡眠は昨日のパーティーの前にこっそりと数時間取っているので体は辛くありませんけれど。


 無理をしてまで移動をしたその日から病院を開院するのは、もしもの時に備えてのアリバイ作りの為もありましてよ。

 流石に移動をした日に病院を始めるなどとは、誰も考えないでしょうから。


 ちなみに、私はこの街ではミーラと呼ばれていますの。

 本名はミーラ・ブロッサムと名乗っておりますわ。

 あまり私の本当の本当の名前とかけ離れてしまいますと、逆に呼ばれても気づかないなどといった事態が発生してしまう可能性もありますから。

 だからといってクオード=ミーラ・ツインテインと名乗る事は流石に避けた方がいいかと思いまして。


 ブロッサム、というのは【彼女】の名前から取りましたの。

 【彼女】と【私】で私、ですので。

 あながちこの街で名乗っている名前も間違ってはいませんのよ。

 いえ、いっそのことならばこの名前として生きてくのも有りかもしれませんわね。

 気持ちを新しく、一新した私として。


 さて、そろそろ紅茶も宜しいかしら。

 カップは二つ、用意しなくてはなりませんわね。


 二つ。

 この光景は、【私】と【彼女】が共にいた時には絶対に有り得る事の無かった光景。

 いつも話してばかりで、そういえば紅茶を飲もうなどといった会話は無かったような。


 【彼女】と、一度でもいいから、一緒に紅茶を飲んでみたかった。

 そんな想いもなきにしろあらず、といったところでしょうか。


 ふと揺れるカップの水面に映る私。

 なんだか泣きそうで、気を引き締めなくてはと慌てて思ってしまいますの。

 今日から私は、医者になりますのよ。

 しゃんとしなくては。





 ☆☆☆





 私が医者となってから、実に三ヶ月という時が流れましたわ。


 王宮やツインテイン侯爵家からの追っ手も特には無く、どちらかといえば忙しい毎日に追われるようにして過ごす日々となりましたの。

 もちろん噂として「王子様の婚約者が失踪した」というものは聞きましたけれど。

 いくら辺境の大きな街とはいえ、むしろ大きな街であるからこそ森の中の一枚の葉のように、見つからなかったのでしょう。


 追っ手が来ていた可能性は否定できませんが、たとえ街中ですれ違っていたとしても気づかれなかったでしょうね。

 私の髪色はこの世界ではよく見かける亜麻色ですし、着ている服だって一般庶民なものですもの。


 唯一バレてしまう危険性があるのは、私の瞳の色でしょうね。

 普段は前髪を長めにしまして、バレないよう隠しておりますけれど。


 片方は普通の金色。

 もう片方が深い蒼色。

 つまるところ、オッドアイというものですの。


 私の瞳の色は、私がミーラという名を授かった理由でもありまして。

 『精霊王の奇跡』なるものを受けて生まれてきた人に授けられる名ですの。


 精霊王の奇跡とは、精霊の力を借りてその名の通り『奇跡』を起こす事の出来るもの。

 奇跡の内容は基本的にプラスの内容で、しかも相当集中しなければ起こせなく、終いには奇跡を起こした後は非常に体力を消耗して動けなくなってしまう、などといった制限がありますけれど。

 やはり奇跡が使えるということだけでも非常に珍しく、同時に重宝される存在ですのよ。


 付け加えまして、奇跡とは使い手の願った現象がそのまま現実になる事を言いますの。

 先程も述べました通り、原則世界に対してマイナスになるような現象は起こせませんが。

 例示してみるならば、そうですね。

 怪我や病気を治したり、といったところかしら。

 医療関係者として、一つの病気や怪我でも治す為には程度に激しく差があるとはいえ大変ですわ。

 それをたった願うだけで治してしまいますのよ。

 奇跡はとても凄いものであると思いません?


 まぁ、制限が厳しすぎて普段使い出来るような代物ではございませんけれどもね。


 さて、と。

 今日も間もなく開院の時間ですわ。

 気合を入れていきましょ――


「ミーラ先生っ!」


 ――う。……何事ですの?

 いつもは大人しいアイラが慌てておりますが……。


「大変です、先生っ。


 魔物災害が発生しました!!!!」




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