エの字がもったいない

星井戸莉々子

青春

 はじめてなのでテストとしてこれをあげます。読みずらいかもしれません。



 正直言って難の多い青春を過ごした。



 暗い中学時代


 そこそこ明るい、いい子でいることが無駄だと知った高校時代

 

 青春などという形容は、馬鹿みたいだなぁと思うばかりだ。それは、私が私の思う青春を過ごせなかったからである。結果はどうあれ恋はした。だか、他が疎かになってした。どうも1人でいたいことが常なのだが、やはり仲間が恋しい時もあった。それは、アニメや漫画を見た時。仲間が必ずいて、そんな仲間達と共闘したりギャグやったり。自分にない物が目立つのは当たり前だがやはり寂しかった。


 高校生で、一つ夢が叶った。

 私は小学生の頃から、学校行事以外で友人とディズニーに訪れたことがなかった。

 中学生の頃、父親が同僚の子供が泊まりで友人とディズニーに行くという話をされたらしく、 


「お前も友達と行く?」


「あ、友達いないか笑」


 と言われた。確かにディズニーに行きたがる友達は少なかった。 


 なぜか父親には、私には友人がいないと思われている。実際に、友人は少ない。理由は、私が家で聴いている音楽にあるのかもしれない。私はみんながジャニーズや秋元康の平成以降の娘達その他の現代音楽を聴いている間、80年代の曲やヴィジュアル系を聴いていたからかもしれない。とどのつまりは偏見である。

 いやいや、自分の趣味を理由にするのはよろしくない。中学生の頃は今より暗い性格で、雰囲気も黒紫色に淀んだようなものが私にまとわりついていたのが周りの人には見えていたのかもしれない。


 高校に入学したての担任の私への印象は

「切れたナイフ」だったそうだ。かなり怖がられていたのだろうか。今でもわかっていない。

 入学してから、友人はそう簡単にはできなかった。中学の頃の友人も同じ高校にはいないから本当に1人だった。部活に入って、年上の小学校からの友人にひっついていた。でも、次第にひっつく必要がなくなってきたのだ。部活の先輩や同級生という仲間と話す量が増えて、私は1人ではなくなっていったから。 


 仲間ができた。


 それはほんの些細だが「いい人に恵まれていた」奇跡だった。


 だんだんとお互いを知って、長めに固まっていた緊張感がこれでもかという程ほぐれていき、みんなで帰るようになった。学校は辛かった。けれど仲間のおかげで毎日が楽しくなった。そしてついに、高校生にしてはじめて仲間とディズニーに行った。先輩は卒業してからも部活に顔を出しに来てくれたりして仲良くしてくれている。


 そして、私もついこの前学校を卒業した。

 三年間を共にした担任に花を渡した時涙を流してくれた。


 中学生の頃の私に話したいことがたくさんできた。臆病で全てが敵に見えたあの頃の私がもし今タイムスリップしてこの事を教えたら、きっと気楽に生きられた。だけれど、仲間のいる今はこないかもしれない。そう思うと、あの頃の苦しみは懐かしく、微笑ましいか。


 そんな訳ないだろう、苦しかったし笑えない。


 諸君、過去は美談になるためには生まれない。現実は甘くない。結局総じて考えると青い春というより、黒紫色の春だった!!!

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エの字がもったいない 星井戸莉々子 @pirikara

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