そろそろ飽きてきましたわ、異世界22522

辻野深由

哀しいことですね

 世界を繋ぐ狭間の空間にて。


「アッシュ……また、ヘルヘイムへ戻るのですね」


 どこか憂いを帯びた表情で女神ジャスティが凛と呟いた。

 そこにはなんの感情も宿っていない。

 悲しむことも、喜ぶことも、怒りを抱くことも、驚いた素振りもなく、ただ、その事実を事実として受け止めるために確認するような声音だった。


 久方ぶりのジャスティとの邂逅は、喜ばしいことのはずなのだが、如何せん年を取り過ぎたせいで感情の波が立たない。


「悪いな、女神様。二つの世界の均衡を保つってのは、どうにも難しい。何度やっても慣れないもんだな。……時間の感覚もなんだか正確にいかない。思った以上にアクレイアにいすぎたみたいだ。完全な平和が成り立ってしまったらヘルヘイムは滅びるしかなくなる。そうである以上、いつまでもこっちの平和維持ばかりはしていられない。わかりきったことだろう?」

「どうせならこのままアクレイアに居着いて、ヘルヘイムを滅ぼすということも一興なのではないかと思っているのよね」

「……おいおい、急にどうした。あんたらしくない」

「だって、これでもう2億2522万年もの間、この二つの世界の成り行きを見守っているのよ? 全知全能の神様が飽きるという感情を獲得してしまうどころか、この退屈を持て余してしまうことすら不思議なことではないと誰もが認めてしまうほどの月日でなくて?」

「へぇ……あんたにも人間らしい感情を宿す機能が備わっていたんだな」

「それは感心? それとも呆れ? 幻滅したかしら?」

「ははっ、滅相もない。単純な驚きだよ。人間の俺からしてみりゃ、少しくらい感情があったほうが可愛いげがあるってもんだ」

「そんな言葉が似合う歳でもないのだけれど……なんにせよ、均衡を保つという役目をあなたに任せすぎたのが原因かもね。とうに思い出せないけれど、本来の私はもっと機械的に物事を考えていたはずで、あなたと他愛もない雑談に興じることに価値など見出すこともなかったはずなのに。こうして狭間に戻ってくるたび話しかけてくるものだから……」

「んだよ……別に悪いことじゃねぇだろ?」

「感情を獲得することの善悪の判断なんてつかないわ。感情を失うことはできない。手放すことはできない。感情を宿していなかったあの頃の私に戻ることもできない。そうである以上、善悪とう区別をつけること自体が無意味でもあるけれどね。そもそも、昔がどうだったかなんて、もはや記憶にはないわ」

「2億年だろ? ……んな昔のことは俺も忘れた。ただ、ここまで長生きしてるとよ、世界がどうなろうとどうでもいいって気持ちが大きくなっちまうからいけないよな。……ああ、なるほど、そうか」

「なにを勝手に得心しているのですか」

「いやぁ……なに、いよいよ堪忍ならなくなったわけだ。あんたはアクレイアにもヘルヘイムにも興味が失せたんだよ。そういうこった」

「……そう、なのかもしれないわね」

「だから、破壊衝動が湧いてくるってわけだ。滅ぼすなんて、あんたが一番口にしちゃいけないってのに」

「つい、うっかり」

「俺もあんたも軽いはずみで世界をどうとでもできちまうんだから気をつけてくれ」

「……善処はするつもり」

「……おいおい」


 ああ、こいつはいよいよ重傷だな……。

 そろそろ、俺の役目も終いかもしれない。


 絶対なる至上命題を一瞬忘我してしまう程度には長い年月を、ジャスティは生き存えてきた。そして、俺もまた、こうして平行世界の傾き具合に鈍感になってしまう程度には頓着がなくなった。

 天秤を平衡を司る女神ジャスティに、必死に二つの世界を行き来して、世界を維持してくれと頼まれて、2億年も過ぎたんだな……。

 そろそろ、休憩してもいいかもしれねぇなぁ。なんてことをぼんやり考える。

 すると、不思議と哀愁を感じてきてしまう。まぁ、これもしょうがないことだろう。こんなにも長い間、世話をし続けてきた世界なんだし。


「……もし、そろそろ何もかも終わらせたいんだったら、あと少しだけ辛抱してくれ」

「ん? どうして?」

「世界をふらつく俺にだって、大切なものや場所ってのがあるんだ。アクレイアにも、ヘルヘイムにも」

「……つまり、お別れをしたいわけか」

「最後の里帰りみたいなもんだ。ちょっくら世話になったところに挨拶してくるからよ。それが終わるまで待っていてくれ」

「……しょうがないわね。ここまで付き合ってくれたのだし、それくらいのわがままだったら許してあげる」

「懐が深くて助かるよ。そんじゃ、ちょっくら行ってくるわ」


 ――挨拶まわりついでに、今度こそ、この退屈な世界たちを終わらせに。

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そろそろ飽きてきましたわ、異世界22522 辻野深由 @jank

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