第2話 私が決意をした日


あれから、すっかり大人しい性格になってしまった私は、中学校に入学してからはなるべく目立たず生きていくことを決めた。

自分の意見は言わない。言われた事には笑顔で答え、理不尽な要求をされたって、黙って従う。

そうすることが私の心を守る唯一の方法なのだと信じて疑わなかった。

私の住んでいた田舎町は、子供の数が驚く程に少なかったから、中学校に上がってもメンバーはほぼ変わらない。

だから、たまに昔の名残でからかわれることはあったけれど、それでも皆、部活や恋愛などに関心を寄せるようになったお陰で、私にいちいち絡んでくる男子は随分と減っていた。


中学3年になり、進路を決める時。

私はひとつ年上の兄が通っていた専門学科の多い高校を受験することに決めた。

そこは少し前まで男子校だったが、女子向けの学科を作ったことで共学になり、この中学からそこを受験する女子生徒はまだ殆どいなかった。

担任の先生からは、実例のない高校を受験するよりも隣町にある近場の高校を受験するように進められたが、そこはこの中学校の生徒の半数くらいが受験するというから、私は頑なに拒否した。

クラスメートの男子も女子も、皆大嫌いだった。

仲が良かったはずの男友達も、女友達も、ちょっとしたことがきっかけですぐに手のひらを返したのだ。

今は平穏な暮らしのために我慢しているけれど、あんな奴らの顔なんて2度と見たくなかった。

それは同級生だけでなく、先輩も含めてだ。

明らかに気弱そうに見える私は、部活の先輩からも度々憂さ晴らしのターゲットにされていた。

こんな地獄みたいな環境から、私は一刻も早く抜け出したかった。


担任の先生と母と私で進路についての話し合いをした時、隣町の高校を進める先生に、母が言ってくれた。

「とりあえず、受験だけでもさせてやってくれませんか?もし落ちたってこの子の自己責任なんで、その時はその時でまた自分で進路を考えさせますので」

母は私の1番の理解者で、私がこうすると決めたことには絶対に反対しなかった。

その代わり、それで失敗したとしても、「あんたが決めたことなんだから、自分の力でどうにかしなさい」と厳しく突き放されるけれど。

私はそんな考えの母に育てられてきたから、もちろん初めから誰かの意見を聞くつもりはなかったし、弱音を吐くつもりもなかった。

そして、なんとか受けさせてもらえた高校は、見事に合格。

まだ推薦制度があった時代だったから、学力はともかく内申点が良かった私は、すんなりと兄と同じ高校に通えることになった。

これで心機一転、私は生まれ変わることができるーーー

だけど、そんな希望は一瞬にして消え去ったのだ。


高校に入学してまず驚いたのは、男子生徒が1200人なのに対し、女子生徒はたったの150人程度だったこと。

私の選んだ学科は女子生徒が36人、男子生徒がたったの4人で、教室の中ではほぼ女子校状態なのに、教室から1歩外に出れば男子がうじゃうじゃいる。

これはこれで地獄だった。

男子は大嫌いだったが、女子も女子で苦手……。

しかも、元男子校だっただけあってヤンチャな生徒が多く、まるで品定めをするかのようにこちらを見てくるイケイケな男子生徒の視線がただただ怖かった。

そして、そんな環境の中で起きるのは、やっぱり過去の“あの出来事”を彷彿とさせるようなこと。

「かわいいねー」「あ、あっちの子はブスだわ」「あの子はおっぱいがでけぇな、顔は残念だけど」

そんな、子供の頃よりも一層尖った悪意の声が、毎日のように聞こえてくる。

もちろん、私もターゲットにされた。

高校生になってから、軽くメイクをしてスカートの丈を短くしてみたりしていたけれど、成長期の影響で体重が8キロ増えたことで私は更に自分に自信を持てなくなっていた。

元々がゴボウのように細かったから、“デブ”と言われる程ではなかったが、顔のお肉や太ももの太さが気になる。

そんな自信の無さは、無意識の内に悪意を引き寄せる。

ある日、廊下を歩いていると知らない男の先輩からいきなり「ブース!」と言われた。

それを聞いて、周りの取り巻きたちがゲラゲラと下品に笑ってる。

たまたま隣を歩いていたクラスメートのサヤカは、気の強そうな目でその先輩たちを睨み付け、「うっせぇバーカ!」と声を張り上げた。

先輩たちは一瞬、キョトンとした顔でこちらを見ていたが、やがてまた大きな笑い声を上げ「バカだってよー!」なんて言いながらまたやいやいと悪口を飛ばしてくる。

「行こ、茉由梨ちゃん」

「あ、うん」

颯爽と、堂々としているそのサヤカの姿に、私は酷く感動した。

彼女は背が低くグラマラスな体型で、お世辞にも可愛い顔立ちとは言えなかったが、それでもこんなに強く生きていられるのだと、生きていていいのだと、教えられた気がした。

それから、私とサヤカは友達になった。

女の子は苦手だったが、彼女だけは純粋に好きだと思えた。

サヤカは好奇心が強く、様々な雑誌を買ってきては、私の机の上で広げ、「この服が可愛い」「このメイクしてみたい」と、少しでも可愛くなれるように努力しようとしていた。

だから私も、少しでも可愛くなれれば…と、休みの日に一緒に服を買いに行ったり、メイクの勉強をしたりした。

楽しかった。

変わっていく自分が、サヤカとの時間が、楽しくて仕方なかった。


そんな時に、ある出来事が起きた。

私のこれからの人生を、きっと大きく変えたであろう忌まわしい記憶だ。


その日は、下校中にいきなり大雨が降った。

梅雨時の貴重な晴れの日で、私はうっかり傘を忘れてしまっていた。

コンビニも近くにないし、仕方ないからそのまま自転車を走らせ、最寄りの駅まで急いだ。

自転車置き場に着き、慌てて駅に向かう。

田舎の駅は無人だったり、ホームに直接入られるような造りのものが多かったが、その駅は付近に高校が多いこともあり、入り口から階段を上り、屋根付きの廊下を進んだ先に改札があるといった、田舎にしては都会チックな造りをした駅だった。

冷たい雨から逃れられたことにホッと息を吐いたのも束の間、階段を上がった先に、数人の男の笑い声が響いていた。

見ると、明らかに柄の悪そうな大学生くらいの男たちが廊下の隅にたむろしている。

嫌だな、と思いつつもソッとその横を通り過ぎた時、その中のひとりから、ふいに言葉のナイフを投げ付けられた。

「あーあ。ずぶ濡れじゃん!大丈夫ー?…あ、あーあ。失敗した。可愛かったら助けてあげたのに、君は無理だわ」

「お前、最悪だなー」

ゲラゲラと笑いながら向けられた悪意に、私の足はすくみそうになる。

けれど、こんな所で足を止めたらもっと酷いことを言われるかもしれないと、震える足を必死に前へ進めた。

「バイバーイ、ブス」

そんな声を背中に受けながら、私は涙を堪えることができなかった。

何故、可愛くないと言うだけで、こんなに惨めな思いをしなければならないのだろう。

私が一体、あの人たちに何をしたと言うのだろう。

ただ、こんな息苦しい世界の中で、必死に生きようとしていただけだ。

悔しくて、悲しくて、辛くて、ムカついてーーー

絶対に、許さない。

そう思った。

私を傷付けた男たちも、馬鹿にしてきた女たちも、絶対に許さない。


復讐なんて、大層なことをしようと思ったわけではない。

ただ、見返してやろうと思った。

電車の中、雨に濡れた山の緑を眺めながら、心の中で燻る生まれたばかりのこの思いに、私は真正面から向き合うことを決めたのだ。










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