第2話 喋らない機械
俺は喋らない機械を作りたかった。世界は喚くノイズ、生き物たちの声とやかましいが居心地のよい喧騒がいつもそこにある。
誰もがどこでも喋る。「やあ! 今日はペット日和だよ」散歩していた自立犬が陽気に尿を振り撒く。それを注意する飼い主。
「清々しい天気に静寂なし。いつもと変わらないな」
部屋に差し込まれた陽に当てられて飛ぶ埃を見ながらゆっくりと起き上がる。途中で寝てしまった。
俺は1週間ほどずっと喋らない機械を完成させようと躍起になっていた。仕事の後に夜半過ぎまで回路図や半田やプログラミングや基盤やガワに頭を悩ませながら少しずつ作っていたのを「ろくに仕事も出来ねえ癖に何が喋らねえ機械だよ」と半笑いの同僚に馬鹿にされたから、サッと完成させて見返してやろうと尽力したが駄目だった。動物、睡眠と食事は絶対に切り離せない。
「考えた以上に時間がかかった」
最近じゃ睡眠も食事も一瞬で終わる。そんなやり方が世間を賑やかしていた。もうひと月も寝ずに作業しても平気だとか、食事がないからずっと遊んでられるとか、俺の周りの向う見ずな連中は勧めてくる。
「機械ばっかりやっても……さあ」
それよりも人生を謳歌しよう。若いんだからさ。
そんな風に言っているように聞こえた。親も、友人も。わざわざ学業の後に仕事なんてしなくてもいいんだよ、成人しても俺はまだ大人じゃない。どこか対等、平等でないことが引っかかって仕方がない。
けど、機械というものは必ず単純な形から始められるからいい。数々の動物、食べて寝て、生きて死んで。概念は単純でもそれは沢山の形がある。全く同じ動きを返さないのが、少し怖い。
部屋の隅のブランケットから抜け出して買い置きのぬるい炭酸飲料を飲む。そうして部屋の中央に広げた雑な作業場に置いてある作りかけの機械。少しお金を出せば自立型を個人でも作れる。有名な『猫鳥乱視』の作業動画を何度も見て、俺は何か機械を作ろう。外で見かける騒がしいものでなくて、静かなものがいい。
そうして考えたのが喋らない機械だった。人も対話すれば他の生物も喋り散らす。外に出ればゴミを引っ張るカラスが「見てんじゃねえよ、食事中だ」と言い、スズメが「さむさむ、あっちにご飯が」といった声を発するのが聴ける。
「生き物が喋らない、そりゃおかしいだろ」
無理を言って1人暮らしをする前、父親がそんなことを言っていた。小さなハエトリの部屋を用意していつも話しかけている。常に話が通じるわけではないけれど、誰とでもどんな動物でも言葉を交わして分かったつもりになれる。でも俺はそんなに言葉なんていらないんじゃないか、喋らなくったっていいんじゃないか。そんな疑問を自分なりに納得したかった。
そうして時代遅れの学生向け住宅、1Kの狭い部屋の中央に鎮座しているのが喋らない機械。
注文したガワを着せればとりあえずは動く状態にある。昨日の深夜に「これにどうやって入れようか」と上手く機械にガワを被せられなくてそのまま寝てしまった。けれどもよく見れば脚部胴部頭部それぞれ分けて被せ、腹部を開いた状態で組付ければ出来そうだとスッキリした頭は教えてくれる。
やっぱり寝ないと駄目だ。皆が言う寝ずに済む方法を試せば大丈夫だろうけど、そんな自信がある。横になってぼんやりとする時間が、思い込みを洗い流してくれる気がするから。
それを見ていると解剖された生物のようで、グロテスクなことをしているような不安を覚えた。だからこの小動物制作キットはそれほど人気がないのかもしれない。箱詰めされて来た電子部品、人工骨格、人工知能のプログラミング方法が掛かれた説明書、基本的に手順に従えば誰でも作れる。
「細かい調整は動かしてから考えよう」
それほど大層な事でもない。
何かを作るとき、俺は次のことを口に出す癖がある。なんだか何も言わないと失敗するような不安がある。
そんなわけで、昨日届いたばかりのガワは実家で飼っていた
「音楽も流そう」
作業中は適当なネットラジオのBGMを流すことにしてる。そっちの方が細かい作業は集中できるから。
俺は不慣れな工作――きっとのろのろとして不出来な機械になるのは分かっているもの――を組み上げる。最低限、複雑な関節と筋肉の動きを再現してくれる小さなユニットを脚部に付ける資金はあったけども、本来の機敏な動きは出来ない。それでも俺は動けば満足だった。喋らない機械、無口だった
「ただそこにいるだけ。いいと思うんだけど」
どこかで話題になった気もしなくもない。それでも、何か自分で作ってみたい。機械は単純から始められるから。
そうして組み上がった猫の紛い物。容量は少ないけれど内蔵電池で動く。
スイッチを入れる。しばらくして、端末の画面に喋らない機械の動作状況が表示される。充電残量、CPU温度、各部位の稼働具合が可視化されていて、問題はなさそうだ。『起動』を押す。
すると動き始める。外からはほとんど機械的な音は聞こえず、滑らかに人工筋肉が動き俺の方を見る。表情のない顔、艶やかな目はレンズになっていてすぐに人工物と分かる。けれどもちょっと見るくらいでは猫と見分けがつかない。あまり表情がないのが猫ではあるが口を開けば「遊べ、我と」「どうして見えぬのだ」「はーめんど」「小さく小さく、ほら」「いらちやね」などと色々と話をするから人気があった。今は自分の住んでいない地方の方言を覚えた子を迎えるのが流行りらしい。
ただ部屋で歩きまわるだけの単純な毛玉だったものの、知識のないところからこうして動くものが出来た。ともあれ俺は満足感と共に『喋らない機械、できた』とメッセージを入れる。こちらを見て、そっぽを向いて部屋の隅に歩いていく機械の動画も付けて。
「それにしてもよく出来てる。お前はマノだな」
抱き上げると迷惑そうにこちらを見て、脱出しようと脚を動かす。どうやってこうした猫の動きを再現しているのか、俺には分からない。どこかの誰かが作った動物ごとの人工知能。学習をしていけば個体ごとに変わっていく。俺は床に下ろしてやる。
だから誰でも動物を模倣する機械を作れる。ただ、喋らせるには少し手間がかかる。声の抑揚やどんな声質が良いかもさることながら充電池の容量拡大と知能に関係するプログラムを変更する必要があって、それだけの時間をかける暇がなかった。
『早いね、見せて』と最近仲の良い西野から返事が返ってくる。今日は予定がない。『いいよ』と答える。
仕事先でよく同じ時間帯になる西野は動物が好きだった。野生動物と自然環境について学んでいて、沢山の生き物の生活環境と喋る内容を調べたい。そんなことを意気揚々と話していたのが印象的だった。
俺は喋らない機械を作った。『じゃあ、そっち行くね』とだけ。いつも通り昼頃に来るはず。
特に考え付かなかったから、マノと呼んでおく。
、、、
朝起きると腹部に重さを感じる。俺は違和感を覚えそれを掴んで投げ捨てようとしたが、マノと気付いて固まる。
「え……?」
思わず声が出た。どうしてここにいるのだろう。西野のいたずらだろうか。俺は眠気も吹き飛んで「ヒロ?」と西野がいるのかと思い呼びかけたが返事はなく、
充電器のトレイに置いてやると目のランプがついて充電が開始されたことが分かり安心した。汚れてはいるもののどうやら壊れてはいなさそうだ。
俺は窓やドアを確認する。ここは1階だから戸締りはしっかりとしていたつもりだった。けれどもいつも寝起きに開ける窓が少し開いていたので、少し疑問に思いながら閉めなおす。単に忘れてただけなんだろう。寝起きに開けるから。
昨日、俺は西野と一緒に
『不思議な感じもするけど、よくできてる』西野は特に嫌悪は抱いていないようで俺は安心した。
外に出れば様々な動物が喋るのを聴くことが出来る。西野はそれらの動物を会う度に話しかけては笑う。どんな生き物に対しても彼女は同じようにする。とても気さくだ。
たまたまよく話をするから、仲良くなった。生物よりも人工物に興味がある。それを視点が違って楽しいと言った。
「……もしもし?」
俺は気になって電話を掛け、しばらくすると西野が出る。早すぎやしなかったかと思ったが時計はもう11時を指していた。
「おはよう。ごめんなさい、一つ謝らないといけないことが」
俺は気のいい所を見せようとして西野に「明日返すから、貸して?」と言われて「いいよ」と答えてしまった。
「あの機械のこと? そのことなんだけどさ」
西野が済まなそうに告げるのを遮って、俺はマノが朝起きたら腹の上に乗っていたのを教える。すると「目を離した隙にいなくなっちゃって」と安心した声色が返ってくる。安易に渡してしまった俺も悪い。ともあれ彼女を責める気はない。
「後でPC返しに行くね、夕方くらい」そう言って西野は電話を切る。
俺は習慣から部屋の窓を開けて晴れ間を覗く。いつも通りの空の様に見えた。そうやって心から湧いてくるぶつぶつとした嫌なものは引いていくから習慣は大切なのだと、よく母親が言っていた。
カラスが電線に止まっている。目の前にある雑草の生え揃った空地で薄茶色の野良猫が日向ぼっこをしている。
そこで違和感を覚えた。いつも感じていたものがない。「ごはんー」とスズメは飛んでいたのに、カラスも野良猫も喋っていない。それを見ていたら、野良猫は面倒そうに顔を上げのそりとどこかへ歩いていく。カラスは何かを見つけたのか一鳴きして飛び去った。
変だな。と思いつつマノが外から帰ってきた時についた床とブランケットの土を落とし、同じようにマノの汚れを払う。
どうやって帰って来たのか。というのは気にならない。充電がある限り自宅に設定した場所に戻ってくるから。思えばそうした設定も変えず、色々と雑に渡していた迂闊さも少し反省する。
それよりも、いつも喋っていた筈の生き物が喋っていない。カラスや猫は人が見ていると何かしら言って来ることが多いが、たまたまか。
それがなんだか違和感に繋がった。外がいつもよりも静かで、昨日とはどこか違う。充電も半ばにマノは起動して立ち上がってトレイの外に出てから毛づくろいを始めた。電波が届く範囲内であれば勝手に充電されるらしい。目のランプは付いたまま。
「マノは喋らない。だから喋らない?」
自分で口にしてよく分からなかった。確証もない。けれども感じる昨日との差。
俺は何かが違っているような気がしたからマノを抱え、外に出る。ハーフパンツとTシャツだけのやる気のない恰好で日差しを浴び、すこし歩く。
あまり遠くには行けない。戻りたがってしまうから。
狭い道から通りへ出ずに歩けば公園に繋がっている。また、公園から出て歩けばどの道からも同じ通りに出るように作られた住宅街の隅にこのアパートはある。
ほとんど目と鼻の先にあるものの、ここからは見えない。一つ角を曲がって、滑り台とベンチがあるだけの公園には犬と老人がいた。
誰にでも陽気に話しかける白っぽいレトリバーと「すいませんねぇ」と穏やかに頭を下げる老人で、休日によく見かける。
どうしてだろうか。やっぱり今日は様子が少し変だ。犬はこちらを見てもその大きな声で「やあ! 調子は?」と呼びかけて来ない。一つ吠えて、それだけ。
「こんにちは、今日は静かですね」
俺は老人に声をかける。老人は少し落ち込んだ様子で「こんにちは」と返し、犬を撫でた。
「君の子もかい?」
老人は俺が抱えていたマノを見て機械とは思わずに言った。
「ということは……おじいさんの犬、喋らないんですか?」
俺は頷くだけにしておいて、様子の違うレトリバーを見る。彼は舌を出して体温調節をしているようだ。尾はいつも通り振ったまま。それに反応したマノは前脚を片方掲げ、もぞもぞとやり始める。
「孫が言うには朝の散歩が終わった辺りからこんな様子で、だから病院に連れていこうと思ってね」ストレスで喋らなくなることはあっても、突然そうなるのは見たことがない。老人は溜息をついて腰を上げる。
「病院から連絡が来たようだ。それじゃあ、失礼するよ」
腕につけた時計が点滅したのを見て、「ほら、いくよ」老人はレトリバーにそう促して頭を下げる。つられて俺も軽く頭を下げ、彼等を見送る。
「喋らない、喋らない、シー」
去り際にレトリバーはこちらを見て小さい声でそう言った。そして、気が緩んだせいかマノが腕の中から尾に飛びついた。
「あっ! す、すいません」
マノはレトリバーの尾を掴み、ぶら下がってそのまま地面に降りるとふらふらと動く尾を目で追って前脚を振っている。俺は慌ててマノを抱き上げ、老人に謝る。
「あぁ、いいよいいよ。喋らなくとも変わらないんだけどね」
ゥワン! とレトリバーはマノに何か言って老人と一緒に公園を去って行った。
俺はマノを置いてベンチに腰掛ける。地面を見れば蟻が忙しなく動いているのが見える。その一匹を掌に乗せてみると、ぼそぼそと何か話をしているのに気付いた。
どうやら、喋る生き物と喋らない生き物がいる。そして、喋らないというのも彼等の意思。だから不思議に思う。何があったのだろう。マノはじっとこちらを一瞥してゆったりと歩き始めた。目線の先には端の草むらから出て来た野良猫がいる。
若干警戒しているのかこちらを見て動きを止めた。俺はそれを観察していたが、すぐに見抜いて逃げてしまうとも考えていた。マノは機械で動物じゃない。
そのはずが野良猫は逃げず、マノは俺のことを何度も見ながらそちらへ歩く。本当に猫のような振る舞いをするものだから、猫を飼っていた時と同じように「来いって?」と声をかけてしまう。
そう呼びかけるとマノは足を止め、野良猫と俺を交互に見る。
何かを伝えたいのだろう。人として考えるとすれば。
だから俺はベンチから腰を上げてマノに歩み寄る。彼はそれを認めると野良猫に近づく。
他に人や生き物の姿は見かけない。どこかの家庭の生活音、シンクに水が当たる音や木がさざめく音くらいしか周囲になかった。
そうやってマノの後ろからゆっくりと歩く。野良猫はくしゃみをし、顔を洗う。もちろんその間も喋ることはない。
「よお。それ機械だよな」
そう思っていたがそうじゃない。俺に向けて話しかけてくる。猫は話したい時に一方的に話すのが彼らのルール。一般的にはそう知られていた。
「そうだね。さっきは喋らなかった」
俺は屈んで彼の声に答える。
「気分だぜ。猫ツールもない。喋らないのがオレらだろ?」
謎めいた言葉は猫から発せられる。動物たちが喋る言葉はほとんどが自己完結していたから、対話を望もうとするのは人に近しい生き物だけ。
「見て思ったんだよ。どうしてオレらが喋ってんのかって」
野良猫は笑い、猫に不釣り合いなその表情を向ける。マノは我関せずと俺の足に擦りつく。無表情な愛らしさが猫の特徴だから、そこから外れれば不気味にも思える。
「元々、生き物は喋るもの。だと思っているけど」
だから、喋らない生き物がいてもいいんじゃないか。恐らく少なくない人がそんなことを思っているんじゃないか。ただ、喋る理由は学校で学んだ気もするけど、憶えていない。
「元々、元々ねぇ。ンじゃ、太陽を取り返したからこの世界があるってのも、元々かァ?」
何を言っているのか分からない。他の猫以上に、言いたいことが理解できない。マノを抱き上げ、膝の上に乗せる。
「どういうこと? 太陽を取り返したって?」
それには答えず、野良猫は続ける。
「だから不自然、じゃねえの。その機械の真似した方が気楽だって、昨日ソイツを見たヤツは思ったようだぜ」
それだけ言って野良猫はサッと、草むらに消えた。
俺は呆然としつつも、立ち上がりマノを撫でる。声は出ないが気持ち良さそうに目を閉じる。
猫に見える機械は相変わらず喋らない。それでもかわいらしさは損なわれない。猫らしさも損なわれたように思えなかった。
それがきっかけで喋らない様にする生き物がいる。どうしてかは分からない。
俺は思い出した。『猫鳥乱視』は様々な機械をハンドメイドしていたが、その時に『喋らないのが普通なんですよね、形あるものは』と言っていたから、元々を不自然に感じた。きっとそのせいだろう。
「元々って、なんだろうな」
マノには伝わらない。ただ、これはこれでいい。野良猫が何を伝えたかったかが分からないが、そっちの方が気楽だ。というのは人と他の生き物も同じようだ。
俺は、喋らない機械を作った。撫でれば心地よさそうに振舞う。
帰ろう。
喋るか、喋らないか、そんな元々の話を考えても仕方がない。あの野良猫はそう言っているような気がした。
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