第19話 第1回進路希望調査

「調査票、今日持ってきた人は先生のとこに出しにきて」


 空那の担任である社会科教師の奥野おくのが言う。小柄なことや明るい茶色に染められたボブヘアーなどから若く見える彼女だが、教師歴15年のれっきとした30代である。小学生の子供が2人いるらしい。

 それはともかく、奥野先生の指示を聞いて立ち上がる人はまだ2、3人しかいない。まあ、昨日配られたばかりだし、提出期限は来週の金曜日なので問題はないのだが、この2、3人の中になんと空那が入っているのだから驚きなのだ。


「空那いる?」


「いるよ。空那ー」


 世奈が空那を呼んだ。


「はいー?あ、優花。どしたの?」


 HRが終わり、優花が訪ねてきた。


「空那さ、高校どこにした?」


「とりあえず霞ヶ丘かすみがおかって書いた。まだ決定したわけじゃないけど」


「霞ヶ丘って、なんか特殊な学科ばっかりじゃなかったっけ?国際なんとか科、みたいな」


 と、横で聞いていた世奈が言う。


「いや、普通科もあるみたい。その、国際なんとか科と、総合科学科?みたいなのと普通科と」


「へぇ。まあ、霞ヶ丘近いしね。自転車で行けるんじゃない?」


 電車で行っても一駅でしょ、と優花が言う。


「そうそう。それに、坂が結構きついから受かったら電動自転車買ってくれるらしい」


「ああ、それはもう霞ヶ丘受けるしかないね」


 無駄に納得した顔をして世奈が言う。


「でしょ?電動自転車はねぇ。ポイント高いよねぇ」


「うん。なんてったって電動自転車だからねぇ」


「でも、電動自転車って充電切れたらくそほど重いよ?」


 優花が流れを止めた。


「ここは流れに乗るもんでしょーよ」


 世奈が笑う。


「そーだよねぇ。私ズボラだからなぁ。充電絶対忘れるだろうなぁ」


 空那が無駄に深刻な顔で、考え込むポーズをとる。


「でもさ、霞ヶ丘より上でも空那なら余裕で目指せるでしょ?ほら、もう一駅行ったら高江たかえとか海雲かいうんとかあるじゃん。海雲は私立だけど」


「いや、二駅って言っても高江って山のほうにあるじゃん?だから自転車で行くには遠いし、電車とかバスっていうのも嫌だしさ」


「ああそっか。空那乗り物酔い酷いもんね」


 そうなのだ。修学旅行のときのようにバスでも酔うし、電車でも酔うときがある。空那いわく、「問題は揺れじゃないんだよ。匂いなんだよ。無臭だったら人並みになれるんだよ。だから別にタイヤの上の席でも問題ないから。一番前に固定するのはやめて」だそうだ。

 ちなみにこれを言っていたのは修学旅行前、バスの座席決めのときだ。タイヤの上は酔いやすいらしいとかいう意見により、酔いやすい人はくじ引きでタイヤの上に当たらないように前の席(通路を挟んで先生の隣)に決めてしまおうということになり、真っ先に空那の名前が挙げられてしまったのだ。実行委員だった凜佳に必死に訴えた結果、前に固定は免れていた。結局くじ引きで先生の後ろになってはいたが。


「うん。だから徒歩か自転車がいいんだけど、せっかくなら自転車通学してみたいじゃん?小中ずっと徒歩通学だから、なんか憧れる」


「それは分かる。徒歩って疲れるしね。飽きたし(笑)」


「そ、飽きたし(笑)」


「あ、優花はどこいくか決めたの?」


「あたし?あたしはねぇ、篠山ささやま清風せいふうかなぁ」


「え、清風って私立でしょ?優花、なんとか公立には行くって言ってなかった?」


「いやぁ、それがさぁ」


 優花が苦笑いする。


「あ、やば、もうチャイムなるよ」


「ああ、ほんとだ。じゃね。またあとで」


「うん。頑張れー」


「空那もね。寝るなよ?」


「それはこっちのセリフ(笑)」


 優花は自分の教室に、世奈は自分の席に戻ったので、空那はあと1分ほどでチャイムが流れるであろうスピーカーを一人で見つめてボーッとし始める。


(篠山と清風ってかなり差あるよね。優花なら篠山くらいは行けると思うんだけどなぁ。テストの順位は低いけどさ)


 などと考えていたらチャイムがなり、授業が始まった。

 1時間目は理科で、白髪のおじいちゃん先生だ。


小山こやま先生、いつにもまして喋るのおっそいなぁ。やばいな、これは寝るかもしんない。腕をつねれば眠気もとぶかな)


 そんなことを考えながら配られたプリントを後ろに回そうとして、ふと止め、プリントをとりあえず後ろの机に置く。そして後ろの席の人の背中をトントンと叩き、小声で言った。


松本まつもとくん起きて。せめて10分くらいは粘って」


 授業開始から約3分後の出来事だった。

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