第8話

 俺は今とんでもないをしている。

 どれだけ自分が考え無しだったのかということを思い知っている。

「なんで言ってくれなかったんだ」

「うぅ、だってぇ……経験無かったんですぅ」

「それにしたって……」

「だって、一緒に行きたかったんですもん。それに私は悪くないですもん。大丈夫だと思ったんですもん」

 デッキに備え付けられた机の上に伏せ生気のない声で可憐は喋る。顔は見えないからなんとも言えないがおそらく頬を膨らませていることだろう。

「確かに今日は高いらしいけど」

 まさか可憐が船に弱いとは。

 まぁ、今日の海は少し波が高いせいで船が揺れると事前の告知はあった。そのせいなのか周りでは確かにかなりの人が船酔いらしき状態に陥っている。仕方ないと言えばその通りなのだが。

「なんか飲み物買ってくるよ」

「うぅ、なんで白さんは大丈夫なんですぅ」

「さぁ?」

 それは俺が聞きたいくらいだ。生まれてこの方船には乗ったことがない。ちなみに飛行機にのたことも無かったりする。

 多分、大丈夫な体質なんだろう。

「……にしても困ったな」

 船の内部に取り付けられた自販機でお茶を2本買う。お釣りと共にペットボトルを回収した直後、船が大きく揺れた。

「うっお……あっぶねー」

 自販機の端につかまり辛うじて難を逃れる。しかし、揺れすぎじゃないか。こんなんじゃ船の中にいても怪我をしかねない。

「うきゃぁあああ」

 そう、こんな風に……。

 次の瞬間お釣りと共にペットボトルは宙を舞った。

 突然襲いかかった衝撃の中で体勢を立て直せるはずも無く俺は地面へと押し倒される。

「す、すいません……って白都くん?」

「……花那はな、か」

 何だか今日はやけに知り合いと会うな。最初に俺を知っていた子はやはり見覚えが無いのだけれど。

 桜木花那さくらぎはな、俺のクラスメイトということになる。クラスの中でも男女問わず人気が高く、休み時間席の周りは常に人だかりができているような人物である。長い黒髪と優しい性格も相まって一部では『聖女』ともてはやされている。

「えぇ、なんでここに?」

 随分と慌てた様子で俺のことを見下ろしている。

「それはこっちのセリフなんだが……とりあえず、どいてくれ」

 流石に女子に馬乗りされる、それも仰向けというのは何とも良くない。何がとは言わないが。

「あぁ、ごめんなさい……」

 顔を赤らめてその顔を両手で隠して俺から飛びのく。

「でもこれってチャンスだよね……」

「ん?」

「あぁ、いや、なんでもないです」

 よく聞こえなかったので聞き返したら両手と首を振って否定された。これ、絶対何かあるよね。

 まぁ、言いたくないことを言わせたくはないし俺はこの場からちゃっちゃと離れよう。

 散乱させたお釣りを拾っていると花那はお茶を拾ってきてくれた。残念ながら中身は泡がたっていたけれど、無理もないだろう。

 しかし、この状況を誰にも見られなかったのは運が良かった。またいらん誤解は受けたくない。

「んじゃ、またな」

「あ、待って。一緒に居てもいい?」

 花那が俺の服の裾を掴み引き止める。

「ん、別に構わないけど誰かと一緒に来てるんじゃないのか」

「そこは問題なく」

 いきなり背後から声がかけられる。

高峰たかみね。お前もいたのか」

「あぁ、桜子の付き添いだ」

寧々ねねちゃん。もう大丈夫なの?」

「いや、普通に気持ち悪い。というわけだ鷲宮、桜子を頼…ん…だ」

 そう言うと高峰は壁へともたれかかる。

 一体どういうわけだ。脈略が無いにも程がある。

「手を貸すから、お前はおとなしくしてろ。花那、これどこに運べばいいんだ?」

「い、医務室でしょうか。ただ……」

 そう、この状況だ。医務室はきっと人が多いはず。

「まぁ、運ぶしかないよな」

 このままここに放置するということはできないだろう。いかに高峰とはいえ良心が痛むというやつだ。


 ***


「あら、わっしー。どうし……」

 俺は医務室の扉を素早く閉める。

「花那、どういうことだ?」

「ふぇ、どうかしたんですか?」

「なんで、なんでここに奴がいるんだ」

「奴? どなたか知り合いが?」

 花那が俺の閉めた扉に再び手をかける。

「だめだ。開けるな!」

「えっ?」

 忠告虚しく花那が医務室の中へと吸い込まれた。

 直後、花那のものと思しき嬌声が廊下に響いた。

「……あんのエロ教師。何でここにいやがるんだ」

 やはり見間違えではなかった。あれは間違いなく俺の通う高校の学校医、鷺坂琴音さぎさかことねだ。しかし、こんなところで何をしているんだ。

「ふふふふふ、酷いじゃないわっしー。私の顔を見て扉を閉めるなんて」

 全力で押さえている扉がギシギシと音を立てて徐々に開いていく。一体どこにそんな力を隠し持ってるんだ。

「高峰、ここにいちゃいけない。早く逃げろ」

 あのエロ魔人の標的になるのは大半が女子だ。一部例外的に男子もあるが、それは聞かないでもらいたい。

「あぁ、私の人生もここまでか。もう少し楽しみたかった……」

 高峰が支えを失ったように俺にもたれる。

「おい、高峰。高峰」

「あら、寧々ちゃんもいるのぉ?」

「ひぃっ……」

 最初の時よりもかなり広げられた隙間から顔を覗かせる。その顔は狂喜に染った狂気の沙汰、もはやホラーだ。シ〇イニングにも勝るとも劣らない。誰かこれをホラー映画にしてもいいと思う。

 そんなことを思ったその瞬間が命取りだった。瞬く間に俺と高峰は医務室の中へと引きずり込まれたのだ。

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君のいない世界なんて 翠恋 暁 @Taroyan

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