136 山から海へ
婿として、果樹園に来てくれないか。
いきなりそんな話を持ちかけられたアキラとクロは、驚きのあまり言葉を失うしかなかった。
それを構わず、果樹園の主は話を続ける。
「去年の秋にうちの息子が死んじまったのは、知っているだろう?」
ラウツカの街で連続して発生した水難事故。
それは魔物が引き起こしたものであり、犠牲者のうちの一人は果樹園の長男だった。
「はい、あのときは、ご愁傷さまでした……」
アキラもその頃のことをしっかり覚えている。
果樹園の主はあの時期、憔悴しきっていてすっかり元気を失っていた。
最近はそれに比べるとずいぶん、気を持ち直しているようで安心していたが。
「うちは他には女ばかりだ。いい男が婿に来て子供を作ってくれれば、俺も安心なんだよ……どちらかなんて言わず、二人でもいい! なんなら、ウィトコさんを紹介してくれ!」
「いやあ、いきなりそんなことを言われても……」
ただでさえ奥手で朴念仁なアキラは、その手の話に明るくない。
一度会うだけでも会いましょうか、などという気の利いたことは言えないのである。
結局、果樹園の娘さんとどうなる、こうなる、という話はうやむやのまま、アキラたちは十日間の山籠もりを終えた。
帰り道、アキラとクロをエルツーがからかう。
「いい話だったのに、勿体ないわね」
「やめろよ、エルツーまで……」
どうも、身を固めると言った話にまだ現実感のわかないアキラであったが。
「そうっスよ。物事には順序があるっス、ねえ、アキラさん」
「なにその、なにか言いたそうなクロちゃんの顔は……」
と、クロにまでからかわれるのだった。
三人は山を降り、ラウツカのギルドに戻る。
アキラは仕事の報告と、果樹園の主から言われたことなどを、ロビーにいたウィトコに話す。
「婿か」
「はい。娘さんが三人いるんだったかな? まだみんな、若いみたいですけどね」
「そうか」
ウィトコはそう言って、なにか考えるかのようにまた、黙るのだった。
まさかとは思うが。
ウィトコは、果樹園の婿入りに前向きなのだろうか。
それも人生か、とアキラは面白く思うのだった。
山での仕事が終わり、クロは獣人仲間たちのもとへ戻っていく。
アキラとエルツーは一日、仕事を休んだのちに、またギルドに顔を出し、鉢合わせる。
「飽きるくらい山籠もりしたから、今度はまた海に行きたいわね。他に無人島ってないのかしら?」
「そんなに都合よくあるわけ……」
そう言いながらアキラが依頼掲示板を見ていると、とある小島からの依頼があった。
無人島ではなく、小さな村がある島だ。
エルツーはその島について軽く知っているようで、アキラに説明する。
「ああ、犬吠(いぬほえ)島ね。浜風が岬に当たるときに、犬が泣いたような高い音を出すらしいのよ。まあ、あたしは行ったことなくて、学舎でそう習っただけなんだけど」
詳しく依頼内容を見てみると、気にかかる項目があった。
「報酬が、びっくりするほど、安いな……」
内容は、島に魔物が出た、という噂が発生したので、その調査。
往復の船代は依頼主である村から出るが、仕事の報酬自体が、あり得ないくらいに安かった。
「これじゃあ下水道のネズミ駆除でもしていた方がまだいいお金になるわね」
「うーん、島ってのは、興味あるけどな……」
エルツーはその依頼をパスし、他の依頼を探し始めた。
しかし、アキラが島の地図を見ていると、同じくギルドに顔を出したカルが興味を示してきた。
「ねえアキラ兄ちゃん、ここ行こうよ。きっといい景色だぜ」
「確かにこの岬、夕日も朝日も見れそうだな」
人数は若干名と書かれているので、二人か三人という依頼なのだろう。
魔物の数が多い、あるいは敵が強大であれば、衛士が本格的に動くことになる。
要は、斥候の役回りが冒険者に割り当てられた、ということだ。
「じゃあ、行くかあ、一緒に」
そう言ってアキラはこの日を準備の期間にあて、次の日に出発することにした。
島へ行くには、さほど大きくない漁船を一時的に借りて向う。
依頼は三日間の調査ということで、最終日にまた船が迎えに来てくれることになっているのだが。
「やあ。調査に行く冒険者というのは、アキラどのとカルだったか」
「……なんで、フェイ姉ちゃんたちが乗ってるんだ?」
カルは、予想外の乗船客がいることに戸惑っていた。
北門衛士、一番隊隊長。
今は港湾衛士隊で研修中のフェイである。
もちろんアキラも驚き、尋ねる。
「ひょっとして、魔物が出たって噂があるから、衛士さんが村の警備に行くとか?」
「うむ。あの島は元々衛士の駐在員がいなくてな。念のために私たちが行くことになった」
フェイの他にももう一人、港湾の衛士が乗船していた。
島内の安全を確認したら引き上げる予定になっているという。
犬吠島。
ラウツカの東の岬から南に船で約1日の距離にある、有人島。
島には百人ほどの村人が住んでおり、漁業、農業を主に営んでいる。
ギルドに出された報酬が安かったために、アキラは貧しい漁村を想像していたのだが。
「普通に、立派な家がいくつも建ってるな……」
小さくはあるが港も綺麗に整備されており、村は豊かに見えた。
そのことを、フェイが簡潔に教えてくれる。
「香辛料の栽培と、真珠で島は潤っているんだ。衛士がいないのも、村人が自分たちで武器を揃えて島を守っているからだな」
住民は、細人(ミニマ)と呼ばれる背の低い種族と並人、及びその混血者だ。
エルフ、ドワーフ、獣人などは一人もいない。
「やあやあ、衛士さんに冒険者さん、よく来てくれなすった! まあとりあえずくつろいでくれよ!」
細人の村長がアキラたちを歓迎する。
「いや、まず魔物の情報を把握したいのだが……」
「そんなのは後でいいから、ささ、こっちへ!」
仕事を全うしようとするフェイだったが、強引に村長から村の集会場へ連れて行かれる。
とりあえずアキラたちも、促されるまま同じく集会場へ行くことになったが。
「すっげえご馳走!」
中に入るなり、カルが叫ぶ。
食欲をそそる香りが部屋に充満し、卓には所狭しと海鮮の美味珍味が並べられている。
フェイ、フェイの同僚、カル、そしてアキラは場の中央に座らせられて、村長以下村人たちから、蝶よ花よという歓待を受けるのだった。
「いやあ、隊長さん、噂には聞いてたけど綺麗だね! 男たちが放っておかないだろう!?」
「あの、仕事の話をですね……」
「こっちのお兄さんも立派な体つきのいい男だ! さあさあどんどん飲んで、食ってくれ!」
魔物が出て住民が怯えているという話はなんだったのか。
入れ代わり立ち代わり、村の者がフェイやアキラに挨拶に来て、酒の酌をする。
「フェイさん、これ、ひょっとしてお嫁さんやお婿さんを島の外から貰うために、ありもしない魔物騒ぎで俺たちはおびき寄せられたんじゃ……」
アキラの想像通り、要するに嫁探し、婿探しなのであった。
村内での婚姻を繰り返せば血が濃くなってしまう。
そのため、犬吠島では定期的に本土の人間を理由を付けて呼び寄せて、これでもかというくらいに歓待し、島を気に入ってもらう。
そうして、新たな血を島に入れているのだ。
「隊長、自分は、この島で生きて行こうと思います!」
なんと、フェイと一緒に来た港湾衛士が、その戦略にまんまとはまってしまった。
「バカなことを言うな。仕事はどうする、仕事は」
「辞めます!」
酒に酔っているから言っているのか、それとも本気なのか。
結局、その隊員は村長の娘と良い仲になり、島に残った。
「上司に、なんて言えばいいんだ……」
帰りの船の中でフェイが憂鬱だったのは、船酔いが原因ではなかった。
「いい仕事だったね、アキラ兄ちゃん。毎日美味い物食えたし」
「調査したの、三日のうちで半日だけだったけどな……」
たまにはこういう経験があってもいいか、とアキラは一瞬思ったが。
「アキラどのも、村の娘さんたちに言い寄られてずいぶん鼻の下を伸ばしていたな?」
フェイの視線が非常に冷たかったので、もう二度とゴメンだと思うのであった。
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