134 ウィトコに代わって罠猟に行こう!(4)

 ラウツカ郊外、北東の山林に入っての罠猟、四日目。

 アキラがベースキャンプの見張りとして残り、エルツーとクロが仕掛けた罠の巡回に行く。


「今日はどれくらい獲れるかな……って、ん?」


 枯葉や薪を集めていたアキラの視界の端に、小さく動くものがあった。

 アキラは考えるより早く、足元にあった石を拾って投げる。


「キュイー!」


 石が直撃したわけではなかったが、木々の間に隠れていた小動物が、小さな叫びと共に姿を現した。

 丸みのある長い耳を持った、黒毛の兎。


「ニコミウサギだ!」


 アキラはもう一度、兎の進路に石を投げる。


「キュン!」


 今度は直撃した。

 弱った兎は、それでもひょこひょこと逃げようとするが、脂肪をたっぷりと蓄えたその体の跳躍は、鈍く低かった。


「これも、命の流転の定め、悪く思うな……」


 アキラはそう呟いて、わっしと両手で兎を捕まえた。

 そして首を捻ってトドメを刺し、頸動脈を斬り裂いて、逆さに持って運んだ。


「先に血抜きだけしておいて、エルツーに皮を剥いでもらうか……」


 アキラは網の中に兎を入れ、川の水にさらす。

 今日はご馳走だぞ、と期待に胸が膨らむ。


「獲れてたわよー」

「結構、デカいオスっス!」


 エルツーとクロは、オスの一角ジカを仕留めて運んできた。

 立派な美しい一本ヅノを持った個体である。

 

 体表皮の損傷も少なく、剥製にでもすれば見栄えがいいのではないかと思ったほどだ。


「いやあ、鹿も見事だなあ。こっちも収穫があったんだよ!」


 そう言って、アキラはニコミウサギをエルツーたちに見せる。


「最高っスよ、アキラさん! 今年はまだ、ニコミウサギ食ってなかったんスよね! 昼飯にするっスか? それとも夜に食べるっスか?」


 と、クロが喜びの絶頂にあったが。


「いや、売りましょうよこれは」


 エルツーはきっぱりとそう言った。

 アキラもクロも、その言葉に絶望の色を隠さなかった。


「な、なんでだよ、食べようよ。エルツーは、食べたくないのか?」

「そりゃあ、食べたいか食べたくないかで言えば、食べたいに決まってるじゃない。でも売った方がいいお金になるわよ。食べちゃったら一瞬よ?」


 まったくの正論であり、アキラは返す言葉がなかった。

 しかしクロは諦めずに食い下がる。


「こんなに丸々太ったニコミウサギ、不味いわけないっスよ! 絶対美味いっスよ! 金は後から取り戻せるけど、ここで食べなかったら後悔が残るっス!」

「それこそ、ちゃんとしたお料理屋さんで、ちゃんと腕のいい人に料理してもらった方が美味しいじゃない。それなら今でなくてもいいんだし」

「エルツーは分からず屋っスね! ああ言えばこう言うっス!」

「いや、この状況で分からず屋なのは、クロでしょ……」


 アキラ、困る。

 こんなことでパーティーの輪が乱れるのは、愚の骨頂だ。


「ど、どうかなエルツー。この一匹は食べる。で、またもしニコミウサギが獲れたら、それは全部売る、くらいで……」

「まあ、そういうことなら……」


 言い争いを続けるのもエルツーにとっては本意ではなかったのだろう。

 上手い落としどころをアキラが提示してくれたおかげで、素直に首を縦に振った。


「やった! さすがエルツー、話が分かるっスね!」

「あんたは、さっきあたしになんて言ったのか、もう忘れてるのね……」


 調子のいいことを言って手のひらを返すクロを、エルツーはやれやれといった顔で見たのだった。



 エルツーがニコミウサギの腹を開き、毛皮を剥く。

 その間にクロとアキラは、仕留めた鹿を樹に逆さづりにする。


 兎の皮を剥き終わったエルツーはアキラと交代し、鹿の皮を剥ぐ。

 アキラは、皮の丸剥げになった兎を調理するため、手足と胴体、頭などを分解する。


 ニコミウサギはその名の通り、煮込むほどに身が柔らかく、臭みがなくなり甘みが増すという、絶品の肉を持っている。

 昼に兎の仕込みと調理を開始したが、食べるのは夕食だ。

 その代わりの昼食として、鹿肉の余った部位やカエルなどを焼いて三人は食べた。 


「じゃあアキラ、あたしたちまた行くけど、兎の煮こみ、失敗しないようによろしくね」

「エルツーも結局、楽しみにしてるんじゃないっスか」


 そんなことを話しながら、クロとエルツーは午後の罠巡回に向かった。

 アキラはかまどの火が絶えぬよう、しかし肉を焦げ付かさぬよう、細心の注意を払いながら煮込みを進める。

 薪を放り込み、あるいは減らして火力を調整し、水分量を確かめつつ煮汁の味付けを確認する。


「肉自体が美味いんだから、塩味が強すぎるとよくないよな……」


 はたして猟に来たのか、山でキャンプ料理をしに来たのかわからないほどの、熱の入れようであった。


「クロちゃんが言っていたこの野草、確かに肉によく合う……付け合せにたくさん茹でておくか」


 と、料理に真剣に向き合っていた、その最中に。


「ウッキャキャァ……」


 サルの鳴き声らしきものが、聞こえた。


「さすがに、サルにこれ奪われたら、クロちゃんの血管が切れちゃうな……」


 アキラは注意深く、鍋と周囲の様子を窺う。

 声は複数ではなかったので、大した問題にはならないだろう。

 そうアキラは思っていたが。


「ウッキョホァーーーー!」


 茂みの中から、大猿、と言っていい化物が現れた。

 少なくとも、エルツーよりは背丈がある、とアキラは思った。


 魔物だ。

 サルの魔獣がアキラを狙っているのか、それともニコミウサギを狙っているのか、襲い掛かって来た。


「この鍋は、絶対に守る!」


 ベキィッ! とアキラの渾身のローキックが相手に決まる。


「キャホィア―ーーーーッ!!」


 しかしサルはまだまだ元気で、アキラに引っ掻き攻撃を仕掛ける。

 間一髪、アキラの上着を破っただけで傷はない。


「オゥラァ!」


 アキラ怒りの左フック。


「ミキャ!!」


 顔面にクリーンヒットし、サルの魔物は片目の視力を奪われた。

 鍋の様子を気にしつつ、目の前の敵にも集中しつつ。

 アキラの感覚は、いまだかつてないほどに研ぎ澄まされていた。


 サルは握力の強い動物だとアキラは聞いている。

 サルの魔物との戦いも、おそらく組み合いになればアキラは一方的に負けてしまうだろうと思った。


「フッ! フッ! せやッ!」

「ギキーーーッ!」


 アキラの左右の拳、ワンツーからの右ローキック。

 コンパクトな無駄のない動きから素早い打撃で、アキラは敵の力をどんどん削っていく。


「トドメだ!」


 最後は、空手でも格闘技でもなく、地面に落ちている石を握って、魔物の脳天に打ち下ろした。


「ホァ……」


 アキラは、勝った。

 見事に自分の命と、それと同じくらいに大事なニコミウサギの鍋を、守り切ったのである。


「あ、し、しまった! 水加減!」


 戦いに夢中になっていて、鍋の中の水分がどれだけ煮詰まったか。

 アキラは慌てて確認に走った。

 とくに問題なく、肉は汁につかり、コトコトと煮込まれていた。


「ふう。良かった……」


 明鏡止水の心境で、アキラは再び、鍋の番人となった。

 アキラと魔物の戦いを見て、周囲の獣はすっかり怯え、ベースキャンプに近寄らなくなった。



 クロとエルツーが、さらにもう一頭の罠にかかった鹿を仕留めてベースに戻ると。


「ただいまー……って、なにこれ!? サル!? 魔物!?」

「アキラさん、大丈夫ッスか!?」


 サルの魔物の骸の前で、じっと動かずに鍋を見張っているアキラの姿があった。


「ああ、エルツー、クロちゃん。大丈夫、ニコミウサギの鍋は、死守したぜ……」

「いや、あんたが大丈夫なのか聞いてるのよ! 怪我とか負ってないでしょうね!?」


 エルツーは心配して大声を出したが。

 クロは、周囲の匂いから、アキラが怪我を負っていないことを聞かずともわかっていた。


「って言うかアキラさん、鍋に集中し過ぎっスね。なんか目が怖いっス」

「へへへ、やったぜ、クロちゃん、エルツー。俺は、成し遂げたぜ……この兎の煮こみは、間違いなく絶品に仕上がったぜ……」


 頑張るところはそこじゃない、とエルツーもクロも、心の中で突っ込んだのであった。


 もちろん、そこまでして作ったアキラ特製の兎の煮こみ料理は。


「はー……こんなに柔らかいお肉が、この世にあるのね……」

「口の中と、喉が、くすぐられているような快感っス……」

「後に余韻を引いて残る、上品な甘みが、たまらねえな……」


 三人をしばし恍惚とさせるほどに、美味しく出来上がったのだった。

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