133 ウィトコに代わって罠猟に行こう!(3)
翌日、作業三日目の朝、天気は晴れ間の多少のぞく曇り空であった。
「じゃあクロ、頼んだわよ」
この日のベースキャンプ見張り番はクロが担当。
アキラとエルツーが山奥へ入り、前日までに仕掛けた罠場の巡回にあたる。
「クロって、どうしてサルがあんなに嫌いなのかしらね」
そんな話をエルツーはしたが、アキラは適当にはぐらかした。
仕掛けた罠を、ベースキャンプに近い場所から順繰り、点検していくと。
「あ」
アキラの視界に、木々の間から動く固まりが入った。
「やった! かかってるわね! あたしが設置しようって言ったところよ!」
エルツーは自分の仕掛けた罠に獲物がかかっていて、上機嫌だ。
一角ジカと呼ばれる種の、メスだった。
メスは、頭頂部にコブのような小さなでっぱりを持っている。
オスの角はもっと長く、大きい。
罠は鹿の左の後ろ足にかかっていた。
落とし穴を踏み抜いて、そしてうまい具合に縄が鹿の足を捕えたのだ。
「そんなに大きくないけど、上々だな!」
アキラも鹿を一眺めして、今回初の収穫にテンションが上がる。
「えいやっ!」
まずは、逃げられない鹿の頭部を、エルツーがボコリと棍棒で殴って。
「南無南無……」
気を失った鹿の、心臓がある位置に、アキラが手槍をブスリと刺す。
びくりと鹿が体を震わせ、トドメが刺された。
仕留めた獲物を、ベースキャンプに運ぶ。
「俺一人で持てるよ」
「でも二人で持ちましょ」
アキラとエルツーの二人で肩に鹿を担ぎ、よいしょよいしょと山道を戻る。
「お、獲れたんスね!」
待っていたクロは、サルと喧嘩して満身創痍、というわけでもなく元気に二人を迎えた。
まずは、頑丈な樹の枝に縄を渡して、三人で力を合わせて鹿を逆さ吊りにする。
このとき、頸動脈に傷を入れて、血抜きも行う。
「結構肥ってるわね」
エルツーがナイフで鹿の腹を縦に割き、内臓を取り出す。
胆嚢と呼ばれる臓器を傷付けないように、注意しながら。
胆嚢は糞尿の匂いのもとなので、傷がつくと肉や内臓に匂いが移るのである。
エルツーが取り出した内臓の中から、アキラが食べられる部分を選り分けて、川で洗う。
心臓、肝臓、腎臓が栄養もあり味もよく、歯ごたえも楽しめる絶品の部位だ。
今回の個体は肝臓がよく肥っており、この日の夕食にしようとアキラは思った。
同時進行でエルツーとクロが鹿の皮を剥ぐ。
この作業はエルツーが好んで一人でやりたがるので、クロは横で見ている。
「エルツー、相変わらず皮を剥ぐの、上手いっスね」
「そう? なんでかしらね、不思議とこれ得意なのよね」
肉と皮の隙間にナイフを入れ、シャシャシャ、チャチャチャ、と手際よく、鹿の皮を剥がしていく。
脚から頭まで、見事に一枚の皮として分離されたのち、エルツーは皮に残った脂肪を丁寧にナイフでこそげ落とす。
クロはその間に、鹿の体を前足、背中、胴体、後ろ足、首、とバラバラにしていく。
一角ジカは背肉が特に美味と評判だ。
これは高く売れるので傷がつかないように、汚れないように慎重に選り分けておく。
バラバラになった各部位は、網に入れて川の水にさらしておく。
川の水は冷たいので保冷にもなるし、こうすることで肉に残った余分な血液がさらに抜ける。
「お、やってるね!」
そうしていると、果樹園の従業員が馬に乗ってやってきた。
「お疲れさまです! まだ一頭ですけど、仕留め終わりました!」
アキラも元気に挨拶を交わす。
果樹園のものに、下処理の終わった鹿の皮と肉を引き渡す。
鹿を多く仕留めれば仕留めるほど、アキラたちの報酬は歩合制で上がることになっている。
アキラたちのチームは、ウィトコに仕込まれたということもあり、皮や肉の処理が丁寧で、依頼主が喜ぶことが多い。
傷の少ない上質な肉、毛皮はそのまま料理屋や道具屋に高く売れる。
また、売らずにそのまま依頼主が利用するとしても便利だからだ。
「また来るからよ! たくさん仕留めておいてくれよ!」
鹿肉、毛皮の受け渡しを終えて、果樹園のものは去って行った。
日は高く、もう昼食時だ。
「アキラさん、ちょっと手伝ってほしいっスー」
川に入ったクロがアキラを呼ぶ。
「どしたん?」
「二人で、ちょっとこの石を持ちあげましょうっス」
クロとアキラは、川に転がっているかなり大きな石を二人がかりで持ち上げて。
「アキラさん、そのままこっちの、川面に出てる岩に、この石をぶつけるっスよ」
「ああ、ドカン、か」
川の岩場に大きな石をぶつけるとどうなるのか。
ドカン! とクロとアキラが石を振り下ろすと。
岩場に隠れていた魚が音と衝撃で気絶して、水面にぷかりぷかりと、浮かびあがって来た。
アキラはこの漁法を、個人的に「ドカン」と呼んでいるが、方言なのか、アキラの造語なのかは不明である。
「さ、昼飯にしようぜ」
「腹減ったっスー」
依頼主に渡した以外の、切れ端部分の鹿肉と、鹿の内臓。
そして先ほど川で獲れたばかりの、新鮮な魚。
クロが見張り番をしている間に、ベースキャンプ周りで採取した野草、キノコのスープ。
この日の食事も、十分に豪勢と言えるものだろう。
「クロちゃん、この魚は?」
「ムラサキアユっスね。紫色の川ノリばっかり食べるんで、体が紫になるんスよ」
肉と魚に塩を振り、シンプルに焼いて食べる。
しかしそれこそ、余計なものが入らぬ山野の美味という物だった。
「美味しいわねこの魚! もっとないの?」
エルツーはムラサキアユの塩焼きが特に気に入ったようだ。
結局、一人で三尾も食べて、お腹いっぱいでしばらく動けなくなっていた。
「春じゃないと、不味いんスよ。身が痩せて。今が一番美味い時期っスね」
「いい時期に来たなあ」
アキラもアユの味の良さを思い返し、風を浴びながらいい気持になる。
「うー、昼寝したいけど、罠に獲物がまだかかってるかもしれないわね……行くわよ、アキラ……」
重くなった身体をなんとか起こしながら、エルツーが気合いを入れ直して、言った。
再び、午後からもアキラとエルツーが仕掛け罠のチェックに回ったが。
「ありゃま」
アキラが仕掛けた罠のうち、一つが荒らされ、壊されていた。
「猪かしらね」
「うーん、上手く脚に縄が引っ掛かってくれなかったんだな……」
めげずにアキラは罠を仕掛け直す。
「仕方ないわよ、猪は力があるから、上手くかかったとしても抜け出すこと多いし」
「そうだなあ。でもやっぱ悔しいな」
話しながら罠の巡回を続けていると、見事、鹿が一頭、かかっていた。
「あ、前足でかかっちゃってるよ」
一角ジカのオス、体はそれほど大きくはない。
しかし、罠である縄が右前足にかかってしまっている。
「結構暴れたかしらね。肉が傷んでるかも」
エルツーの心配は現実のものとなっていた。
とどめを刺し、肉を運んで解体したところ、鹿の肉の大部分がうっ血、内出血していたのだ。
くくり罠が獲物の前足にかかると、獲物が変に暴れて、体中を森の樹や地面に打ち付けることになる。
そうすることで獲物の体は打撲による内出血が起こり、肉に血が回って肉質が悪くなるのだ。
「まあ、食べられそうなところは、俺たちで食べよう」
「そうね。多少血なまぐさいだけで、お腹に入れば同じよ」
皮も傷付き、肉も売り物になりそうな綺麗な部位は少なかった。
「俺は少しくらい、血の味や匂いがする方が実は好きなんスけどね」
ガツガツと焼いた鹿肉を食べながら、クロが言った。
作業三日目が終わり、アキラたちはテントに入って就寝準備。
「二人は、冒険者になって、夢とかってあるの?」
寝付くまでの間、エルツーはアキラとクロにそんな話題を振った。
アキラは、うーんと考える。
いつか、リロイにも訊かれたことだった。
これから先の、冒険者としての展望、長い目で見た目標を考えてみてはどうかと。
「俺は、一日でも長く、元気でこうやって、仲間とワイワイやってたいかな……」
今の時点のアキラの、偽らざる心境であった。
魔王という強大な敵、それに準ずる強大な魔物がいることも、理解はしている。
できることなら、それを倒してヒーローになりたいという気持ちが、アキラにないわけではない。
しかし、そのための具体的な道筋が、ビジョンが、アキラにはまだ思い描けないのだ。
一方でクロは、こう答えた。
「俺はまあ、いつか、仲間と店を持ちたいっスね。って、これはうちの親分が言ってることに便乗してるだけなんスけど」
「へえ、クロちゃんはお店か。なんのお店?」
「宿屋っス。うちの村、結構冒険者が仕事の途中で寄ったりするんスよ。山猫亭みたいに、飯も出せる宿屋を、いつか村に開きたくて。それでみんなで金を貯めてるんスよね」
アキラはクロの話を聞いて、想像する。
クロとその仲間の獣人たちの経営する宿屋は、きっと威勢がよく、楽しい宿屋だろうと。
「そう言うエルツーは、どうなんスか」
質問者であるエルツーに、クロが同じ質問を返した。
確かにアキラも、エルツーの夢というのは今まで、聞いたことがなかった。
「あたし? あたしはお金持ちになるのが夢よ」
「お金持ちって言ったって、色々あるじゃないっスか。バリバリ働いて世の中を動かすタイプのお金持ちか、隠居して優雅に過ごしたいお金持ちとか。そのへんどうなんス?」
「どっちでもいいわ。あたし、あんまり人に頭を下げて生きて行きたくないのよ。だから、うんとお金持ちになれば、誰にも鬱陶しいこと言われず、好き勝手できて、頭を下げないで生きて行けるかなと思ってるのよね」
アキラは、それを聞いて半分呆れるほどに、意外だった。
普段、大人びていて、節度を弁えているエルツーだったが。
頭を下げて生きて行きたくないというのは、とても子供っぽい、非現実的な話だと思ったからだ。
「それは、デカい夢だな……」
しかし、アキラは同時に安心するように笑った。
エルツーも、年相応の、若い女の子なのだ。
途方もない、非現実的と思うような夢を見たっていいじゃないか、と思った。
「じゃあ、公子さまの誰かに見初められて、ゆくゆくは公爵夫人っスね、エルツー」
からかい半分でクロはそう言ったが。
「それもいいわね。それだけ、相手がイイ男だったらの話だけど」
エルツーは、いたく真面目な口調で、そう答えたのだった。
これは、エルツーに惚れる男は、将来苦労しそうだな、とアキラは強く思うのだった。
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