130 魂だけが転移する?(4)

 間一髪のところで、アキラは間に合った。


「フェイさん、大丈夫ですか!? 彼女たちの治し方が、わかりましたよ! アキラさんが、蛇の神さまに聞いてくれました!」


 リズもアキラと一緒に、屋敷に駆けつけていた。


「本当か、アキラどの!?」

「ああ、細かい話はあと! フェイさん、この水をあの子に飲ませたいんだけど……!」


 そう言って、アキラは革の水袋をフェイに手渡す。


「飲ませる? この状況で?」


 フェイは一瞬、自分が水袋を渡された意味が分からなかったが。


「な、なるほど、確かに、私に、任せろ!」

「うん、あの子の体は、俺が抑えるから!」


 そう言って、アキラとフェイ、二人がかりで少女に向かって走る。


「来るなぁぁあ!!」


 屋敷の中に置かれていた、調度品らしき彫刻が飛んでくる。


「イデ!」


 しかし、頑丈なアキラがそれをガードして、フェイの体を守る。


「アキラどの、少しの間、任せた!」

「了解っ!」


 フェイの言葉に合わせて、アキラが少女の体を、後ろから羽交い絞めにする。


「ゴメンね、少しの間、我慢してて!!」

「放せ、放せエエエエッ!!」


 大小の屋敷中の置物がアキラめがけて飛んでくるが。


「むぐ!」


 口に水を含んだフェイが、少女に口づけをして。

 ゴクリ、と少女の喉が鳴る。


「あ、ああああああああああ、ああああ!!!」


 フェイに含まされた水を飲んだ少女は、宙に浮いていた力を失い床に落ち。


「い、いや! 私は、あの夢の中で、ずっと……!!!!」


 なにかを叫びながら、もだえ苦しむ。

 それは、ナオミの叫びなのか。


「ダメなのよ! 私は私! 私の居場所は、あなたには奪わせない! あなたにはあなたの居場所がある!!」


 それとも、マリサの叫びなのか。


「この女に、居場所なんてない! なにも為さず、誰からも期待されず、ただ生をむさぼっていただけだ!!」


 ナオミでもマリサでもない、他のものの叫びなのか。


「そんなことない! 私も、この子も! 居場所がある! 愛してくれている人がいる! こんなやつの言うことを、聞いちゃダメ!」


 そのうち、叫び声は響かなくなり。

 

「……リズさん、フェイさん、それと、アキラさんも、ありがとう」


 そう言って、少女は意識を失った。



 こうなった経緯を、落ち着いたのちにアキラがフェイに話す。


「あの水は、蛇神さまから授かった聖水みたいなもので、もしも体に魔のものが、魔王の力が入り込んでいたら、追いだす力がある物なんだ」

「理屈はわからないが、そういうものなのだろうな。要するに、彼女、ナオミの心と体に、魔王が影響を及ぼしていたということか」


 この世界、リードガルドの住人は、心の隙間に魔王が入り込み囁きかけることを「魔が差す」と表現する。


「蛇の神さまの見立てでは、そうみたい。ただ、ナオミちゃんの心にどうして魔が差したのかってのは……」


 目覚めたナオミが、それを素直に話すかどうかは、わからない。

 ただ、なんとなく。

 そう思うだけの憶測を、リズは口にした。


「幸せで、なに不自由ない暮らしをしていて、満たされてしまったから、でしょうか……?」

「満たされているから、魔が差した? そんなことが……」


 フェイはリズの言葉に反論しようとしたが。

 満たされた暮らしに、飽きてしまっていたとしたら。

 ただその退屈を埋めたいと願う心に魔が入り込んでしまったのだとしたら。

 フェイにはやはりわからず、首を振るだけだった。


 アキラが、話に補足をする。


「ここから見ると異世界、俺らの世界の日本で真田マリサちゃんが命を失いそうになった。こちらの世界、リードガルドでナオミちゃんが命を失いそうになった。そのとき、二人の心にたくさんの悲しみ、苦しみ、絶望が生まれた。その負の感情をエネルギーっていうか、足がかり手がかりにして、魔王が二人の体と魂を繋いでしまったのだろうって、蛇の神さまは言ってたよ」

「なるほど……魔王も、なにか大きなきっかけというか糸口のようなものがないと、動けないんでしょうか?」


 リズの予測に、アキラは苦笑いして首を振った。


「どうかな。だとしても、この世界も、あっちの世界も、哀しいこと、苦しいことはたくさんあるからね……」

「いつか、ゆっくりルーレイラとそういう話もしてみよう」


 フェイも、魔物や魔王に付いてまだまだ知らないことばかりの自分を恥じ、そう言った。



 後日談がある。


 ナオミは、自分が熱に浮かされてからのことをなにも覚えていないのだという。

 ジャクソン氏も、元のナオミが戻ってきたと一安心したのだが。


「あれから娘は、前よりも外に出たがることが増えましてな。どこへ連れて行ってほしい、なにがしたい、あれを見たいと、前よりもワガママになりまして」

 

 ジャクソン氏は、決して嫌がっている風ではなく、楽しそうにアキラたちにそれを報告した。

 そして。


「娘の部屋から、こんなものが出てきましたので、一応聞いておこうと思いまして。娘には心当たりはないそうですから、どなたかの忘れ物ですかなと」


 ジャクソン氏は懐から一枚の紙を取り出した。

 

「あ……」


 それを見て、ついついリズが笑う。


 紙には、リズの字でずらりと書かれた方程式、その問題と。

 

 誰か別の人物による、丸っこい文字の回答が、キッチリ全問分、書かれていた。


「マリサさん、あちらでも頑張って……」


 リズの出した宿題を、真田マリサはしっかりと解いて、返してくれた。


 アキラとフェイも。

 もう会うことは決してないであろう真田マリサという女の子の将来に、幸あれと願った。



 この話は、ここで終わりではない。


「魔王が、転移現象に関わっている……」


 その可能性を、リズはしっかりと頭のメモ帳に書き記した。


 いつか、魔王を倒して。

 いつか、生まれ故郷の地球、アメリカ、ロサンゼルスに帰るその可能性を。


 リズは今まで、記憶のメモ帳から、消したことは一度もない。

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