129 魂だけが転移する?(3)
次の日、アキラは山へ蛇神に会いに行った。
その間はフェイとリズが夕方、仕事終わりにナオミ、もしくはマリサの様子を見に行くことになった。
「私の家、そんなにお金持ちじゃないし、私、運動とか苦手だから、それでからかわれて……」
その日は、リズたちを「マリサ」が迎えたようだ。
自分の境遇を、ポツリポツリとマリサは話す。
リズはその話に、うんうんと相槌を打つ。
「私もそうでした。今もですけど、本当に運動が苦手で、鈍くって。クラスメイトに凄くバカにされて、学校に行くのが憂鬱だったことがあります」
アメリカにイジメはないという言説がもてはやされることもある。
しかしそれが真っ赤な嘘であることを、リズは身を持って知っている。
フェイも二人の話に思うところがあるのか。
「私の場合は、暴れる、手におえないということで蔵の中に閉じ込められたり、近所の子供たちに、樹の幹に縛られそうになったりしたことがあるが……」
と、自分の幼い頃の思い出話をしたが。
「フェイさんのそれは、多分ちょっと違うと思います」
リズに呆れた眼差しを向けられた。
「ま、まあそういう、寄ってたかってからかってくるような奴は、投げ飛ばすなり叩きのめすなりして、黙らせてやればいいんだ」
「それができる人と、出来ない人がいるんですよ」
「むう……」
リズの言うことが尤もであるので、フェイもそれ以上の反論はできない。
しかし、二人のやりとりを見ていたマリサは、ようやく笑顔を見せた。
「今になって思うと、そうね。少しくらいやり返してやっても、大した問題にならないかもって思う」
「そういう選択肢もある、ということだ。やりすぎは良くないからな」
暴力による解決を焚き付けてしまったのではとフェイは反省し、発言を若干訂正した。
話題は、マリサの両親のことにも及んだ。
「お母さんは心臓があんまり強くなくて、私がいじめられてるって知ったとき、倒れそうになったことがあるの。だから学校のことは心配させないように、なるべく早く帰って来て、家で勉強ばっかりしてたわ」
「親孝行で立派なことだ。子供は親の近くで、真面目にしている姿を見せるのが一番だな」
フェイは自分が幼少の頃にそれをできなかった。
お転婆ばかりで親族兄弟をハラハラさせたことを、大人になった今でも後悔している。
「お父さんは、私の成績が上がって、上の学校に行けるって知ってから、仕事を増やして、きっと無理してた。夜遅くまで働いて、休日もバイトしてるみたいで……私には言わなかったけど」
「あなたはそれで、立派に試験に合格したんだろう。誇るべきことだ。なかなか、親の期待に応えるなんてことはできるものじゃない」
元気づけるためというよりは、フェイは自分の正直な感想としてそう言ったのだった。
「そうね。でも、受かったときは、これからももっと頑張らなきゃ、レベルの高い学校だから、サボったらきっとついて行けなくなる、って、そんな心配ばっかりで……」
マリサが精神的に追い詰められていた状況だったというのが、話を聞いているフェイやリズにも強く伝わる。
それでもマリサの顔の険はどんどん取れて、穏やかな表情になって行った。
リズとフェイにいろいろ話を聞いてもらうことで、ストレスがずいぶん和らいだのだろう。
その次の日も、フェイとリズは仕事が終わった後にジャクソン邸に足を運ぶ。
「今日の夢でも、また大きな箱に乗って、すごく速く、馬よりも速く移動したわ! どういう魔法を使っているのかしら!」
少女の「中」にいるのは、正しくジャクソン氏の娘であるナオミだった。
ナオミの体験を、それは夢ではないのだと言ってしまっていいものか、フェイは頭を悩ませるが。
「それは良かったですね。どんな所へ行ったんですか?」
リズは特に突っ込むことなくナオミの話を聞いているので、そのままにしておこうと思った。
「すっごーく、大きなお風呂に入ったのよ! このおうち全部より、大きいくらいのお風呂! おばさまが、連れて行ってくれたの! 知らないおじさまも、お仕事が休みだから、お祝いだから、と一緒に行ったわ!」
どうやら、ナオミの魂が転移した状態であっても、真田マリサという女の子の生活は大きな問題を発生させていないらしい。
「今まで生きていたのではないかというくらいの、ぴちぴちした素晴しいお魚の料理を食べたわ! 骨も全部避けられていて食べやすくて、とっても甘くてとろけるようなお魚! 夢じゃないくらいに美味しかったの、また食べたいわ……」
大いに転移ライフを楽しんでいるようである。
マリサに比べれば特にこれと言ってアドバイスすることもなく、リズとフェイはもっぱら聞き役だが。
「毎日毎日、思いもよらない、変わったこと、素敵なことに満ち溢れているの。こんな夢なら、いつまでだって見ていたいと思うわ……」
「いつまでも寝て夢を見ているのでは、ご両親も心配するだろう」
さすがにフェイはそう言わずにはいられなかった。
実際、今も多大な心配をかけている最中なのである。
フェイにそう、小言にもとらえられる一言を言われたとき、ナオミの表情は明らかに曇って。
「なんだか、疲れてしまったわ。今日はもう休みたいの。またいらしてね、隊長さん、ギルドのお姉さん」
そうフェイとリズに言って、この日の面会は打ち切られた。
「明日は、どうなるだろうな」
やれやれとフェイは溜息を吐き、言った。
「明日か明後日には、アキラさんが戻って来てくれると思います。なにか進展があればいいんですけど」
リズは、別れ際に見たナオミの暗い表情が気になっていた。
「そうだな。アキラどのを信じて待とう。私たちの得意分野だ」
「ふふ、そうですね」
街を守る衛士も、ギルドの受付嬢も。
冒険者の帰りを待つのは、慣れっこなものであった。
次の日の夕は、リズは仕事の残務で遅れてしまうということで、フェイだけ先にジャクソン氏の屋敷へ。
「毎日、私の様子がおかしくないかどうか、お母さんが心配しちゃってるわ」
この日も日本人の中学生女子、マリサがフェイとリズを迎えた。
日本とリードガルドを魂が行き来していることを正しく理解し、心に余裕が出て来たのだろう。
表情も穏やかになり、自分のこと、日常の些細なことを笑顔で話す頻度が増えていた。
「それは心配するだろうな。しかし、大丈夫だ。すぐに元通りに戻るさ」
フェイの発言に根拠があるわけではない。
しかし、会話を重ねるごとにフェイの方にも気持ちの余裕が出て来て、楽観的になっていた。
フェイの言葉を聞き、マリサは少し、寂しさを含んだ笑みを浮かべる。
「この病気が治ったら、もうリズさんやフェイさんには会えなくなっちゃうわね」
「それは、仕方のないことだ。元に戻るのが一番いいのだから」
「せっかくだから少し、護身術とか、教えてもらおうかな……」
照れくさそうに、マリサはそう言った。
「半端に教えるのはかえって危険だが、そうだな……」
あくまでも優しく、そっとフェイはマリサの手――厳密には、ナオミという少女の手――を握り。
「この方向だ。相手の手を両手に持って、この方向に、自分の体重ごと預ける感じで、捻ってやれ」
そう、逆関節の取り方を手ほどきし、教えた。
「えーと……こんな感じ?」
フェイの手をマリサが握り返し、軽く捻る真似をする。
「そうそう、上手いぞ。いざやるときは、遠慮はいらない。全体重を乗せるつもりで一気にやってしまえ」
「物騒ね」
こらえきれずに、マリサが笑った。
「いや、本当にそこまでやる必要はないんだ。ただ、いざというときはできるんだ、自分はこんなやつ、一発で黙らせてやれるんだ、と自分を信じることだ。そうすれば、からかってくる連中なんか、気にならなくなるものだ」
要は、意識付けの問題であろう。
もっとも、フェイの場合は意識だけでなく、本当に今までやってのけてしまっているのだが。
「そうね、そう思うようにする。ありがとう、フェイさん」
「いや、礼を言われるほどでも……私はリズやアキラどののように、学問の役には立てないしな」
「十分よ。元気を貰ったわ。みんなに、お礼をいくら言っても言い足りないくらい。私のために、ここまでしてくれて」
マリサのために。
本当にそうだろうかと、フェイは少し切なくなった。
魂だけ転移している憐れな少女を助けることで、自分のことを慰撫しているのではないか。
そうフェイは思ってしまうからだった。
しかし、そうして二人が話している最中に、突然。
「ダメよ……」
うわ言のように、マリサが、いや、ナオミなのか、どちらかわからない存在が、言った。
「ダメ……あなたは、楽しんじゃダメなの……!」
そうして少女は、自分の左右の手で頭を押さえて。
「あなたは、絶望して、苦しんでくれないと……約束が、守れないから……!」
「な、どうした、なにを言っている……!?」
フェイが少女の方に手をかけようとすると。
ばちぃんっ!
まるで、見えない鞭に打たれたかのような衝撃と共に、フェイの手は弾かれて。
「ダメなの! 私が夢の世界で楽しく暮らすためには、この子が、絶望してくれないと!」
少女はそう叫び、宙に浮いた。
「お、お嬢さま……ッ!?」
使用人が慌てて駆け寄るが。
ボコォン!
誰も触ってすらいないのに、部屋の椅子が飛んで、使用人に直撃した。
頭を椅子が直撃して使用人は意識を失い、倒れた。
「精霊の魔法ではないな……魔か、あやかしか!」
フェイは距離を取って打撃鞭を抜き、臨戦態勢に入った。
精霊魔法が使われた、空気がうねるような、肌がひりつくような感覚がなかった。
「わたしは……私は……ワタシは……! あああああああああああっ!!!」
部屋中の壁や柱がミシミシと鳴る。
少女が腰かけていたベッドが、ふわりと宙に浮き、フェイに向かって飛んでくる。
「くッ!」
横に回転して避けたフェイに、今度は花瓶が飛んでくる。
バリィン、と鞭を振るってその花瓶を砕き、フェイは少女を見据える。
「傷付けずに、制圧することは難しいか……?」
少女は手も触れずに、部屋の中に転がっている物体を武器として飛ばしてくる。
仮に少女の体を抑えたところで、少女が攻撃する能力を奪うことはできないだろう。
「クソッ!」
フェイは一旦、戦略的撤退を選んだ。
狭い室内での戦いは自分にとって不利だと悟ったのである。
「ど、どうしたのです、いったい!?」
ナオミの部屋をフェイが出たとき、屋敷の主人であるジャクソン氏と鉢合わせた。
部屋の中での騒音を聞きつけてやって来たのだろう。
フェイはジャクソン氏に向かって叫ぶ。
「外に出ていてください! ここは危険だ!」
「む、娘になにがあったのです……!? ああ、ナオミ! どうしたって言うんだい!」
ゆらり、と宙に浮いたまま、少女が部屋から出て来て、言った。
「……ナオミ? いいえ、わたしは、ワタシ! やりたいことを、好きなようにする! 誰にも邪魔なんてさせない!」
そうして、壁にかかっていた大きな絵が、額縁ごとジャクソン氏めがけて飛んで行って。
「危ない!」
フェイが体ごと割って入り、ジャクソン氏をかばったのと。
バキィッ!!
「ギリギリ、セーフ!?」
フェイに飛来物がぶち当たる直前。
駆けつけたアキラの回し蹴りが、絵の額縁を吹っ飛ばしたのは、同時だった。
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