128 魂だけが転移する?(2)

 ジャクソン氏の屋敷を後にしたアキラたち。

 これからのことを話し合うために山猫亭に入り、個室席に通してもらった。


「個室が空いててよかったね」


 アキラは席に着き、さっそく料理とお茶を頼んだ。

 真面目な話をするので、今日は酒はなしである。


 今回の出来事をジャクソン氏は大事(おおごと)にしたくないようである。

 会話の内容はなるべく漏れない方がいいと三人は判断し、個室を選んだ。

 この席なら、防音の魔法が施されているので安心だからだ。


 リズが、改めて今回のことを整理する。


「ジャクソンさんの娘さんであるナオミさんの体に、なぜか地球の、日本の女の子、マリサさんの意識が入り込んだ、ということなんですよね、おそらくは」


 そして一方では地球、日本にいるマリサの体に、ナオミの意識が飛んで行ったのだろうと、ナオミの話からは推察できる。


「こんなこと、私が知る限りでははじめてだ、一体なにをどうしたらいいのか」

「フェイさんでも、見たことないのか……」


 三人の中ではフェイが一番、このリードガルドという世界で暮らしている時間が長い。

 加えて衛士という仕事の関係上、転移者が現れた際に対処している経験も多い。

 そのフェイが、まったく知らない、わからないケースだと言っている。


「なにより、マリサさんであった彼女が、急にナオミさんに戻ったのも、私たちの理解を超えてますね……」


 リズもこめかみに指を当てながら言った。

 このまま、元通りにナオミがナオミのままで居続けられるなら、なんの問題もないのだが。


「そうだよ」


 アキラは一つの、重大なことに気付いたように、言った。


「転移者の俺たちは、元の世界に戻る手段がないと思ってた。でもあの女の子は、行って、戻って来たんだ」

「あ……」


 アキラの言葉を聞き、リズもそれがどれだけ重要な情報であるかを理解した。

 今回のナオミの件を詳しく調べることができれば、ひょっとすると、自分たちも。


「戻る、か……」


 フェイは複雑な表情で腕を組み、目を閉じて考え込んで。


「それに関しては、なんとも言えない部分が多いから今は考えないようにしよう。まずは明日、様子を見に行って、また娘さんからしっかり話を聞こうじゃないか」


 そう言ったので、リズもアキラも、不確定な帰還についてのことを、なるべく頭から追い出した。


 元の世界に帰れるかもしれないという想像は、それだけ三人の心を動揺させる。

 今、向き合うべき問題はナオミ、あるいはマリサのことであり、自分たちのことではないのだ。


 しかし、それでも。

 食事を終えた三人の口数は、少なかった。

 一人一人が、どうしても地球の、元の暮らしのことを思い出し、考えずにはいられなかったのだ。



 翌日。


「やあやあ、お三方ともよくいらっしゃってくれましたな。お待ちしておりました」


 昼食も是非にとジャクソン氏から言われていたので、アキラたち三人は昼前から、ナオミ、に会いに行った。

 もっとも、このときにジャクソン氏の娘、ナオミであるのか。

 それとも東京の女子中学生、マリサであるのかは、会って見なければわからないが。


 ジャクソン氏の顔色は良く、笑顔も昨日より増えた。

 これは、自分の娘であるナオミが、先日に「戻ってきた」からだろう。


「食事の前に、ナオミさんにお話を聞いてもいいですか?」


 リズは着くなりそう言って、ジャクソン氏も快諾し、ナオミの部屋に通される。

 ナオミは、ジャクソン氏の娘の、ナオミ本人であった。

 昨日よりもずっと元気に、三人が来たことを喜び、話す。


「とっても、不思議な夢だったの! 小さなベッドで私は起きて、朝よ、早くしなさい、って知らないおばさまにせかされて、珍しい服を着たわ。まるで、別の私になったみたい!」


 本当に別人になっていたのだが、ナオミはそれらのことを夢だと思っているようだった。


「どうしていいかわからず、私、椅子に座ってぼうっとしていたの。四角い箱の中では、色々な人が出ては消えて、あ、猫や犬も動いていたわ」


 取り留めもないナオミの話を、フェイはさっぱり理解できない。


「人や景色が動く、四角い箱というのはなんだ……?」


 リズやアキラは、おそらくそれがテレビのことを指しているのだろうとわかったが。

 

「カラクリ仕掛けの、紙芝居……絵巻みたいなものだよ。勝手に絵が切り変わるし、音も出るんだ」

「絵巻か。色々な話が見られるのか?」

「うん、三国志も、史記の物語も、遠い遠いローマの話とかも色々あるよ」

「それは確かに、面白そうだな」


 アキラの説明でフェイがテレビを正しく理解したかどうかは、謎である。


 興奮気味のナオミの話は続く。


「それからおばさまに、今日はお花見よ、って言われて、ものすごく速く動く箱の中に乗せられて、桜がいっぱい咲いている広場に連れていかれたわ! もう本当に見事な桜で、見ているだけで幸せな気分になれたの。たくさんの人が、桜の下で騒いで、ご飯を食べたり、酔っ払って歌を歌っていたわ……」


 まさに、夢見心地といったふうにナオミは語り、そして。


「おばさまは言ったわ。大したことがなくて良かった、あなたが生きていてくれて本当に良かった、って。そうして、おばさまは優しく私を抱き締めたわ。私も、なんだか嬉しくなっておばさまを抱き締めたのよ」


 アキラは、おそらくそれが毒ガス事件のことを指しているのだと理解した。

 日本の女子中学生、真田マリサは東京での毒ガステロ事件に巻き込まれ、生死の境をさまよい、一命を取り留めたのだろう。


「なんだか、話し過ぎて疲れてしまったわ。ごめんなさいね。また、あの夢の続きが見られるかしら」


 ナオミはたくさん話して、そして昼寝することにしたようだ。

 部屋を出たアキラは、もう一つの「命の危機」に思い当たる。


「……向こうの世界では、真田マリサって女の子が、命の危機からなんとか助かった。こっち、リードガルドでは、ナオミちゃんが熱病にうなされて危ない所だったけど、なんとか回復したわけだ」


 アキラの言葉を聞いて、フェイはこう言った。


「二人とも、死んだわけではなく、助かったんだな。すんでのところで」


 そこは、アキラたちと違うところであった。


 アキラも、リズも、フェイも。

 地球での自分の「死」を、ハッキリと自覚している。

 あの状況ではなにをどう間違っても助からないし、自分は確実に地球で一度死んでいると強く理解し、認識していた。

 これはリードガルドへの転移者特有の感覚である。


 リズが、現段階での個人的な予測を語る。

 

「私たちは、一度死んでこちらの世界に来ました。でもナオミさん、マリサさんは、一命を取り留めたのにお互いの世界が繋がってっているんじゃないでしょうか」


 同じ転移とは言え、そうなるとアキラたち転移者とナオミ、マリサとでは、話の理屈が大きく違う。



 その後、アキラたちは食事のもてなしを受け、ナオミがまた目覚めるのを待つことにした。

 少しの昼寝で起きるだろうと、ジャクソン氏も使用人の女性も言っていたからだ。



 夕方前、確かに少女は目を覚ました。


 寝る前とは別人のような、眉間にしわを寄せた表情で。


「また、こっちなの……」


 ベッドの上で大きく溜息を吐いた少女は、苛立ちをぶつけるように枕を放り投げた。

 投げられた枕は部屋の中にあった花瓶に当たり、花瓶は床に落ちて音を立てて割れた。


「ナオミお嬢さま! いけません! どうなさったのです!」


 側に付いていた使用人に、少女は怒鳴る。


「だから、ナオミって誰なのよ! 私は違う! 私は、真田マリサ!」


 騒ぎを聞きつけて、アキラたちとジャクソン氏が「ナオミの部屋」にやって来る。

 しかし、部屋の状況を見て、一目でベッドの上にいるのがナオミではなく、マリサなのだと全員が理解した。


 マリサは、自分の置かれた状況を嘆き、泣き叫ぶ。


「こんなところじゃ勉強もできない! せっかく受かった高校なのに、これじゃあついて行けないし、まともに通えないじゃない! 時間ばっかり無駄に過ぎて行く! もう嫌、いったい、どうすればいいのよ……」


 マリサは、相当なストレスを抱え込んでいるようだった。

 それを見て、21世紀を生きた日本人、アメリカ人であるアキラとリズも、胸の詰まる思いであった。


 娘の変わりようを見て、ジャクソン氏も顔を覆い、嗚咽を漏らした。 


 なんとか、この家族の、そしてマリサという女の子の力に慣れないだろうかとアキラは考える。


 死、魂、異世界転移。

 それらのことはアキラ自身も、自分の体験であるのに理解が及んでいない分野である。

 考えても、話し合っても、いい案が出て来る可能性は低いのではないかと思った、が。 


「リズさん、フェイさん。俺、明日からちょっと、蛇の神さまのところに、相談に行って来ていいかな?」


 困ったときの神頼み。

 アキラは、山の洞窟に住む蛇の神と、奇妙な深いつながりを感じている。

 なにかしらの打開策が、現状を理解し解決する手立てが見つかるのではないかと思った。


 フェイはそういったことに懐疑的であるのだが、リズはアキラの提案を受け入れた。


「お願いします。私とフェイさんとで、彼女のお話をもっとちゃんと聞いておきますから」


 アキラにはアキラなりのアプローチの方法が。

 そしてリズにはリズなりのアプローチの方法がある。


「マリサさん。私、リズって言います。少し、お話しませんか?」

「なによ……どうせ、あんたも私を助けてくれないんでしょ!? なにを話すって言うのよ!」


 そっとリズはマリサの手を握り、こう言ったのだった。


「日本の高校生がどんな勉強をするのかは、わかりませんけど。数学なら、私、得意です。物理化学もまあ、そこそこには」

「え……?」


 リズの発言に面食らったのか、マリサはぽかんと口を開ける。

 アキラはその様子を可笑しく思って、便乗して言った。


「リズさんはそもそも英語しゃべれるでしょ。あ、俺は高校生の日本史と世界史、教科書レベルならけっこうわかるよ」


 一人、話題に乗れず置いてけぼりを喰らったフェイは、少し悔しいが。

 そこはアキラがフォローした。


「ここにいるフェイさんは、陸上と体操ならオリンピックレベルだし。泳げないけど」

「なんの話かわからんが、泳げなくたっていいだろう別に……」


 リズが穏やかに優しく笑って、アキラに聞いた。


「アキラさん、日本の高校生の数学、最初にやるような単元ってどんなものですか?」

「うーん、多分だけど、展開と因数分解じゃないかな。4エックスの二乗プラス、うんぬんかんぬん、ってやつ」


 アキラはそれほど数学が得意ではないので、うろ覚えである。


「わかりました。じゃあ私、例題をいくつか書いてみますね。マリサさん、解いてみてください」


 そう言って、すらすらとリズは手持ちのメモ紙に、墨筆で二次方程式をいくつか書いた。

 いきなり目の前の美人が、堅苦しい数学の式と問題をカリカリと手早く書き、作り上げるさまを見て、マリサは唖然としている。

 アキラが横から覗いてみたが、解ける自信がなかった。


「受験勉強、大変だったんですね。合格おめでとうございます。私たちでよければ、一緒に勉強しましょう? できる限り、力になりますから」


 リズは問題用紙とは別に白紙の紙をマリサに渡して、アキラに話を向けた。


「アキラさん、蛇の神さまのところへ出かける前に、歴史のはじめの方だけでも、講義をお願いします。私もフェイさんも、聞いてますから」

「え、いきなりか……」


 こほん、とアキラは咳払いし、宙を見つめて少し考えて。

 

「1995年ごろの教科書って、日本史の旧石器ねつ造事件が発覚する前だな……」


 と、少しずれたことを言った。

 結局、アキラは世界史の話から始めることにした。


「じゃあまず、人類の始まりから。猿人のアウストラロピテクスがいた時代は、400万年前から250万年前とか言われてるけど、こいつより古いだろうって言われてるので有名なのはラミダス猿人だね。どっちも発祥、発掘された地域はエチオピアで、ヒトとサルの分かれ目はこのあたりってことになる。こいつらの次に出て来るのがホモ、ハビリスって連中で……」


 アキラの話が退屈なので、フェイはすぐに寝てしまった。

 リズも正直眠くなったが、なんとか、こらえている。


「な、なんなの、あなたたち……」


 朗々と話し続けるアキラを見て、マリサは混乱している。

 リズが安心させるように、こう言った。


「私たちみんな、マリサさんの、仲間です。なんでも話してください。できる限り、力になりますから」

「話って……そんなの、話したって、なにがどうなるわけでも……」

「気は紛れるでしょう? それでもいいじゃないですか。私も、あなたのこと、もっと知りたいです」


 粘り強く、相手の態度を柔らかくほぐそうとするリズ。

 マリサは、少しずつ自分のことを話し始めた。


「……私、中学ではいじめられてたの。だから、同じ中学の、いじめてくる奴らが行かないような、レベルの高いとこ狙って、一生懸命勉強して……」

「凄いガッツですね。それで見事に受かったんですもんね」

「フラフラになるくらいまで、勉強したもん。お母さんは、心配してたけど……」


 少しずつ、少しずつ、そうしてマリサの心はほどけて行くのだった。

 

 アキラの講義する内容によると、どうやらネアンデルタール人が滅んだらしかったのだが。

 誰も、聞いていなかった。

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