127 魂だけが転移する?(1)
春、小雨の続いたある日。
天気が良かろうと悪かろうと、仕事をしなければ路頭に迷うアキラはもちろん、この日もギルドに顔を出していた。
手ごろな依頼がなにか来ているだろうかと掲示板を覗く。
そこに、仕事の依頼なのかどうか、よくわからない紙が貼られているのに気付いた。
「異界からの転移来訪者の方へ。受付のエリザベスまで、ご連絡をください」
紙にはそう書かれてある。
異世界から転移してきたアキラは、これはおそらく自分のことだろうと思う。
自分だけではなく、ギルドに所属する冒険者のウィトコやコシローも転移者だ。
また、ギルド以外ではフーテンの伊達男ロレンツィオや、街の衛士を務めるフェイもである。
「とりあえず、リズさんに来たことを知らせればいいのかな……?」
不思議に思いながらも、アキラは受付に顔を出した。
相変わらず明るい、華のある笑顔でリズが受付カウンターに座っていた。
「おはようございます、アキラさん。紙を見てもらえました?」
「うん、なにかあるのかなと思って」
「ええ、ちょっとお話が。フェイさんも呼んでありますので、少し応接室でお茶でも飲みながら、お待ちいただけますか?」
そう言ってアキラはリズに淹れてもらったお茶を飲みながら、応接室で一人、待つことになった。
お茶の一杯目をゆっくりと飲んで、それがなくなる頃にフェイが来た。
私服姿なので、仕事は非番か休みらしい。
「やあ、アキラどの、おはよう。話があると言われて呼ばれたのだが」
「俺も、よくわかんないんだよね。なんだろう?」
「アキラどのもまだ聞かされていないのか。転移者に話がある、ということらしいが、なんだろうな」
アキラはフェイにお茶を淹れて、二人はその後、歓談しながらリズを待つ。
そうしていると、リズが応接室に入って来た。
「コシローさんもウィトコさんも、この時間に来ないなら今日は掴まりませんね。私たちだけですけど、まあ、いいでしょう」
どうやらこの異世界転移者三人で、なにかあるらしかった。
「なにかあったの?」
アキラの頭の片隅に、まさか地球への戻り方がわかったのか、ということが浮かんだが。
もちろん、リズの口から語られたのは、そういうことではなかった。
「はい。ラウツカのとある名士の方から、ギルドに不思議な依頼が来たんです。娘さんが突然、別人のようになってしまった、と」
リズの説明に、フェイは首をかしげる。
「年頃の女の子の気分や言動が変わるくらいのことは、別に珍しい話でもないだろう」
思春期女性の情緒というのは、難しいものである。
親や家族であっても、その問題を正確に理解するのは難しい。
「そういう話ではなくて、自分はこんなところの生まれ育ちじゃない、元の世界へ帰して、ということを言うようになった、と……」
「まるで転移者だな……」
確かにそれは妙な話だと、フェイも腕を組んでふむと考え込む。
「とにかく、お昼にその方のお屋敷から馬車が来ます。行って話を聞こうと思うんですけど、二人ともいいですか?」
リズのお願いに、もちろんフェイとアキラも。
「構わんよ」
「俺も」
そう答えて、三人はその日の昼、依頼者の屋敷に赴くことになった。
「なんだ、ジャクソン氏のところの娘さんか」
フェイはその屋敷の住人を知っているようだった。
なんでも港の管理者の一人らしい。
港湾の衛士隊で研修中のフェイは、ジャクソンなる人物とも知己がある。
「はい、とりあえず親御さんの方に、まずお話を伺うことになってます」
アキラたち三人は、ジャクソン氏の使用人に案内されて屋敷の中へ。
いかにもな金持ちの家に入ることなど、まずなかったアキラにとって緊張の時間である。
「忙しいところ、ご足労をかけてしまい、申し訳ありませんな。おお、隊長どのも来てくれましたか。心強い」
でっぷりと太った頭髪の薄い初老の男性が、ジャクソン氏のようだ。
「私に直接、言っていただければよかったものを」
「それもそうでしたな、隊長どのが転移者ということを、すっかり失念しておりました」
フェイとジャクソンはそう挨拶を交わし。
「はじめまして、ギルドで冒険者をやってます、東山アキラと申します」
「ギルド職員、受付のリズです。私たちでお役に立てればいいのですけど」
アキラとリズは自己紹介をする。
まずは、ジャクソン氏から簡単な経緯の説明があった。
「十日ほど前のことです。娘がひどく熱を出してしまいましてな。意識も朦朧として、ひどくうなされまして。苦しい、助けて、お母さん、お父さん、と」
「それは大変でしたね」
リズがいたわりの言葉をかける。
いやいや、とジャクソン氏は手を振って話を続けた。
「大変なのはこれからでしてな。熱が引いて、やれ私どもも一安心と思っていると、娘が急にこう言いだしたのです。ここはどこ、おじさんたちは誰、と。こんなところにはいられない、私は自分の家に帰る、と騒ぎまして」
「ふむ……」
それを聞いて、フェイが苦い顔をした。
フェイは衛士の仕事を続けていて、他の転移者が発見された事例に何軒か、立ち会ったことがある。
多くの転移者は混乱し、自分の置かれた状況を受け入れることができなかった。
そうして暴れて怪我をするもの。
衛士と揉み合いになり打ち所が悪く死ぬもの。
大人しくしていたと思ったら、絶望してその後に自殺するものがいたことを思い出す。
「確かに、転移者がこちらに来たときの状況に、似ていると言えなくはない」
フェイは転移者として迎えられた経験と、転移者を迎える側の経験を持つ。
その言葉は確かな実体験から来るものであり、重みがあった。
「そうでしょうそうでしょう。そこで家人が、ギルドには転移者の方が何人も出入りしているようだ、ギルドに依頼を出してみては、と申しましてな。今日、足を運んでもらった次第なのです」
話を聞き、リズは頷いてジャクソン氏に言った。
「お力になれるように最善を尽くします。今、お嬢さんとお話しすることはできますか?」
「ええ、昨日までに比べれば今日は随分大人しくしているようです。一度、会ってみてはもらえますか」
促されて、アキラたち三人は娘の部屋に揃って行くことになった。
「年頃の女の子の部屋に、俺が入っちゃってもいいのかな……着替えの最中だった、とか……」
「アキラどの、なにをくだらないことを気にしているんだ、この状況で」
バカなことを言っていたら、フェイに呆れられた。
案内された部屋に入る。
女性の使用人が傍らに控える中、ベッドに座ってぼんやりと窓の外を眺めている女の子の姿があった。
栗色の美しい長髪を持った、いかにもお嬢さまという華奢な女の子だった。
「娘の名前はナオミです。ですが、そう呼びかけてもおそらく、返事はせんでしょう……」
辛そうに言って、ジャクソン氏は部屋に入らずに待った。
見ると、ジャクソン氏の横顔には爪で引っ掻かれたような傷跡がある。
混乱した娘、ナオミと一悶着あったのだろうとフェイは確信した。
「刺激しないように話してみるが、どうなるかな。自信はない」
フェイはそう言ってゆっくりとナオミの側へ近付き。
「こんにちは。私の名はウォン・シャンフェイ」
そう、自分の名前を告げて。
「あなたの、名前を教えてくれないだろうか? 力になりに来た」
さっき教えてもらったはずの、娘の名前を、あえて聞いた。
「……マリサ。真田マリサ」
ナオミ・ジャクソンであるはずの女の子は、そのように、まったく別の名前を、フェイに告げて。
「日本人?」
その名前の響きに、アキラが驚いた。
アキラの声を聞いた自称マリサは、アキラの顔を見て。
黒髪の、彫りの浅く鼻の低い、一重まぶたのいかにも日本人然としたアキラの風貌を見て。
「あ、あああ、あああ……!」
両の眼からあらん限りの涙を溢れさせ、激しく泣いた。
「や、やっと! やっと話が通じる! やっと日本のことがわかる人が来てくれた!!」
そして、ベッドから勢いよく立ちあがり、アキラのもとに駆け寄って。
「ねえ! ここはどこ!? こいつらは、いったいなに!? どうなってるの!? あなたも、日本人なんでしょ? どうなってるのか、私にわかるように教えてよ!!」
狂ったように泣き叫びながら、激しくそう問いかけるのだった。
「だ、大丈夫だから、落ち着いて……」
アキラは優しく自称ナオミの背中をポンポンと叩き、彼女を落ち着かせようとする。
「帰してよ! 私を、日本に、東京に帰して! せっかく頑張って第一志望の高校に受かったのよ! 春休みが明けたら、高校に行かなきゃいけないの! だから早く、帰してよ!! お願い……!」
アキラはそれを聞き、なにもできない自分を恥じ。
そして、とても悲しいと思い、自然と涙を流したのだった。
そして、ナオミであるはずのマリサと名乗る少女が語った話から、アキラたちは以下のことを知ることになる。
1995年の、春。
東京都内で発生した毒ガス事件に巻き込まれた中学三年生の少女、真田マリサ。
彼女の魂だけがリードガルドに転移して、ナオミ・ジャクソンの体に乗り移ってしまったのだということを。
話し終えて、疲れたのかマリサは眠りについた。
「アキラさんの、知っている時代ですね?」
リズの問いにアキラは小さくうなずく。
「うん。俺がガキの頃にあった、すごい、全国ニュースになった事件だよ。宗教団体が、東京で起こしたんだ。何人もの犯人が、裁判で死刑になったくらいの……」
「その手の集団は、本当にろくなことをしないな」
フェイが吐き捨てるように言った。
フェイの地球での死因にも、宗教結社の暴動や内乱が関わっている。
だからフェイは、宗教そのものに明確な警戒心を持っているのだ。
神仏を崇敬する気持ちが少ないのも、そのためである。
マリサは寝てしまった。
アキラたちは一旦帰り、また明日にでも様子を見ようと思っていた、そのとき。
「ふわぁ~~~。よく寝たわ……って、誰!?」
さっきまでマリサと名乗っていた少女が、目覚めて大きな伸びをして。
アキラたちを見て、驚きの声を上げた。
「先ほど話していた、ウォンだが。今日は疲れているだろうから、また明日、話そう」
「あら? 北門の……今は港の、隊長さん。こんにちは。どうして、私の部屋にいるの?」
その言葉を聞いたアキラたちも。
父の、ジャクソン氏も同様に驚きの表情を浮かべた。
「お、おまえ、ナオミなのか?」
「お父さま。どうしてそんなに驚いているの? 私がナオミだと、なにか変なの? 娘の顔を忘れたのかしら」
先ほどまで泣き叫んでわめいていた少女とは、まったく別人のように険の取れた表情。
本来の、本物の、ナオミ・ジャクソンという少女が帰ってきて。
「でも、面白い夢を見たわ。四角い箱の中で、人が踊ったり歌ったり、景色が流れたりしているの。白くて、キラキラした柔らかい宝石がぎっしりたくさん集まったような食べ物とか、土気色したしょっぱいスープとかが食卓に出たわ」
まるで、日本を旅して来たかのような、夢の話をするのだった。
「アキラさん、これって……」
リズは目の前の状況に混乱しながらも、一つの仮定を立てる。
それはアキラの想像しているものと、ほぼ同じようなものであった。
「ナオミって子と、マリサって子の魂が、リードガルドと俺らのいた地球を、行ったり来たりしてる……?」
その答えに、フェイが頭を抱えた。
「ややこしくて、まったくわけがわからん! なんなんだ一体!」
結局アキラたちは、翌日もナオミ兼マリサのもとを訪れて、様子を見ることになったのだった。
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