126 炭と硫黄の香りに包まれて
ラウツカ市の東を流れる川。
その向こうにはドワーフや獣人、並人たちが多く働く、工業地帯が広がっている。
主に製鉄、冶金の工房、革製品を加工する工房、木材を加工する工房……などが多い。
その一角を借りて、アキラは火薬の調合作業を行っていた。
口の固い、秘密の守れるドワーフの職人に理解を得て。
原始的な黒色火薬というのは、木炭、硫黄、硝石の三種の原料からなる。
それらの粉末を混合させるだけで、理屈としては作ることができるのだ。
木炭と硫黄がいわば燃料であり、硝石はそれらを激しく燃焼させるための酸化剤だ。
メラメラ、ぼうぼうと燃えるだけでなく、勢いよく高速で燃やす、爆発させるために硝石が必要なのである。
「要するに、硝石をケチっちゃダメなんだな……」
慎重に、すり鉢でゴリゴリと原料をこねくり回し、粉にしていく。
切り石を積み上げられて作られた作業部屋には防音魔法が施されているので、外に音は漏れない。
ためしに作った火薬に、アキラは恐る恐る火をつける。
至近距離からでは危ないので、耳栓をして、火種のついた長い鉄の棒を使って、点火。
シュボバァン!!
やはり、爆発性能がいまいちであった。
一瞬で、バーン! と弾けるような強烈な爆発にならないのだ。
以前、炎のアキラくんの触媒として使った火薬と、大差ない。
鉄砲の弾丸を発射するのには、おそらく爆発の威力が足りないだろう。
「わかってるのに、またついついケチっちゃったか……純度の高い硝石は、値段が張るからなあ……今日は雨だから、湿気も関係したのかな?」
アキラは、ポケットマネーでこの研究開発を進めている。
そのために実験の予算をケチりがちな傾向にあるのだ。
しかし大成功とはいかないが、課題は見えた。
純度の高い硝石を入手し、ケチらないこと。
原料をしっかりと乾燥させること、などである。
幸い、幻獣騒ぎである程度のまとまった金銭がアキラの手元に入った。
実験は今後、順調に進んでいくだろう。
「いやいや、すごいもんだね。アキラ、それをおまえさん、自分一人で作ったのかい?」
耳栓を外したアキラに、急に別の男の声が聞こえた。
石室の出入り口を振り返ると、イタリア生まれの軽薄男、ロレンツィオが立っていた。
「おおおおお、お前! なんでここに!」
「なんでって、後をつけて来たからさ。たまにアキラ、誰にも言わずに、謎にふらっといなくなることがあるだろう? なにをしているのか興味があってねえ」
いくらドワーフたちの口が固く、情報が外に漏れないとしても。
自身を尾行されては無力だったと、アキラは不覚を恥じた。
アキラは頭を抱えた。
ロレンツィオにだけは、火薬のことを知られたくなかったのだ。
この男が火薬の製造を知れば、必ず話が大きくなったり、胡散臭い商売の種にしようとするに違いないから。
アキラの不安や心配を知ってか知らずか。
ロレンツィオは作業台の上に座り、部屋の中を見回し、言った。
「ポーロ家のおやじもよく言ってたなあ。ヴェネツィアももっと火薬を作るべきだ、ジェノヴァとの戦争にもっと火薬を使うべきだってね。モンゴルは大いに火薬を使っていたそうだし」
アキラが危惧した通り、ロレンツィオは火薬についてすでに知っていた。
そして、火薬の軍事利用価値も。
アキラはロレンツィオを睨みながら、言った。
「お前、これを金稼ぎの手段にしようと思ってるんだろ」
「アキラがうんと言わない限りは無理さ。おいらは火薬の作り方をこれっぽっちも知らないし。この部屋を見れば、半分は予想がつくけどね。硫黄の匂いがひどい」
ロレンツィオも決して鈍い男ではない。
作業部屋を見られた以上、原料や製法をある程度理解して、アキラの協力なしでも自力で火薬を開発するだろう。
アキラは仕方ないと肚をくくって、火薬を開発することの危険性を、ロレンツィオに話した。
「お前は知ってるかどうかわからないけど、この世界には魔王っていう、とても強くて悪い奴がいるんだ。火薬の作り方を知ったら、お前が魔王に狙われるぞ」
「アキラはぴんぴんしているじゃないか」
「俺は、蛇の神さまに加護を貰ったから、なんとか魔王の目を出し抜けるんだよ」
「ならおいらも、その蛇とやらにご加護を貰いに行くよ。どうせなら聖女さまの方が嬉しいけどねえ……」
簡単にロレンツィオは言ってのけるが、アキラは取り合わない。
「お前を蛇神さまに紹介するつもりは俺にはないよ。お前、失礼を働きそうだし」
そもそも、ロレンツィオはキリスト教、カトリック信徒である。
リードガルドの、蛇の姿の精霊を神として敬い、崇めることができるのかアキラにとって謎であった。
実際、リードガルドの精霊や神をあまり崇敬していないフェイは、蛇神に対して喧嘩腰ですらあったのだから。
「なぜそんなにおいらにだけ、意地悪をするんだい。街の噂を聞くところによるとおまえさんは、誰にでも親切な快男児だそうじゃないか。それがおいらにはこの仕打ちだ。あまりに悲しくて泣いちゃうよ?」
「勝手に泣いてろよ……」
結局アキラはその日の作業を切り上げて、夕食を食べるために街中に戻った。
誘いもしないのに、もちろんロレンツィオがついて来た。
「アキラ、おまえさんは何か勘違いしているようだけどね。おいらは別に、火薬をたくさん作って、この国と他の国が戦争をすればいいなんてことはこれっぽっちも思っていないよ?」
「お前は、思ってなくてもその結果を招きそうだから怖いんだよ」
「心外だなあ。たとえばこういうのはどうだい。お祭りの時期なんかに、歌や踊りに合わせて火薬をバンと鳴らすのさ。景気が良くて、みんな驚いて盛り上がると思うけどねえ」
「まあ、それはな……」
意外とこの男もまともなことを言う、とアキラは少し悔しかった。
「あとは、大きな音や煙が出るということは、狼煙の一種としても使えそうじゃないか。フェイ嬢たち、街を守る衛士さんの連絡手段として使うというのもいい」
軍事兵器以外にも火薬の利用価値というのは高い。
見識が広いのか想像力が豊かなのか、あるいはその両方か。
ロレンツィオの口からは火薬の有効な使い方、有効な売り方がその後もとめどなく出て来た。
「お前は、真面目に生きて行けば世のため人のためになりそうなやつなのになあ……」
アキラは皮肉でなく、正直に残念な気持ちとしてそう言ったのだった。
ラウツカの街中で、手ごろな店をアキラとロレンツィオが探していた、そのとき。
「あ、ウィトコさん。こんばんは」
革道具店の軒先で、ネイティブアメリカンはスー族出身、転移者であり冒険者講師のウィトコに出くわした。
「アキラか。それと……」
ウィトコはこのとき、ロレンツィオと初対面である。
「どうもこんにちは、アキラの親友、ロレンツィオだ」
「ああ、お前がか」
話だけは聞いていたので、ウィトコはそう言って。
「じゃあな」
特にこれと言った用があるわけではないので、帰ろうとした。
「あ、ちょっと、ウィトコさん、いいですか?」
それを引き留める形でアキラはウィトコの近くに寄って。
「銃、もう少し待ってください。完成したら、真っ先にウィトコさんに使って欲しいです」
そう、小声で言った。
「わかった。頑張れ」
アキラが火薬の研究をし、銃を完成させたとするなら、それは先込め式のマスケット銃になるだろう。
ウィトコが地球で使っていた銃より前近代的なつくりの代物になってしまうが。
飛び道具の扱いなら、おそらくこのラウツカの中ではウィトコが誰よりも長じているのではないか。
そんな信頼がアキラにはあった。
「はい、使ってぜひ、感想を聞かせて欲しいです」
駿馬にまたがり、銃を構えて獲物を撃つウィトコを、アキラも早く見てみたい。
そう思うと、研究開発への意欲もまた、ふつふつと湧いてくるのだった。
「アキラ、食事の店を探す前に、綺麗なお姉さんをひっかけようじゃないか」
「お前、少し黙っててくれよ。硬派な男の世界の空気に水を差さないでくれ」
ロレンツィオのせいで、台無しだった。
後日。
「ワーオ……」
アキラが試作した火薬、それを利用して簡単な砲を作って試射した結果。
放たれた鉛玉は実験室の石壁にぶち当たり、見事に壁を削って弾自体も潰れた。
銃の完成まで、あと数歩。
「魔王に、銃弾って効くのかなあ……」
遠く、はるか遠くにある標的を、アキラは眼前に思い描くのだった。
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