124 幻獣を追え!(5)

 野山の中で、幻獣幼女は駆けまわって遊ぶ。


 今、幻獣幼女は布を巻いた下着状のものを上下に身に付けている。

 いちいち動くたびにちらちら見えていてはアキラに取って収まりが悪いだろうと、エルツーがそのように施した。


「今日はこのまま、あの子を遊ばせて抑圧されていたものを発散させてあげようと思う」


 ルーレイラはアキラとエルツーに、先ほどまでのことを話した。

 虎の子幻獣は、あまりいい環境で管理されていないのだと。


「そういうことなんでしょうね。でも、それでもあの子の気が紛れなかったら、どうするのよ」


 エルツーの質問に、ルーレイラは見るからに憂鬱そうな顔で答えた。


「幻獣の捕獲ということで、魔法の麻縄を持ってきてはあるんだ。ある程度の期間、縛った相手の力を奪って制御できる道具だね」


 ギルドの中庭で、魔物を繋ぎとめている魔法の鎖と同じような効力を持ったものだ。

 ルーレイラが手ずから魔力を込めて編んだ縄なので、効果は格段に上である。


「でも、ルーはそれが嫌なんだね」


 アキラは優しい顔で言った。

 もちろん、アキラとしてもそれは不本意であり、最後の手段なのだと思っている。


「せめて時間があればと思うねえ。リーホックのギルドと連絡を交わして、しっかりした条件でなければ引渡しはできないと念書を作らせて」


 しかしその作業に割く時間はない。

 不穏な勢力が幻獣を狙っているということもある。

 衛士、公国の国境警備兵士たちに見られないよう、迅速に、隠密裏に幻獣を渡さなければならないのもある。


 アキラは幻獣のことに詳しくない。

 しかし、ルーレイラが幻獣という存在を、なるべく貶めたくないという気持ちは痛いくらいに伝わっていた。

 なによりアキラ自身、あの幻獣幼女にかなり感情移入してしまっている。

 なるべくなら、より良い環境で過ごしてほしいと思っている。


「ルーの言う、他にツテがある、ってのはどこ?」

「カイト神聖王国だよ。あの国なら幻獣は、それこそ最高待遇だ。蝶よ花よとちやほやされ過ぎるくらいだけれどね」

「なるほど」

「でもねえ、あの国に借りを作るのは、僕としては嫌なんだよねえ……」

 

 あちらを立てればこちらが立たずという事情がどうやらあるらしかった。

 なにより、そんなことをしてしまうと、ギルドとしての仕事を放棄したことになってしまう。

 あくまでも、リーホック共和国の職員に、幻獣を渡して仕事は完遂なのだから。


「ま、いいか! 明日の僕がいい案を思い付くことに期待しよう! 今日は酒飲んで寝る!」


 と言うなり、ルーレイラはまだ夕方が過ぎたばかりだというのに、幕舎(テント)を設営し始めた。


「いいのかそれで……」


 呆れてしまったアキラだが、彼にもいい案はない。

 エルツーも仕方ないという溜息を吐いて、幻獣幼女の遊び相手をしに行った。


「おい」


 考え続けるアキラに、急にコシローが声をかけた。


「な、なに? 敵!?」

「違う」

「あ、そう……?」


 それ以外の要件でコシローから話を振られると思っていなかったアキラは、少し戸惑う。


「虎のガキを返したくないんだったら、どこかに隠して、逃げられたことにしちまえばいいじゃねえか」

「え」


 まさか、コシローからアイデアを貰えるとは。

 アキラは面食らって、笑って首を振った。


「さすがに、そういうわけにはいかないでしょ」

「ふん、そんなもんかね」

「仕事は仕事だしさ。それで済むなら、ルーも迷ってないと思うし。それに、もしそれをやっちゃったら、俺たちの報酬、減っちゃうよ?」


 アキラはともかく、コシローは報酬が目当てで仕事を請けているはずである。

 それが減るのはコシローにとっては大きな問題ではないかとアキラは思い、そう聞いたが。


「減った分は耳長から取り立てる。あいつのワガママが原因なんだからな」


 コシローにとって、金がどこから出て来るかというのは、まったくの問題ではないようだった。

 しかし、コシローから意見を貰ったことは、アキラにとっていい気分の切り変わりになった。

 

「悩んでても答えは出ないし、明日の俺に任せるか……」


 割り切って、エルツーと幻獣幼女が遊んでいる仲間に入った。

 たっぷり体を動かして、たっぷりと夜空の星を見てから眠った。



 そして夜が明けて、次の日。 


「気持ちのいい朝だけれど、考えはなにも浮かばない! さて、待ち合わせの夕方まで、どうしようか」


 すでに開き直っているルーレイラ。

 表情に鬱屈した様子はなく、困っている自分たちを楽しんでいる余裕すら見える。


「むあーん」


 欠伸をかき、顔をこすりながら幻獣幼女ものそりのそりと起きてくる。


「きょうは、なにして、あそぶ? かりあそび?」

「狩り? おお、いいねえ、やろうか。俺が逃げるから、捕まえてごらん」


 朝から全力で、幼女に追い回されるという遊びをしている二十代後半男のアキラ。

 

「アイタタタ……昨日、はしゃぎ過ぎたから、筋肉が……」


 エルツーも起きて身支度を整える。


「で、アキラがあの子の遊び相手をしてる間に、どうするか決めちゃいましょうよ」

「そうだねえ。やっぱり正攻法に、あの子の扱いを悪くしないって相手に約束させるくらいが、現実的なのかなあ」


 エルツーからの話に、ルーレイラは迎え酒を飲みながら答えていた。

 半ばヤケになっているのかもしれない。


「つまらないけど、そんなところでしょうね。問題はあの子が待ち合わせ場所に近付くと、暴れることだけど……」

「眠っていれば、大丈夫じゃないかな?」


 楽観的なことをルーレイラが言っていた、そのとき。


「不味い」


 馬車の荷台で横になっていたコシローが、がばっと跳ね起きて、刀を掴んで駆け出した。


「ど、どうした!?」


 驚いたルーレイラがその背中に問う。


「おそらく黒服の仲間だ! 虎のガキを狙ってる!」


 ルーレイラもエルツーも、蒼白になってコシローの後を追うように駆け出した。



「く、くっそ!」


 アキラの肩口がナイフで裂かれ、血がにじみ出る。


 不意打ちだった。

 林の中でかくれんぼに近い鬼ごっこをしていたアキラと幻獣幼女を、黒ずくめの集団が襲った。


 数は前と同数、五人。

 しかし気配の消し方が、先にコシローが全滅させた連中よりも格段に上だった。

 そのせいで、コシローが気を張っていたにもかかわらず、敵にこれだけ接近を許してしまった。


「油断するなんてなあ……俺も成長してないな」


 敵は退けたとコシローが言っていたので、すっかり気が緩んで遊んでしまった。

 アキラは自分のミスを自分で責め、敵に向き合い、空手の前屈の姿勢で構える。


 敵の二人が、同時にアキラに襲い掛かる。

 相手はナイフを持っている。

 トンファーを持っていない今、腕で防御をしても動脈を斬られれば致命傷になりうる。


「せぃりゃぁっ!」


 アキラが選択した攻撃は、右の後ろ回し蹴り。

 アキラの長く、力強い脚が大ナタやマサカリのように振るわれる。

 一人の敵をカウンターでふっ飛ばし、もう一人の敵を後退させることに成功した。


 後ろ回し蹴りは、よほど蹴り技に精通した格闘技者でなければ軌道を読んで防ぐことが難しい技だ。

 言わば、初見殺しに近い技である。

 一度目は効果を上げたが、二度目が通用する可能性も低い。


「カァーーーーッ……」


 一挙手一投足が気を抜けない。

 アキラは息吹を吐き、敵を睨みながら、幻獣幼女を体でかばいながら、じりじりと後退する。

 位置取り的に、太い大木の幹を背負うことに成功した。

 逃げ場は限定されるが、真後ろからの攻撃を喰らう可能性も低くなった。


「ダッ!」


 アキラの前蹴りが一人の敵を吹き飛ばすのと。


「そこっ!」


 エルツーの小型ボウガンから放たれた矢が、一人の敵の太ももを穿つのと。


「どらぁっ!」


 コシローの逆袈裟斬りで、一人の敵の腕が吹き飛ばされるのは、ほぼ同時だった。

 しかし、敵はまだ動いている。

 痛みを感じないというのは本当のようで、肩口からずっぱりと腕を切断された敵も、ふらつきながら起き上って来る。

 

 そのまま、お互いがお互いを睨んでいる中で。


「しつこい連中だなあ……まったく、年寄りに無理をさせないでおくれよ……」


 最後に駆け付けたルーレイラが、手で印を結んで、座り込んで念じ始めた。


「樹から落ち、土に還りしもの、大いなる山をかたちづくる源よ。汝の名は葉。千の葉よ、風の精の力を受け今一度舞い上がり、我らが敵するものの妨げとならん……」


 すると、山林の地面を覆う無数の枯葉がぶわっと舞い上がって。


「なっ!?」


 敵の視界を覆い尽くすどころか、敵全員の体に覆いかぶさる勢いで降り注いだ。


「だっしゃっ!」


 おそらく敵の頭部顔面が存在するであろう箇所に、アキラの全力の右拳。

 痛みは感じなくとも気絶はするようで、敵の一人が大の字になって伸びる。


「生かして話を聞くか?」


 コシローは敵を斬る前に、ルーレイラに確認を取る。


「アキラくんがぶっ飛ばした、一人だけでいい」


 小声でルーレイラはそう答え。


「わかった。他のやつは運が悪かったな」


 そう呟いたコシローの死神のごとき斬撃で、四人の命が断たれた。 



 戦闘が終わり、傷を受けたアキラはエルツーに手当てされていた。


「あ、あぶなかった……みんな、ありがとう」


 死闘の果てに命を拾ったアキラの全身から、今になって汗が大量に噴き出す。


「いたい?」


 守られていた幻獣幼女が、アキラの傷を窺う。

 アキラは一瞬、思った。

 彼女が危機を察知して虎に変化すれば、こんな奴らはいちころなのではないかと。


「大丈夫だよ、かすり傷」


 しかし、幼女は虎化しなかった。

 それはきっと、彼女は人を絶対に襲わないからなのだと。

 そしてアキラは同時に、彼女に人を襲わせてはいけないんだろうなとも思ったのだ。


「ち、でてる!」

 

 驚いたように幻獣幼女は大声で言って、そして。


「はむ……ちゅ……」


 アキラの傷を、しゃぶるように舐めた。


「う、うひ、痛っ、くすぐった……」


 ちょっと楽しい気分になってしまったアキラだが。

 傷の手当てをしていたエルツーが、目を丸くした。


「ふ、塞がってる……これだけで……血も止まって……」


 エルツーの回復強化魔法を全力でぶち込んでも、傷が一瞬で治るということはない。

 しかし、その奇跡とも言える力を、虎幼女はいともたやすくやってのけた。


 これが、精霊神に至るまでの、幼体。

 幻獣と呼ばれるものの真の力なのかと、一同、言葉を失った。


 そして、ルーレイラは思った。

 ここまでの力の持ち主は、いちギルドの研究所がどうこうできる存在を超えている。


「リーホックの連中、この力のことは知らないんじゃ……? もしくは、知ってて情報を伏せてこっちに知らせて来たか……」


 どちらにせよ、これでルーレイラの肚は決まった。

 はいどうぞ、とこの幻獣幼女をすんなり帰して、たまるものか、と。


「コシロー、生き残ってのびてる敵さんは、どうだい?」


 そして、瞑想教団の追手がこれだけ執拗なのも、このあたりに理由があるのではないかとルーレイラは思った。


「ダメだな。舌噛んで死んでやがる」


 謎は、まだ解けない。

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