123 幻獣を追え!(4)
アキラたちは街道から見えない箇所、ちょうど木々の間に隠れられるように空いた草原があったので、そこに馬車を停めた。
そこで作戦会議的にルーレイラが全員に向かって話し始めた。
「リーホック共和国の幻獣研究には、反対派勢力があるんだ。リーホック国内にも、キンキー公国にも、いくつかね。あの子を狙ってきた黒服の連中も、そのうちの一つだろう」
「ギルドの敵、って言うよりは、幻獣研究の反対派、なの?」
アキラの疑問にルーレイラが答える。
「あの黒ずくめの衣装、そして怪我をものともしないで動いている様子。これらのことから察するに、瞑想教団と呼ばれる連中の一派の可能性が高いね」
「なにそれ」
瞑想教団というその名前に聞き覚えのないアキラに、エルツーが教えた。
「薬や魔法の力を使って、自分たちが幻人……まあ、神に近い位置まで上がろうとする宗教結社よ」
「神に近いって、あの、無人島の名無しの魔道士さんみたいに?」
アキラの疑問に肯定半分、否定半分の曖昧な言葉でルーレイラは説明する。
「沖の無人島のあの方は、失われた古代の魔法であの高みまでたどり着いたのだろうよ。今、瞑想教団がやろうとしていることとは、ちょっと方向性が違うかもしれない。まあしかし、人やエルフを超えた、次の位階に昇ろうとしている連中だと思ってくれればいい」
「超人、幻人か……」
アキラには想像のつかない世界の話だが、そういう集団がいる、ということは理解できた。
エルツーがルーレイラの説明を引き継いで、続きを話す。
「瞑想教団は教義上、人為的に幻獣を作ろうとすることを認めていないわ。これはキンキー公国の法律もそうなんだけど、その中でも過激派って言うのかしらね」
「自分たちは幻人になりたいくせに、獣を幻獣にするのはダメなんだ?」
アキラの素朴な疑問はもっともであった、が。
「その辺は、やっぱりもともと言葉を話す、知恵のある並人やエルフと、獣をしっかり分けたい教義なんでしょうね。あたしも学舎で習ったから知ってるだけで、感覚としてはわからないわ」
万物の霊長とそれ以外の獣との区別、線引きを厳密に行うという宗教は、珍しいわけではない。
地球出身のアキラにもそれは大いに理解できるところだった。
「じゃあ、あいつらに捕まったら、この虎っ子幼女は始末されちゃう可能性が高い?」
アキラの問いに、エルツーもルーレイラも首肯した。
話が退屈なのか、コシローが欠伸をした。
それを見てエルツーが咎める。
「あんたも、真面目に聞いておきなさいよ。仕事なんだからいい加減にやられちゃ困るのよ」
「黒服連中が、わかりやすい敵だってことでいいんだろうが」
コシローの中で要点はそれだけであり、それで十分だった。
四人がそうして、森の中で話し合いをしているときである。
遠くから、何者かが数人、興奮して大声で話している声が聞こえた。
「本当なのだろうな、新しき神が舞い降りたというのは!?」
「ああ、ふもとで巨大な熊の魔物が、見事に一撃で仕留められてたという話だ! そんなことができるのは、我らのまだ知らぬ獣神さまにちがいない!」
「生きてる間にお目にかかれる日が来るなんて……私、感激です!」
なにやら、すごく浮かれて騒いでいる。
今度は全員が、白ずくめの衣服に身を包んでおり、白いフードを目深にかぶっているといういでたちだった。
「……ルー、あれは?」
半ば予想がついているのだが、一応、アキラは尋ねた。
「幻獣を認めない、許さない勢力とは正反対。幻獣を信仰の中心に据える、聖命(せいみょう)派の信徒だね……」
幻獣の反対派がいれば、幻獣の狂信派もいる。
まさに捨てる神あれば拾う神だなとアキラは思った。
「あの一派って、アキラが世話になったって言う蛇神みたいな知恵の高い精霊神さまより、子供くらいの知恵しかなさそうな幻獣の方が尊い、って言ってる連中でしょ……学舎の同級にもいたけど、正直、気持ち悪かったわ……」
エルツーは青春時代の苦い思い出を振り返りながらそう言った。
実に様々な信仰の形があるものだ、とアキラはしみじみ思った。
「なんにしても、見つかると厄介だ。太い街道は避けて、こそこそと移動するにこしたことはないね」
聖命派の一団が過ぎ去ったのを確認したのち、アキラたちは再び移動を始めた。
「おまえ、いろんなところから狙われて、大人気だなあ。さすが幼女つよい」
「うん、つよい!」
幻獣幼女の相手は、もっぱらアキラが担っている。
今ではすっかりアキラの膝の上に座る甘えっぷりで、事情を知らぬものが見れば歳の離れた兄妹かと思うだろう。
「アキラくん、仲良くなり過ぎるとお別れがつらいよ」
ルーレイラが心配してそう忠告した。
「まあ、そうだけど……この子が不機嫌になって暴れたら、そっちの方が大変かなって」
「それは、考えたくもないくらいに恐ろしいね。くれぐれもそのまま仲良く、平穏にやってくれたまえ」
「了解」
そのまま平穏に引き渡しまでこぎつければ、よかったのであるが。
「むぅ……」
目的の場所が近付いたとき、ふと、幻獣幼女が苦い表情をした。
「どうした? おしっこか?」
アキラはそう尋ねるが、幼女は首を振る。
「きらいな、におい。きらいな、おじさん!」
そして、アキラの腕の中から逃げ出そうと、ジタバタと暴れ出した。
「ど、どうしたんだよ! な、大人しくしよう?」
「いや! きらい! あのおうち、あのおじさん、きらい! まえのおうち、まえのおばさんが、いい!」
「ル、ルー! いったん馬車を停めて! 危ない! 逃げられる!」
押さえつけようとするアキラに激しく抵抗する幼女。
「ふむ……?」
ルーレイラはその様子をいぶかしんで、いったん馬車を切り返し、目的地と逆の方向へ走らせた。
「どうどう、いやなオジサンからは逃げるからね。安心していいよ」
ルーレイラはあやすように、幼女にそう言った。
「ほんと? かえらない?」
「ああ、まだ帰らないよ。もう少し遊ぼう」
「わーい! あそぶー!」
そうしてルーレイラは馬車を停め、幼女を山林に解き放って、好きなようにさせた。
「ルー? どうしたの一体」
アキラはその真意がわからずに、ルーレイラに訊く。
「こんなに戻るのを嫌がるってのは、ちょっとおかしいねえ。アキラくん。道から見えないところで、このまましばらく彼女を遊ばせてやってくれたまえ。僕は引き渡し場所に行って、関係者に話を聞いてくるよ」
そうして、ルーレイラはコシローを用心棒として付けて、幼女を連れずに引き渡し場所へ向かった。
お互いの位置が分からなくならないように、音の魔法石をアキラに持たせて。
「確かに、そんなに帰るのが嫌ってのは……」
「逃げ出したって言うのも、たまたまじゃなくてあの子なりになにか理由があるのかもしれないわね」
ルーレイラを待ちながら、虫を追いかけて笑う幼女を見守りながら、アキラとエルツーはそう言った。
馬車を走らせるルーレイラと、同乗するコシローの間に特に会話はない。
しかし、敵が近付いているとなると、話は別だった。
「耳長。さっきの黒い連中だ。来るぞ」
「やっぱり、諦めてなかったかい……!」
コシローとルーレイラは馬車を降り、臨戦態勢を取る。
この場合、ルーレイラは戦闘の役にはほぼ立たないが。
「手加減なしで、殺してしまってくれって言ったら、できるかい?」
「そっちの方が得意だな」
コシローにそう言って、自分の身を守るくらいのことはできる。
「さっきはアキラくんやエルツーがいたから、なるべく殺す人数を減らそうとしてくれたんだろうね。気が遣えるんじゃないか」
「うるせえ。黙ってろ」
そうして、無言で森の中から襲いかかって来た敵を一人、コシローは抜刀すると同時に斬り捨てた。
逆胴の一太刀で、敵の体が上下に分断された。
「痛みを感じなくても、これで死ぬだろ」
虎狼の殺気を放ち、自分を囲む敵を一人、また一人と斬り捨てて。
「はっはァ!! 遠慮なく斬れるのは、気分がいいなァ!!」
狂ったように残りの敵も斬殺するのだった。
散らかった敵の骸を見て、ルーレイラは顔色一つ変えることなく。
「一度くらい、フェイと本気でやってみればいいのに。お金の取れる見世物になるよ」
「ダメだな」
血糊のついた刀をぬぐって鞘に収めて、コシローは言った。
「あいつと俺がやっても、客が見て面白い仕合にはならんさ」
「ま、おそらくは、そうなんだろうねえ」
二人の本気の決闘は、およそ凄惨なものにしかならないか。
あるいは一瞬で終わってしまうだろうことをルーレイラも認めた。
指定された待ち合わせ、幻獣受け渡しの場所。
そこは国境近くにある廃村であった。
あらかじめ約束された合図である、鈴の音を短く三回鳴らすと、廃屋から数人の者が姿を現す。
「幻獣は?」
そのうちの一人、背の高い金髪の老けた男が周囲を見渡して、ルーレイラに訊いた。
「幻獣は? じゃないよ。きみたち、いったいあの子になにをしたんだ。随分ときみたちのもとへ帰るのを嫌がってるじゃないか」
「この国の者が余計な詮索はしなくていい。仕事をきっちり果たせ」
居丈高にそう言われて、ルーレイラはカチンと来て言い返す。
「幻獣の取り扱い協定に、リーホック共和国は批准しているはずだ。幻獣に対して虐待の疑いが持たれるなら、きみたちのもとへあの子を帰すわけにはいかない。僕のツテで他の信頼できる所へ預けるだけだよ」
「なんだと……!?」
「僕の気が変わらないうちに、納得のいく説明をしたまえ。言っておくけれどね、僕はきみら若造より、幻獣のことには詳しいんだ。このキンキー公国で幻獣の育成が禁止されるようになる前、僕も幻獣に関する仕事を取り扱っていたことがあるからね」
ルーレイラはもともと精霊に対する信仰心が篤い。
人工的に飼育、育成された存在といえど、精霊の力が強く宿る幻獣への敬愛も強い。
そのルーレイラから見ても、あれほどまでに元いたところへ帰ることを、幼女の虎幻獣が拒絶するのには、大きな理由があるはずだと思った。
しばし、ルーレイラと金髪の男はにらみ合いを続ける。
ルーレイラの斜め後ろでは、コシローがその様子を冷ややかな目で見ている。
無言の圧力に負けて、金髪の男は両手を上に挙げ、溜息をついた。
「わかった。説明する。あの幻獣幼体は、もともとリーホックの北の山林にいた虎の精だ」
「リーホックの北って言うと、尖った半島のあるところだねえ。あんなところに虎なんて出るんだね」
「ああ、発見場所の近く、北部の街のギルドで長く研究対象として飼育されていたが、それを、設備が充実しているリーホックの首都ギルドに移したのが去年だ」
リーホック共和国の主都は、多くの学院や研究施設が立ち並ぶことで有名な、学問の街である。
一流の施設で研究するために、地方や他国のギルド、研究所から幻獣が運ばれてくるということはままあるのだった。
しかし、ルーレイラはその話に異を挟む。
「虎ってのは大きな山林が生活の基盤だし、故郷だよ。リーホックの首都みたいな人の多い街中に移したら、そりゃあ精神的にも抑圧されて、負荷がかかるに決まってるさ。犬や猫やネズミとは違うのだよ」
「わかっている。しかし、あの幼体は知性が芽生え、人にも慣れている。計画では上手くいくはずだったんだ……」
「計画では、ってことは、上手くいくはずだった要因が、ダメになってしまったということだよね。それはなんだい」
「あの幼体と最も長く接していた研究主任の女性が先日、病に伏して亡くなった。彼女の姿が見えなくなってから、幻獣幼体は衝動的に暴れることが多くなった」
状況を改善させようとしたギルド研究員たちは、自然の多い地域に幻獣を移動させようとした。
その際に、大暴れして逃げられたということだった。
「なるほどね」
ルーレイラは説明を聞いてあごをぽりぽりとかき。
「もう一つ、教えて欲しいことがあるのだけれどね。あの子の獣化、大きな虎への変化を押さえていた手段があるのだろう? それを教えてくれないと、無理にここに連れてくることはできないよ」
ルーレイラたちが知らされた事前情報に、そのことは記されていなかった。
これも相手側の不手際かとルーレイラは思っていたのだが。
「ない」
「は?」
金髪男はハッキリと、言った。
あまりにきっぱり言われたので、ルーレイラはわが耳を疑った。
「あの幼体が大虎の姿になった場合、それを封印などで収める手段はない。しかしここ十数年の記録では、人やエルフを襲ったことは一度もない。鎖や檻を破壊することは、何度もあったがな」
「じゃあ、どうやって対処したらいいって言うんだい」
「腹を空かせておけば、そのうち力を失う。もっとも、近場にエサがあり、自分で狩りができる環境だと、腹を空かせることも困難だが」
ああ、なるほど。
ルーレイラは理解した。
この職員たちは、あの幻獣を制御するために、常に空腹飢餓状態を保っていたのだ。
だから幻獣は、ギルドの研究施設へ帰ることを拒んでいるのだ。
きっと亡くなった女性主任は、そんな締め付けをしなかったのだろう。
幻獣も慕ってよく懐いていた、良い母親代わりだったのだろう。
「明日また連絡する。今日は連れて来るのは無理だよ」
不愉快さを隠さない顔でルーレイラは言って、馬車に乗った。
ルーレイラとコシローを乗せた馬車が、アキラたちの待つところへ戻る道の途中。
「すみません、旅のお方!」
白装束の男女数人に、声をかけられた。
「なにか用かい?」
「いえ、この付近で幻獣を見た、という話を聞きませんでしたか?」
「どんな情報でも、些細なことでもいいので、教えてください!」
「す、少ないですけど、私、いくらかお出しできますので!! きっとこの近くにいるんです!!」
うんざりしてルーレイラは首を振り、馬車をまた走らせた。
「どいつもこいつも、身勝手だなあ……」
ルーレイラの精霊や幻獣への信仰は「崇めよ、しかして依るなかれ」である。
崇敬し、感謝を捧げるのはいいが、依存するまで行くと話が別だった。
「ルー、お帰り」
「聞いてよルーレイラ、さっきこの子、蝶々を食べちゃったのよ。ギョッとしたわ、あたし」
アキラたちが待つ場所へ戻ると。
遊び疲れたのか、木の根っこを枕にして、虎の幻獣幼女はすやすやと眠っていた。
「可愛いもんだねえ。うりうり~」
「みゃ~~~……」
ルーレイラが喉をコシコシとさすると、幼女は気持ちよさそうに目を細めた。
さて、この子をどうしたものか。
ルーレイラは、決めあぐねていた。
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