120 幻獣を追え!(1)
朝、アキラがいつものように、次なる仕事を求めてギルドを訪れた際のことである。
「アキラくん、少しいいだろうか」
ロビーにて、ギルド支部長のリロイに声をかけられた。
「はい、なんでしょうか」
「ここだと人目が多いからね、ひとまず支部長室に来てくれ」
どうやら、内緒の話があるようだ。
案内されるままにアキラは支部長室に入る。
そこには受付職員のリズ、エリザベス・ヨハンセンもいた。
「おはようございます、アキラさん。まず、私から簡単に説明させていただきますね」
「おはよう、リズさん。よろしくお願いします」
アキラとリズは来客用応対用のソファに腰掛ける。
「このキンキー公国の北東にずっと行ったところに、リーホック共和国という国があります。公国とは同盟国ということもあり、関係は悪くない国です」
「ふむふむ。隣の国との関係がいいのは、大事なことだよね」
アメリカとカナダのような関係だろうか、とアキラはぼんやり想像した。
「そのリーホック共和国の冒険者ギルドでは、幻獣と呼ばれるものを研究しています。アキラさんやルーは、山の中の洞窟で蛇の神さまにあったことがありますよね?」
「うん、ありがたいご加護を頂いたよ。またいつか、お参りに行きたいな」
この世界の天地には、精霊の力が満ちている。
その力がなにかしらの条件を持って人やエルフ、獣の中にどんどん蓄積され、強大な力を獲得するにあたったものが「神」として崇められる。
アキラがすでに会ったことのある蛇の神を、ルーレイラは水精龍王などと呼ぶ。
「そこまでの神と呼ばれるほどの力に至っていない獣などを、ギルドは幻獣と呼んでいます。人やエルフであった場合は、幻人とも」
「力の強い妖怪や仙人みたいなものか……」
無人島の名無しの魔道士なども、神の領域に近い存在、幻人の範疇に入るという。
「その解釈でいいと思います。それで、ここからが問題なのですけど」
「問題って?」
リズは仕事モードではいつも華やかな笑顔を絶やさない女性だが、このときは緊張した面持ちで言った。
「キンキー公国は、人為的な手段で幻獣を作り出すことも、その研究も認められていません。もちろん、幻獣を売り買いするなどの取引も」
「力の強い存在だから、規制があるってことか」
その部分はキンキー公国の、宗教的な理由にもよるものだった。
もちろんアキラは詳しく知らないのだが、なにかしらの事情があって規制されているということは理解した。
「ですが、リーホック共和国のギルドから緊急で寄せられた情報には、研究していた幻獣のうち、一体がキンキー公国の領内に逃げてしまった可能性がある、ということなんです」
「それ、かなりマズいんじゃない!?」
「はい、かなり。輸送中の事故というか、不手際のようですけど……」
この国では禁止されている存在が、この国のどこかに紛れ込んでしまった場合。
「でもそれって、衛士さんとか国の兵士とかに、捕まえられちゃうよね? せっかく大事に研究してた幻獣が取り上げられちゃったりするのかな?」
「その可能性が非常に高いです。ですから、ここはなんとしてでも、国の衛士や兵士よりも先に幻獣を発見、捕獲しなければいけません」
きっぱりとリズはそう言ったが、アキラには不安がある。
「そ、それって、この国の法律的に、どうなの……?」
「捕まえて、リーホック共和国のギルドに無償で返還するだけなら、法的にギリギリセーフです」
「それってありなんだ!?」
思わずアキラは大声を出してしまい、あわてて口を塞ぐ。
もっとも、この支部長室は防音の魔法が施されているので、会話は外には漏れない。
「幻獣を作り出すこと、他国から持ち込むこと、売り買いすること、研究すること、などが法で禁止されているだけですので」
「バレた後で、きっとその法律は変わるんだろうな……」
「あと言うまでもないことですけど、この話はフェイさんには絶対に言っちゃダメですよ」
「それは、さすがにわかってるよ……」
フェイに隠し事をするというのは、アキラにとって少し気の重い話であったが。
ここで、リズから話を継いで、リロイがアキラに言った。
「今、キンキー公国中の冒険者ギルドから、少人数ずつ、国に怪しまれないように国境沿いへ幻獣の捜索隊を出している。うちのギルドからもルーレイラが行くことは決まっているのだがね、アキラくんは彼女の護衛兼助手として、一緒に行ってもらいたいのだよ」
「護衛、ですか。俺一人で戦力になるかな……」
「エルツーくんにも声をかけているよ。しかし正直言うと私も、もう一人くらい実力が確かで、口の堅い信頼のおける人物を探しているのだが、なかなかいなくてね」
自分やエルツーをそこまで信頼してくれるのはありがたいと、アキラは内心嬉しかった。
しかし。
「クロちゃんは他の獣人仲間と冒険に行っちゃったし、ウィトコさんは無人島で走りすぎて膝の具合が悪いって言ってたしな……」
ドラックは船の上にあり、ラウツカにはいない。
「カルくんもダメですよ。まだ見習い期間中ですし、あまり遠くの任務には行かせられません」
リズがにそう言われ、アキラはううむと考え込む。
そうなると、必然的に。
「あ、アキラ、来てたのね」
ロビーでは相変わらず、コシローとエルツーが将棋を指していた。
アキラが来ても、コシローは挨拶せずに無言で盤面を睨んでいる。
「コシローさん、そんなに敵がたくさん出るかどうかわからない仕事なんだけど、どうかな……」
「金次第だ」
「けっこう、いい」
「なら行ってやる」
そうして、おそらく口が堅い、というか余計なことを喋ることはないであろうコシローをアキラは誘った。
今回の仕事は、あくまでも「国境周辺の街のギルドが人員不足なので、各地のギルドから応援を派遣した」という、当たり障りのないものとして処理されている。
国や衛士隊に、幻獣が逃走したという情報が漏れる前に。
逃げてしまった幻獣を、国や衛士隊が先に捕獲してしまう前に。
いち早く幻獣を探し出して確保し、、リーホック共和国のギルド関係者に引き渡すというミッションが始まった。
アキラ、エルツー、コシロー、そしてルーレイラの四人は、馬車で北東へと向かう。
ラウツカの北東方面には果樹園があり、その先はアキラにとって未知の世界である。
「ここの果樹園のご主人、息子さんを亡くしちゃって、ずいぶんやつれてたな……」
アキラはたまに果樹園からの依頼を受けて、仕事を手伝うことがある。
果樹園の主人は、昨年の秋に魔物に息子を殺されてしまったのだ。
「ああ、水の化物か」
「うん、コシローさんが倒したって言う、そいつに……」
元凶となる魔物を退治したのはコシローだ。
ラウツカ市内および近郊の、河川や下水道、入江と言った水のある場所に潜んで住人を殺していた魔物である。
「もう二度とあんなことは、起きて欲しくないねえ。僕もかなりしんどい目に遭ったよ」
「魔物が変に知恵を持たれたら、たまったもんじゃないわね」
ルーレイラから詳しい話を聞いていたエルツーも、その魔物の恐ろしさに戦慄する。
そこで、アキラが素朴な疑問をルーレイラに投げかけた。
「今回追ってるその幻獣ってのは、どんなやつ? 探す手がかりみたいなのはあるの?」
「赤い虎だよ。大きな大きな虎。言葉は通じるという話だけれど、子供程度らしい」
人語を解する、虎。
アキラはついつい、学生時代に好きだった有名な小説を思い出すのであった。
「月に向かって吠えて泣いてたりするのかな……」
「なんだいそれは。まあ、虎だし吠えるくらいはするのだろうけれど」
もちろん、ルーレイラにはなんのことか、通じなかったのであるが。
馬車は山や谷を分け入って進む。
荷台で胡坐をかき、頬杖をついて眠っているかのように静かだった急に眼を開けて、言った。
「山犬かなにかの物の怪がいるな。このままじゃ囲まれるぞ」
「そりゃ不味いね。飛ばすよ!」
ルーレイラはそう言って、馬の速度を上げた。
「戦わないの?」
エルツーの質問に、ルーレイラは首を振って返す。
「今は目的地に一刻も早く着くのが最優先だからね、野犬の魔獣程度なら、戦って時間を取ることもないだろうさ」
戦闘にならないと知って、再びコシローは目を閉じた。
「相変わらずの凄い勘だなあ……」
鈍いと自覚しているアキラにとって、コシローのその能力はとてもうらやましいものだった。
危難と呼ぶほどでもないトラブルを、そうしてやり過ごした一行。
幻獣が逃げ出した先と思われる、国境沿いまでもう少しというところまで来たのだったが。
「げ、衛士の検問だよ」
ルーレイラの表情が苦虫を噛む。
山道の思いがけないところに、衛士たちが待ち構えていて、道行く者を臨検していたのだ。
「特に問題はないでしょ、やましいものを運んでるわけじゃないし、今は」
「エルツーはこういうときに肝が太くて頼もしいな」
アキラは感心して言った。
「こんにちは、なにかあったのかな?」
ルーレイラが衛士たちに気さくに声をかけて、検査を受ける。
「特にこれということもないのですが、山向こうで大きな獣を見たという情報がいくつかありまして。通行の方々にお知らせしています」
「そっか、お仕事、お疲れさま」
「こちらこそ、ご協力に感謝します。道中お気をつけて」
衛士から離れて、ルーレイラは苦い顔になった。
「まずいね。結構目撃されちゃってるんじゃないかな?」
大がかりな山狩りが行われていないということは、幻獣のことはまだ衛士たちに漏れていないということだ。
しかし事の発覚も時間の問題であるかのように思われた。
「虎か……」
コシローの呟きに、勘の鈍いアキラであっても殺気を感じた。
「いや、コシローさん、殺しちゃダメだからね。捕獲任務だからね」
「ふん」
わかっているのか、いないのか。
コシローはつまらなさそうに、また馬車の上で目を閉じるのだった。
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