インターミッション10 春と縁
春。
ラウツカの街でも桜の花が開くころになった。
「あとは、洗い物用の海綿がヘタってたかしら……」
ラウツカ市中央商店街の片隅で、日用品の買い物をしている赤茶髪の少女が一人。
彼女の名はエルツー。
ギルドに所属する冒険者で、強化魔法の使い手だ。
「はあ、あたしも独り暮らし、したいわね……」
エルツーは現在、家族とラウツカ市内の中央部に同居している。
冒険者ギルドは市内の南端、港の近くにあるので、いずれはギルドの近くで一人暮らしをしたいと考えている。
しかし家族、特に彼女の母親の反対もあって、実現してはいない。
そんな考え事をして買い物をしていたからか。
「へへっ、もーらいっ!」
路地を歩いていると、荷物や財布を入れていた竹編み籠を、ひったくられた。
「ちょ、待ちなさいよ!」
待てと言われて待つ泥棒はいない。
冒険者と言ってもエルツーは特に足が速いわけでもないので、ひったくりとの距離は開くばかり。
しかし、そのときである。
「止まれぇっ!!」
「おっわぁ!!」
ひったくり犯にタックル気味の体当たりをかまして、制止してくれた男が現れた。
「衛士隊だ! 大人しくしろ!」
「う、嘘つけ! 制服着てねえだろ!」
「今日は非番なんだ! つべこべ言わずにお縄に付け!」
ひったくり犯と、自称衛士を名乗る男はしばらくの取っ組み合いを続けて。
やがて、制服を着た衛士たちが集まり、ひったくり犯は身柄を拘束された。
「ありがとうございます! 怪我はないですか?」
エルツーは、ひったくりを押さえてくれた男に駆け寄り、礼を述べる。
男は、土とかすり傷だらけの顔に、にっかりと爽やかな笑みをうかべて。
「いえいえ、お気になさらず。仕事ですから!」
元気よく、そう言った。
その顔に、エルツーは見覚えがあった。
いや、よく見知っている間柄、と言っても良い。
「トマスさん?」
「ああ、エルツーさんでしたか。良かった、荷物もお金も、無事のようですよ」
郊外で衛士として勤めている、トマスという青年だった。
アキラやエルツーは以前、大緑という難敵に襲われた。
その際に、トマスの隊の郊外衛士に非常に世話になったのである。
「でも、血が出てるわ……」
エルツーは自分の持っていたハンカチを、トマスの顔の傷にあてがう。
「い、いえ、これくらいは、日常茶飯事ですので! 大丈夫です」
ついでに、エルツーは回復強化魔法をトマスに施していた。
傷の治りが劇的に早くなるというわけではないが、体力の回復にはなる。
「こんなかすり傷に、わざわざ魔法まで……」
「いいのよ。これくらいさせてちょうだい。せっかくの非番なのに、こんなことさせちゃったんだから」
少し、二人ともいい雰囲気になってしまい、照れ隠しに笑った。
いたたまれない空気を換えるため。
ではなく、トマスは話すべきことが確かにあったことを思い出す。
「そう言えば、ウォン隊長から今夜、集まって食事をしようと誘われたのですが、エルツーさんも?」
トマスはこの春から、ラウツカ市の北門衛士一番隊に所属することになっている。
それを祝うためにフェイが今夜、身内だけのささやかな宴会を開こうと言っていたのだ。
「ええ、私も行くわ。クロって言う獣人のやつも知ってるでしょ? あいつも行くから。」
「楽しみにしています。白い髪の彼ですね」
「そうそう。って言っても、私はそんなに遅くまで一緒できないと思うけど」
「それほど、長い会になるでしょうか?」
「アキラもフェイねえも、酔っ払うと長いわよ。クロは途中で呆れて帰ると思うけどね」
そうして、エルツーとトマスはめいめい、夜の集まりの身支度をするために戻った。
夜、ラウツカ市中央西横丁の居酒屋、怨霊庵という店にて。
「それでは、新しくラウツカ一番隊の仲間になってくれるトマスを歓迎して、乾杯!」
フェイが、歓迎会の乾杯の音頭を取っていた。
「かんぱーい!」
フェイ、アキラ、クロ、エルツー、そしてトマスの全員が杯を掲げ、宴会が始まった。
エルツーだけは酒を飲まずに、お茶である。
春の魚を主とした山海の美味珍味が、卓上に所狭しと並ぶ。
「こんな素敵な席をわざわざ用意していただき、かたじけなく思います、隊長」
無礼講という言葉はトマスにはないようだ。
酒が入ってはいても恐縮しながら、フェイにそう言った。
「おいおい、そんなにかしこまるな。かえってこっちの肩がこるだろう」
「も、申し訳ありません。なにぶん、緊張しているもので」
実直なトマスの態度が、みなの微笑みを誘う。
「面白い人っスね、トマスさん」
「そうでしょうか。仲間からは、カタブツすぎる、とよく言われますが」
「そう言うところが、面白いんスよ」
いわゆる天然系であるとクロは言っているのだが、通じているか、どうか。
「ところで、アキラはウォン隊長と同じく、転移者なのだそうですね」
なぜかトマスはアキラのことだけを気安く呼び捨てにしていた。
おそらく、アキラに親しみやすさを感じているのだろう。
アキラの方も気軽に、トムと愛称で呼ぶ関係になっている。
「うん、そうだよトム。でも桜の咲く時期にこうやって歓迎会をしてると、異世界に来たって感じがしないな」
「どういう意味だ?」
アキラの発言の意味が分からず、フェイが訊いた。
「俺の元々いた国は、春の桜の時期が年度替わりなんだ」
「ほう。キンキー公国の年度の〆は秋から冬至の時期だが、アキラどののいた日本という国は春なのか」
「うん。そのときに仕事の配置換えとか、学校の進級や組替えがあるから、送別会や歓迎会をやることが多いんだよ」
その話を聞いて、エルツーが思い出したように言った。
「アキラがこっちに来たのも、確か一年前の、今くらいの時期じゃなかった?」
そう、今この春の時期は、アキラが日本から異世界に飛ばされて来た季節なのだ。
「そうなんだよ。一年経ったんだなあって思うと、速かったような、長かったような不思議な気がするな」
春の桜が咲く時期に、新しい仲間を迎えてこうして酒を交わしている。
それは一年前の今と、あまり変わっていないようでいて、色々と変わったようでいて。
アキラにとって、感慨深いものが胸に湧いてくるのであった。
「あのときはアキラどのが迎えられる側だったが、今はこうしてトマスを迎える側だからな」
「色々変わったんだなーって思うと、なんか、しんみりしちゃうよね」
酒と食が進み、気がほぐれてついついアキラの涙腺が緩む。
じんわりと目に浮かぶ涙をぬぐいながら、それでも笑顔でアキラは酒の杯を干した。
「あ、本当ですね」
それを見て、トマスが面白そうに笑った。
「なにが?」
「いえ、アキラはすぐ泣くと、ウォン隊長が前におっしゃっていたので」
「フェイさん、余計なこと言わないでよ。恥ずかしいなあ……」
顔を紅くして泣き笑いしているアキラを見て、みんな、ケラケラと笑った。
「だからさ、フェイさんは曹操を嫌いすぎるよ。あれはあれで凄い人物だってことを認めないと」
「うるさい、嫌いなものは嫌いなんだ。あ、しかし荀彧は、いいと思う。曹操配下の中でも、素晴らしい仁義の人だ。確か私と同じ、許昌の出身なんだぞ」
酒が進んでしまったアキラとフェイは、いつものように三国志談義を始めてしまった。
「ふ、二人は一体、なんの話をされているのでしょう……?」
わけがわからないトマスは困惑するしかない。
「放っておきなさい。お酒が入るといつもこうなのよ。もともともいた国の、古い歴史談義みたいよ」
「俺、横で聞いてるだけで何人かは名前覚えちゃったっスよ。リョフって人が、その時代では最強だったらしいっス」
エルツーとクロは、構わず冷静に料理を楽しんでいた。
一軒目の飲み会でクロ、フェイ、そしてエルツーはそれぞれ家に帰った。
アキラとトマスは、どちらから誘うでもなく、当然のように二軒目に行く流れに乗った。
二軒目は酒を主軸に、料理は簡単な物しか出さないような立ち飲み屋。
「山で大怪我した俺を、馬に乗せて運んでくれたのがトムなんだよね。本当にありがとう。命の恩人だよ」
「いえいえ、衛士であれば、あのときは誰もでああします。たまたま居合わせたのが自分だっただけです」
謙遜しているわけではなく、それはトマスの本心でもあった。
「そのたまたまがさ、俺は縁だと思うんだよね」
「縁、ですか」
「うん。俺がこっちの世界に飛ばされて、たまたま拾ってくれたのがギルドのみんなや、フェイさんだったんだ。そのおかげで、こうしてラウツカで楽しく暮らせてるからね」
「では、自分もその『たまたまの縁』をこれからも大事にするとしましょう」
などと、人情味のあるいい話をしているさなか。
「ところでその、アキラは、エルツーさんとよく一緒に冒険に行っているようですね」
話題は、エルツーについてのことに変わった。
「そうだね。大きい仕事も小さい仕事も、エルツーと一緒のことが多いかな。この前も仕事とは別で、首都まで行ったし」
「あ、ということは、二人は男女の付き合いをしている、ということで……」
トマスは、何か勘違いをしているようだった。
「いやいや、そんなことなんにもないけど。首都に行ったのも二人っきりじゃないよ。もう一人、アホがいたよ」
「では、エルツーさんは、今その、特定の決まった相手、というのは……」
トマスは、エルツーのことがとても「気になって」いるようだった。
「そういう話は聞かないなあ。いないとは思うけど、ひょっとしたら俺らが知らないだけで、いるかもしれないし」
「わかりませんか……」
「エルツーは潔癖なところあるから、下品な男、だらしない男は嫌いだと思うな、うん」
女心などなにもわかっていないくせに、わかったようなことをアキラは言った。
「なるほど、やはり誠実に向き合うのが、一番でしょうか」
「内面がしっかりしてる男が、きっと好みだと思うね。芯や軸がぶれてない感じの」
「ううむ、深い」
なにひとつ深くない、誰でも言えるような話にトマスは感心していた。
アキラもすっかり酔っているので、発言は無責任で適当である。
「でもトムがそういう気持ちなのは、俺は応援するよ! 困ったことがあったら、なんでも相談してくれよ!」
「はい、頼りにしています、アキラ!」
まったく頼りになるわけがない朴念仁のアキラを、すっかりトマスは信頼してしまった。
かように、酔っ払いというのは罪を作るものである。
もちろん、自宅に戻り、寝て起きてすっかり酔いが醒めたアキラは。
「どうしてあんなこと言っちゃったんだろ……」
と、激しく後悔することになったのだ。
人間、酒が入るとできもしないことを、気持ちが大きくなって言ってしまうものだ。
そうして、アキラが二日酔いの苦しみと、大言壮語の後悔にさいなまれていたそのとき。
「やあやあアキラ、部屋にいたんだね。今ちょっといいだろうかな?」
招かれざる客がやって来た。
中世イタリアはヴェネツィア出身、転移者のロレンツォである。
「よくない。帰れ。ってかなんで俺の部屋知ってるんだ。お前に教えた記憶ないんだけど」
もちろんアキラは、歓迎しない態度を貫いた。
「はっはっは、聞けば誰かしら教えてくれるものさ。それよりもいい商売の種があるんだ。このあたりは、香辛料の有名な産地だそうじゃないか」
「この国は塩や香辛料の価格統制が厳しいから、ぼろい商売なんてできないぞ」
「じゃあ、浜辺で綺麗な貝殻を拾って、首都で売ろうじゃないか。あそこは海が遠いから珍しがられるに違いないよ」
ロレンツィオは諦めない。
正直、アキラは頭が痛いので早く帰って欲しい。
「二束三文にしかならねーよ、そんなもん。移動費の方が高くつくわ」
「そこはほら、なにかしらの曰くを貝殻に付けてだね、価値を高めるのさ」
「お前は、そう言うガッツがあるなら、まともに働いたほうがいいと思うぞ……」
アキラの故郷、日本では出会いの季節である、春の麗らかな日。
歓迎すべき新しい仲間と、早く帰って欲しい招かれざる客と。
アキラはその両方と、良くも悪くも縁を結んでいくのであった。
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